前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン講座/日本史最高のリーダーパワーを発揮した人物は誰か?」★『明治維新最大の行政改革<廃藩置県>をわずか一言で了承、断固 実行した 西郷隆盛の超リーダーシップ』★『 西郷の大決心を以て事に当たったからこそ、廃藩置県の一大事を断固として乗り切ることができた。西郷こそは真の民主主義者である』(福沢諭吉)

   

2016年11月3日 /日本リーダーパワー史(249)

前坂 俊之(ジャーナリスト)

山口藩知事・毛利元徳の方は、廃藩の方針をとっていたから問題はなかったが、島津久光・忠義の父子は廃藩などとんでもない。西郷は久光がとうてい了解せず、他日、何らかの方法で圧迫してくるのを覚悟の上で、断行しょうというのである。

西郷は山県との約束にもとづいて、10日後の七月九日、九段坂上の木戸の邸に、各藩・長の首脳を集めて、実行の段どりを煮つめにかかった。

この日は大暴風雨で、秘密会議にふさわしかった。夕方から隆盛も、弟の従道、従弟の大山巌を従えて出席した。大久保、山県、井上馨などは先着していた。議論の主眼は、廃藩に反対している雄藩を、どう抑さえこむかであった。一座の人々は見通しに自信がないので、あれこれ不安を訴えて、議論がまとまらなかった。このとき遅れて来た隆盛が、言葉すくなに発言した。

「勅令が出てから、もし暴動でも起これば、責任をもって鎮定します。わしが市ヶ谷の兵舎に寝起きしているかぎり、ご心配なくおやりなさい」(『大西郷全集』第三巻)

『大西郷正伝」によると、翌日の大暴風雨を犯して、隆盛は弟従道と大山巌の二人を従へ、九段坂上なる木戸の邸に行った。

木戸邸には山県、井上の二人が乗合せていて、会議が開かれた。誰も廃藩置県に異論はない。しかし、その方策のいかんについて木戸、大久保の間で議論が続いた。新政府に対する反対行動、クーデターがいたるところに.火の手を上げている折り、廃藩置県を突然、強行すると諸藩中に、異論を唱へ、新政府に反旗を翻すものが出てこぬとも限らぬ、という心配。その時には如何なる行動をとるべきかいうのが議論の中心点であった。

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2472.html

木戸、大久保らが一向に態度決定しないのをみた、西郷は「貴公等において、実施に関する手順さえつけてもらえば、その上のことは拙者が引受けます。もし、発布してから暴動でも起きれば、兵力を以てそれを鎮圧する覚悟があるから、ご心配なくおやりなさい」と断固たる決意を示した。

これで議論は一決し、三条・岩倉にも同意をとりつけ、七月十二日、一同は参朝して天皇に決裁をあおいだ。いったい明治天皇は、非常に慎重なご性格なので、翌十三日まで持ち越して、なお.リアクションを恐れて、いろいろに尋問された。このとき隆盛が一言、

「おそれながら、吉之助(隆盛)がおりますから」(同上)

と奉答したので、はじめて安心され、この歴史的な大令は、翌十四日に公布された。

朕惟フニ、更始ノ時ニ際シ、内以テ億兆ヲ保安シ、外以テ万国ニ対峙セント欲セバ、宜シク名実アヒ副ヒ、政令一に帰セシムベシ。朕、諸藩版籍奉還ノ儀ヲ聴納シ、新ニ知藩夢二命ジ、各々ソノ職ヲ奉ゼシム。然ルニ数百年因襲ノ久シキ、或ハソノ名アッテ、ソノ実拳ラザルモノアリ。何ヲ以テ億兆ヲ保安シ、‘万国二対時スルヲ得ンヤ。朕、深ク之レヲ慨ス。

すなわち藩ヲ廃シテ県トナス。コレ務メテ冗ヲ去り、簡ニ就キ、有名無実ノ弊ヲ除キ、政令多岐ノ憂ナカラシメントス。

汝群臣、ソレ朕ノ意ヲ体セヨ。

これによって二百六十一藩が廃せられ、全国は三府・三百二県(明治四年末には三府・七二県に統合)となり、旧藩主は統治権を失った。そこでは、中央政府が任命の府知事・県知事が行政に当たることになり、旧藩主はいずれも東京に帰参した。

この政令は秘密裏に準備されたものだけに、雄藩の当主たちは殊に大きな衝撃をうけた。島津久光のごときはもともと進歩政策には反対で、封建のもと一層の栄華を夢みていただけに、不満に堪えることができなかった。

しかし、久光を支持する門閥は惰弱にして力なく、久光を戴いて政府に反抗するの気力もない。ひとり久光は切歯し、彼は廃藩の報知が鹿児島に達した夜はそのうっぷんを晴らすため、侍臣に命じて、その邸内で終夜、花火を打ち上げさせたという。

西郷の心中については執政桂四郎(久武)に出している書翰にその気持ちを述べている。明治四年七月二十日(旧暦)付の書簡で

「…{私の気持ちを}のべれば、天下の形勢よほど進歩いたし、これまで因循の藩々が却って奮励いたし、尾張藩をはじめ、阿州、因州などの五六藩が建言いたし(大同小異の内容であるが、大体郡県にしたい趣旨)毎日御催促申上げるくらいであり、

ことに中国地方から東の方は、大体郡県の体裁に、ならい改革する様子となり、すでに長州侯(不平分子の島津久光に反省させようという意図で西郷が書いていることは明白である)は知事職を辞せられ、庶人と成られる御ぼしめしで、御草稿までも出来ている由です。

封土の返献では天下の先頭にたちました薩・長・土・肥四藩が、その実積が挙がらなくては、大いに世間の嘲笑を買うばかりでなく、全く朝廷をあざむくことになり、世間一般も進むべき方向を知らず、

有志の者は紛紛議論をはじめるばかりか、外国人からも日本は天皇の威権は立たない国柄であり、政府というものが、国内の四方にあるなどと宣伝し、さっぱり国体は確立しないなどと批評している由です。

今日は万国に対立し、気運もひき立っていきますから、その勢いはとてもふせぎとめることは困難です。

そこで断然、公議により郡県の制度に復せられることになり、命令を下だされることになりました。

おたがいに数百年来の御高恩(いつも忘恩の賊臣として嫌われていることを知っている西郷は、御高恩は忘れないことを強調している)に対しては、私情においてしのびがたいことですが、世の中の全体がこのような世運となりましては、どんなにしましても、十年は防ぐことはできません。この時勢の動きは人力の及ばないところと考えます。

この際となり、封土返献の先頭となり、世間一般も薩藩に着眼していますから、いろいろ議論が起こりましては、

これまで勤王のために幕府を掃蕩なきった趣意(幕藩体制を廃止したうえは、当然薩藩も廃止になるしいう条理)も貫ぬかず、

ことに薩摩は源頼朝以来私有の権を御一洗あらせられました御功績も立ちがたいことになりますから、

決して異論はあるまいと思いますが、なにしろ旧習を突然廃止することですから、ことによっては動乱がない

ともいえない国々(暗に薩藩が政府反抗の暴挙にでるおそれをほのめかしている)があるかも知れません。

朝廷の方では、その場合は戦争をしてでもこの改革を実行することに決定しています。朝廷は確乎として御動揺はありませんから、それだけは御安心下さい。この時になりまして、

藩を私有すべきわけはありませんから、一般に変乱の起こりそうな模様はありませんが、今になって処置をまちがいますと、どのような異常事態に移るかもわからないと考えます。

此の旨大略ながら、なりゆきはこの通りです。なお追い追い申上げますが、大変忙がしく、一筆御意を得奉ります。恐々謹言」

この西郷審翰は、福沢諭吉のもっとも気にいったものらしい。

その理由のひとつは、西南の乱は、西郷が薩津守旧士族に味方して起こしたという、政府に婚びた偽作宣伝論を反駁するに足る貴重な資科であるからであろう。

また、西郷は、薩藩の利益のために王政復古運動をしたのではなく、場合によっては、薩藩自身であっても、日本全体の改新のためには討伐するのもやむを得ないと決意した、公平心の持主であったことを、世人に知らせるに足る文献であると思ったからであろう。

以上のように、西郷の大決心を以て事に当たったからこそ・用意周到・思慮綿密なる大久保や木戸の危んだ廃藩置県の一大事を断固として乗り切ることができたのである。西郷こそは民主主義者であると、この手紙を根拠に福沢諭吉は絶賛している。

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2472.html

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/日本興亡史の研究➄』★『日本史決定的瞬間での児玉源太郎の国難突破決断力』★『『2階級降下して参謀次長になり、この機会(日露戦争開始4ゕ月前)に起って、日本は文字通り乾坤一擲の大血戦をやる以外に途がない。不肖ながらわしが参謀次長として蝦蟇坊(大山厳陸軍参謀総長)の忠実なる女房役になろう』★『強欲なロシアが満州を奪えば、その侵攻は朝鮮半島に及び、朝鮮を呑めば対馬に向かう。ロシアの出鼻をくじき、大軍を集めない以前に叩かねばならぬ』

2017/05/24  日本リーダーパワー史(814)『「日清、日露戦 …

no image
記事再録/知的巨人たちの百歳学(142)ー「最後の元老・西園寺公望(90歳)-フランス留学10年の歴代宰相では最高のコスモポリタン、晩年長寿の達人の健康十訓」★『 まあ生きてはいるがね、涙が出る、はなが出る、いくじがなくなって、 これも自然でしかだがない』』

   百歳学入門(80) ▼「最後の元老・西園寺公 …

no image
速報(66)『日本のメルトダウン』★☆『日本の原発依存症を生む補助金中毒文化』②―『ニューヨーク・タイムズ』(5月30日)

速報(66)『日本のメルトダウン』★☆『日本の原発依存症を生む補助金中毒文化』② …

no image
★『オンライン/イスラエルの嘆きの壁レポート』★『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(151)』★『わがメモアールーイスラエルとの出会い、Wailing Wall , Western Wall 』(嘆きの壁)レポート(1)

   2016/02/16『F国際ビジネスマンのワールド・カ …

no image
日本リーダーパワー史(919)記事再録『憲政の神様/日本議会政治の父・尾崎咢堂が<安倍自民党世襲政治と全国会議員>を叱るー『売り家と唐模様で書く三代目』②『総理大臣8割、各大臣は4割が世襲、自民党は3,4代目議員だらけの日本封建政治が国をつぶす』②

日本リーダーパワー史(919) 『売り家と唐模様で書く三代目』② 前坂俊之(ジャ …

『Z世代のための日本恋愛史における阿部定事件』★『男女差別、男尊女卑社会での、阿部定の「私は猟奇的な女」ですか「純愛の女」ですか』★『「あなたは本当の恋をしましたか」と阿部定はわれわれに鋭く突きつけてくる』

前坂俊之編「阿部定手記」(中公文庫,1998年刊)の解説より、 「阿部定、何をや …

no image
速報「日本のメルトダウン」(481)『米国は自滅への道を歩むのか』「アルカイダの復活大きく変わる国際テロの様相」

   速報「日本のメルトダウン」(481) &nb …

no image
日本メルトダウン脱出法(893)「ヒラリー大統領誕生で日米関係はかつてない危機も ニューヨーク・タイムズ紙の辣腕記者が明かすヒラリーの本音」◉「サミットでドイツを協調的財政出動に巻き込めない理由」◉「日本の財政拡大提案が独英の理解を得られない理由」◉「ステージに新総統が登場、垣間見えた「中国離れ」」

日本メルトダウン脱出法(893) ヒラリー大統領誕生で日米関係はかつてない危機も …

no image
日本リーダーパワー史(131) 空前絶後の名将・川上操六⑳ 児玉源太郎の辣腕と寺内正毅の狭量

日本リーダーパワー史(131) 名将川上操六⑳児玉源太郎と寺内正毅の器量の違い …

『オープン講座/ウクライナ戦争と日露戦争④』世界史の中の『日露戦争』⑱『日露戦争-朝鮮の独立と領土保全のための戦争』『タイムズ』【開戦3週間】★『日本が朝鮮と締結した条約の全文は,英米両国は好意的にみている。』★『 日本は朝鮮の皇室の「安寧」と「朝鮮帝国の独立と領土保全」を保障している』

    2013/06/18 記事再録 &nbsp …