前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

 日本リーダーパワー史(768)『金正男暗殺事件にみる北朝鮮暗殺/粛清史のルーツ』福沢諭吉の『朝鮮独立党の処刑』(『時事新報』明治18年2月23/26日掲載)を読む②『我々日本の人民は今日の文明において治にも乱にも殺戮の毒害を見ず、罪を犯さざる限りはその財産、生命、栄誉を全うしているが、隣国の朝鮮を見れば、その野蛮の惨状は700年前のわが源平の時代を再演している』

   

 日本リーダーパワー史(768)

『金正男暗殺事件にみる北朝鮮暗殺/粛清史のルーツ』

福沢諭吉の『朝鮮独立党の処刑』(『時事新報』明治18年2月23/26日掲載)を読む②

 

社説『朝鮮独立党の処刑』(明治18年(1885年)22326日掲載)

強者は力をたのんで粗暴になり、粗暴なためによく人を殺す、弱者は武より文を重んじて沈深(落ち着いていて思慮深いなので、沈深なるがゆえに人を害すること少なしという。なるほどそうかと思われるが、実際においては决してそうではない。かえってその反対を見ることが多い。

そもそも社会の人類を平均してその強弱を比較すると、強者は少数で弱者は多数である。他の智愚、賢不賢、貧富等の比例と同じで、愚者貧者が多数であり、弱者が多数であることは疑いない。

さて強者の本質は、強き者を敵にして勝つのが難しい相手に勝つことを努め、己が眼下にあって制御が自在になる者であれば、敵にしても味方にしてもこれを害する気持ちは大変少ない。時としては己が快楽を欠いても弱敵を助けんとするものが多い。故に強者が敵にする相手は常に社会中の少数にして、たとえこれを殺したとしても害の及ぶ所は决して広がらない。これは殺す術がないのではなく、これを殺すことの必要性がなく、容易に殺す術があるが故に殺すことを急がないのである。

これに反して文弱なる者は、その心事がたとえ沈深なるも、力においては己が制御の下にあるものはなはだ少ないために、いやしくも人を殺す機会さえあって自分自身に禍をする恐のないときはこれを殺して憚る所がない。つまり、弱者は必ずしも人を殺すのを好むものではないが、自家にたのむ所のものなきがゆえに機に乗じて怨恨を晴らし、後難を恐れる気持ちが強く、一時に禍根を断とうとして惨状を呈することがある。

古代の歴史をふりかえり、いわゆる英雄豪傑なる者の所業を見るに、軍事にも政治にも動もすれば人を殺してほとんど飽くことを知らないケースがある。はなはだしきは無辜の婦人、小児までも殺戮してやりたい放題の有様は、古人の武断、剛毅と思われるけれど、内実をよくみれば决してその人の強さのためではなく、かえって弱さのためのものと断定せざるを得ない。

一旦の機会に乗じて、他に勝つときはその機を空しゅうせずして殺戮にはしり、一時の愉快を取り、もう1つは禍根を断って永年の安楽をたのしまんとする臆病心より生じていると思う。

往古、アレキサンダー王が戦争に幾万人の敵を殺戮したといい、日本の源平合戦では勝つ者は敵の小児までも処刑したような事例も見られる。アレキサンダー王や源平の諸将らは勇猛果敢の武士のように見られるが、その実は敵を打ち破り、伏させる覚悟がないためにこのような卑怯な行動をとり、残酷に陥ったものと思う。


世の文明開化は人を文(知的、文化的)に導く

といえども、文運の進むに兼て武術(武器)もまた進歩し、人を制し人を殺す方法も増えるために、治乱の際にたと殺戮する機会あるものの、時代の変化によりに毒害の区域を広くすることはない。例えば、戦争から降りたる者は殺さず(一般人)、国事犯に常事犯に罪は唯一身に止まりて、父母・妻子に及ばないのみか、その家の財産さへ没収されることは甚た稀なり。

例えば、近年わが国では西南の役(西南戦争)で国事犯の統領・西郷南洲翁の如きはその罪は唯翁一人の罪にして、妻子兄弟には類は及ばなかった。今の参議・西郷従道伯は現に骨肉の弟なれども、日本国中にこれを怪しむ者はなかった。

わが政府が南洲翁の罪を窮めて殺戮を強行しなかったのは政府の力の足らなかったのではなく、その実は文明の武力はよく天下を制するに十分なので西南の役が再び起っても、これを征服すべきの覚悟あるためだ。

一言でこれを評すれば、よく人を殺す力あるものにして始めて、よく人を殺すことなしというものだ。これを文明の強という。古今を比較して人心の強弱、社会の幸不幸、その差は大変かけ離れている。

されば、古の英雄豪傑が勇武果断にしてよく戦い、またよく人を殺したというも、その勇武はただ一時の腕力の勇武であって、永久に必勝の算があるものではない、その果断や勇気は己が臆病心に迫られた果断、武勇であって、その胸中は臆病風にふかれたものなのである。

文明の勝算は数理(科学)によって違うことなく、野蛮の勝利は僥倖(偶然に得る幸運)によって定まったものではない。僥倖によって勝つものはその勝に乗じて止まることを知らず、数理を以て勝つものは再三の勝利を制すること容易なために、その際、悠々として余裕がある。


源平合戦は大昔のことだが、我々日本の人民は今日の文明に逢うて治(政治)にも乱(事変、戦争)にも屠戮(殺戮)の毒害を見ず、いやしくも罪を犯さざる限りはその財産、生命、栄誉を全うして奇禍なきを喜ぶ傍(かたわら)に、眼を転じて隣国の朝鮮を見れば、その野蛮の惨状はわが源平の時代を再演して、あるいはこれに以上のものであろう。

我々は源平の事を歴史に読み、絵本に見て辛うじてその時のことを想像するが、朝鮮の人民はいまだにこれを実行しており、700年も前の蛮行を怪むものがいないのは実に驚くべきことだ。日本なり朝鮮なりは等しくこれ東洋の列国なるに、昊天(こうてん、大空、広い空の意味)何ぞ日本に厚くして朝鮮に薄きや。

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
速報(289) 『日本崩壊は不可避か?ー『日本政治と中国』『日中歴史ねじれ問題』を斬るー ディープ座談会』(80分)

速報(289)『日本のメルトダウン』 ◎『日本崩壊は不可避か?『日本政治と中国』 …

no image
日本リーダーパワー史(224)<明治の新聞報道から見た大久保利通 ③ >『明治政府の基礎を作った男』

 日本リーダーパワー史(224)   <明治の新聞報道から見 …

no image
日本風狂人伝③わが愛する頑固一徹、借金大魔王、『美食は外道』とのたまう内田百閒

わが故郷の岡山・百間川が生んだ20世紀最高の頑固一徹、奇人変人オヤジ、内田百閒よ …

no image
知的巨人たちの百歳学(180)記事再録/「巨人政治家、芸術家たちの長寿・晩晴学③」尾崎行雄、加藤シヅエ、奥むめお、徳富蘇峰、物集高量、大野

 2012/12/31  百歳学入門(64) &n …

日本リーダーパワー史(657)まとめ『昭和の大宰相・吉田茂のリーダーシップ』1946年(昭和21)、米占領下で吉田内閣を作り、長期政権を維持、戦後の保守政治の基礎を固め、その吉田学校の生徒たち(池田勇人、佐藤栄作,田中角栄) らが高度経済成長を達成した。

  日本リーダーパワー史(657) ★(まとめ)「昭和の大宰相・吉田茂のリーダー …

no image
日本メルトダウン脱出法(561)『直面する「2015年問題」を前に考えよ-日米関係は大丈夫か」●『アベノミクスに2つの「障壁」

 日本メルトダウン脱出法(561)   ●『直面する「201 …

no image
★5記事再録『ガラパゴス・日本マスメディア(新聞/テレビ)のブラックボックスとしての記者クラブ制度―その歴史と弊害

日本マスメディアの特殊性―記者クラブの歴史と問題点       <現代ジャーナリ …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(305)★『3・11国難リテラシー⑩「糸川英夫いわく」★『➀なぜ事故は起きたのか(WHY)ではなく「事故収束」「復興・再生」の「HOW TO」ばかりの大合唱で、これが第2,3の敗戦につながる』②『すべての生物は逆境の時だけに成長する』③『過去と未来をつなげるのが哲学であり、新しい科学(応用や改良ではなく基礎科学)だとすれば、 それをもたない民族には未来がない』

        2011/05/18 & …

『Z世代のための日本女性史研究講座』★『日本で初めて女性学を切り開いた稀有の高群逸枝夫妻の純愛物語』★『1941年(昭和6)7月1日、日本の女性学が誕生した』★『火の国の女の出現』★『日本初の在野女性研究者が独学で女性学を切り開いた』

  2019/11/25 『リーダーシップの日本近現代史』( …

no image
速報(266)★『世界経済、世界貿易の現状と問題点―WTO事務局長の会見』●『ミヤンマーの改革の会見』

速報(266)『日本のメルトダウン』   ★『世界経済、世界貿易の現状 …