『オンライン講座/ウクライナ戦争と日露戦争の共通性の研究 ⑦』『日本・ロシア歴史復習問題』★「日清戦争後のロシアによる満州強奪』★『西欧列強のアジア植民地経営と米国の極東進出、ロシアのチベット問題の謀略』★『ボーア戦争と新疆ウイグル地区の関係』
2021/05/10日中ロシア北朝鮮150年戦争史(45)再録
前坂 俊之(ジャーナリスト)
以下は『現代大日本政治史 2巻』小島憲一郎、帝国教育研究会、1928年から引用した。
ロシアのチベット問題の謀略
義和団事件から、満州問題が遂に発展して日露の戦争を引起すこととなったが、その間、極東に利害をもつ欧洲列強は、果して如何なる関係に立っていたかというと、
この間、英国は既にボーア戦争が終結したので、その全力を極東に傾注するようになり、ロシアは他の列国よりも、一層、旗職を鮮明にして清国経営に怠りなく、東清鉄道は竣工して、旅順の築港に着手し、更に進んで大連の建市を設計し始めた。
ドイツも青島の築港工事を了へて、済南の鉄道を開通し、列国の対清経営は着々と進行して、均しく事実上の実現を見るに至った。
当時我国も台湾の統治がほぼ成ったので、徐ろに起って対岸の福建を領有してはと論ずるものもあったが、事は遂に行はれないで止み、唯列強の間に介立して門戸開放を叫ぶのみであったが、又、他の列強の内こも同じ意見の国もあったので、その勢は二つに分れ、一つは門戸開放に依って、列国の勢力の均等を主張し、ニは利益独占を主として勢力圏の拡張に勉めた。
この両者の間は自然と径庭して、大なる隔たりをもつやようになった。英国は北京会議の終ると間もなく、先づ清国の領土保全と門戸開放とを高唱して、英独協商を結び、日本も直ちにこれに賛同し、米国は北清事変以前から、此の説を主張して居ったので、又一つの故障-もなく、同一の議を唱へた。
けれどもロシアばかりは、満洲で独壇の地歩を占めて、少しも列国と歩調をともにすることなく、全く開放保全の圏外に立って、東三省の経営に腐心し、幾度も秘密条約を結ぼうとしたが、
第一に利害の影響を受ける我国は、黙認することが出来ないので、異議をさしはさみ、逐いには兵火に訴へても、彼の国に自由を与えまいとしたので、ロシアもその野心を一時断念して、その条約は撒回したが、尚を前に得た特権の実に力を尽し、時の至るを秘かにまって居るの有様であった。[中略]
米国の満洲に対する態度は、一に公平無私の見地から来たものであって、[中略]露国の満洲独占の形勢を見て、黙認することが出来ず、列国に先だって之を詰問した。当時、露国は之に答へたところによると、列国の利を無視しないと云ふことを以てしたが、その門戸開放に対しては意をかたむけることはなかった。
けれども近時、米国の勃興は、ロシアの常に畏怖して居る所であるから米国から詰問に逢ふては少しく顧みないと云ふわけには行かないので、遂ひに巳むなく清国と撤兵の条約を締結し、列国の抗議を避けようと図った。
けれども其間に在って、窃かに土匪(馬賊)の惹起を激成して、鉄路沿道に出没させ、之れに乗じて未だ秩序回復が出来ないからとの口実をまうけて、鉄道防衛に名を籍り、却って其兵員を増加し、益々列国の政策と背馳した。[中略]
ロシアは満洲に於ける特別の地位を永久的にするため、清国に迫って新条約に調印させようとしたが、日本のストップに因って敗れたのであるが、此の事たるや唯だ其の事実上は既に地位を保持して居るのであるから、徐々に奇計を弄して将来の談判に利益にしようと計画し、
新たに三十四年六月頃からは、チベットを近づけこれを占領しやうとする意向を示した。此れは何の為めにしたかといえば、其の目的とするところは二つであって、
第1には清国朝廷に満洲問題の解決を急がせるためであり、第2には日本とイギリスとを分離させやうとする為にした事柄であって、チベットは新疆に連なり、新疆はロシアの中央アジアから、北清に入る要路であるから、此の地の安定が清国朝廷の安否に関係することは、満洲よりもはるかに大切なものなのである。[中略]
英国が露国にチベットを占額される事について不安であるのは、若し新疆方面から支那の西北部に露国が入いりフランスが雲南鉄道で支那の西南部に入いり、双方相合する時は、英国はインド、ビルマから支那に入るの路を遮断されるばかりでなく、
他日、ロシアの印度を窺うとするのに対して、重大の便宜を与へる結果となるからであって、この事が一番英国人の、露国が此の連動をして居る事に対して、虚心平気で居られない所以なのである。
偶然にも、仏国外相デルカッセが、露国訪問から帰国した後、間もなく、雲南鉄道の契釣を議会に提出した事は、英国の疑心を一層深かくするものであった。
是に於て、英国政府は、寧ろ満洲に対するロシアの行動を左右するよりも、新疆経営に対しては、大に故障を申し込まなければならないという意を、「タイムス」を仲介として示し、露国が清国に要求しやうとする所を英国に開示し、胸襟を開いて利益交換の談判を為すべきであると促がさせた。[中略]英国が清洲に関しては、露国の特別地位をある程度まで是認する意味がある。
(引用文献『現代大日本政治史 2巻』小島憲一郎、帝国教育研究会、1928)
[用語]南阿戦争=ブール戦争、ボーア戦争。1899-1902。ケープ植民地イギリスとブール人のトランスヴァール共和国・オレンジ自由国との紛争。1902年5月31日、イギリスの勝利に終り、後の南アフリカ共和国の基盤ともなった。
/新疆 崑崙・アルタイ間一帯。天山北路のジュンガル部と、南路の回部を含む。乾隆時代に清に服属される。
関連記事
-
-
『オンライン/75年目の終戦記念日/講座⑦』★『新聞は昭和アジア/太平洋戦争(昭和15年戦争)をどう報道したのか』★『『戦争とジャーナリズム』ー前坂氏に聞く 図書新聞(2001,5,5)』
●『戦争とジャーナリズム』(図書新聞(2001、5,5)再録 &n …
-
-
130年に1度の三浦半島2大霊場大開張奉修(4/29) ー『浄楽寺』(横須賀市芦名)の運慶作の国宝『阿弥陀仏三尊』に感動す。(動画2本あり)』●『5月28日まで公開中、お宝拝観にでかけよう』
130年に1度の三浦半島2大霊場大開張奉修(4/29) ー浄楽寺の運慶作の国宝『 …
-
-
★『Z世代への遺言・日本ベストリーダーパワー史(3)ライオン宰相・浜口雄幸物語③』★『浜口雄幸内閣のロンドン海軍軍縮条約批准【1930年)に対して、海軍艦隊派が猛反対し統帥権干犯問題を起こし、軍部の政治介入を招き、 政党政治に終止符をうち、軍部専制を許す引き金となった』』
2015/12/17 『昭和史のキーワード …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(91)記事再録/★日韓歴史コミュニケーションギャップの研究ー『竹島問題をめぐる』韓国側の不法占拠の抗議資料』★『竹島は日本にいつ返る、寛大ぶってはナメられる』(日本週報1954/2/25)
2018/08/18/日韓歴史コミュニケー …
-
-
『日本世界史(グローバル異文化外交コミュ二ケーション』ー生麦事件、薩英戦争は英国議会でどう論議された③英「タイムズ」
『日本世界史(グローバル・異文化・外交コミュ二ケーション史)』 <日 …
-
-
知的巨人の百歳学(121)-「真珠王・御木本幸吉(96歳)の長寿、健康訓」★『エジソンは人工真珠の発明を世界一と高く評価した』★『70歳のころの生活からたとえば九十歳頃の朝食は・・』
日本リーダーパワー史(714) <記事再録>百歳学入門(69)2013年3 …
-
-
『5年前の記事を再録して、時代のスピード変化と分析ミスをチェックする』-『2018年「日本の死」を避ける道はあるのかー 日本興亡150年史』(3)<『2050年の世界」で日本は衰退国ワーストワン になるのか!>
★『2018年「日本の死」を避ける道はあるのか ー―日本興亡150年史』③― < …
-
-
日本リーダーパワー史(194)<国難を突破した吉田茂の宰相力、リーダーシップとは・・>「首相なんて大体バカな奴がやるもんですよ。
日本リーダーパワー史(194) <国難を突破した吉田茂の宰相力、リ …
