ジョーク日本史(6)西郷隆盛の弟・西郷従道②ー兄以上の超大物 で 『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」の面白エピソード、機智、ユーモア
2018/02/24
ジョーク日本史(6)
西郷隆盛の弟・西郷従道は兄以上の超大物
『バカなのか、利口なのか』『なんでもござれ大臣」
の面白エピソード、機智、ユーモア
前坂 俊之(ジャーナリスト)
① 着替えのない参議閣下・西郷隆盛
「西郷が三千坪の大宅地を買ったらしい」―隆盛の質素な生活ぶりを知っている人々は驚いた。そして江戸・小網町の宅地に建設が始まった。
「無理もなか。大将となり、参議となったいまの身分じゃ、相当の家は必要じゃろ」と、みんなも期待しながら見守った。
ところが出来上がった家屋は人々が予期した大邸宅ではなく、何ともみすぼらしい十数棟のバラック長屋のみ。その長屋は薩摩(鹿児島)出身の後進でたちまち満員となり、しかもすべて無料であった。西郷自身も、弟の慎悟(従道)とともに、その一軒の六畳と三畳きりの家に住んでいたのだ。
これを知った旧藩主の島津久光が早速、西郷を招いて「そちも、むかしの軽輩、吉之助ではない。陸軍大将近衛都督兼参議、西郷隆盛となったからは、身分相応の邸宅に住まねばなるまい。幸い、わしの邸は不用になった故、そちに遣わす」といった。
西郷は「お言葉は恭(かたじけ)なく存じますが、ただ今の長屋でも雨露はしのげます。大将、参議になりましても、吉之助は吉之助、ご辞退申し上げます」と断わってしまった。
足軽小者から成り上がった大官連中が、急に贅沢になったのを、西郷は身をもってい戒めたのである。右大臣の岩倉具視も、久光からこのことを聞いて忠告した。
「おいどんの国の家な、馬糞に包まれており申したので、それよりこの家のほうが、はるかに上等でごわす」西郷は、とりあわなかった。
また、ある時の太政官会議に、珍しく西郷が遅刻したことがあった。かれがいなくては議事が進行しないので迎えの使者が馬を走らせた。小網町の長屋にかれを訪ねると、折柄、真夏のことで障子を開け放しにしてあり、家のなかがまるみえ。
ふとみると、西郷閣下が、一人、座敷のまん中に、ふんどし一つで大あぐらをかいている。
「閣下、会議が始まりますのでお出ましを」
「ご苦労じゃった。今日は雑用の熊吉がおらんので、洗濯をしたところじゃ。もうすぐ乾くじやろうから、そうしたら出かけよう」
西郷は苦笑しながら庭のほうへ目をやった。二坪ばかりの庭に、白がすりの単衣(ひとえ)が、竿にかかって揺れていた。
またある時、参議たちの従僕の間で、
「西郷閣下はご倹約な方だそうだが、体格がりっぱだから食物だけは良いのだろうな」という話がでた。従僕・熊吉が、西郷の弁当包みをあけてみせると、大きな握り飯に、味噌がべタベタ塗りつけてあっただけだった。
② この兄にしてこの弟・西郷従道
陸軍少将に欠員が生じて、だれを任命すべきかが問題となった。当時陸軍大将は、西郷隆盛一人であったから、西郷の意見を聞いて決定することになり、大山巌が使者に立って西郷を訪ねた。
すると西郷は、「慎吾どんがようごわしょう」といった。慎吾(従道)は西郷の実弟である。
「しかし、慎吾どんな、あぎょさん(兄きん) の実弟ではごわはんか」
「実弟ならどうしたというか。おいは、陸軍少将に適任のものを推薦せよといわれれば、いまのところ慎吾のほかなかと思うとる。陸軍少将と、おいの弟とは、別のもんじゃごわはんか」といった。
人びとはそれを聞いて、西郷の私心なき公平に服し、ただちに従道を任命したが、はたせるかな評判がよく、のち海軍に転じて大将となり、海軍大臣としても内務大臣としても、りつばに職責を果たした。
かれは、人を用いることに長じ、山本権兵衛を見出し、カミソリ大臣といわれた陸奥宗光を外務大臣に引き上げた。
当時の政府は薩長か土佐人に限られていたので、藩閥外の陸奥を起用することを嫌い、入閣を拒む重臣が多かった。従道はそれを聞くと、俗論を一蹴した。
「二頭立ての馬車で市中を回らすれば、貫禄はつき申す。役に立つもんなら入閣させるがよか」
③ 都々逸で内閣を救った西郷従道
明治十七年(一八八四)、時の内閣は不統一をきたし各大臣の間に激論が交わされ、蜂の巣をつついたような有様になった。もはや総辞職より他になしと考えた首相三条実美は、北海道巡察中の内相西郷従道に打電し、至急、帰京して最後の調停に力を尽くしてくれと要請した。
しかし西郷は、せっかくここまでやってきたのに、いま帰ったのでは北海道に対する施策が遅れ、巡察が役にもたたなくなると反対した。かれは電報に「まとまるものならまとめておくれ、いやで別かれる仲じゃない」と書いて返電した。
さすがに謹厳な三条公も、これをみて吹きだした。やがて閣議中の各大臣に回覧すると、いずれも腹を抱えて大笑い、沸騰していた議論もお互いに譲りあって円満に解決してしまった。
『それにしても、あの木念仁(ぼくねんじん)の西郷が、どうしてあんな電報を打てたのだろう』
と閣僚の一人が西郷に聞くと、西郷はまじめな顔でこう答えた。
「三条さんの電報を受けとったのは、ちょうど宴会の最中で、たまたま芸者があの都々逸(どどいつ)をうたったので、それを書いたまでのことで・・」
愛嬌たっぷりで包容力の大きい西郷隆盛同様の大人物であった。
① 山本権兵衛が西郷従道に認められる
傲岸をもって知られた山本でも西郷従道侯には一目おいて居られたと云ふが、其内幕を覗くと中々面白いものがある。山本英輔はかって、
「西郷侯でもいなかったら.叔父も少佐か中佐位で終ったかも知れぬ、あんな悼馬はよほどな豪傑でたければ乗れぬからね…」
といはれた事がある。この悼馬が従道侯に知られ初めがなかなか振っている。
「閣下は新参、私は古参だ!」
と、これが伯のあいさつだった。
従道侯は初め陸軍に籍をおき中将時代を経て後、海軍卿の顕職に就かれた事は世間周知のところだが、私は曾て当時の事を伯に確かめた事がある、すると伯は次のように語られた。
「ソーね、西郷さんが陸軍から回って来られた時に、早速、我輩を呼ばれて、種々海軍に関する事を問はれたから一応は答へたが、何しろ海軍の一般を知るのに一日や二日で分るものじゃないから、
我輩が七ヶ月かかつて漸く書き上げた調査書があったので『これを御覧下されば大体判ります』とその調査書を提供した。すると二週間位経って再び呼ばれたから行って見ると、その書類を『モー済んだから』と云って返されたヨ。
我輩もイクラ従道侯でもそんな短時日で分るものかと思って『お判りなりましたか』と尋ねたら『判った』との返事だ、そこで我輩は開き直って大声一番……『閣下それは何事ですか!閣下は海軍においては新参者ではござらぬか、
然るに山本は海軍に生れ海軍に育ったのですから海軍においては私が古参です。その古参が七ケ月の日々を費ひやして調べた事を、一週間や二週間で判ったとはあまりにも無責任ないい分と思ひます』……ときめつけると、西郷サンは『ソンなら・今一度貸してもらおう。さらに拝見しょう』と素直に出られたヨ、
それからまた二週間もすると呼ばれたから行って見るとー前と同様この書類を返された。今度は『お読みになりましたか』と尋ねると『読みません』と云う返事じゃないか、之には我輩も驚いたね……そこで『それじゃ閣下はいくら読んでも判らぬから、一切 お前に任かすと云ふ意味ですか、
それなら話が分ります』と聞き返したところが、頭をかかれながら『その通り、その通り』と来たね、西郷サンはこうしたふうの底の知れぬ図太いところのある人だったヨ、そうなると信頼された者も中々責任が重くなるものだ。」
この時が2人の初対面ともいうべきだろうが、いう者もいう者だが任かす者も、また常人では出来ぬ芸当である。かくて両者が全く相信じ相和して今日の我無敵海軍の基礎をつくられたのだが、誠に汲めども尽きせぬ風格が偲ばれ、おくゆかしい限りではある。
② 西郷海相の奇智
何時の頃かはっきり記憶せぬが、何でも黒田内閣か、伊藤内閣の頃であったと聞くが、ある問題で閣議がすこぶるもめた事がある、其時後藤象次郎伯が偉らい剣幕で大議論をおっぱじめ、今にも山雨到らん形勢となって来たので、西郷海相はソツと、真っ赤になって脇目もふらず論じている後藤伯の背後に回りその椅子を後ろに引いて置いた。
それを知らぬ後藤大臣が議論終って座らんとして、見事スッテンコロリと倒れた。そのところを西郷海相はすかさす手を叩いてアー後藤サンが倒れたーーハハハハ
「これは仕舞った内閣が倒れた」-と大声で笑ひ出した。
するとどの計略を知らぬ閣僚は初めあっけに取られていたが、間もなく西郷海相の奇智と判って、一同ドット吹き出した。そのために今にも鉄拳が飛ぶかと思った後藤伯までも苦笑ひして、今までの緊迫した場面も一掃されたという逸話がある。
ところが、この従道侯の上を行く豪傑もいた。それは同じ鹿児島の人で明治の中頃まで滋賀癖知事をした故原敬氏の岳父に当たる極めて奇行の多い中江櫻洲翁であった。
この人と西郷さんとの間に面白い話がある。従道侯はあれでなかなかハイカラだったので、早くから西洋式のベッドを用いるており、それをだれ彼れにもしきりに勧めて居られたものだ。ある時、中江翁が
「君もベッドを造り給へ、寝心地もよいが、健康にもよい、芝の何某家具屋が上手に作るよ」
と言われたので中江は「アーソウカ……」と言ったままま、その家具屋に命じて造らせ、出来上がった代金の請求が来ると、家具屋に「それは西郷の宅に取りに行け、あれが造れと言ったのだから」との事なので、家具屋は西郷家に請求支払いを求めた。
ところが従道侯は中江翁に勧めたことなどすっかり忘れており、「変だな」と無論金は支払った。後になって「中江にしてやられた」と思いだしたという。昔の政治家はこうしたいたずらも平気だった。
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