日本リーダーパワー史(379)児玉源太郎伝(2)●『国難に対してトップリーダーはいかに行動すべきかー』
2016/03/05
児玉源太郎伝(2)
●『国難に対してトップリーダーはいかに行動すべきかー
2階級(大臣→参謀次長)に降下して、全軍指揮した児玉源太郎』
●『安倍日露交渉が再開されるが、ロシア相手の交渉の難かしさ
は今も昔も変らない。日露戦争のトップリーダーに学べ』
前坂 俊之(ジャーナリスト)
ロシアの膨張政策、南進政策が日露戦争の原因
日清戦争と三国干渉の結果、清国も日本もとるに足らぬとみたロシアの南進侵略政策を一層、強引にすすめた。1896年(明治29)には清国からシベリア鉄道の延長線として東清鉄道建設の権利を強引に獲得し、31年には旅順、大連を租借し、南満洲鉄道の敷設権をも獲得した。明治33年、義和団の乱が起るとロシアは鉄道保護を名として満洲に大軍を派兵、事変が終っても居座って撤兵しない。さらに満洲だけでなく韓国にも手をのばし、ロシア海軍は、ウラジオストックと旅順に一大軍港を増強してきた。
日本は、独力ではロシアの侵攻を止めることはできないとの危機感をもってと、明治35年にイギリスと日英同盟を結び、列強とロシアに抗議して、ロシアも満洲からの撤兵を同年4月8日に「6ヵ月後から3回に分けて兵を引く」ことをしぶしぶ約束した。
ところが第1回の10月8日には一部の部隊を動かした程度で、約束を守らず第2回の36年4月には撤兵どころか逆に増兵して軍備を増強、満洲から進んで、鴨緑江下流の要地龍岩浦に兵舎を築き、韓国を狙って兵力を増強してきた。
危機感をもった桂内閣は六月二十三日、対ロシア問題について御前会議を開いた。
① ロ シアが約束に反して満洲の兵を撤兵しないこの機を利用し、数年来解決しない韓国問題を解決する。
②韓 国はその一部も、如何なる事情にも拘わらず、ロシアには譲与しない。
③ 満洲では、ロシアがすでに優勢な地位にあるため、多少は譲歩する。
との方針で交渉することになり7月28日、栗野慎一郎ロシア公使に次の訓令をだした。
1、清国及び韓国の独立及び領土保全を尊重し、日露両国は商工業の機会均等を約束すること。
2、露国は、韓国に於ける日本の優勢な利益を承認し、日本は満洲における露国の鉄道経営についての特殊な利益を承認すること。
3、日本から韓国へ、露国から満洲への兵力派遣は実際必要なる数を超えぬこと。
しかし、ロシア側は日本の提案を一切無視、着々と軍備増強を続けた。
ロシアの横暴、討つべし
ロシアの満洲支配の強化や韓国への進出は日本の世論を2分し、強硬論が台頭してくる。開戦論を唱えた戸水寛人らの七博士による建白書や近衛篤麿の国民同盟会が結成された。
36年5月17日、新橋烏森の湖月楼に、外務省、陸軍、海軍の少壮有志によるグループが『ロシア撃つべし』との秘密会議を開いた。陸軍の井口省吾少将、松川敏胤大佐、田中義一少佐ら、海軍からは富岡貞恭少将、八代六郎大佐、秋山真之中佐ら、外務省から山座円次郎、本多熊太郎らが集まった。この会合は「湖月会」と呼ばれた。
だが、何といっても世界一の軍事大国ロシアが相手である。弱小日本には勝ち目はない、開戦は無謀とみるのが「対恐露病患者」の元老をはじめ大勢を占めていた。
36年6月、ロシアの陸軍大臣クロバトキンが敵前視察に訪れた。日本政府は震え上がってこれを大歓迎し、朝野をあげて歓待した。陸軍施設や演習も参観したクロバトキンは日本軍を鼻でせせら笑い「日本兵3人にロシア兵は1人で十分」と公言し、帰途に旅順要塞を視察し、『これを陥すには三年を必要、難攻不落、』と豪語した。
参謀本部次長田村恰与造の急死
陸海軍中央部の若手、中堅、「湖月会」のメンバーが中心となっては開戦論で上司を突きあげた。陸軍の参謀総長は大山巌大将、元老だったが、これには恐れをなして次長の田村恰与造に、時局の解決を図れと激しく迫った。しかし、田村次長は容易に腰をあげなかった。田村の肚は「対ロ戦の勝算は低い。ここでは勝ち目のない戦いを避けて満洲の経営はロシアにまかせ、日本は韓国をおさめるという満韓交換論であった。
こうした中で政府は対露交渉に踏みきった。参謀本部も具体的な作戦計画に取り組んだ。
三十六年八月当時の参謀本部のメンバーは次の通りである。
総務部長、少将井口省吾、第一部長、大佐松川敏胤、第二部長、少将福島安正、第三部長、大佐大沢界雄、第四部長、中佐大島健一、第五部長、大佐落合豊三郎である。
ところが、「日露間が風雲急を告げ、もはや開戦避けられず」という矢先に田村参謀次長は激務と心労で病に倒れ、10月2日に五十歳で急死したのである。日露戦争開戦わずか4ヵ月前のこと。
日本陸軍にとって一大痛恨事である。後任をすぐさま決めなければならぬ。陸軍首脳は青くなった。とりあえず福島安正に次長事務取扱を命じたものの、後任者の選考が極めて難航した。
8日にはロシアの第3期満洲撤兵の期限がきたが、これを再び無視して、撤兵せず、韓国国境への侵攻を強化してきた。それなのに肝心の政府はトップリーダを決められない。まさしく、危機に脳なし、リーダーシップの不在が続いた。
謀次長には福島安正、伊地知事介少将が候補に上った。この大山の提案に山県が同意せず、暗礁に乗りあげた。山県も大山も、この大国難に対処できる全能の参謀は児玉以外にないと内心、考えていたのである。だが児玉は副総理、内務大臣、台湾総督で桂内閣の大黒柱である。それを、後輩の田村、福島や伊地知の候補に上ったポストに2階級も降格してついてくれとは言い難い。大山は、「児玉を総長にしたら」と桂に提言した。
これには桂が「大山をやめさせるわけにはいかない」と反対していき詰まった。危機迫る中で、肝心の戦争指揮者が決まらない、陸軍も国民もトップの決断をじりじりしながら見守っていた。
児玉はその情勢を察知して桂首相を訪れ「次長は誰に決ったか?」と腹をわって話を聞いた。「この際、迅速に決めなければならぬ。ガマ入道(大山参謀総長のニックネーム)のためにわしがやってやろう」と即決し、みずから桂首相に申し出た。
10月12日、内務大臣だった児玉はフロックコートを軍服に着換え、参謀肩章をつって決然として参謀本部に現われた。参謀本部の部長以下を集めて、『諸君の一層の精励を望む。』とただ一言、決意を語っただけだった。参謀本部は俄然緊張に震えた。
総務部長井口省吾少将は日記にこう書いている。
『児玉男爵、内務大臣を去って参謀本部次長の職に就かるるに合す。以て天の末だ我帝国を棄てざるを知る。何等の喜悦、何等の快事ぞ・・陸軍、中、少将の内に求めて、適任この人の右に出ずる人はあらじ。』。
『東京朝日新聞』は児玉の後日の訃報に対して
「再昨年の秋、参謀次長の田村中将薨去の後、この人が内務大臣より一転下し、フロックコート脱いで再び軍服を着け、急に参謀本部に入れる時は、わが国民の百人中、九十九人までは、みな露国との戦争の到底避くべからざることを内々に覚悟しおりたる際なりしが、相語っていわく、よくも就きたり、又よくも就かしめたり、と。しかし、この人の果決、精毅が国民の信頼を得ありしによる……」
メッケルは「児玉がいる限り、日露戦争は日本が勝つ」と断言していたが、もし、この児玉の名誉も命もいらね、国難に決然とたったリーダ―シップがなければ、明治の『坂の上の奇跡』はなかったことだけは間違いない。
つづく
関連記事
-
『世界史を変えるウクライナ・ゼレンスキー大統領の平和スピーチ』★日本を救った金子堅太郎のルーズベルト米大統領、米国民への説得スピーチ」★
2017/06/23   …
-
『鎌倉カヤック釣りバカ仙人ー2020年元旦に、「門松(正月)や冥途の旅の一里塚,めでたくもあり、めでたくもなし」(一休さんの狂歌>★『こせこせするな。ゆっくり、ゆっくり、急がず、あわてず、あせらず、あきらめもせず、あくせくせずに、あてもせずじゃ。』★『1日1生,臨終定年じゃ』
2015/01/06日、年賀状など不要<2015年元旦 …
-
『オンライン講座/国家非常時突破法』★『なぜ、最強のリーダーパワーの山本五十六は太平洋戦争をとめられなかったか』★『山本五十六の不決断と勇気のなさ、失敗から学ぶ』★『 トップリーダの心得「戦争だけに勇気が必要なのではない。平和(戦争を止める)のために戦うことこそ真の勇者である」(ケネディー)』
2012/09/05 日本リーダーパワー史(311)記事再録 &n …
-
知的巨人たちの百歳学(137)『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシンボルー歌手・淡谷のり子(92)、最後の長岡瞽女・小林ハル(105)
知的巨人たちの百歳学(137) 『一億総活躍社会』『超高齢社会日本』のシン …
-
百歳学入門(232)-東京で歩いて百歳めざす<健康長寿階段>ナンバーワンはここじゃよ?ー(答)地下鉄永田町駅です
百歳生涯現役実践入門ー東京の長寿「健康階段」ベストワンはここだよ。 http:/ …
-
『リーダーシップの日本近現代史』(165)記事再録/『安倍総理大臣の在任期間は11/20日で通算2887日で憲政史上最長となったが、『ガラパゴスジャパン(日本システムの後進性)』の改革は未だ手つかずだ』★『150年かわらぬ日本の弱力内閣制度の矛盾』を警告した日本議会政治の父・尾崎咢堂のリーダーシップとは何かを読む』
2012/03/16 日本リーダー …
-
世界、日本メルトダウン(1018)-『トランプの政策顧問で対中強硬派と言われるピーター・ナヴァロ氏の「米中もし戦わば」(副題「戦争の地政学」を読む」●「米中戦争が起きる確率は「非常に高い」*「中華思想」のエスノセントイズム(自民族優先主義)、日中パーセプションギャップ(認識ギャップ)、コミュニケーションギャップ、歴史認識ギャップから対立がエスカレート、戦争が始まる」
世界、日本メルトダウン(1018) トランプの政策顧問で対中強硬派 …
-
日露300年戦争(2)-『徳川時代の日露関係 /日露交渉の発端の真相』★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した⑵』
★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した⑵』 その侵攻ぶりを、当時の長崎奉 …
-
『リーダーシップの世界日本近現代史』(292 )★『鈴木大拙は1945年『日本亡国の3つの『日本病』を上げた。そして、約70年後、大拙師のいう『日本病』を克服できなかったために、 3/11原発事故を引き起こし、日本は再び沈没中である。
2012/06/19 日本リーダー …
-
日本リーダーパワー史(671) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(53) 「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50) の急死とその影響➁ー田村 怡与造が後継するが、日露戦開戦4ヵ月前にこれまた過労死する。
日本リーダーパワー史(671) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(53) …