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 ジョーク日本史(3) 宮武外骨こそ日本最高のジョークの天才、パロディトだよ、 『 宮武外骨・予は時代の罪人なり(中)』は超オモロイで

      2016/05/26

 ジョーク日本史(3)

宮武外骨こそ日本最高のジョークの天才、パロディトだよ、

 『 宮武外骨・予は時代の罪人なり(中)』は超オモロイで

        前坂俊之(ジャーナリスト)

 

外骨のその後の反逆の運命をきめたのが一八八七年(明治二十)四月一日のエイプリルフールに発刊した雑誌『頓智協会雑誌』である。月二回の発行で、定価は一〇銭。人生で一番大切なのは「機に応じて働く知恵、すなわち頓智である」と考えて出版したもの。創刊号は四千部を売り切る大ヒットになった。

当時、雑誌で千部も売れれば大成功といわれた時代。一ケ月に二十円もあれば雇人二三人を使ってぜいたくな暮らしが出来たころに、二十一歳の若さの外骨に毎月二、三百円の思わぬ大金が転がり込んできた。すっかり調子に乗った外骨は妾(めかけ)を囲ったり、月に二十回以上の吉原通いをするなど遊興三昧にふけった。

一八八九年(明治二二)二月十一日、大日本帝国憲法が発布された。明治天皇が憲法を下賜する光景や、祝典の模様を描いた錦絵も売り出された。発布された憲法は主権在民や言論の自由など基本的人権が盛り込まれておらず自由民権論者らには不満だらけの内容だった。

この憲法発布式から約二週間後の二月二八日付け28号で「頓智(とんち)研発布式附研究」と題しパロディーを掲載した。

明治憲法の発布式で、明治天皇が一段と高い所に座って憲法を授ける式典の模様のパロディー化して、白骨のガイコツ(外骨)が頓智協会会員に頓智研法を授けているイラストと一緒に、「研法発布の芸語」の文と明治憲法の条文をもじって大日本帝国憲法を「大日本頓智研法」として掲載した。

 

「御名御璽」のかわりに「宮武外骨」の名前、憲法第一条の「大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」のかわりに、「大頓智協会ハ讃岐平民ノ外骨之ヲ統轄ス」と書き、続けて「天皇ハ神聖二シテ侵スヘカラス」(第3条)は「会主ハ尊重ニシテ侮ルべカラズ」といった具合。憲法の条文にそっくり対応させたパロディの「研法」の条文をダジャレのオンパレードに仕立てたもの。

フランス憲法を知っている中江兆民はこの帝国憲法をみて苦笑して、ポイと投げ捨てたといわれるが、外骨は帝国憲法に国民が頭を三拝九拝してまで、そんなに有難がるものなのか、とからかったのである。

これが「明治天皇をガイコツにたとえるとは何事ぞ!」

と三月七日に旧刑法一一七条(不敬罪)で、発行人の外骨と画工、署名,印刷人の三人が警視庁に逮捕された。

 

外骨はこの原稿は危ないと思ったので、事前に警視庁の検閲官の所に持  ち込み、チェックしてもらい「問題ない」ということなので掲載した。にもかかわらず逮捕されてしまった。

逮捕の直前に、その検閲官が来て「ワタシが許可したことだけは黙っててほしい。さもなければ免職になる」と泣きつかれたため外骨はその点は一切言わなかった。

 

裁判で外骨は不敬罪には当たらないとして、大審院まで争ったが、結局、同年十月二十五日、重禁錮三年、監視一年、罰金百円の有罪が確定した。この時、外骨は二三歳。

初めての筆禍事件で外骨は、石川島監獄に三年間服役することになった。もし、この事件がなければ、外骨はただの穏健で楽天的な風刺ジャーナリストで生涯終わったかもしれない。これ以来、外骨は藩閥官僚政治に対してうらみ骨髄となり、徹底的に攻撃し、これに少しでもつながる資本家、役人にも筆誅を加えて、容赦しない戦闘的なジャーナリストに生まれ変わった。

重禁錮刑で入獄した外骨は国事犯並みの特別待遇を受け、獄中で活版印刷の校正係をとなったが、転んでもただでは起きない外骨のこと、宗教雑誌の校正のかたわら密かに『鉄窓詞林』という詩集雑誌を発行するという広告を出して見つかり、製本工場に変えられた。

「監獄は精神修養の大道場、大学なり」として、外骨は獄中で哲学、心理学、思想書などを読み漁って、彼の思想、学問は一層深まっていった。落ち込むどころか、ますます意気軒昂の外骨は出獄後も、その好奇心と反骨ぶりを発揮して雑誌を出し続ける。

後年、獄中で「何をしていましたか」と聞かれた外骨は「せんずりばかりをやっていました。せんずりでもやらぬと体が保ちませんよ」とケムにまいたが、人一倍の精力を持て余した外骨はマスターベーションしているうちに、研究熱心からいろいろな方法をあみ出した。

 

転んでもタダでは起きない外骨流がここでも発揮され、出獄後に『千摺(せんずり)考』として出版し、大評判となった。「ざこね千摺」「尻堀り千摺」「コンニャク千摺り」など四十八手を考え出して、千摺百科を紹介した。

『往来の千摺には二つあり。その一つは、途中であった女の美しさに淫心を起こして、ひそかにへのこ(ペニス)をかきて、独楽を試みる。また一つは道路の雪隠(トイレ)などに入り、往来をのぞき、通りかかる女の姿に目をとめて、千摺をかくのがコツなり』『女のあとをつけ、二,三町従いゆき、右の手を懐中に入れ、得手もの(ペニス)をひねくべし・・・、先のべっぴんの後姿を見ることゆえ、得てのもの造作なく、気をもちおーやけいづ(勃起してくる)』

『かくしてようよう気のいきそうな気分にならば,凡そにぎり××(ペニス)にて、早速に先に出かけて小便するふりにて立ちどまり、首を横へむけてその女の顔かたち、とりわけ股ぐらの窪みへ目をうつし、スカリ、スカリとかくべし』

「スカリ、スカリ」に千摺りの何とも気分がよく出ていておもしろいね。

さて、この「頓智研法」事件にはおまけがある。

この時の法制局長官だった井上毅は新聞条例や讒謗律などで新聞を弾圧した張本人だが「検察官、警察官の弊害」と題して伊藤博文へあてた意見書の中で、「謂ハレナキ獄ヲ起シ、到底政府ノ信用ヲ隋スヨリ、他アラザルノ結果ヲ生ズ」つまり、「無智、無責任の記者がその言論を世に吐露するも、実際の治安上恐るべきものでないにもかかわらず、取り調べる役人がおおげさに受け取り無実のものを獄につなぐが多い」として、冤罪の具体例としてこの事件を取り上げている文書があることが、昭和九年になって判明した。

外骨の同志の尾佐竹猛(大審院判事)がみつけたものだが、事件から何と四十五年後のことである。外骨はすでに六十八歳になっていたが、早速、「外骨筆禍雪冤祝賀会」が開催され、尾佐竹猛(大審院判事)、伊藤痴遊(講談師)、今村力三郎(弁護士)、白柳秀湖(作家)、穂積重遠(法律家)らそうそうたるメンバーが集まって外骨を祝った。

一九〇一年(明治三十四)、外骨は三十四歳で『滑稽新聞』(月二回発行、A四判二十頁)を大阪で創刊した。この雑誌は最盛期には約八万部にもなり、外骨が発行した雑誌の中ではもっとも成功した。油の乗り切った外骨は以後八年間この雑誌で縦横無尽のペンと独創的な表現スタイルで戦った。

東京よりも商業が発達していた当時の大阪は政治家、悪徳役人のたかり、汚職、商人のワイロ、誇大広告などが横行し、それをネタにユスリ、タカリをする悪徳新聞が数多く出ていた。「威武に屈せず富貴に淫せずユスリ、ハッタリもせず」「癇癪(カンシャク)を経とし色気を緯とす」を編集方針にした外骨は水を得た魚のように次々にヤリ玉にあげていった。

私服を肥やす政治家、インチキ売薬事件、警察警視の収賄容疑事件、西警察署のユスリ刑事、大阪府知事や僧侶の堕落、詐欺広告主、裁判所、検事局の不公平の告発など、誰であろうと情け容赦はしない告発するジャーナリズムの典型だった。

「滑稽新聞』のすごさは、今の新聞のように活字や写真だけの客観報道ではなく、外骨の独断と偏見と正義感からの、あらゆる表現手段を駆使した奇想天外な告発、風刺ぶりである。

その表現方法の斬新さ、奇抜さ、ユニークさは、今の雑誌や新聞の水準をはるかに越えている。現物を見てもらうのが一番手っ取り早いが、告発相手の似顔絵を思い切り卑小化したり滑稽化して、パロディーにして笑いものにしからかい罵倒する。見出しで特別な大活字で紙面いっぱいに「ユスリ」とやったり。

そうかと思うと漫画、イラスト、図表はもちろん、江戸時代からのイロハかるた,洒落やダジャレ、比喩、隠喩、パロディー、ことわざ、諷刺、批評、からかい、おちょくり、冷やかし、罵倒などのあらゆる言葉の遊びを動員して風刺する。

同時に、活字が訴える視覚効果とか、タイポグラフィと呼ぶ活字や版の組み方、鮮やかな色彩の表紙絵など、デザインや編集技術などあらゆる表現手段で雑誌全体が、独創的かつ、ユニークであり、今見ても決して色あせていない。抱腹絶倒、見ても読んでも思わずゲラゲラ笑い出す面白いこと請け合いである。

風俗壊乱の判決文をそのまま掲題して逆に告発したり、告訴されればその経過をまた執拗に紙上で書くので、告発された側はたまったものではない。

初代の総理大臣で明治期の最高権力者である伊藤博文は稀代の女好きで、毎晩、芸者と枕をともにしていた。宮武はではこの伊藤の女癖について「風俗壊乱物語」として告発キャンペーンを行った。『伊藤候の美人観』(第10号)は発禁になり風俗壊乱で発禁になったが、伊藤の好色漢ぶりを告発するキャンペーンを続けていく。

宮武の弾圧に対するしっぺ返しであった。

 

「伊藤候の美人難」(第十二号、明治三十四年八月二十日付)では「岡山への旅行中、芸者を旅館に一泊させその芸者が取り調べられ裁判沙汰になった」ことを告発、「伊藤候の美人怨」(13号、9月10日付)では「神戸の一夜妻で捨てられた光菊がこの助平爺、動物園のヒヒオヤジとうらみ、ツラミを並べたりもの、「伊藤侯の骨相」(14号、34年9月25日付)では「伊藤の脳内で異常に発達しているのは枕骨で美人を見ればよだれをたらし、助平根性、好色を司る部分である。伊藤の眼底にはいつも美人の映像が大きく写っているのである」として、伊藤のマンガを添えている。

 

「伊藤侯の夢想」(15号、10月14日付)では「各地の一夜妻となった芸者の思いを勝手に想像しながら書いて、「乃公(オレ)は女には淡白で忘れっぽい方だが、世間は濃情という。妻梅子の方がよほど嫉妬深い・・」と書いたり「伊藤候の没後」(17号、11月五日付)では、伊藤が亡くなった場合の家庭、政治、外交、新聞などへのはね返りの予想記事を載せ「梅子は浮気者のジジいが亡くなってヤレヤレ、新聞界では軟派記者にとってこの艶聞の多い上得意に死なれれば当惑するのみ」とからかったり、あの手この手で追究した。

 

また、第12号では「『人間死すべき時に死せざれば、死するに勝る恥じあり』としてコテンパンにかいている。伊藤博文は「生きていれば梅毒なぞにとりつかれて鼻の障子を台なしにされてしまう」、板垣退助は「自由は死んでも板垣はしせず、老いての今日社会問題とか何とかいうて、生き恥をさらしまわることこそ憐れなれ、岐阜で刺殺された方が当人のため」、山県有朋は「毒にもならず薬にもならぬ人間ゆえ、何時死んでも差しつかえなし。何ならもう百年も生かしておこうか」とケチョンケチョン。

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

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