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知的巨人の百歳学(153)記事再録-『晩年の達人の渋沢栄一(91歳)③』★『別に特種の健康法はないが、いかなる不幸に会おうともそれが人生なのだと達観し、決して物事に屈托せざるが(くよくよしない)私の健康法です』

   

  百歳生涯現役入門(178)-『晩年の達人の渋沢栄一(91歳)③』

   

 百歳生涯現役入門(178)ー

『生涯現役/晩年の達人の渋沢栄一③』

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筆者は現在73歳である。70歳以降、特に日々、体力、気力、精神力の衰えを痛感する。そのため、じぶんより年上の人生の先輩、『晩年の達人』の健康法、食事、体力づくりには人一倍関心が強くなった。渋沢の70歳以降の活躍の源泉となった健康法、食事法は一体どのようなものだったのか、資料を探し、孫の渋沢華子氏の一文にそれをみつけた。

 渋沢栄一76歳の時、「実業の世界」(大正5年8月号)の『現代名士の養生ぶり』と題する健康法のアンケートに、筆まめな栄一本人が書いている。

質問は

  • ①平生実行している健康法
  • ②食物の中で何が一番嫌いか。
  • ③朝食はどんなものでご飯は何ばい食べるか。
  • ④昼食は。
  • ⑤夕食は。
  • ⑥お酒は飲むか、何酒が好きか、晩酌はどのくらい飲むか。

以上である。渋沢栄一の答は次の通りである。

  • ①『別に特種の健康法はしていないが、事物に屈托せざるのが(ある一つのことばかりが気にかかって他のことが手につかないこと。くよくよすること)が私の健康法です。

時に、家庭内の意の如くならないことがあり、会社、事業の損失などもありますが、かくの如きは不如意(思うままにならないこと。特に、家計が苦しいことは、それが人生なのだと達観し、如何なる不幸に会おうとも決して屈托せず、です。』

  • ②『甘味、脂肪分多い食物を好み、時に菓子をとり、夕食にはテンプラ、ウナギ、ケンチン汁を好んで食するも、又,イモ、ナスなどの野菜を好む。昨今は肉類よりも野菜類を好んでいる。』
  • ③『朝食はスープ皿の約三分の一ほどにオートミールにクリーム約一合(180ミリリットル)をかけ、砂糖を十分に加えて甘くしているものと、スープ一合、玉子の半熟2個、トースト2枚、紅茶、果物等とを食べる。
  • ④「正午は毎日、兜町事務所に出勤するを以て、昼食は第一銀行にて行員と共に食する場合多し。その際は洋食にして鳥、獣の肉一皿、魚肉一皿、麺麹等を摂取するが、果物はたべない。
  • ⑤「夕食は和食になることあり、洋食なることもあるが、洋食の場合は多く自ら進んで遊食のためにいくのではなく、殆ど毎夜何等かの会合あって招かれるため、日本食は常盤、新喜楽、瓢家等、洋食は帝国ホテル、築地及び上野精養軒、中央亭等にて会食す。」
  • ⑥「日本食の際は米飯三椀を食べるのが普通で、みそ汁もとる。酒類は全く飲まない。

 この回答を見ると、76歳の老人とは思えない活動ぶりと健啖ぶりである。しかし、この時代はもちろん農薬、防腐剤、添加物などはない、ほんとの自然食品だったし、空気汚染もなかったろうから、今より健康的な日常生活ができたわけであるーと渋沢華子は論評している。

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渋沢敬三の『渋沢栄一』の思い出を語った次のインタビューはたいへんおもしろい。渋沢の道徳資本主義と健康法についてこう語っている。

『渋沢敬三著作集』未収録の著作・対談 – 対談・インタビュー『渋沢栄一翁を偲ぶ / 渋沢敬三, 山崎種二 (対談)』

https://shibusawakeizo.jp/writing/others_01.html

渋沢

(渋沢敬三)「さあ……別にこれといって特にお話することもないと思いますが、私は孫ですから相当年を取ってからの祖父しか知らないのでして、元気時分の祖父のことは余り良く知らないのです。しかし祖父は良く飽きずに話をしていましたし、色々な折に触れて話は聞いておりますけれども本当に目で見たわけじゃないので…。

センチメンタルを排する

山崎

しかしお祖父様には一番可愛がられたのでございましょうな。

渋沢

いやその点は私の祖父は…、これは私自身が感心しているのですが、センチメンタルというものは全然なかった人ですね。孫だからどうだとか、やたらに溺愛するといったようなことは一つもない人でしてね。これは他でも余り話したことはないのですが、例えば祖父の死の直前のことですが、特別親交のあった佐々木勇之助さんにお逢せしようと思いましてね、もうその時は二人とも死ぬということは良く分っていたのですよ、

意識がなくなってから逢っても意味ないですからね。特に佐々木さん一人をお招きしてゆっくり話をさせたことがあります。互いに口では言いませんけれども、これが最後だということは分っているのです。

 

その時部屋には私と入沢博士と林さんの三人でしたが、二人でしきりと話しどういうものか手を握り合っておりました。決して涙が出るわけじゃなしにですね。

にこにこして話をしていましたが、そのうちに佐々木さんが「敬三さんのことは心配するな」とかいわれたのですが、祖父はいきなり「それはいけん。私の関係だからどう、というようなことは言っちゃいけない、あれはあれで突放して勝手にしておいてくれ」といっていましたが、私はこの点はむしろ非常に嬉しかったのです。

自分の身贔屓というようなことはなかった人でしてね。私はそれを気持よく傍でみておりました。一番根本に考えていたことはいわゆる道徳経済合一主義といってましたが、これを提唱したことは確かです。

また論語とソロバンというようなことを言っておったのですが、も一つ奥に考えておったのは本当の意味での民主主義だと思います。あの封建時代に長い人生を通して一番闘ったのは官尊民卑の打破でしたね。

山崎

 

長命の鍵は?

山崎

それから翁は非常に御長命でお亡なりになったのですが、特に健康法ということはやっておられたのですか。まあ、健康の素といえば労働、摂生、満足ですが。

渋沢

そういう意味で長生きしようというような考えを持ったことは一つもないようですね。一生懸命になってそういうことをしたということはないと思います。不摂生もしていたようですね。(笑)

山崎

もともとお身体が丈夫だったのですね。

渋沢

何故丈夫であったかというと芯がつよかったのですね、皆の意見を綜合すると、結局身体の内臓なり細胞なり一つ一つが丈夫でかつ調和が取れていたのだろうということで、だから強健だったのだろうということでした。ずい分大食いでしたが、酒は飲まなかったようです。若い時から飲めなかったらしい。食う方は食ったですね。

山崎

晩酌などもおやりにならなかったのですね。

渋沢

やりませんでしたね。

山崎

そこらに健康のもとがあったのですな。

渋沢

その代り食いました。あの日本橋にあった十天ですね、あすこの天ぷらなど取って一人前私が食うのですが、その間に一人前余計に食えるといったようなこともありましたね。八十過ぎてからはそれもなくなった、というより少くなりましたが。

山崎

浜町の“ときわ”はお気に入りのようでしたね。

渋沢

そうですね、祖父なんかは若い時にはいろんなことをしていたようですね。

山崎

あれが今の丸ノ内の“ときわ”ですか。

渋沢

そうですよ。“いちげ”なんかね、震災のときこっちに移ったのですよ。

山崎

喉頭癌になったのは五十五歳の時でしたか。

渋沢

六十(五十五)歳でしょう。皮膚癌をやったのです。明治二十七年ですか。あのエクボのように見えたやつが手術のあとです。あの時の医者は高木さん、橋本さん、執刀されたのはスクリッパーという人だったと思います。

麻酔をかけて切ったのですね。で、それが良くなっちゃったので癌じゃなかったのだろうという話もありましたのですが、矢張り癌だったらしい。その標本が慈恵会にあったようですが、震災でなくなったでしょうね。

 

そのため生きた標本として長い間癌研究会の副総裁をおつとめした原因です。亡くなってから長与又郎先生から私に次を頼まれたのですが、私は祖父が亡くなったからといって私がお受けすべき筋合ではない。というので ―― 何しろ祖父の関係したものがみなわあわあ言って来られたのでしょう。それはいかんと言ってね、お断りしたのですよ。それに関しては限定相続だ(笑)といってね。大学なんかからも来ましたね。相当のジジイになってやれるようになったらやりましょうと言ってね、みなお断りしました。

山崎

変ったお考えでございますね。名誉職の限定相続をなさったわけですね。

渋沢

私のおやじは六十一歳で肺癌で亡くなったのですよ。

山崎

子爵が亡くなったのは昭和六年ですね。

 

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いつまでも「若々しい」人はドコが違うのか

中曽根元首相に茂木健一郎氏が聞いた秘訣

http://toyokeizai.net/articles/-/176484

 

なぜ「定年後」の男性は悲惨なことになるのか

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 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

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