『リーダーシップの日本近現代史』(68)記事再録/ 日本の「戦略思想不在の歴史」⑶日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか③『現在の北朝鮮問題と同じケース、一国平和主義に閉じこもっていた鎌倉日本に対して世界大帝国『元』から朝貢(属国化)に来なければ武力攻撃して、日本を滅ぼすと恫喝してきた!、国難迫る!』
2019/10/01
日本の「戦略思想不在の歴史」⑶
日本で最初の対外戦争「元寇の役」の内幕
第4回目は1269年9月に捕えた対馬の島民の2人を返す目的で高麗人の使節がクビライの国書ではなく、モンゴル帝国の最高行政機関からの国書と高麗の国書を携えてやってきた。
国書はモンゴル帝国に服属(属国化)を要求する内容だったので、朝廷は拒否することを決定し、文書博士・菅原長成にその返書案を作成させた。
その文面は「日本は蒙古の号は聞いたことがない。また通交(国交)がないので、わが方なんら好悪の情はもってない。それなのに和親を図らなければ兵を用いんと考えているが、それは帝徳仁義の道ではない。
日本は天照皇大神より永く神国であり、平和国家である。知をもって競うべきにあらず、力をもって争うべきでもない。もし日本に対し失礼なことをすると神罰が当たるからよく考えなさい。」(日本防衛史43P)
というもの。
幕府は評定を開きこの「返書」を出さない方針を決めて朝廷に上奏した。朝廷もこれを了承し、使節は再び手ぶらで帰ることになった。
第5回目は1271年(文永8)9月に女真族https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A5%B3%E7%9C%9F%E6%97%8F&rlz=1C1CHVZ_jaJP525JP525&oq=%E5%A5%B3%E7%9C%9F%E6%97%8F&aqs=chrome..69i57j0l5.910j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8
の趙良弼が使者となりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E8%89%AF%E5%BC%BC
モンゴルの服属を求める国書をもって100人余りを連れて、高麗の各地に軍勢を集結、駐留させ戦争の準備をしながら博多湾に上陸、太宰府に到着した。しかし、日本側はさらに東上することを拒否した。
趙良弼は『国書の返事が11月末までに届かなければを武力行使も辞さないとした』と言明した。これに対し朝廷は菅原長成が作成していた返書の『太政官牒案』を改定して提出することで一旦はまとまった。
その後、返書の代わりとして、日本の使節がクビライのもとへと派遣されることになり、趙良弼はその日本使節とと共に引き上げた。
第6回目は翌1272年(文永9)4月か9月に趙良弼が再びやってきた。
三別抄(高麗王朝の軍事組織)やhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%88%A5%E6%8A%84
元に圧迫された日本に逃れてきた南宋禅僧らの妨害にあい、趙良弼らは大宰府より日本の国都(京都)に入ることができなかったため再び元に戻ってしまった。
彼はこれまでの日本滞在2度の経験からクビライに対して日本遠征の不可を進言した。
「日本人は狼勇で殺を嗜み、父子の親や上下の礼のあることを知らない。其地は山水多くして、耕桑の利なく、その人を得ても役すべからず、其地を得ても富を加えることはできない。
況んや舟師で海を渡るには、海風期なく禍害測り難い、いわばこれは有用の民力をもって、無窮の巨壑(きょが)(底の知れない深い谷)を埋めるようなものです。臣が思うに(日本を)討つことは不可である。」(日本防衛史45P)
と述べ、クビライはその言に従った。
しかし、翌1273年には元は南宋との5年間の戦争で勝利し、また朝鮮半島の三別抄も元に滅ぼしたので、いよいよ対日侵攻計画を決断したのである。

つづく
関連記事
-
-
「イタリア・ベネチアふらり、ぶらり散歩(2015/4/19-4/28)ベネチア観光をゴンドラで満喫した巻②」
2015/05/24   …
-
-
『Z世代のための日本風狂人列伝②』★『 日本一の天才バカボン・宮武外骨伝々②』★『予は時代の罪人なりは超オモロイ!で、マルチ作家、ジャーナリスト、風刺漫画雑誌発行者、明治期最大の百科事典派、パロディストだよ、ホント! 』
2009/07/12   …
-
-
『リモートワーク/ベストスポット』★『絶景富士山/ビューティフルスポット(2020/5/15pm17 )-逗子なぎさ橋珈琲テラスより見た太陽と富士山と江ノ島とキラキラ逗子湾のシンフォニー、ここが最高の海辺のカフェ
絶景富士山ビューティフルスポット(2020/5/15pm17 ) …
-
-
知的巨人の百歳学(150)ー『日本で最も聡明な女性・野上弥生子(99歳)の晩年の生き方』★『もし文学者たらんと欲せば、漫然として年をとるべからず、文学者として年をとるべし(夏目漱石)』★『今日は昨日、明日は今日よりより善く生き、最後の瞬間まで努力する』
日本で最も聡明な女性・野上弥生子(99歳)の晩年の生き方 野上弥生 …
-
-
「百歳・生き方・死に方-臨終学入門(118)酒で蘇生した「酒仙」横山大観(89)の「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)
「百歳・生き方・死に方-臨終学入門(118) 酒で蘇生した「酒仙」横山大観(89 …
-
-
130年に1度の三浦半島2大霊場大開張奉修(4/29) ー『浄楽寺』(横須賀市芦名)の運慶作の国宝『阿弥陀仏三尊』に感動す。(動画2本あり)』●『5月28日まで公開中、お宝拝観にでかけよう』
130年に1度の三浦半島2大霊場大開張奉修(4/29) ー浄楽寺の運慶作の国宝『 …
-
-
日本メルダウン脱出法(665)「歴史的機会逃す」など安倍首相の演説の韓中米メディアの報道」●「時代は「80日間世界一周」から80時間世界一周へ」など6本
日本メルダウン脱出法(665) 「歴史的機会逃す」「終戦70年のしるし」安倍 …
-
-
●(再録)日本リーダーパワー史(369)世界が尊敬した日本人・白洲次郎― ◎『グローバルリテラシー』を持った唯一の日本人 「戦後民主主義の基礎を作った男」
日本リーダーパワー史(369) 世界が尊敬した日本人・白洲次郎― ◎『グローバル …
