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近現代史の復習問題/記事再録/2013/07/08 日本リーダーパワー史(393)ー尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(中)『中国に国家なし、戦闘力なし』

      2019/04/26

  2013/07/08  日本リーダーパワー史(393)

ー尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(中)『中国に国家なし、戦闘力なし』

日中韓150年対立・戦争史をしっかり踏まえて対中韓外交はどう展開すべきか➂

ー尾崎行雄の「支那(中国)滅亡論」を読む(中)(1901年(明治34)11月「中央公論」掲載)『中国に国家なし、戦闘力なし』

 

前坂 俊之(ジャーナリスト)

 

この『清国滅亡論』の全集第4巻(1955年)収録の【解説】によると、次のように書いている。

1884年(明治17)年秋、尾崎行雄は25歳で、報知新聞特派員の名義で支那(中国)に遊び、上海を中心として支那及び支那人(中国人)を観察して帰国した結果、征清論(日中戦争論)を主張した。

支那(中国)は当時清朝の支配下にあったが、その実体の無力、無秩序なるにもかからず、支那人は尊大自負(中華思想)で、一方の日本人は過度な支那心酔(中国崇拝)に陥っていた。尾崎が征清論を唱えたのは清国(中国)と一戦を交えてその無力、無秩序を暴露すれば、支那人の尊大自負と日本人の過大な支那心酔とを一挙に是正する効果ある、と考えたためであった。

 しかし、尾崎の征清論は当時一笑にふされ、熱心にこれを唱えた尾崎はクレイジー扱いされたほどであった。ところがその後十年を経て日清戦争が起ると、日本軍は大勝し、果して尾崎の観察の正しかったことが証明された。

 この文章は支那観に関して行われた演説の大要であって、1901年(明治34)11月号の中央公論に掲載された。(尾崎咢堂全集第4巻に収録、1955年刊)尾崎は愛国心、戦闘力、政治能力の三つが国家発展の基であるが、清国にはその何れもないので滅亡への途をたどらざるを得ないとの結論を下して、まさにその通りになったのである。

さて、この尾崎の対中国論が発表されてから、現在110年を超えた。

今再び、日中関係は尖閣問題をめぐって軍事緊張が続いている。110年前の中国認識は大きく変わったのか、清国の中華思想、中華優越思想は未だに続いているのか、
一党独裁共産主義国家(非議会民主主義)皇帝支配の封建主義と変わりないではないのか、国際法を相変わらず順守せず、大国意識丸出しの、汚職大国の恐るべき実態も改善されたのか、張子の虎の軍隊の実態も変わったのかー『日本議会政治の父』「憲政の神様」尾崎が中国にわたって上海に2ヵ月間、生活した中での迫真の対中国レポートである。

        国家思想を欠くー中国に国家はいまだない

第一、支那人は国を愛するといふ心は殆んど有りませぬ。何故愛国心がないかといふと、支那には国といふものがないのである、国がないのであるから国といふ思想がない。国といふ名詞、国といふ言葉がない。然らばこれを愛す

る心のあらう訳がない。支那は1言以てこれを謂へば国がないのである、国の名がありませぬ。

物あれば必ず名がある、然るに支那には国の名がない。朝廷の名が有るが国の名はない。唐、宗、元、明、清といふは国の名でない、朝廷の名である。これを学問的に観察して見まするといふと、支那の社会の発達は、家長政治といって一軒の家の一人の首領(ボス)が子弟を率ひて行くといふ仕組みのものが段々大きくなって広がつて、則ち家長政治といって一家の発達したものでありまするから吾々の、正常の意義においていう国家若くは国といふ意味のものは、昔から今日に至るまでかって必要がなかったのであります。

それ故に朝廷の名は秦・漢、唐、宗、元、明、清といふ名辞に存してありますけれども、これは国の名でない。支那といふのは、これは他国人が考えて支那人民に当てはめたもので地理的名称であって、亜細亜といふ如く他人がつけたもの、支那人がつけたのでない。

支那人は朝廷といふ名の外には国と呼ぶ如き言葉の必要を感じなかったのであ

る。ししながら中華とか中国とかの名詞を用ひておりましたが、これは最中であるといふ意味で純粋の地形的名称である。亜細亜(アジア)、欧羅巴(ヨーロッパ)、亜米利加(アメリカ)と呼ぶと同じことで、国の名でなく地理上の名で、国家といふ名辞ではありませぬ。故に朝廷の名はあつても国の名はない、これは支那の現状である。

物がないからその名がない、その名がないからその言葉がない、即ち思想がないために支那といふ言葉は国の名詞には用ひませぬ。又、支那の字の中には「邦」といふ字がある、「國」といふ字もある。

これは吾々の謂ふ国、国家といふ意味とは全く別字であります。私よりも諸君の方が漢籍において詳しくありませう故に説明する必要はありませぬが、この邦といひ国といふ字は、多くは「郡県」の意味で用うるので、日本でいひますると武蔵・大和・土佐といふ様な国の言葉で、吾々のいふ国家といふ所の国ではありませぬ。

時として又、朝廷の意味に用うることもある。湯の盤の銘に日馬「周雖舊邦其命維新」といふ言葉の如き周といふのは無論朝廷である、古い朝廷といふけれども其命終れ新たなりで、邦の字を使ってをるがつまり朝廷の意味に使ってゐる。

 

杜甫の詩に「国破山河在 城春草木深」といふ名句がある。これも朝廷の意味であって杜甫が懐古の浜を涙を流して、唯、朝廷は亡びても山河は依然として有る、と云つたもので、国といったのでない。

国といひ邦と云ふ、支那では郡県の意味でなければ朝廷の意味に使って居る。

又、国と家と連ねて国家といふ字を支那にて用ひてをります、実際これを書いて使って居る。これも朝廷といふ意味に使って居る「国家士を養ふ三十年」といふことがありますが、或る朝廷が起りまして、而して人民を世話して、学者を採用した、その或る朝廷の起りました年月を数へて三十年といったので、これは朝廷といふ意味で国といひ、国家といふ意味はない、「ネーション」若しくは「ステート」といふ意味はありませぬ。又その必要はないのである。

 

謂ひ顕はすものがあれば文字がなければならぬ、又思想もなければならぬが又言葉もなければならぬ。然るに支那には三千年来、国といふその現物がありませぬから、さういふ言葉、文字といふものの今日まで必要がないのである。かかる国の人民がどうしてその国を愛する心が出ませうか、愛国心といふもののあらう訳がない、愛すべきものが成立って居らぬから国を愛する心が出ない。

しかし朝廷は有る故に朝廷を愛するといふ心は支那人は有って居るが、日本人程強くない。朝廷を愛する心を幾許か有って居るが、己れの国を愛するといふ心はない。即ち国が無いから愛国心は無いのは敢て怪しむに足らない次第と言はなければならぬ。すなわち第一の柱たる愛国心は支那人に皆無である。

        支那に戦闘力なし

第二の戦闘力、是は説明の必要はない、日清戦争の有様でわかって居る。又昨年の義和団の時にても分って居る。

少しも戦をなす力といふものがない。それ故に何れの国でも戦いさへすれば徒手で取れる。ロシアが満洲を攻むれば満州はロシアのものとなる、ドイツが膠州湾を攻むれば膠州湾はドイッのものとなる。

英国が威海衛を攻むれば威海衛は英国のものとなる、支那には戦闘力、防御力がない。その外国の所有となる。この一事を見ても支那に戦闘力の無いといふことは明かなことであります。

なお一方より少しく論ずるなれば、今日支那に戦闘力のないといふのみならず、支那には昔から無かったのである、

さらに適切に謂へは戦闘といふことは無かったのであります。三国志や漢楚軍談なぞを見れば、非常の景気で戦ひのことが書いてある。流血杵を漂はすといふ恐ろしいことが書いてある。

いづれの戦も、戦毎に支那の戦争には餅春道具を持って出たものと見えて(笑)、持春道具は支那の戦争には関係があったかは知らぬが、戦いといふものは支那

には昔しからなかったのである。何故ないかといふことを証明するに、戦ふには道具がなければ戦われない、最もクビライの元寇の戦などもありましたけれども、これも吾々のいふところの所のいわゆる戦ではない。吾々の戦争なるものは必ずや一撃の下に人を殺すやうな武器を以てしなければならぬ。

元寇の役もかくの如き武器を以てした戦争でない。一撃の下に人を殺すやうな武器が支那に有ったかといふに私は無いと信ずるのである。

支那には昔から武器らしき武器がなかつたから戦争といふもののあらう筈がない。先づ支那に就て武器と名づくべきものを求むるに外国から這入ったものはありますが、支那には固有の武器がない。外国の武器は現にわが国の鉄砲で

あるとか日本刀であるとかは何十萬といふを輸入した。然し国有の武器にして強いて名を附くべきものはどんなものであるかといふと、遊就館(靖国神社)に大分陳列してありましょう。

大きな青龍刀のごとき二三人かかりでかついでも大きなもので、人を斬ると云うような便利なものでない。二人三人で振廻はす所でない、かついですら重いといふ武器では人を殺すことに就きましては不便なものと言わければならぬ。

その構造はは大抵何れも大きなもので、その刀すら多くは掌で振廻はせませぬ。四本芸五本の手を借りてきて振り廻はす位のものに作ります。殊に可笑しきはその武器に力を用うるのは、青龍刀なり剣なりその他、皆その刀と柄の継合の所、鍔許に大変注意をしておる。

                            つづく

 

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