前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『世界史を変えるウクライナ・ゼレンスキー大統領の平和スピーチ』★日本を救った金子堅太郎のルーズベルト米大統領、米国民への説得スピーチ」★

   

 

   日本リーダーパワー史(832)記事再録

『日本最強の外交官・金子堅太郎のインテジェンス④』★『日露戦争勝利の秘密、★『『武士道とは何かール大統領が知りたいー金子のハーバード大での名スピーチ④』

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

「ニューヨークで日本の立場について講演活動」


次に、いかにしてニューヨークを拠点にアメリカ全般に向って日露戦争における日本の立場を宣伝したかという点をお話したい。

私の旧友のウードフォードという人(この人はかってスペインの公使としてアメリカからスペインに行っていた、軍人出身の外交官で陸軍の中将である。この人は軍人としてよりもむしろ外交官として知られている人である)は日露戦争前に大統領の命を受けて日本に来られて、伊藤、井上馨、山県、松方正義その他の元老と再三会って日本の状況を聞き、私にも大統領の添書を持って来て、いろいろ日本の事情を聞かれたから、日本滞在中に日本の事情をすっかり話していました。

そんな関係で、私がアメリカに行くと、「貴下は今度国難のさい、重任を負ってアメリカに来たのだから、自分がかって日本に行ったときには大変厄介になったから、私も一微の力を貸そう。私の考えでは朝野の名士を一堂に集めて、晩餐会を催してその食後に貴下が日露戦争の沿革から日本人民の希望、および態度を詳しく説明したならば如何なものでしよう。

 そうすれば集まる人数は少数でも、その演説は翌日の新聞に載ってアメリカ全般に知れ渡り、貴下の意志が米国人に徹底するからその宴会を催そうと思うから来てくれ」とこう言われた。

そこで私は喜んで参りましょうと答えました。

◎ニューヨークの大学クラブで著名人を前にスピーチ

★『マカロフ大将の死を悼み、新聞に賞賛される』

 そのパーティーは四月十二日と決めました。前の内閣大臣(当時の内閣大臣は厳正中立の立場にある関係からこれを避けて呼ばなかった)陸海軍の将校、各裁判所の判事、大学総長、商業会議所会頭、実業家、銀行家、新聞記者、その他朝野の名士を網羅して二百十九人、ニューヨークのユーニバシティー・クラブー(大学クラブ)に呼びました。

その中にはわざわざサンフランシスコから来た人もある、英領カナダから来た人もある。まずこれはこの当時の聴衆としては最も適当な人であって、この一人が何百人に宣伝することのできる社会において、重要な位置を占めている人びとである。

二百十九人をユーニバシティー・クラブに呼んで、主催者のウードフォード中将が私を招待した理由を述べられ、それから前の内閣大臣の中の大蔵大臣、陸軍大臣・大審院長、商業会議所会頭・大学総長・外交官が次々に演説された。

今度、金子という人が日本から来たのは、日露戦争のためにアメリカ人に日本の態度を説明するためであるというのがその骨子であった。

そこで私がこれに対して日露戦争の原因から当時の状況、それから日本国民の決心の程度を詳細に述べました、最後に私は、四月の十日に旅順港外においてロシアの海軍大将のマカロフが日本の水雷にかかって戦死したことについて申しました。

それが前々日のことであって当時はマカロフの戦死のこと大きく新聞に書いているさいであった。このマカロフという人は海軍の将校として度々アメリカに来て、この二百十九人のうちの半分ぐらいはマカロフを呼んで宴会をしたり、面会した人びとであった。多くはその友達である。有名な戦術家である。

この人が旅順にいて艦隊を指揮していれば日本恐るに足らずと言ってロシア政府がとくに選んで旅順によこした。それが不幸にも戦死したから、ロシアにとっては非常な打撃である。アメリカ人も旧友がかく悲惨な戦死を遂げたから哀悼の意に充満されている際である。そのときに当り私は演説の終りに臨んでふとそのことに考え及んだからこう言った。

 「ここに御列席の多数のお方はマカロフ大将をご承知であります、大将は世界有数の戦術家である。この人が死なれた。わが国は今やロシアと戦っている。しかし一個人としてはまことにその戦死を悲しむ、敵ながらも我輩はこのマカロフが死んだのはロシアのためには非常に不幸であると思う。

マカロフ大将も国外に出て祖国のために今やまさに戦わんとするときに臨んで命を落としたことは残念であろうが、この戦役において一番に戦死したことはロシアの海軍歴史の上に永世不滅の名誉を輝かしたことであろうと思う。私はここに追悼の意を表してもって大将の霊を慰める。」

とい言って私の演説を結んだ。これが翌日の新聞に出て非常な評判となった。

●マカロフ大将の死を悼み、新聞に賞賛される

これより先カシニー大使は日本の悪口をありとあらゆる形容詞をもって吹聴し、今度私が米国に来たについても非常に脅威を加えている。しかるにこのごとく悪く言われている日本人のことゆえ、

 「マカロフが死んだについてはよかった。もうあれが死ねば日本のためには幸福だ」

と言いそうなものが、かえって敵将に対し追悼の意を表した上にマカロフ大将の霊を弔った、日本人というものはわれわれ欧米の人が考えることができない高尚な思想を持っているものだと言って、非常に新聞紙上で賞讃された。

これがアメリカで日露戦争に関する演説をした始めである。これは日本の金子が何のために米国に来たかということを知らしめた紹介者がよかったから、大いに効果があった。

その次は四月二十八日、これは私が八年間アメリカにいて、うち最後の二年間修学したハーバード大学の催しで、私に来て日露戦争について演説をしてくれとの招待を受けた。ところが不思議なことには私と同時にハーバード大学を卒業した者が三人日露戦争に関係している。

小村寿太郎は当時の外務大臣として日本にいて、日露戦役の当初から関係している。又栗野慎一郎はロシアに公使としてかの地を引き揚げて帰って来た。そうして私がアメリカに来て戦争の沿革を説明している。ハーバード出身の者が日露戦争に三人まで関係しているからは、ぜひ私に来てくれよという。

最初はハーバード大学が私を呼ぶつもりであったところが、総長の考えで、厳正中立を布告しているアメリカ合衆国の大学が、ロシアの敵たる日本人の金子を招ぶということは、たとい卒業生といえどもこれは遠慮すべきことであるというので、ハーバード大学の中に設けられたクラブから私を呼ぶことにした。

●◎ハーバード大学クラブで講演、満員の大盛況

『日露戦争は正義のための戦いで日本は滅びても構わぬ』

しかるに二十八日は非常な大雨で、午後からも土砂降り。これではとても誰も聴衆は来まいと思うほどの大雨だが少しも止まない。その場所はハーバード大学の中のサンダース・シアターというところで、これは卒業式に用いる会堂である。

そこに私が行ってみると、豪雨にもかかわらず立錐の余地もなく何千人という男女が押押しつめ入ってきて、廊下にまで椅子を持ってきて聞こうという有様で、私は非常に愉快に感じた。

それから「極東の現状」という演題で演説して、まず第一に日露戦争の起因から説き始め、十年以前に日本は日清戦争のとき三国干渉のために遼東を還付させられた。以来日本人は十年の長い間、臥薪嘗胆(がしんしょうたん)していずれのときにか、かの遼東を元のとおりに取り戻さなければならぬと国民一般に決心したという沿革から説き始めた。ところが三十三年の北清事変、すなわちボクサス・トラブルのときに、各国から兵を出した。

ヨーロッパ各国もアメリカも日本も兵を出した。ロシアは地続きのハルビンから来て遼東を取ってしまった。そうしてほかの国は皆すぐ撤兵したにもかかわらずロシアだけはいつまでも撤兵しない。アメリカが撤兵せよと言ってもイギリスが苦情を言っても言うことを聞かない。いわんや日本ごとき言ったくらいでは、顧みもしない。

それのみならず遼東から朝鮮に進んでソウルまでをロシアの勢力範囲とする魂胆である。それは日本としては困ると抗議を申し出た。こういうことをすったもんだしているうちに、ロシアはとうとうしまいに釜山までをその勢力範囲にしなければ承知しないというから、わが国はやむをえず二月四日の御前会議に於てとても日露の交渉は外交談判ではいけない。

やむをえず国を賭し矛を取って兵馬の間にこの難問題を解決するよりはかないと廟議決定し、天皇陛下の御裁可を仰ぎここに開戦するに至ったという沿革を事実と外交文書とを引証して詳細に私が演説した。ところがそれが一時間半ばかりも時間がたっていたから私は演説を中止した。

●時間延長して講演、拍手喝采

私がワシントンを去ってハーバードの演説会に来るときに、留学時代に法律を教わった人で、今は合衆国の大審院判事であるホームスという人が言うに、「君は今度ハーバードで日露戦争についての演説をするそうだが、君に一言忠告するが、ハーバード大学の先生達は無論、ケンブリッジの市民、その隣りのボストンの男女は、アメリカ第一等の知識階級の人と自ら信じている。どんな偉い人が行ってハーバード大学で演説するといっても、ハア、アレカと言ってなかなか聴かない。

それで一時間ハーバードの聴衆を君が引きつけて聴かせるということは無理であるから、長くて四十五分、これより長く演説してはいかぬ、きっと失敗する、僕の経験によって君に忠告する。」

と言ったことを思い出した、ところがすでに四十五分はおろか、一時間半ばかりも演説しておった。そこで私はピタッと演説を止めて、

 「さてこの豪雨のさい遠路をいとわずおいで下さって、一時間余りも我輩の未熟な英語の演説をお聴き下さったことはまことに有難い。あまり長く演説してもお気の毒だからこれで止めましよう。」

と言って打ち切ろうとすると、聴衆は総立ちになってノーノーと言い、思っているだけ言いなさい。今夜は貴下の演説を聴きに来たのだから、夜が明けても全部を聴かなければ帰らぬと言いだした。そのとき私はさすがは留学した母校であると思って非常に嬉しく感じた。ここにおいて私は日本国民の決心と希望まで申し上げ、演説を続けた。今度はロシアがいかにしてシベリヤや満洲に兵を送ったか、その兵数から本国の常備兵の数を述べ、日本の兵隊の数を比較すると比較にならぬほどわが軍は少数である。

旅順・ウラジオストックに在る敵艦のトン数、堅牢なる構造方法について日本の軍艦を比較するとこれまた比較にならぬ、このとおりだ。どこに日本が勝つ見込みがありますか。ロシアは土地の広いこと、人口の多いことは世界に類がない。これに対して弾丸黒子のごとき日本の小国が敵対するということは最初から勝てる見込は立たない。

日本人中一人として勝つ見込をつけた者がない。内閣大臣も陸海軍の当局者も勝つ見込が立たない。しかしロシアに対して一歩譲れば彼は一歩進んできて、あくことを知らないのがロシアの要求であるから日本は正義のためにやむをえず国を賭して矛をとったのである。

★「日露戦争は正義のための戦いで日本が滅びても構わぬ」

もしこの戦争で日本が亡びても、日本は少しも構わぬ、日本は正義のため、国を守るために国民皆、矛をとって戦ったが、いかに滅ぼされたということを世界の歴史の一頁に残せば満足する。後世の人が昔、日本という国がアジアの東南にあったが、暴虐ロシアのために滅ぼされたという歴史を知りさえすれば、我々日本人はそれでもう満足だ。もともと勝つ見込みがあって戦争を始めたのではない。

 又ロシアはいわく、ロシアはキリスト教国で、日本は非キリスト教国である。キリスト教国が世界の非キリスト教国を征服、開化せしめることは天職だ。それに反対する日本を撲滅せしめなければならぬといって、今度の戦争を宗教戦争にしようとしている。

このときに当りアメリカの国民はキリスト教信者であるからロシアのいうことに同意なされるかもしれぬ。しかしながら私はキリスト教の教義はそういうものではあるまいと言ってバイブルの文句を朗読し、サマリタンの宗教上の故事を引用してだんだん説明した。

これの事実をアメリカの人びとが聞いて下されば我々は他に何の望みもない。これから先は日露の両国いずれが是か非かは諸君の公平なる判断に委せますと言って演説を終った。終ったときは最初から丁度二時間と十五分かかった。聴衆は非常に緊張し、始めから終りまで静粛に聴聞して拍手喝釆してくれました。

翌日の新聞にそのことが出て、かつボストンの新聞には長文の社説を書きました。その社説は随分名文で書いてあります。それをいちいち申し上げると長くなりますから申し上げませぬ。又その演説は電報で合衆国の諸新聞に通報していずれの紙面にもみな載りました。

そこでハーバードクラブでこれを印刷に附して小冊子にしてハーバードクラブのある各州の都府にも送り、それから各種の協会・商業会議所を始め政治家、その他知名の士にまで送るために六千部刷って配布されました。そのときセントルイスに開会中の博覧会の当局者にスミスという人がありましたが、この人はさらに二千部を自分の金で印刷して、それを博覧会に関係している人びとに配布しましたから、都合八千部刷ってアメリカ人にふりまいた。これではじめてアメリカ人は日露戦争はこういうものかということが分りました。

第一はウードフォードの晩餐会に於ける演説、第二はハーバード大学の演説会で、日本の態度が初めて米国の国民に分った。私はそのことにそぞろに感じた。アメリカ国民は最初はロシアの大使の宣伝と新聞の買収とによってすっかりロシアの方に引きつけられていたが、この二回の演説でロシア側の言うことばかり聞いてはいけない。又日本側の言うことも聞かなければならぬ。両国の意見を聞いてみるとどっちがもっともかといえば、日本の言うこともまたもっともだということがいえるといいだして、それから少し頭を日本の方に傾けて聞くようになった。

★☆「武士道とは何か」ールーズベルトが知りたい

 その後は各地方から招待を受けて、南船北馬、各都市の宴会、演説会が始まった。アメリカという国はうっちゃっておけば宣伝する者が勝つ。嘘を言っても宣伝者が勝つから、他人の宣伝に委しておいてはいけぬ。向うが宣伝でやればこっちからも宣伝をやらなければならぬ。しかし決してうそを宣伝してはいかぬ。アメリカ人は正義を貴ぶ国民であるから正義のある方には必ず組みする。

事実を言わなければ同情は得られない。こういう呼吸を呑み込んで私が演説したから、その後は毎日毎日大学からも商業会議所からもクラブからも協会から個人からも呼びに来た。

 それからここに少しお話しておきたいことは、大統領のルーズベルト氏は非常に日本の武士道を研究している。六月七日に私に午餐会に来てくれというから、ニューヨークからワシントンに行って午餐会に臨んだ。その会食中ルーズベルトいわく、

 「僕は日本の武士道ということがしきりに新聞紙上に現われるから、いろいろ本を見たがいかんせん武士道ということを書いた本がない。よく武士道とか武士とかいうことを言うが一体どういうことを武士道というのか、何か書いた本はないか」と聞くから

 「それは書いた本がある。新渡戸稲造というボルチモアの学校で勉強した日本人が、武士道について英文で書いた小さい本がある。
それを読めば、すっかり分かる」

 「そうか、それが欲しい」

 「それでは僕がのちほど送ってあげよう」

と言って約束をしました。それから後で私が送ったところがルーズベルトがそれを読んで、初めて日本の武士道ということを知って、ただちにニューヨークに電報をかけて三十部とり寄せて、それを五人の子供に一部ずつやって、

 「これを読め、日本の武士道の高尚なる思想は、我々アメリカ人が学ぶべきことである。この『武士道』の中に書いてある『天皇陛下』という事を修正すればそれでよろしい。アメリカは共和国であるから天皇はない。俺は主権者であるけれども、大統領である。よって『天皇陛下』という事を『アメリカの国旗』という字に直せば、この武士道は全部アメリカ人が修業し、実行してもさしつかえないから、お前達五人はこの武士道をもって処世の原則とせよ」と言い聞かせたということを聞いた。

それから残り二十五部は上下両院の有力なる議員とか、親戚とか、あるいは内閣大臣の人達にこれを分配して、この「武士道」を読めと言った。

この書で初めてルーズベルトが武士道を会得して、ますます武士道ということを研究するようになって、ついには柔道まで官邸でけいこするに至った。今の海軍大将の竹下勇という人はその当時は公使館付の中佐であったが、柔道の型を大統領に教えた指南役である。

 

★『ル大統領は「日本が勝つが、黄禍論を警戒せよ」と忠告』

 

その後ルーズベルトは、とうとう日本から畳を取り寄せ、柔道の先生を呼んで、官邸の一に畳を敷いて、そこで柔道着を着てけいこをした。そこまでいわば日本にかぶれた、よく言えば日本にすっかり感化されたのである。

その六月七日の食後における大統領の談話は日本にとっては最もよい談話であった。ご承知のとおり第一の会見でルーズベルトが非常に日本に同情を寄せたことはこの前お話した。この日、大統領は私に向っていわく

「日本は今度の海陸の戦争において、その実力を初めて世界の各国から認められた。この態度で戦争していけば、この戦は必ず日本が勝つ。しかるにその代りに反対が起こるかもしれぬ。

 これは君よく注意してもらいたい。日本の実力を世界が認めるようになればヨーロッパの強国が猜疑の念を抱くであろう。現にドイツの大使のごときはこの間、僕に会いに来ていうには、日本が日露戦争について成功すれば、アジアで欧米諸国の勢力と地位に非常な妨害になる。ことにドイツは青島の租借地にすぐ影響する。米国もフィリピンは今に日本に取り上げられるぞ。それでなるべく日本をどうかして押えつけなければいかぬ」

としきりに僕に説いた。

しかし、僕はこれに対して、「そのご心配には及ばぬ。たとえ日本が勝ったところが、成功したところで、日本には武士道というものがあるから、けっして他国の既得権たる青島なりフィリピンなりを取るという心配はない。そのことはご安心なさい」

と僕が注意しておいた。しかし日本人が成功したといってあまり図に乗っていろいろやると世界の反感を招いて、ついには昔の十字軍(Crusade)のごときものを組織して、ヨーロッパ全体が日本を圧迫するようなことをするかもしれぬ、この点は注意して、勝ってもあまり誇らぬように自重してもらいたい。

ことに旅順が陥落するまでは自重してもらいたい。旅順が陥落すればロシアから必ず講和を申し込むにちがいないから、それまでは日本が勝ってもあまり誇ってはならない。もし誇ればヨーロッパの反感を買って講和談判のときに思わざる妨害が起る。

講和談判のときになれば朝鮮は無論、日本の勢力範囲に入るべきものと僕は思っている」

とルーズベルトが言った。これはじつに意外であった。

当時の情況によればロシアを追払って、やっと朝鮮問題が解決するくらいに思っているのにルーズベルトは朝鮮は無論日本の勢力範囲に入るべきものと言ったのであるから私は意外に思った。おそらく日本の政治家でも要路の人でも三十七年の六月七日に、そういう考を持っていた人はあるまいと思う。後日になれば日韓併合は俺がしたとか、俺の建策だとか、何とか言って誇っている人もあったが、ルーズベルトはそのときすでに朝鮮は日本の物と断定していた。じつにルーズベルトは世界の大勢を達観した人であると私は思った。そこで彼は語を継いで言うには、

 
☆英仏政府に働きかけたルーズベルト大統領
 

「僕が今日厳正中立を布告して、努めて日本に対して表面、同情を示さないのは、目下どうしても英仏の態度押さえつけて、日本の妨害にならぬようにしようと思うから僕もまた自分の態度をなるべく注意している。しかし君と僕とは古い友達である。ことに同窓の友達であるから、君にも腹臓なく言うけれどもこれは公けに言うのではなく、全く旧友として言うのであるから、そのつもりで聴いてくれ。しかし僕は大統領であることも承知していてくれ」

と言った。さあ、私は一向分らなくなった。ルーズベルトの真意は旧友として言ったことは大統領としてもやはり同論だという意味を椀曲なる言葉の中に含ませて言ったということを察した。

はたしてそのとおり大統領は英仏の政府に対して日本のために骨を折ってくれた。ただちにこの話を英文にしたためて、暗号電報で小村外務大臣に発送した。この電報の届いたとき、日本政府は非常に大統領の態度を徳として小村から長い電報が私に来て日本政府はこの談話を非常に喜んでいる旨、大統領に通知してくれろと言って来ましたから、小村の電報を大統領に渡しました。

これから暑中休暇にはアメリカ人は皆、山間か海岸に行って、要路の人びとはワシントン・ニューヨーク・フィラデルフィア・ボストンなどにおらぬから、ひとまず日本に帰って秋になったころが米国の友達から山間の別荘、或いは海岸の別荘に二、一週間ばかり泊りに来いという案内が来たから、好い機会である。この機を利用し避暑がてら各所にでかけて日本の態度を説明しよう。この好機会を逃すまいと七、八の二ヵ月は日本に帰らずして、アメリカの友人の別荘回りと決心した。

ところがここに一つ大事件が起ったそれは八月十一日にロシアの駆逐艦デシテリヌイが芝栗(チーフー)に逃げ込んだ。それを日本の駆逐艦が同港に進入して捕獲してしまった。この電報がアメリカに来るとアメリカ人が騒ぎ始めた。今までは日本は仮面をかぶっていたのだ、人道だとか、正義だとか、国際条規だとかいっていたが、今回局外中立港に逃げ込んだロシアの軍艦を捕獲したことは国際法違反だといってごうごうと攻撃し始めた。

 

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