前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本風狂人伝(25) 日本一のガンコ、カミナリオヤジ・内田百閒 のユーモア

   

日本風狂人伝(25

日本一のガンコ、カミナリオヤジ・内田百閒 のユーモアじゃ
                                    

                                                                         
  前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
 

 
百閒(ひゃっけん)をしらずして、日本のオヤジは語れんぞ。


昔はこんな偏屈で怖いオヤジが近所にごろごろいた。そうね、いまから3,40年前だね。不良どもが夜遊びでもしていると、とたんに『何、夜遅くまであそんどる』とカミナリが落ちたもんじゃ。
近所の大人のみんなが子供を教育し、しかり、育て、ほめて一緒に助け合って生活していく地域コミュニティがしんかりあった。百閒と同じ岡山市内で生れたわしの小学時代。

夏など道路に夕涼み台がでて、ステテコ姿の上半身裸のオヤジどもが将棋や碁を打っとった。その横で、
小学生のわしらはベーゴマ、釘立て、石けり、夜はかくれんぼうして遊んでおったよ。地域の中心が怖い、カミナリオヤジたちがいたじゃ。「地震、カミナリ、火事、オヤジ」とはよくいったもの、オヤジは怖くて、強くて、威厳があった。
 

いまの、へなちょこオヤジ、電車の中で、酔っ払いの痴漢男がいても、見て見ぬふりと意気地ないモヤシおやじなど、一喝したて殴ったものじゃよ。

ワシもオヤジからよくげんこつをくらったな。わんぱく大将、悪ガキのワシなんか中学校でも先生からも、殴られたが、愛のムチと、そんな先生こそ逆に好きになったもんじゃ。今でも殴られた先生の夢をみて、拝んでいるよ。

さてさて、この内田百閒(ひゃっけん)先生ははめちゃ面白い、ひねくれものの、引きこもりの荷風散人とはまるでちがうのじゃ。
 
 
夏目漱石の弟子じゃ
 
永井荷風と並ぶ奇人作家の内田百閒(本名・栄遇)は一八八九年(明治二二)五月、岡山市の酒造家の一人息子として生まれた。六高時代から俳句、写生文を習い「文章世界」に投稿して、田山花袋に激賞された。東京帝国大学独文学科を卒業後、夏目漱石に師事し、大正十一年に短編小説『冥途』を処女出版した。
 
洒脱でユーモアあふれる随筆「百鬼園随筆」「阿呆列車」「ノラや」「日没閉門」など数多くのエッセー、短編小説を発表、その独特なへ理屈を並べた文章は高い評価をかちとった。
 
美文家の三島由紀夫が「現代、随一の文章家は内田百閒である」と折り紙をつけたほどの大文章家であると同時に大酒飲みであり、大美食家であり、列車マニアであり、のわがまま一方の合理主義者でもあった。
 
 
ペット代わりに牡牛を飼った
 
岡山の裕福な酒造家の長男に生まれた百閒は母や祖母に溺愛されてわがまま放題に育った。うし年の生まれなので、牛のおもちゃをたくさん買ってもらったが、どうしても「本物が見たい」と無理やりせがんで、庭に牛小屋を作ってもらい、ペット代わりに牡牛を飼ったこともあった。]

酒の匂いをかぎながら百閒は育ったが、「酒は学校を出るまでは絶対に飲んではいけない」と祖母から固くクギをさされた。このため、「日本酒は酒だが、ビールは酒ではない」との百閒一流のへ理屈をつけては、旧制高校に入ってから、ビールはどんどん飲み始めた。
 

 
世の中に、人の来るこそ、うるさけれ、とは云うものの、お前ではなし」
 
一九六五年(昭和四〇)ごろ、内田百閒の自宅は東京千代田区六番町にあったのじゃ。その門柱には『春夏秋冬、日没閉門』なる門札がかかっており、玄関には面会謝絶の張り紙もね。ところが、この門札が掲げられる以前は蜀山人の歌とそれをもじった百閒の歌が並べて張ってあった。
 
世の中に、人の来るこそ、うるさけれ、とは云うものの、お前ではなし」
 
「世の中に、人の来るこそ、楽しけれ、とは云うものの、お前ではなし」
 
この張り紙をみた訪問者はよほど気の強い者でないと退散した。

ところが、歌の文句の「楽しけれ」のところは、いつも訪問客にはぎ取られるため、ついに百間もあきらめれ、はがれたままにしていたということじゃ。

 
 
「春夏秋冬、日没閉門」の門札
 
「春夏秋冬、日没閉門」の門札はわざわざ銀座の名札屋に注文して、陶板にやきつけて、りっぱなものを掲げてあった。文字は黒々とはっきり書かれており、「日が長い時も、短い時も、夕方六時であろうとも、暗くなったら、もう入れませぬ」というわけだ。
 
百間は人に会うのがイヤなのではなく、一日の仕事を邪魔されるのがイヤなのであった。玄関を入った三畳間にも、なるべく来客を避ける札がベタベタと張ってあった.。
 
 
漱石の鼻毛をこっそり収集して自慢
 
一九一〇年(明治四三)、東京帝国大学に入学すると「漱石山房」に出入りした。漱石の門下生となり芥川龍之介、森田草平、鈴木三重吉らの知遇を得た。漱石にいたく私淑していたが、内気な性格のため終生、先生の前では緊張して固くなり、本音をしゃべれなかった。その代わり、先生の謦咳に接した記念として、漱石の鼻毛をこっそり収集して自慢していた。
 
漱石の鼻毛は長いものや短いものなど計十本あり、そのうち二本は金毛。漱石は『吾輩は猫である』のクシャミ先生のように、鼻毛を抜いて原稿用紙に一本一本ていねいに植えつけるクセがあった。
 
「道草」の原稿で書きつぶした草稿が机の横に一五,六センチたまったものを百閒は分けてもらった。この草稿の中に、鼻毛が植えつけられたものがあり、大切に保存していたのである。
 
「遺毛?」文豪の鼻毛を大事に保管の奇癖
 
世に遺髪というものはあるが、「遺毛?!」それも文豪の鼻毛を大事に保管していたのは百閒以外にはいないのではなかろうか。百閒は『物故文人展覧会』に出品すべき「一大記念品!」として、皆に見せては一人悦に入っていた。
 
 
――――――――――――――――――――――――――――――――
 
『ハトの目』-が百閒のあだ名
 
『ハトの目』-夏目漱石の息子・夏目伸六は百閒のあだ名をこうつけていた。
 
大きな顔にちょっと驚いたよう大目玉が、まるでハトの豆鉄砲に似ているところから。百閒は人の古着を譲り受けて着るのが趣味で、漱石の古着の洋服を得意がって着ていた。
 
百閒は「カツレツを毎日五,六杯は食べる」という大食漢だったため、小柄な漱石の洋服を肥った百閒が着ると、股のボタンがはじけとんだ。
 
ある時、そうした古着をきて百閒は意気揚々と旅行に出かけたが、夜汽車で寝台によじのぼって中に入ろうとした途端、ビリビリとズボンが足から腰のところまできれいに破れてしまった。
 
翌朝、やむを得ずパナマ帽に赤い編上靴,浴衣という珍妙なスタイルで旅館に駆け込んだが、旅館では「一体何者や」と不審がられた。
 
 「百閒(ヒャッケン)とは、シャッキン(借金)のことだよ」
 
 「百閒(ヒャッケン)とは、シャッキン(借金)のことだよ」と、自分でも言っていたほどの借金の名人であった。百閒の借金哲学も常識はずれであった。
 東大卒業後、一時は陸軍士官学校、海軍機関学校、法政大学と三つの学校でドイツ語を教え、これに原稿料も入り毎月五百円以上(今の金で二百万円以上)の高給を手にしながら、友人や泣く子も黙る高利貸から借りまくって、月給はすべて利子で消え、本人は「赤貧洗うがごとし」の状態にあった。
 
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 

 

 - 人物研究 , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(88)記事再録/★ 『拝金亡者が世界中にうじゃうじゃいて地球の有限な資源を食い尽し、地球環境は瀕死の重傷だ。今回のスーパー台風19号の重大被害もこの影響だ』★『9月23日、スウェーデンの環境活動家、グレタ・トゥーンペリさん(16)が「人々は困窮し、生態系は壊れて、私たちは絶滅を前にしているのに、あなたがたはお金と永続的経済成長という『おとぎ話』をよくも語っているわね!若者は絶対に許さない』と国連に一堂に介した各国の首脳たちをチコちゃんにかわってをしかりつけた。会場に突然、現らわれたトランプ大統領を刺すような強烈な視線でにらみつけた。。彼女にこそノーベル地球賞を与えるべきだったね』★『 今回も百年先を見ていた 社会貢献の偉大な父・大原孫三郎の業績を振り返る②」                                       つづく

2012年7月16日 /日本リーダーパワー史(281)記事再録   < …

no image
オンライン講座/『終戦70年・日本敗戦史(142)』★『開戦1ヵ月前に山本五十六連合艦隊司令長官が勝算はないと断言した太平洋戦争に海軍はなぜ態度を一変し、突入したのかー「ガラパゴス総無責任国家、日本の悲劇は今も続く」

2015/08/17 /終戦70年・日本敗戦史(142) <世田谷市民大学201 …

no image
日本リーダーパワー史(819 )『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉞『日本史決定的瞬間の児玉源太郎の決断力⑥』★『明治32年1月、山本権兵衛海相は『陸主海従』の大本営条例の改正を申し出た。』★『この「大本営条例改正」めぐって陸海軍対立はエスカレートが続いたが、児玉参謀次長は解決した』

 日本リーダーパワー史(819 )『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」 …

『Z世代のための百歳学入門』★『義母(90歳)の<ピンコロ人生>を見ていると、「老婆(ローマ)は1日にしてならず」「継続は力なり」「老いて学べば死しても朽ちず」の見事な実践と思う』

2017/10/12  百歳学入門(183)記事再録 老いて …

『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『明治維新から152年ーこの間に最高のリーダーシップを発揮した人物は一体誰でしょうか?、答えは「西郷隆盛」ではない、弟の西郷従道ですよ!ウソ、ほんとだよ』★『『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」「大馬鹿者」と(西郷隆盛は命名)『奇想天外』「貧乏徳利」(大隈重信いわく)』

 2015/01/01日本リーダーパワー史(512)記事再録 ★「フリ …

『リーダーシップの日本近現代史』(158)再録/『幽翁』伊庭貞剛・住友精神を作った経営哲学<三菱財閥・岩崎弥太郎を超えた明治のナンバーワン経営者>『部下を信頼して「目をつぶって判を押さない書類は作るな」』

前坂 俊之(ジャーナリスト) 住友家総理事・伊庭貞剛(1847.弘化4.2.19 …

『Z世代のための日中韓外交史講座』㉑」★『憲政の神様・尾崎咢堂の語る「対中国・韓国論②」の講義⑩尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(上)(1901年(明治34)11月「中央公論」掲載)』

2013/07/07 日本リーダーパワー史(392)記事再編集 前坂 俊之(ジャ …

日本リーダーパワー史(842)★『新刊「世界史を変えた『明治の奇跡』(インテリジェンスの父・川上操六のスパイ大作戦、海竜社 2200円+税)を出版』★『「明治大発展の国家参謀こそ川上操六』★『一大国民劇スペクタクル「日露戦争」は川上操六プロデューサー、児玉源太郎監督、主演は川上の薫陶をうけた情報参謀の福島安正、柴五郎、明石元二郎、海軍は山本権兵衛、東郷平八郎、秋山真之らオールキャスト』

 日本リーダーパワー史(842) このほど、「世界史を変えた『明治の奇跡』(イン …

no image
知的巨人たちの百歳学(166)ー長崎でシーボルトに学び、西洋の植物分類学をわが国に紹介した伊藤圭介(98歳)ー「老いて学べば死しても朽ちず」●『植物学の方法論ー①忍耐を要す ②精密を要す ③草木の博覧を要す ④書籍の博覧を要す ⑤植学に関係する学科はみな学ぶを要す ⑥洋書を講ずる要す ⑦画図を引くを要す ⑧よろしく師を要すべし』

    2017/01/03 &nbsp …

no image
『 オンライン講座/東京五輪開幕』★『連日、新競技のスケーボー女子で西矢椛(13歳)が日本最年少での金メダル、スケボー男子では堀米雄斗(22歳)も金メダル、柔道の阿部兄妹の金メダルというメダルラッシュに沸いた。』★『2019年の課題」-『平成30年は終わり、老兵は去るのみ、日本の未来は「Z世代」にたくそう、若手スポーツマンの活躍を見ればわかる』

  東京五輪が7月23日に開幕した。 いざフタを開けると開会式が56. …