『リーダーシップの世界日本近現代史』(291)/『陸奥外交について『強引、恫喝』『帝国主義的外交、植民地外交』として一部の歴史家からの批判があるが、現在の一国平和主義、『話し合い・仲よし外交』感覚で百二十年前の砲艦外交全盛時代を判断すると歴史認識を誤る。
日中北朝鮮150年戦争史(8)記事再録
日本最強の陸奥外交力ー日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。
陸奥外交のやり方については『強引、恫喝』『帝国主義的外交、植民地外交』だとして一部の歴史家からの批判がある。
第2次伊藤内閣による内政改革、軍備の増強の予算が、野党側に否決されたため何度も議会の停止、解散に踏み切り、窮地に追い込まれた段階で、朝鮮での金玉均事件や東学党の乱が勃発したため、これをチャンスとばかり国民の目を対外問題にそらすために日清戦争を強引に仕掛けた、計画的な日本の植民地獲得の侵略行為というわけだ。
このため、日清戦争の開戦の原因も今1つよくわからないという歴史家も結構いるのである。
私も、日清戦争の本をたくさん読んできて、陸奥宗光文書での朝鮮、中国派遣の外交官とのやり取りの手紙の内容を見て、外交的な赤裸々な駆け引き、やり取りの文面にいささか強引さ、挑発、詐術の部分が見えたことは事実だが、 それはヨーロッパ各国の外交史、中国の交渉術と比べれば、全く比較にならないほどのおとなし居、真っ正直な外交であろう。
陸奥は西欧外交、歴史を猛勉強して、その外交術を学び、条約改正の30年に及ぶ交渉を英国との間でまとめ、これまた、明治以降の日本の政治混乱の元凶となった朝鮮問題(西郷隆盛の「征韓論」以後)の混乱に終止符を打つべく『日清外交」に全力を挙げた。
ところが、手ごわい外交術、謀略にたけた清国側の話し合い外交では全くらちが明かず、最後の手段として武力衝突となった、というのが正確なところである。
陸奥外交は最初から「朝鮮、中国大陸を侵略する』目的でもって、戦争を始めたなどというのは、この30年に及ぶ、日本外交の失敗、蹉跌の歴史を子細に見れば、みちびき出せる結論ではない。
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外相陸奥宗光は、三月二十七日、イギリスとの条約改正交渉にあたっていた駐英公使青木周蔵にあてて私信に次のように書いている。
「内国の形勢は日一日と切迫し、政府において何か人目を驚かす程の事業をなすにあらざれば、この騒々しき人心を鎮静すべからず。さりとて故なき戦争を起す訳にも不参候事故、唯言日当は条約改正の一事なり。
内政の関係より外交の成功を促すは、本末顧倒の嫌いなきにしもあらざれども、時勢が時勢故実に不得止次第に御座候」(小松緑『明治外交秘話』所収。)(『日清戦争の研究』中塚明、青木書店 1968年、103P)
以後、前掲書中塚本に従って経過を書くとー
「一八九四(明治二十七)年五月31日、内閣弾劾上奏決議案が衆議院で可決され、専制天皇制は成立いらい最大の危機に直面したちょうどその日、たまたま隣国朝鮮では、甲午農民民戦争の勢い大いにふるい、南部、全羅道の中心地であった全州府が農民軍の手におちた。
それはまったくの偶然の一致であった。日本政府・軍部は、この機会を利用して、既定の対清戦争の計画を実現すべく全力をあげた。ここで、日清戦争の開戦をめざす、目まぐるしい開戦外交が展開されるのである」(同)105P)
この筋書きはまったく後知恵、結果論から因果関係を、単純に一方的に結び付けた結論であり、複雑思考が欠けており、歴史を見誤ることになる。
歴史的な事象では、特に戦争までのいきさつについてはいろいろな要素が複雑にからみあい、対清、対朝鮮との外交交渉、軍事的な対立、緊張、それにヨーロッパ各国が虎視眈々と自国の利益を少しでも獲得しようと狙ってのパワーバランス、駆け引き、恫喝、軍事圧力などが複雑に絡み、もっれあって起こるものであろう。
初めに、結論ありき。日本軍国主義、植民地主義ありき。天皇制軍国主義は朝鮮をまず植民地にして、中国大陸に侵略していく橋頭保を築いて日本帝国主義的な戦争の第一歩を開始したという、あまりにもこんな単純ストーリーでは、歴史のディテール、真実は見えてこない。
西欧列強の侵略から自国をまもるために、明治の全くないところに陸海軍を建設し、徴兵制をつくり、軍制を整備した時代と、昭和の軍国主義ファシズムと軍閥の暴走を一緒こたにして、明治の軍人が、昭和の軍人の暴走をつくったなどという、それこそ『暴論」が、現在まで存在し続けていることこそが、歴史をしっかり検証していない『歴史忘却病」のあらわれである。
私はこのHP.ブログで「川上操六伝」については50回以上、日中韓150年戦争も100回以上、日清、日露戦争も50回以上、書いてきたが、「なぜ、日本は日清、日露戦争を起こしたか」の結論でいえば
① 対ヨーロッパ列強のアジア侵略にたいして、危機感をもって、開国し、軍備増強にのりだしたこと。
② 対朝鮮、中国との外交、貿易交渉は「パーセプションギャップ」『コミュニケーションギャップ』によって、成功というよりも、失敗の方が多かった。
③ とくに、中国は古来からの「中華思想」(現在の中国共産党1党支配の独裁国家体質と同じ)(エスノセントリズム)がことごとく『日本思想』と対立、日清戦争にエスカレートした。
④ 日清戦争について、ヨーロッパ列強、世界中のほとんどが「清国がかつ、日本は負ける』と見ていた。日本の陸、海軍を率いた川上参謀次長以外。陸奥も伊藤も、明治天皇も「大清帝国」に勝てると思っていたものは少なかった。
⑤ 弱小国が強国に対して戦争を仕掛けるケースは少ない。それは侵略戦争とは言えない。『侵略』という概念は、日清戦争時にはまだできていなかった。
⑥ それだけに、日清戦争開戦には日本側によくよくの理由があってのことなのである。
⑦それらについても、ブログの記事で、私なりに詳細に書いてきた。
<現在中国の『中華思想」は日清戦争当時とあまり変わっていない。 中国、南シナ海問題での意外な思考原理と日本への本音 http://diamond.jp/articles/-/94699?utm_source=daily&utm_medium=email&utm_campaign=doleditor
以下、中塚本からまた引用させていただく。
閔氏戚族の代表である閔泳駿は、国王の内命によって、清国の代表者、袁世凱と会談、六月一日出兵の同意をえ、六月三日朝鮮政府は公式文書をもって清国の出兵を要請したのである。(同書110P)
日本政府、ならびに軍部は、農民戦争で激動する朝鮮にひとみをこらしていた。農民反乱そのものよりも、清国の動静に注意がはらわれていた。清国がこの反乱鎮圧のために出兵することがあるならば、すかさず日本も出兵し、長年にわたる準備によって一気に清国を圧倒し、朝鮮制覇のきっかけをつくることができるであろう。専制天皇制の指導者たちはその機会をまちのぞんでいたにちがいない。(同上)
以上もまた、戦争に勝って、朝鮮を併合した後の結果論からの断定的nい書いているが、国の興亡を一身に背負った陸奥外相は苦心惨憺していた。
「天津条約締結後、日清両国政府が朝鮮へ出兵するに至ったのは今回の事件が初めてであり、清国政府は果してこの天津条約に従い、我が政府に行文知照するかどうかを確認することが、現在および将来に向かい、わが清国に対する外交上最も緊急の課題と考えたためだ。
わが政府は、一方では、何時でも朝鮮に向かい軍隊を派遣する出兵の準備を急ぎつつ、他方では、清国政府が如何に天津条約を実行するかを注視していた」 平和いまだ破れず、干戈(かんか、戦争)はいまだ起きてはいないものの、早くも戦雲がわきおこり、電撃雷轟(稲妻がとどろく)形勢になりつつある中でも、わが政府はなおこの危機一髪の間にも、なるべく現在の平和を破裂させず、国家の名誉を維持する道を求めんとして汲々としていた」
以上は『日中北朝鮮150年戦争史(7) 日清戦争の発端ー陸奥宗光の『蹇々録』で読む。日本最強の陸奥外交力で「我朝保護属邦旧例」(朝鮮は清国の属国)の矛盾を徹底して衝いた)より、 http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/18082.html
つづく
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