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日本経営巨人伝⑮永野重雄ー夜逃げし、倒産会社を再建して「財界天皇」に上りつめた不屈の経営理念

   

 
日本経営巨人伝⑮永野重雄
 
 
「世界一国論」を唱えた、夜逃げ倒産会社を再建し
て「財界天皇」に上りつめた永野重雄
の不屈の経営理念
 
 
 
 
前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
東大法卒のエリート商社マンから一転、倒産工場の責任者に転落
 
一九二四年(大正13)4月、東大法学部政治学科を卒業した永野は、長兄・護(後に政治家、岸内閣の運輸相)の勧めもあり、浅野総一郎が総帥の「浅野コンチェルン」の貿易商社「浅野物産」に入った。

米国から鉄材、石油、セメントを輸入する社員50人の中堅商社で、事務所は東京・丸の内にあった。永野は事務に配属されたソロバンをわたされたが、ソロバンは大の苦手で、やっているとつい眠くなる。

入社初日に、ソロバンでつかれた永野は机にうつぶせになってグウグウ眠ってしまった。怒った係長が「永野君、お客さんが来るというのに、ダメじゃないか」と注意した。そんなズッコケ新入社員だった。
 
世の中はちょうど第一次世界大戦後の不況期で、「学士様」といわれたほど数少ない大学生の、それも超エリート東大卒でも自由に就職できなかった。永野は華やかなロンドン支店勤務となり、世界を相手に貿易したいと夢見て入社したのである。
 
ここで、六高、東大柔道部出身の馬力にものを言わせてバリバリ働いていた矢先の翌年1月。突然、長兄の護から,浅野物産を辞めて、川崎にある倒産したオンボロノ会社の富士製鋼に再建にいかないかと指示された。兄の親友の取引先の会社であり、その親友から白羽の矢がたったのである。
 
永野重雄は一九〇〇年(明治三三)七月、島根県松江市生。永野家はもともと広島県出身で、重雄は10人兄弟(男7人、女3人)の二男で、長男・護とは10歳もはなれている。

父が亡くなった後は護が父親代わりとなり東京で働きながら毎月50円の生活費を仕送りした結果、兄弟そろって大学を卒業できた。そんな兄に重雄は頭があがらず、従う以外になかった。わずか10ヵ月でエリート商社マンから一転、おんぼろ工場の責任者に転落である。永野は泣き泣き富士製鋼に変わった。25歳の時である。

 
名言① 人生にはプラス、マイナスの波がある。気持ちのスイッチでマイナスを
プラスに変えなくては、人生の落伍者になる」
 
 
富士製鋼は製鉄の丸棒や平鋼などを製鋼していた会社である。翌年2月、川崎の同社に行くと、工場は廃屋化して誰も出ていない。
事務所の床板は、少し踏むと抜け落ちる。工場敷地はペンペン草、工場内はカエルのすみ家となっていた。あまりのひどさにわが身を運命に泣いた。
そのうち、「これはわが人生への試練だ。何とかして再建してやるぞ」と「柔道マン」らしく猛然とファイトをわいてきた。
 
早速、永野は工場の前に下宿して、まず雑草刈りからはじめ、建物の補修に取りかかった。朝から晩まで、真っ黒になって働いた
。鉄材の購買から販売、経理、総務まで一人でやった。苦手のソロバン、伝票や帳簿も自分で記載した。工員として1日中ハンマーをふるって、作業、労働状況も把握した。工員兼小使い兼工場長の1人5役でがんばった。

「若い工場長ががんばってるよ!」と永野のうわさを聞いたのか従業員が次々に復帰して、300人になもなり、生産も軌道に乗り出した。

 
 
名言②小さな租織に入って門前の小僧で何でもやったことが、どんなに役に
立ったかわかりません。
 
 
昭和の時代に入り昭和恐慌の嵐が迫ってきた。川崎近辺の工場は、次々倒産した。工員たちも「昨日はあそこの工場がつぶれた」とウワサした。

「いま思い出しても身の縮む思いがする。もう破産よりないというところまで、何度いったかわからない」と永野は当時をふりかえる。

特に、塗炭の苦しみを味わったのは金策である。銀行から、鉄鋼問屋から、取引先を金策に走り回った。しかし、借金も十分に返していないので相手は貸してくれない。それを永野は毎度血相を変えて問屋をとび回って、従業員の月給分を無理して前借した。
 
月給分が確保できると、永野は銀行へすっ飛び、給料支払い用に小銭にかえて、小銭は重いため人力車や1円タクシーにのって、すっ飛んで工場へ帰る。
 工場事務所前には、「まだか、まだか」と従業員たちは首を長くしており、永野がカバンを持って降り立つと、「バンザイ!」を合唱して迎えた。若い永野は感激の涙にくれ、従業員との一体感が築かれた。
 
 
名言③ 君は夜逃げをしたことがあるか、社員の給料が払えず夜逃げをした人生体験
がバネになる。
 
 
こんな綱渡りの状態が続いたが、鉄鋼価格が5分の1にまで暴落しても買い手がつかない。ついに資金繰りに行き詰まり、原料代も電気代も給料も支払えなくなった。
1931年(昭和六)12月、最悪の事態を迎えた。取引銀行や原材料屋の借金取りから「返済期限なので元利そろえて支払え」と、猛烈な矢の催促で下宿先に真夜中でもくる。ついに永野は年末から正月にかけて、夜逃げし、行方をくらました。
 
1週間ほど東京、熱海や箱根の温泉旅館を転々とした。「大学での仲間は大企業でこんな苦労もせずに働いているのに・」とわが身の不幸に男泣きに泣いた。どん底で一睡もせずに考えた。「いつまでも逃げ回っていても、兄や友人の信頼を裏切るだけだ」「男らしく出直して銀行と相談しょう」とハラを固めて、復帰したのである。
 
 この夜逃げの体験こそ、永野を経営者として開眼をさせた。「私の生涯で一番勉強になったのがこの時期です」と永野は語る。
この後、永野は満州に安い銑鉄の買い出しに行って3年分の確保に成功し、借金を完済した。若い工場長の汗と涙の体当たりの工場再建に、従業員は一致協力して、見事に富士製鋼は立ち直った。
 
 
名言④若いうちの苦労は年取って花開く、左遷を栄転に逆転する。
 
 
再建なった富士製鋼は昭和九年の政府による製鉄大合同政策によって日本製鉄に吸収合併され、日鉄富士製鋼所となったが、
永野はそのまま所長として居残った。
ところが翌年に日本製鉄本社から「八幡製鉄所成品課長を命ず」の辞令が下った。必死の努力でやっと再建した結果が工場長から課長への格下げ、左遷であった。永野は愕然とした。

富士製鋼の部下たちも転勤に猛反対した。永野の腕を見込んで他社からも強い勧誘があり、永野も迷った。

 

しかし、「九州に左遷されるといっても、あの不夜逃げの苦しみと比べたら楽なもの」『日本一の八幡製鉄所で一から勉強しよう』「この左遷をつぎの栄転に逆転させるぞ」と誓って福岡・八幡に赴任した。

 

永野はここでも「現場第一」の経営学を貫き、評判となった。成品課長席に座っているのは夕方の一時間ほど。午前八時にはいち早く工場に出勤して、作業服にきかえて朝から夕方まで徹底して現場を見て歩いた。

二年間続けて、四〇年八幡に勤務している人よりも詳しくなった。所内の大合理化計画の荒仕事が永野にまかされて、これを見事にやってのけた。昭和一二年に本社に戻り購買部長となり、太平洋戦争勃発する一九四一年(昭和一六)、鉄鋼統制会に理事として出向。北海道支部長で終戦を迎える。

 

永野は人生の前半生れについて「直線的に昇進せず、停滞したり、逆行したり、左遷させられた経験が大いに役立った」という。
 
 
名言⑤僕の長い人生でも、富士・八幡両製鉄の合併は、まさに心命を賭した
大仕事だったな。
 
 
永野は昭和21年)、日本製鉄に常務で復帰。翌年、片山内閣で経済安定本部副長官(次長)となり、次官仲間の池田勇人(大蔵省、後の首相)、佐藤栄作(運輸省、後首相)と強固な人脈を築いた。

昭和二五年にGHQ(連合軍総司令部)の指令で、日本製鉄は富士・八幡の両製鉄所に分割されたが、この時に富士製鉄社長になった。

三鬼隆・八幡製鉄社長と永野は、解体の指令を受けたその時から、「俺たちが元気なうちに、必ず一緒になろうな」と誓い合っていた。ところが、三鬼は二年後の27年4月の日航もく星号墜落事故で、不慮の死を遂げた。永野はこれにも負けず、合併戦略を進めて時期をうかがっていた。旧日鉄OBは合併には賛成であった。稲山嘉寛(八幡製鉄社長、後新日鉄社長、系団連会長)ともツーカーだった。
 一九六五年(昭和四十年)初秋、当時は佐藤内閣の三木武夫通産相に隠密裏に打診して、通産省の賛同をも得た。中山素平(日本興業銀行相談役)を参謀役に今里廣記(日本精工社長)ら財界、関係会社にも根回しして水面下で着々と進めた。
 
一九六八年4月16日に「毎日新聞」が「世紀の大合併」と大々的にスクープすると、ふとっぱらの永野はあっさり事実をみとめて「国際競争の時代を迎えて、日本の産業競争力の基盤を強化する」と訴えた。後のことだが、趣味の小唄の名人の稲山社長も「私が三味線をひき始める前に、永野さんに先に歌い出されて困ってしまった」と絶妙なコメントを吐いた。
 
 富士・八幡両製鉄は、昭和四十三年四月二十二日、公正取引委員会(山田精一委員長) に対し、正式に合併の認可申請をした。
当時、世界No.1のUSスチール社と肩を並べる「世紀の大合併」といわれた新日本製鉄が誕生して、日本経済躍進の大原動力となった。
戦後の財界天皇といわれた永野の強力なリーダーシップが発揮されたケースである。
 
 
名言⑥トップの心構えとは・・
「私の悪口はすべて報告せよ、しかし、言った人の名は言うな」
 
 これは永野が富士製鉄(新日本製鉄の前身)の社長に就任した時、秘書課長の武田豊(その後、新日本製鉄社長)に言った言葉。社長にはどうしても、耳ぎわりのいい言葉しか入らない。本当に役立つ情報は耳に痛い言葉であり、悪口や批判である。そうした情報を積極的に集めて、社長に報告するように厳命した。
 しかし、誰が言ったか名前がわかると、永野も人の子。気にさわったり、その人物に悪感情を持ってしまう。報告する方も、告げ口しているようなうしろめたさを感じる。
 名前を伏せれば、悪口が批判、直言となって、ストレートに聞きやすい。社長とその補佐役の意思の疎通をスムーズにする。遠慮なく耳の痛い言葉を聞かせよ、というリーダーの度量をあらわす一言である。
                                                                                                                           
 
名言⑦私の信条「孤高に陥らず」「孤独を恐れず」
 
 これは永野の師で〝電力の鬼″と呼ばれた松永安左衛門が書いたもので色紙は新日鉄名誉会長室に飾っていた。
永野はこの色紙を見るたびに、勇気づけられた。
「孤高に陥らず」とは、独りよがりになってはならないということ。事業というものはたくさんの人が集まった集会体で、個人の力でできるものではない。

みんなが力を合わせれば、十人の力が百人力、千人力になる。そうした中で、独りよがりに走れば混乱を招き、失敗する。「孤高に陥らず」はこうした独善を排すること。「孤独を恐れず」は自分がこれは真理だと思ったら、百万人あれども我行かんの気概を持つことが大切だ。人間誰でも孤独に陥るのはイヤなものだ。できることなら、仲間外れにならず、みんなとワイワイやりたい。
 

 だが、事業では他人の反対を押し切ってまで、断を下さねばならないことが多い。永野はいつもこの言葉をかみしめた。
 
 
昭和戦後の永野の活躍は財界活動にも注がれた。1963年(昭和38年) 日本鉄鋼連盟会長に就任。

1969年(昭和44年)9月 には日本商工会議所会頭に就任し、経済同友会代表幹事、経団連、日経連顧問、各国との多数の経済員会委員長も兼任し15年間に渡って日本経済発展のトップリーダー、まとめ役を務めた。日商会頭になるや、今や新年の恒例事業となった経済五団体の合同賀詞交歓会を即座にまとめ上げた。
 

永野ほど民間経済外交を推進した財界人はいない。数え切れないほど、頻繁に海外へ行ったが、この会頭時代には一年間に四、五十カ国を回ったこともある。

メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、ソ連、インド、アジア、ASEANなどとの間に経済合同委員会を設置して無資源国日本が原材料を海外から輸入して付加価値を高めて輸出し、それで稼いだ外貨で食糧、石油を再輸入していく工業貿易国家づくりに貢献した。

 
そんな日商会長・永野に次の名言がある。
 
名言⑧ 私ほど中小企業を理解している財界人は少ないと自負している。
体験的に零細・中小企業者の心がわかるからで、『日本経済石垣論』である。
 
東京商工会議所ビル二階の会頭室からは、皇居の濠の石垣が真近に見える。この石垣は徳川家康がつくってから、三百数十年の風雪に耐えており、びくともしない。
何万という大石、中石、小石、形の変わった多種類の石が、見事に組み合わされ、少しのスキ間もない。石垣は大石だけでは作れない、小さな石だけでも不可能で重量、形状の変わった大・中・小の石はそれぞれ補完し合って強固堅牢無比となる。
『ちょうど日本経済の縮図である。大石が大企業であり、中、小の石が無数の中小、零細企業である。中小企業は日本経済の旗手であって相互に支え、補完、調和する日本経済の礎石でもある。日本経済も、格好のいい企業や大、中企業だけならばバランスが崩れて第一次オイル・ショックや不況の衝撃で崩壊してしまい世界第二位のGNPを誇る工業国になれなかった』と永野は持論を展開した。
 
 
 
石炭鉄鋼共同体から名言⑨欧州欧州連合(EU)が誕生したように、
「世界一国論」を訴える。
 
 
永野がロバート・シューマン博士に最初に会ったのは、1953年(昭和28)七月であった。

シューマンはフランス外相、後の首相で、第2次大戦の戦火を超えてヨーロッパの統合を目指した20年間以上その先頭にたった人物である。この結果、現在のEUのもとになる欧州連合はシューマン宣言(1950年5月9日)で実現した。永野は欧州連合構想の本当にできるのかとズバリと質問すると、シューマンは実現を明言した。『複雑なアジアでも可能か』との問いには「もちろんできる。やれば必ずできる」と激励した。

永野は「シューマンはフランスではナポレオン以上の英雄」と深く尊敬して、アジアにおける経済共同体の創設を夢見て、各国との経済協力に飛び回り、経済外交のトップリーダーとして活躍してきた。
そして「世界一国論」を真剣に訴えて「また、永野の大ボラか!」揶揄されたこともあった。「これはシューマン・プランを拡大したもの。全世界が無関税になれば、農産物、工業製品、なんでも安く輸出入できるから、人類にとってこんなに幸福なことはない。それでも貧乏な国には、豊かな国が援助すれば済む」と主張して回った。現在の各国でのFTA(自由貿易協定)や地域経済統合の拡大、発展構想の先取りである。
今日本でやっとTPPやFTAが本気で議論されているが、いかに永野が時代の数十年を走っていたかを示している。戦後財界の天皇といわれた永野は1984年(昭和59)5月に83歳で亡くなった。

<参考文献は永野重雄『君は夜逃げしたことがあるか』(にっかん書房、昭和54年)、同「わが財界人生」ダイヤモンド社 同57年)「永野重雄回想録」(新日本製鉄 昭和60年など>
 

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