日本リーダーパワー史(760)―『北朝鮮の金正男暗殺事件がまた起きた』● 『北朝鮮』(旧李朝)の歴史は血で血を洗う権力闘争、粛清の歴史である』★『 日清戦争勃発は親日派の「朝鮮独立党」首領の金玉均暗殺が発火点となった』
日本リーダーパワー史(760)
北朝鮮の金正男暗殺事件がまた起きた。
『北朝鮮』(旧朝)の歴史は血で血を洗う権力闘争、粛清の歴史である。
日清戦争も『金玉均暗殺が発火点となった』
「美人工作員が毒針で暗殺」の報道は事実か—— 金正男氏殺害を実行したと思われる北の特殊部隊 http://tocana.jp/2017/02/post_12357.html
金正恩氏の異母兄、金正男氏殺害か マレーシアで女性2人に 複数の韓国メディアが報道http://www.sankei.com/world/news/170214/wor1702140052-n1.html
「親中派」の金正男氏殺害 中朝関係さらに悪化か
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20170214-00000108-yonh-kr
日清戦争の発火点の130年前の金玉均暗殺事件をふりかえる。
一八九四年(明治二七)三月二八日、日本に政治亡命中の金玉均が清国、朝鮮の謀略によって上海へと誘い出されて暗殺された。 金玉均は明治17年12月の甲申事変の失敗で、日本へ亡命、福沢宅に身を寄せ玄洋社の頭山満総帥や朝鮮独立党支持派、犬養毅らアジア主義者のひ護をうけて再起を期していた。
朝鮮国王、閔一派にとって、独立党の首領らが日本に亡命しているのは、まさに猛虎を野に放っているのに等しく、これ以上の危険はない。 翌18年1月10日、甲申事変後の日本との条約商議に際して朝鮮全権・金宏集(きん こうしゅう)は井上馨特派大使に対して、金玉均、朴泳孝らは逆賊なので引渡しを要求した。
これに対し、井上大使は日朝間は犯罪人引渡条約の締結がなく、金玉均、朴泳孝らは政治犯なので、国際法上、人道上の観点から拒絶した。その後、謝罪使兼全権大使・徐相雨が日本を訪れた際にも、再度、金らの引き渡し要求をしたが、井上外務卿は同じ理由で拒絶した。
このため、金玉均らの引渡しは絶望的とみて、朝鮮国王は従兄・李載元を囮にして金玉均を本国へつれ戻す謀略をめぐらせた。18年には宋乗畯(ソン・ビョンジュン)ら二人を日本に潜入させた。
しかし、この計画も失敗すると、今度は日本で金玉均を暗殺しょうと、翌19年5月、刺客・池蓮永を日本へ送り込んだが、これまた失敗する。 明治19年4月、日清間で天津条約が締結されたが、日本は朝鮮に対する積極政策を断念したため、朝鮮独立党が日本政府からの援助も再起も絶望的となった。
このため、同5月、朴泳孝、徐光範、徐載弼らはアメリカへ渡航し、金玉均だけが日本に一人残った。 その後、金の日本亡命は、日朝関係の大きなトゲと化し、日朝交渉の障害となったので、井上外務卿は金玉均を拘留して小笠原島や北海道に流罪人扱いで島流しにした。
それから約七年が過ぎた明治24年になって、金は日本政府から正式に拘束をとかれて、東京に舞い戻ってきた。
1892年(明治25)5月、朝鮮国王は再び金玉均と朴泳孝らの暗殺指令を出して刺客・李逸植を日本に潜入させた。 朴泳孝は拉致して大きな袋詰めにして、朝鮮に持ち帰る『金大中拉致事件」と同じ手口を仕掛けたが、朴に見破られて失敗した。
李逸植は金玉均へも接近し、金玉均は初めは警戒したが、そのうち付き合うよになった。李逸植は陰謀仲間の日本駐劉清国公使・李経芳(李鴻章の息子)に金玉均を紹介し、両者の付き合いもはじまった。
後任公使・江鳳藻とも親しくなり、明治26年9月ごろから、しばしば清国公使館に出入りする仲となった。 朝鮮国王は第2の刺客としてパリ帰りの洪鐘宇を送り込んだ。
洪は朝鮮国王から首尾よく目的をとげた際は外務大臣のポストを約束されていた。洪は神田の下宿に住んで、金玉均に接近を図った。洪は金玉均が困窮しているのに目をつけて多額の金を金に貢いで信用させた。
清国公使・汪鳳藻も公使館員を金玉均に接近させ、李径芳との間に密書のやりとりをさせていた。 明治27年初め、李径芳から金玉均へ「父李鴻章の力を借りて、あなたを再び朝鮮政府の要路につかせようと思う。必ず内政改革の志を達成させるので、一度上海まで出かけてきてほしい」との誘いの手紙を送られてきた
。 金は早速、玄洋社総帥の頭山満に相談した。頭山は言下に「そんな誘いは全く信用できない、絶対に止めろ」と反対した。犬養毅も岡本柳之助(大陸浪人、陸軍少佐、朝鮮宮内府兼軍部顧問)、金玉均を知る人たちは「これはワナだ」と口を揃えて上海行に反対した。
しかし、金玉均の意志は固く「虎穴にいらずんば虎児を得ず。私は、決してあの刺客の連中に殺されるような男ではないから心配するな。」と書生の日本人和田延次郎と洪鐘宇を護衛に付けて、清国公使館通訳呉保仁を連れて、3月23日、神戸港から西京丸に乗り込み、上海に向かった。
27日、上海に到着し、租界内にある日本旅館の『東和洋行』に投宿した。その翌日、洪鐘宇によってピストル3発を受けて金玉均は暗殺された。
金の遺体を清国軍艦で送り届けて、遺体をバラバラにして晒(さら)した。
事件発生と同時に上海工部局警察部は現場を臨検し捜査を始め、逃走していた洪鐘宇は翌29日未明に逮捕された。 この事件は共同租界内の日本旅館で発生したものだが、加害者、被害者ともに上海に駐在領事のいない朝鮮人であったため、上海警察はその処置に困り、江蘇海関道に報告し指揮を仰いだ。
海関道では駐劉朝鮮総理交渉通商事官・袁世凱に事件概要を打電すると、折り返し袁世凱から『洪鐘宇に適当な保護を与えるように』との返電が届いた。 暗殺された金の遺体は随行していた日本人の書生・和田延次郎が納棺して日本に送還するよう手続きしている最中に、清国官憲がきて、押収した。 朝鮮国王は31日に天津駐在督理通商事務・徐相喬に電命して、上海に急行して洪鐘宇の身柄と金玉均の遺体の引渡しを交渉するように命じた。
同時に北洋大臣・李鴻章にも援助を懇請した。李鴻章は朝鮮国王に対して「暗殺成功を祝す」との電報を打っていた。 徐相喬は4月6日上海に到着、海関道より洪鐘宇と金玉均の遺体を引渡され、清国軍艦『威靖』で護送し12日、仁川に到着した。
このとき、朝鮮在住の金玉均に同情した日本人居留民は憤激して、仁川上陸の妨害行為を行うとの不穏な噂が流れた。 日本国内でも、金玉均に同情して、清国、朝鮮の態度と政府の軟弱姿勢へ非難が高まり、金玉均の遺体の引取り連動が起きた。
尾崎行雄は門下生を遺体受取り委員として上海に派遣した。 岡本柳之助は大越上海領事に面会して、「各国領事の決議を以て、金玉均の死体に惨刑を加えぬよう希望する旨を清国・朝鮮両政府に通告してもらいたい」と要請した。
東京では、大井憲太郎らが外務省に対して、「金玉均は日本の法権の保護下にあった者なので、その遺体は日本に送還すべき国際法上のルールがある」と抗議した。
つづく
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