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『リーダーシップの日本近現代史』(80)記事再録/ ★『日本の〝怪物″実業家・金子直吉―鈴木商店を日本一の商社にした』★『当時、鈴木商店の倒産は世界三大倒産の一つといわれた』「もし、金子が米国で生まれていたならば、 カーネギー、ロックフェラーと並んで偉大な事業家として成功していたであろう。二人 には科学的な頭脳はなかったが、金子は持っており、無から有を作る事業家であっ た』

   

 

   /鈴木商店を日本一の商社にした「財界のナポレオン」―

<「歴史読本」1997年6月号に掲載>

静岡県立大学国際関係学部教授 前坂俊之

 

1・鈴木商店の大番頭

金子直吉は慶応二年(一八六六)に高知県の没落商家に生まれた。丁椎奉公の後二十歳の時、神戸の鈴木商店入った。当時の同店は砂糖、石油、大豆カスなどを扱う小さな貿易商に過ぎなかった。九年後主人が死亡、未亡人の鈴木ヨネの下で金子が大番頭となって、経営を実質上任された。
この時の年商は五百万円であったが、金子の大胆、積極的な事業展開で鈴木商店は大発展していく。
日清戦争で台湾は日本領土となった。当時、虫除けとして必需品のショウノウの一大産地である台湾に、目をつけた金子はここに製造工場を作り、販売権の六十五パーセントを独占し欧米に輸出して大儲けした。
砂糖製造にも進出して、その工場を六百五十万円で転売して、この金で多角化を進めて鈴木商店が飛躍する引き金となる。さらに、大正三年(一九一四)の第一次世界大戦の軍需景気で鉄と船の思惑で大儲けした。

2・三井物産を抜いて日本一の商社に

大正六年、三井物産を抜いて商社日本一となった鈴木商店は年商十五億円を突破、約二十五年で三百倍に大発展したのである。事業はいっそう拡大し、鉄鋼、造船、人絹、毛織、セルロイド、窒素肥料、染料、皮革、
製糖、製塩、製粉、製油、ゴム、ビール、タバコ、鉱山、海運、倉庫、保険まで手をひろげて一大コンツェルンを形成した。

 

ところが、大戦後の長期不況によって、あまりに広汎に事業を広げすぎた拡大路線が裏目にでて資金難に陥り、台湾銀行の破綻を契機とした金融恐慌で、昭和二年(一九二七)四月に倒産した。
鈴木商店は自己資金の不足、金融機関を持っていなかったのが要因の一つで、借入金五億円のうち三億八千万円が台湾銀行から借りていた。
当時、世界三大倒産の一つといわれた。「もし、金子が米国で生まれていたならば、カーネギー、ロックフェラーと並んで偉大な事業家として成功していたであろう。二人には科学的な頭脳はなかったが、金子は持っており、無から有を作る事業家であった」と評されている。

3・買い占め作戦の大成功

大正三年七月、第一次世界大戦が勃発する。ヨーロッパ全体が戦場となり、戦争は長期化していった。ドイツの潜水艦によって連合国の船舶は一日約五万トンも撃沈され、軍需品はもちろん生活用品、食糧など、あらゆる物資が欠乏していった。
開戦と同時に日本経済は大混乱に陥り、深刻な恐慌に突入した。戦場から遠く離れた日本はそのうち一大供給国になり、しばらくして鉄鋼、船舶、繊維、食糧などがいっせいに暴騰していった。
当時、すでに大商社になっていた鈴木商店は大番頭・金子直吉の海外戦略でロンドン支店=高畑誠一支店長(後の日商岩井社長)=があり、アメリカ、オーストラリア、ロシアなどにも海外駐在員を派遣し、どこよりも早く世界各地の商品相場をキャッチする世界的なネットワークを築き上げていた。
ここから、戦争と物資、商品についての情報が逐一入ってきた。
金子は国内外の情報を総合判断して、すべての商品に対していっせいの買い出動の大号令を出した。

世間では「ついに、金子は気でも狂ったか」と噂したが、鈴木商店が買って買って、買いまくった約三、四カ月後、予想どおりの大暴騰が始まった。金子は物資輸送のため、まず船舶が不足することを見込んで、「鋼鉄と名のつくものなら何でも買いまくれ」と指示する一方、貨物船も大量に発注した。食糧品など各国の産地で買いつけたものを船ごと売り渡す「一船売り」を行うなど、買っては売りまくった。

ロンドンで実際に商売に当たった高畑は弱冠二十歳代だったが、英国政府や連合国の軍需品購買局で、最も知られた商人となり、鈴木商店は欧州で最も有名な商社となった。一時、スエズ運河を通る船の一割が鈴木商店のものといわれた。
金子の買い占め作戦は、見事に成功し、大正五年には約三千万円以上の利益をあげるなど、鈴木商店は巨利を得た。

4・「天下三分の宣言書」

大正六年秋、金子は高畑に対して約十メートルという長い書簡を送り、その中で「天下三分の宣言書」を書いた。三井・三菱を上回るか、この三つと天下を三分するかという、意気天を衝く内容であった。
「商人として、この大乱の真ん中に生まれ、世界的商業に関係する仕事に従事しえるは無上の光栄。この戦乱の変遷を利用して大儲けをして三井、三菱を圧倒するか、さもなければ、彼らと並んで天下を三分するか、これ、鈴木商店の理想とするところなり」

「これがため、寿命を五年や十年早くするもいとわず。おそらく、ドイツ皇帝カイゼルといえども、小生ほど働いていないであろう。この書を書いている心境は日本海海戦における東郷大将の 『皇国の興廃この一戦にあり』 と同じなり」

この年、すでに鈴木商店は三井物産を抜き、三菱商事をはるかに凌駕して、商社の日本一の座に躍り出た。
貿易額は十五億四千万円にのばり、十二億円の三井物産を抜き、当時のGNP の何と約一割を占めており、いかに巨大かがわかる。今に換算すると、GNP 五百兆円の一割として五十兆円で、三井、三菱、伊藤忠の三
大商社を合計した額以上になる。

5・台湾銀行の破綻による倒産

こうして、もうけた利益を金子はそっくり事業につぎ込んだ。
商業家とそれ以上に事業家の性格の強かった金子は、大日本製糖、神戸製鋼所や人造絹糸製造(後の帝人)と全く未知の事業に矢継ぎ早に手を広げた。ショウノウの製造を手掛けていたが、これからセルロイド、人絹の製造に初めて取り組み「資源のない日本にとってはどうしても必要」と、大金を投じて失敗を繰り返しながら、ついに成功させた。

最盛期の鈴木系列の企業集団は六十五社(資本金総額五億六千万円)、従業員総数二万五千人にのぼり、支店、営業所も国内、世界中に百五十ヵ所が張りめぐらされた一大コンツェルンを形成し、「日本一の鈴木商店」とうたわれた。
この時、金子によって育てられた企業群の中には日商岩井(鈴木商店の後身)、帝人、神戸製鋼、豊年製油、石川島播磨重工業、三井東圧化学、三菱レーヨン、昭和石油、日産化学工業、日本化薬、日本製粉、サッポロビール、ダイセル、大日本製糖など日本を代表する企業として、今でも発展している。

「事業の鬼」

 の金子は儲けた金をすべて事業に注ぎ込み、次々に工場を建設したが、こうした金子の旺盛な事業欲が鈴木商店の屋台骨を揺るがせる結果となった。鈴木コンツェルンは台湾銀行をメーンバンクにしており、この破綻で鈴木商店も潰れてしまった。
三井、三菱財閥などのように固有の銀行を系列化していなかったことや、金子が政治家に政治献金をあまりしていなかったことなどが没落につながった。

6・事業の鬼の奇行

ところで、明治以来では三井・三菱・住友など財閥や組織として巨大になったものはあるが、一個人として金子ほど巨大な仕事をした企業家はいない。
一代にして日本一のコンツェルンを築き上げた怪傑・金子は「財界のナポレオン」にたとえられた。大帝国を築き、悲劇的な最期を遂げたナポレオンと似ているというわけだ。
金子はそのスケールの大きさ、怪物性、その強烈な個性から世間ではとかく奇人変人扱いされたが、確かにその種のエピソードには事欠かない。
金子の頭は仕事のことでいつもいっぱいで、それ以外になく、散髪した床屋に二時間後にまた行って注意されたり、ある日の帰宅途中、電車のなかで婦人がお辞儀をする。誰かと思いながら仕事のことで夢中で気にも止めず、家路を急ぐと道までこの婦人はついてくる、家にも入ってく見ると自分の女房であった、という笑い話がある。

学校をろくに出ていない金子はまず質屋に丁稚奉公、ここで質入れされた本を片っ端から読みふけって勉強し、あらゆる商品知識を身につけた。これが役立った。
金子は身長一五八センチ、体重五五キロほどの小柄で、貧相な醜男だった。ひどいやぶにらみで、面と向かっていても、どこを見ているのかさっぱりわからない。服装も粗末なことで有名で、背広よりも詰め襟の服を着ており、冬も頭に氷のうをのっけて、それがおちないように室内でも破れた帽子をかぶっていた。「頭をクールにして
おくため」 で、その奇行が金子のカリスマ性をいっそう高めた。
どんなに忙しくても、電車、汽車、車などの中で寸暇を惜しんで読書をしており、夜汽車の中でも知り合いはないかと探して,会って知識を得ていた、という。また、記憶力が抜群で、一度聞いたことは地獄耳でけっして忘れなかった。

7・最後までボロ家に、なくなったとき所持金は十円

金子は日本一の金持ちとなったが、「鈴木商店のため、国家にとっての事業を興す」という使命以外に私利私欲はまったくなかった。自分や家族のために金を残すことなど逆に罪悪と思っていた。
月給をもらっても引出しの中に入れて、三、四カ月も忘れており、夫人が思い余って言ったのであわてて調べてみると、袋にはいったまま出てきたり、記念にもらった五千円の小切手も期日がすぎて使えなくなったのが出てきたりした。
鈴木の全盛期でも金子は自宅を持たず、会社のオンボロ貸家に住んでおり、倒産後、見るに見かねた部下たちが金を出し合って老後の自宅を提供したほどであった。亡くなった時、十円しか持っていなかった。

<以上は「歴史読本」1997年6月号に掲載>

 - IT・マスコミ論, 人物研究, 現代史研究

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