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『Z世代のための憲政の神様・尾崎行雄(95歳)の「昭和国難・長寿逆転突破力」の研究』★『1942年、東條内閣の翼賛選挙に反対し「不敬罪」(売り家と唐様で書く三代目)で起訴』★『86歳で不屈の闘志で無罪の勝利、終戦後「憲政の神様」として復活、マスコミの寵児に』

   

2021/10/08オンライン決定的瞬間講座・日本興亡史」⑭』

★「売り家と唐様で書く三代目」で不敬罪で82歳で起訴される。

衆院議員と兼務していた東京市長時代の1912年(明治45)に、尾崎は「日米をかける友好の桜」として、米国ワシントンのポトマック河畔に桜を贈っている。

タフト米国務長官夫人からの「桜の木を贈ってほしい」と要望に応えたもの。日露戦争勝利での米国の多大な援助に対する感謝の気持ちもこめて、尾崎は3000本の桜を贈った。これがりっぱに成長し、毎年3、4月には「ホワイトピンク」美しい花が咲き誇り「さくらまつり」が開催されるにぎわいで、日米友好のシンボルとなっています。

 

 尾崎は「政は正なり」という言葉を愛し、一貫して良心と道理と正義にのっとった民主主義政治の実現を目ざしてきた。そのために尾崎は3つの「ふせん」「普選」(普通選挙運動)と「婦選」(婦人参政権)「不戦」(軍縮・平和)に政治生命をかけた。大正期では「普選」運動の先頭に立ってこれを実現。昭和に入って軍部ファシズムが高まってくると、軍縮を叫び、軍国主義に反対、不戦、平和主義、国際主義を主張してきた。

 齢(よわい)70歳を超えても、尾崎の気力は一向に衰えをみせず、軍部をきびしく批判し続けた。1932年(昭和7)の五・一五事件では僚友の犬養がテロに倒れた後は、ただ一人、体を張って、軍部ファシズムに抵抗したのです。

 

 1941年(昭和16)12月8日、日本軍は真珠湾を攻撃し、太平洋戦争が勃発した。翌年4月、東条内閣は翼賛選挙という名の下に官選選挙を強行したが、尾崎は真正面からこれに反対し、その中止を求める公開質問状を送った。東京日本橋から立候補した友人の田川大吉郎(尾崎の東京市長時代の助役)の応援演説で中で、「売り家と唐様(からよう)で書く三代目」という川柳を引用したことなどが、天皇に対する不敬罪に当たるとして起訴され、84歳で巣鴨刑務所に拘置されのです。

「売家と唐様で書く三代目」とは1890年の帝国憲法(旧憲法)で始まった立憲政治も半世紀たって三代目(孫の代)になるとその精神を踏みにじる翼賛選挙となり果てたという批判ではないかと、ひっかけられたのです。

  • 86歳で不屈の闘志で無罪を勝ちとった。

それでも三重県から立候補していた尾崎自身はかろうじて当選を果たしたが、引続き不敬罪の裁判にかかっていたため国会での発言は一切封じられた。この不敬事件は翌年の1審で懲役8ヵ月(執行猶予2年)の判決、大審院は44年6月に無罪判決を下しています。

86歳に達していた尾崎の不屈の闘志で裁判に立ち向かい無罪を勝ち取ったわけですが、その精神力、勇気、気力に対してはいまさらながら圧倒される思いです。尾崎自身はこの不屈の闘志のエネルギーは「マイナスをプラスかえるマインドコントロール(発想転換法)」おかげと話し、「この不敬罪が私の命を救った」とも述べている。

「議員としてはこれほど不運なことはないが、そのため私は生命を長らえた。もし、不敬罪で発言を封ぜられていなかったならば、私は議会で少しも遠慮せずに思うところを述べるから、軍部、右翼団体を刺激して、彼等がから暗殺されたかも知れない。ところが、不敬罪の嫌疑で議員としては精神的に殺されてしまった私のところへは、脅迫状も刺客は来なかった。私が今日まで生きていものは不敬罪の不幸に見舞われたためである。」

 

●「禍福(かふく)はあざなえる縄のごとし」

 

幸福と不幸はより合わせた縄のように交互にやってくるという意味。『苦は楽のタネ』『苦労を体験すると、その逆境を超えて幸福を得る』というたとえです、『難有(なんあり)』が転じて、『有難』(ありがたし)から「ありがとう」となったともいう。

尾崎の人生の節目節目にはこの「禍福」があり、尾崎はこの発想法(マイナス思考からプラス思考へ)で不屈の闘志と勇気に点火して「長寿晩年逆転突破力」を発揮していったのです。

 

その逆転人生をふりかえると、1897年(明治30)、「保安條例」により、東京退去処分となったのがきっかけで最初の西欧視察が出来たことで国際的な見識を養い、その後の初当選につながった。次に2度目の妻の死という不幸もまた幸福のタネとなった。1932年(昭和年)、4度日の外遊中に妻は英国で死亡、翌8年に尾崎は妻の遺骨を携へて帰国した。

当時は軍部ファシズムのテロが吹き荒れていた時代で尾崎の外遊中に犬養毅首相、井上準之助(日銀総裁)、団琢磨(三井財閥総帥)らが次々に暗殺され、尾崎も帰朝すれば当然、殺されるだろうと思っていた。尾崎も死を覚悟して「墓標に代へて」という遺書的な論文を用意して神戸港に帰国してきた。

ところが不思議にも尾崎は殺されなかった。神戸に上陸した時、旗を立てて脅かしにきた暴漢はあったが、殺しに来たものはなかった。欧州から亡妻の遺骨を携へて帰ってきた男への同情心があったのかもしれない。尾崎は妻の病死が自分の生命を長らえさしたと思っていると語っています。

  • 敗戦後、86歳で「憲政の神様」として復活、マスコミの寵児に

1945年(昭和20)8月、尾崎の予言通りの敗戦、そして亡国した。尾崎は86歳だったが、戦後は一躍「憲政の神様」「護憲の神様」として復活して、マスコミの寵児となった。「なぜ、日本は敗れたのか」についてはー3点を挙げている。

政治の貧困。立憲政治の運用を間違えたこと。「立憲政治は自らつむぎ、織り、ぬい上げた自前の着物ではなく、西洋の文明国からそっくり拝借した借着。頭のチョンマゲは切ってザンギリ頭にできても、精神のチョンマゲ切ることができなかった。

  • 日清・日露の両戦争に勝って、急に世界の一等国の仲間入りを果たしたとうぬぼれ有頂天になった。もう外国のお手本なんか学ぶ必要はない、日本の憲法は日本流に運用すればいいんだと過信した。

  • 憲法の真の意味を知らず、借り物の大日本憲法発布(1889年(明治22)を、絹布(けんぷ)の半被(ハッピ)をもらうことと感違いして大喜びした多くの日本人の封建思想、奴隷根性(チョンマゲ式忠孝仁義切腹)から脱皮できなかった。(尾崎著『民主政治読本』日本評論社 1947年刊)

終戦後初の議会では、第2次世界大戦の教訓を生かして「世界連邦論」をいち早く唱え、新憲法に盛り込まれた民主主義のルールには、尾崎の長年にわたる主張が取り入れられた。

 1950年(昭和25)5月、講和条約締結に向けて米世論の支持をもとめるグルー、キャッスルら新旧の米駐日大使らが集まった「日本問題審議会」から招待され、91歳の尾崎は渡米し40日にわたって米国に滞在し、各地で大歓迎を受けた。ニューヨークではグルーや湯川秀樹ら約250人が集まる歓迎会が開かれ、ここでも世界連邦論をぶって『ニューヨークタイムス』『ニューズウィーク』は尾崎を「日本の良心」とたたえられた。

 1953 年(昭和28)四月の総選挙では落選し、ついに94歳で議員生活にピリオドをうった。そして翌年10月、95歳で亡くなりましたが、世界から最も評価された日本の政治家だったのです。

  • 生来の虚弱体質が長寿の原因

尾崎は『私の長寿と健康について』の1文の中で『生来の虚弱体質が長寿の原因」と述べています。

 「私は生来、病身であった。小さい時から頭ががんがん痛み、皮膚にはヒキガエルのようにぶつぶつができて醜く、胃は弱くて少しかわったものを食べるとすぐ吐くという状態であった。「この子はとても育つまい」とよくいわれた。私はいつも病人として扱われていた。慶應義塾をやめて工学寮へ入ったときなどは2年余り病院で暮すという有様、ほとんど授業らしい授業を受けず、1年足らずで退学してしまった。

しかしこうして生来病身であったことが長命の原因である。私の古い友人や、知己は大抵死んでしまったが、彼らはみな私より丈夫だった。こうした丈夫なものが短命に終り、病者の私が今なお生きているのは不思議なようだが、これは少しも不思議ではない。つまり丈夫なものは大抵いろいろな無理をする。生来、病身であったため体に悪いと思うものはいつでも、やめられるくせがついているために、好きなタバコでもやめることもできる。病人として育った私には無理はしやうとしてもできない。規則的な生活をするからこそ生命を保てるのです」

  • 92歳の時の尾崎の日課は

尾崎は死ぬまで毎日毎日、規則正しい食事と世界のニュースに目を通して絶えず勉強しする生活を続けています。

1949年(昭和24)、92歳の時の生活ぶりを長女の佐々木清香さんはこう語っている。

  「太陽と共に起きるという習慣は、10年前も今も変りはない。冬は6時から6時半までの問に起床、7時頃朝食。ヤキモチの入った味噌汁1杯、野菜二品、タマゴ2個、トースト1片、チーズ少々。果物がすむと、入歯を洗って、長寿のお薬を1粒のんで最後にキャンデー2つお口に入れて食事が終る。

 朝食が終って、新聞が来るまでの1時間余りの間は、手紙を書いたり、何か手記したり黙想にふけっている。8時過ぎに新聞が来ると書生が読んであげる。朝日、毎日、読売の3種で2時間余りかかる。補聴器を用いて、聞く方もよむ人もなかなか骨の折れる仕事。まず社説から雑報、社会面まで、そのうち不必要なものは「よろしい」と大きな声でいう。

  • 新聞がすむと間もなく昼食になる

 「このごろは昼食は11時半、夕食は5時である。午前9時頃と午後2時すぎに、コーヒーか紅茶と、チーコレートを入れた牛乳1合(0,18リットル)をあげる。昼も夕も野菜2品(あるいは野菜汁、ソバガキ、ウドン、スイトンなど)の魚か肉1品、漬物と麦飯ごく少し。果物はみかんでも、りんごでも皮のまま食べる。みかんの上皮は大かたを食べ、のこりをしぼりまず目の上から顔、手という順序でこすりつける。眼の上につけてこするのである。顔や手はツルツルしてクリームの代用になる。残った上皮は布袋に入れて風呂に入れる。りんごの皮ではジャムを作る。少しも無駄にしない。

昭和2年頃までは、庭掃除か読書か散歩をしていた。白内障が進み、21年の秋頃からは、大きい字の漢詩の本はたまに見ておられるが、その他の読書はほとんど出来ないから、お客のない時は、午後も晩も習字を書いていた。

 

尾崎は「国事に関しての心配さえなければ、今が一番幸せと思う。もはや何の慾望もないし、一生貧乏で苦しんだが、この頃は借金もないし、食物なども方々からいろいろの物をもらうから、少しも不自由しない、ぜいたくすぎる位だ」と語った。

 - 人物研究, 健康長寿, 戦争報道

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