『世界が尊敬した日本人』オリンピック外伝ー90年前の、ロサンゼルス大会で馬術で金メタルをとったバロン西
世界が尊敬した日本人
―オリンピック外伝―
―90年前の、ロサンゼルス大会で馬術で
金メタルをとったバロン西―
前坂 俊之(ジャーナリスト)
日本選手団はこのロンドン大会は過去最高の38個のメタルを獲得する大活躍ぶりだった。ちょうど今から90年前の1932年(昭和7)8月14日、ロサンゼルスオリンピック大会の最終日。閉会式のメインスタジアムでは最後の競技の馬術大障害が行われた。4ヵ国から11人が参加し、日本からは西竹一陸軍中尉と今村安少佐の2人が出場した。
19の難しい障害物を人馬一体で飛び越える競技では、並いる強豪が次々に失敗。初出場の西中尉は愛馬「ウラヌス」に乗り、幸先よいスタート切り、第9障害まではなんとかクリアし、難関の第10障害でウラヌスは左にそれて止まったが、2度目の飛躍で見事に通過してゴールイン。約11万人の満員の観衆が総立ちとなって「バロン・ニシ、バロン・ニシ」の大歓声を送った。減点8で見事、優勝して金メダルを獲得、一躍、「バ世界のヒーローとなった。
優勝の記者会見で西中尉は「We won!(我々は勝った)」と答え、愛馬「ウラヌス」の一体での勝利を強調し、そのスポーツマンシップぶりは賛辞を浴びた。日本馬術史上、オリンピックでの優勝はこれが初めてで、いまだに破られてない。
西は男爵(バロン)の称号を持ち、英語も堪能で、陽気な性格だった。
連日のようにハリウッドの女優達から誘いの電話が入るなど、アメリカで大人気を博した。当時の日本は、満州事変から約1年後で、国際連盟を脱退するなど国際的な非難を浴びていた。米国内でも排日の空気が強かっただけに、西の華麗な馬術とさわやかな人柄が米国民の日本イメージを好転させた。
西竹一 (バロン西) ロサンゼルス五輪・馬術 (1932年)
西竹一は1902(明治35)、枢密顧問官、外務大臣の西徳二郎の子として生まれた。父の徳二郎は鹿児島藩士の家柄で、戊辰の役を戦った後、ロシア・ペテルスブルグ大学に留学し、ロシア専門の外交官となり、明治19年にロシア特命全権大使に、同28年に日清戦争の功労で男爵を授けられた。
明治三〇年に第2次松方内閣で外務大臣を務め、その後枢密顧問官、明治45年には66歳で亡くなった。徳二郎は正妻との間には女児しかいなかったため、爵位の後継者として侍女が産んだ竹一が引き取られた。
徳二郎が亡くなったのは竹一が10才の時で、東京・麻布桜田町の自宅土地3万3千平方㍍、貸家50軒、熱海、別荘など莫大な財産を相続し、男爵を継いだ。これが彼の後々の派手な私生活を支えることになる。13歳で義母もなくなり、文字通り天涯孤独の身となった。
学習院初等科から府立第一中学校へ進学したが、乃木学習院院長の「華族の子弟は軍人を目指せ」の影響で、広島の陸軍幼年学校に進み、馬と初めて出会った。
日本での馬術の発展は、明治天皇が馬術を愛好し、奨励のために資金を下賜したり、展覧馬術大会を開催。明治10年には天皇の肝いりで学習院に馬術部が作られ、学生スポーツとして馬術が盛んになった。良家の御曹司、裕福な環境で育った西は乗馬のほか、カメラ、ライフル銃、自動車など多趣味であった。
陸軍予科士官学校に入学した西はバイクはハーレーダビットソン、車はクライスラーを買って猛スピードで乗り回し、警察から「西を捕まえろ!」というお触れが出たほど。しかし、麻布警察署に職員宿舎を寄付したため自宅のある同署管内では捕まらなくなった、とのエピソードもある。
その後、千葉・習志野の陸軍騎兵学校に入学、そこで馬術に専念する環境を得て、オリンピックを目指すことになる。同校には日本馬術界を代表する遊佐幸平、今村安などの優れた教官がそろっていた。西はこの頃、アイリッシュボーイという馬に乗り、2m10の障害を飛び日本記録を出した。
大正13年、川村伯爵家の川村鉄太郎の四女・武子と結婚したが、当時の西の全資産は250万円で新聞の長者番付に名を連ねたこともあった。
西は士官学校を卒業後、騎兵第一連隊の少尉に任官。そこで福東号に騎乗して、石垣を飛んだり、車を飛び越したり。1m50の石垣を飛んだ際は馬もろとも頭から落下した。しかし、手綱を放さず、再挑戦し見事に飛越した時の写真は新聞やイギリスの馬術雑誌にも掲載され人気を博した。
この頃、西へイタリア留学中の今村安から手紙が届いた。「余り大きくて誰も乗りこなせないが、すばらしい障害用馬がいる」。体高1m81もある血統証もない「ウラヌス」だった。西は自腹を切って7千リラ(当時日本での競走馬の最高価格の3倍)を払って購入し、調教をしながらヨーロッパの大会を転戦して好成績をあげた。
この「ウラヌス」に乗って初出場したロス大会で見事、金メタルに輝いたのである。
西は4年後のベルリンオリンピックにもウラヌスとともに参加し、障害団体で6位に入賞した。その後、騎兵学校の教官等を経て、軍人としての第一線に復帰した。男爵で裕福だった西は派手な生活で、最後まで頭を丸刈りにしない伊達男で、米国通の国際人でもあった。そのため、戦争に傾斜していく陸軍内では冷遇された。
次の開催地 東京オリンピックに向けて鍛錬していたが、太平洋戦争が勃発しオリンピックは中止となった。開戦から騎兵連隊に編入されていた西は戦況の悪化に伴って昭和19年、43歳で本土防衛の最後の砦である硫黄島に配属された。
硫黄島に赴任する前に西は死を覚悟し、ロスオリンピックで使用した乗馬靴、鞭、ウラヌスのたてがみなどを持って海を渡り赴任した。彼の指揮する部隊はもはや騎馬隊ではなく戦車隊であった。
20年2月、米艦船からの島の地形が変わるほどの艦砲射撃、上陸作戦と総攻撃を受けた中で、1ヶ月ほど激戦が続いた。
日本軍守備隊の中に西がいることを知った米軍から「オリンピックの英雄バロン・ニシ、我々は勇敢なあなたを尊敬をもって迎え入れるであろう。出て来て下さい」という投降勧告があったという伝説が残っているが、これはあくまで伝説である。
3月22日、西竹一は突撃して玉砕した。44才。愛馬ウラヌス号のたてがみを胸ポケットにしのばせたままの玉砕で、ウラヌスが老衰で亡くなったのはその一週間後だった。
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