『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㊳興亜説について(榎本武揚の興亜会の設立)明治23)年8月
2015/01/01
『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』
日中韓のパーセプションギャップの研究』㊳
1890(明治23)年8月11日光緒16年庚寅6月26日「申報」
興亜説について(榎本武揚の興亜会の設立)
榎本武揚
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A6%8E%
E6%9C%AC%E6%AD%A6%E6%8F%9A
興亜会
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%8
8%E4%BA%9C%E4%BC%9A
日本の文部大臣榎本武揚,以前特命全権公使として中国に赴任した。
その際,同じくアジアに属する中日両国が協力すれば西洋の侵略を防ぎ得,対立すれば自主独立を保ちがたいと知り,帰国後、東京において興亜会を設立し,杯酒の間に歓談して両国の友好と和平を図った。会には両国の高官や名士のほか,トルコ,ベルシア,朝鮮,シャムなどのアジア諸国の人士も加わり.協議の結果榎本君を会長に推し,渡辺洪基特命全権公使を副会長とした。
庚寅の年、渡辺君が駐オーストリア=スイス特命全権公使として赴任したため,宮中顧問官花房義質を後任とし,また中国の使日欽差大臣黎●(くさかんむりに純)斎【庶昌】を名誉会長とした。
4月下旬.わたくし夢●(田に宛)碗は旧友岸田吟香の招きにより日本を訪れた。この際榎本君は会員を集め.芝の紅葉館において宴を催した。華やかなさざめきの中,着かざった人々が次々と訪れ山海の珍味を並べ.風雅な音楽を奏し,時のたつままに夜の更けることも忘れるほどだった。そこで私は杯をとって前に進み,次のように述べた。
「まことになんという盛んな会でありましょうか。さて.考えますに,アジアは以前ヨーロッパと通商を行わず,人口,物産ともに豊富で,他国との交流を断って各々の国内に安住してまいりました。
西洋人がわが中国に乗航して5港の開港を迫り,通商に対する国禁が解かれてから.その風気は翻然として一変しました。「諸外国は中国国内の混乱に乗じて中国に圧迫を加えている。
やがては騒乱が広がり,戦禍が全国に及ぶかもしれな」jと説く者もおります。しかし,日本も西洋の圧力により通商を始めたのではないでしょうか。
光格天皇のとき,ロシア人が凛流民の送還を理由として日本に来航して通商を求め,イギリスの軍艦も長崎に入港して市街で略奪を行いました。次いで孝明天皇のときには.アメリカ人が通商を求めました。時あたかもイギリス人が下田に至ってほしいままに略奪を行い、アメリカ人は軍艦を率いて浦賀に入港し,ロシア人もまた来航し.情勢はきわめて危機的だったのです。
今上帝が即位されるや.やむを得ず初めて外国に対して港を開き,横浜・神戸・大阪・長崎など8港において外国人の居留を許しました。これによって通商が次第に発展し,全国に西洋人の足跡が及ぶに至ったのです。このように列強の圧迫により開港したのは.わが中国だけではないのです。
日本人にとっても殷鑑は遠からず,
http://kotowaza-allguide.com/i/inkantookarazu.html
きわめて熟慮深思すべきことと申せましょう。かつ中日両国は互いに離反していることができましょうか。中国は日本からの応援がなかったとしても.なお兵器は多く,物産は豊富であり.軍隊を配置して防御に当たるべき拠点もあります。
一方日本は海洋に懸隔した列島ですから.虎のいる平原で身を隠すべき場所もないような状況と言えます。もし中国が座視して援助しなければ,日本は四方から教を受け,退いて防御に当たるすべもないでしよう。榎本君は周到かつ慎重にこうした情勢を考慮し.本会を設立し両国の友好を回ったのです。もし両国民が心を1つにして密接に協力して事に当たれば,単に両国が唇滅びて歯寒し、といった事態を免れるばかりでなく,アジアの一大転機を招来することもできましょう。本会はその契機となり得るかもしれないのです。
顧みますに,「アジア諸国の君主は1年に1度天津に全集すべきだ」とか,「アジア諸国の陸軍大臣が年に数回全集すべきだJとか,「アジア詰回の識者や学者が一大大会を開催し,共に議論して富国強兵の方途を討求すべきだ」などと述べ.こうすればアジアの興隆は期すべきものがある,と論じる者もおります。
しかしそれには及びません。侵略の野心を抱いている国々は.必ずや1回を得るのみでは満足せず.その野望を果てしなく広げるでしょう。日本が西洋に侵略されれば,中国もまた危地に置かれ.中国の領土が西洋人に侵食されれば,日本の自守独立も困難なのです。
しかし,もし両国が協力して外国からの圧迫に屈しなければ,両国の国勢が興隆に向かうばかりではなく,ベルシアや朝鮮のような諸小国も.西洋諸国からの侵略を免れるのです。これをたとえれば,人家の垣根が堅固で,風紀が厳格であれば,些細なものでも他人があえて手を出さないようなものです。なぜ必ずしも軽挙妄動して波風を立てる必要がありましょうか。
あるいはまた,「興亜の説は単なる机上の空論に過ぎない。以前日本はわが中国の藩属国たる琉球を滅ぼし,またわが中国の飯土たる台湾に侵攻したではないか。こうした事件は忘れがたく.断じて危疑を水に流すわけにいかない」と述べる者もおります。
しかしこうした問題は小事に過ぎないのです。中国はこれに寛大に対処してきましたし,日本ももはや野望を抱いてはいないでしょう。これをたとえれば.兄弟が内輪でもめごとを起こし.ふだんいささか不和であっても,いったん他人に圧迫されれば.兄弟力を合わせて事に当たるようなものです。
日本にも見識ある人士は少なくないのですから,決して同じくアジアに属する諸国を脅かし,西洋諸国に乗ずる険を与えるようなことはしないでしょう。現在両国は共に西洋文明の採用に努め,万事にわたって旧観を改めています。
西洋人はこれに関して,常に「日本は西洋文明を導入するや,非常に速やかに成果をあげているが.中国は旧制に因循し,かなりの年月がたったのに10のうち2.3の成果しかあげていない」と述べています。
しかし,日本の軍隊は強いとはいえ,国土は狭く,人口は過密なのですから.財貨を山林に蓄えていた者が,それを早めに費やしてしまったようなもので,今後再び富を積むためには,なんらかの別の方法を考えなくてはなりません。一方中国は2万里にも及ぶ広大な領土を持ち,石炭や金属資源も豊富で,ただなおそれを広く活用するに至っていないに過ぎません。
もし埋蔵資源を十分に利用すれば.富国強兵も可能となり,兵力が西洋に及ばないことを憂える必要もなくなるでしょう。こうして考えてみますと,本会において,西洋人を服従させることはできないまでも,誠心誠意事に当たり.以前の危疑は水に流せば.中日両国が永久に安泰たるべき礎を築くことができるばかりではなく.アジア諸小国もその恩恵に浴することとなりましょう。榎本君の偉才たるや,まことにたたうべきです」。
語り終わるや,会員は皆これに拍手を送った。
榎本君もまた杯をあげて,次のように述べた。
「日中両国が相互に協力することは,情勢のしからしむるところであり,いわば天命であって,人力のなし得るところではありません。あなたが帰国後この旨を当局者に説かれ.両国が今後長く友好を保てば,私としては満足の至りです。なんらその功をむさぼろうなどというつもりはございません」。
そして宴席を片付け.美人の扇舞を見た後,人力車に乗って帰ったが,すでに午前3時だった。
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