前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

●(再録)日本リーダーパワー史(369)世界が尊敬した日本人・白洲次郎― ◎『グローバルリテラシー』を持った唯一の日本人 「戦後民主主義の基礎を作った男」

      2016/02/03

日本リーダーパワー史(369)
世界が尊敬した日本人・白洲次郎―
◎『グローバルリテラシー』を持った唯一の日本人
戦後民主主義の基礎を作った男
 前坂俊之(ジャーナリスト)
白洲次郎は飛びきり異色の日本人で、サムライとジョンブルとの混血である。
『日本人には哲学がない』と喝破したのは中江兆民だが、『プリンシプル』(原理・哲学)を持った稀有の日本人としてもっとも困難な敗戦・占領期に吉田茂首相の片腕として歴史の表舞台で活躍し、GHQ(連合国総司令部)と対決して一歩も引かぬタフネゴシエイター(手ごわい交渉人)ぶりを発揮した。

戦後民主主義の基礎を作った男であり、昭和史の影武者といってよい。

白洲は兵庫県芦屋の超金持ちのボンボンに生まれたが、

1919年(大正8)、17歳の時に英国ケンブリッジ大学のクレア・カレッジ・スクール
(全寮制)にただ1人の東洋人として入学し、以後9年間にわたって
英国貴族、英国紳士のタマゴたちと寝食をともにした。

ここで徹底して英国紳士道(カントリージェントルマン)を叩き込まれた。

白洲は見かけは日本人、それも身長180センチの長身のハンサムで英国人
をしのぐ日本人だが、中身はすっかり英国流に鍛え上げられたのである。

英国人からみても彼の英語はちょっと古いが完璧なキングスイングリッシュだったという。

この英語力と世界、日本を客観視するグローバルリテラシーを養って昭和3年に帰国する。以後、日本で英字新聞記者、貿易業などに従事しながら、日本には年の半分もいない生活をするが、国内では坂道を転がるように軍国主義が吹き荒れ、反英米主義が高まってくる中で、本人はさぞかし窮屈な思いをしたに違いない。
昭和15年、白洲は日米戦争になれば日本は必ず敗れる、東京は空襲によって灰燼に帰して、食糧難になると見通して、さっさと町田市鶴川町の田舎に引っ込んだ。『グローバルリヒテラシ―』から当然の結論だった。
以後、理想としていた「英国田舎紳士」(カントリーゼントルマン)となって、米、野菜づくりに励んだ。
案の定 昭和20年8月、敗戦。旧知の当時の外相・吉田茂から乞われて終戦連絡事務局参与となり、GHQとの交渉にあたった。戦争はゲームである。勝つこともあれば負けることもある。負けても卑屈になることはない。相手がだれであろうと、理不尽な要求に対しては断固戦い主張する、というのが英国流であり、また白州の信念でもあった。
その対外コミュニケーション、異文化コミュニケーション能力の差は次のように表れる。
① ただ外国に行ったというだけではプラスではない。国を一歩も出たことのない井の中の蛙よりはましであるというだけで、下である。
② 外国語ができてもまだ中である。コミュニケーションの文字通り、日本人、外国人の中に入っても翻訳の、仲介の業務を行っているだけである、下よりは中である。
③ 外国の言葉、外国人と付き合うことによってからその精神、哲学、思考の源を理解してこそ上である。さらにその言葉の深い意味を理解し、論理をもって相手と対話、交渉して、有利な状況を勝ち取ることができるのがそれこそ上である。
④ 白洲はこのタフネゴシエイターであり、GHQからも恐れられた存在であった。
勝者のGHQと敗者の日本、昨日まで鬼畜米英を唱えていた日本人は一転、総ざんげし、英米に卑屈となり、浴び追従する。
その中で、唯一「従順ならざる2人の日本人」の吉田、白洲のコンビが交渉役となって、新憲法制定にも深くかかわった。日本側が提出した憲法草案は天皇の絶対性を残した明治憲法とさして変わりはなかった。
激怒したGHQは「天皇はシンボル」とし、議会制民主主義にする大胆な改革案を日本側に示し、「シンボル」を「天皇を象徴とする」と訳したのは白州であった。
コチコチの保守の吉田やその取り巻きの中で、白州はリベラルで英国の王室、議会民主主義を構想していた。天皇も戦争の責任をとって退位すべきであるとの考えを持っていた。白州はマッカーサーが天皇のお土産をぞんざいに扱った際に、怒りをあらわにして抗議して一歩も引かなかったが、日本側のへりくだった対応にももっと毅然とせよと外務省や、政府のメンバーをも絶えずしかりつけた。
その有名なエピソードが、1952年のサンフランシスコ講和条約締結の際の吉田の受諾の演説スピーチである。これは当初、米側と事前に文面を協議して「米に感謝、感謝」という内容のものになっており、しかも英文で書かれていた。これを見た白州は「日本は独立した、その式典で日本語ではなく英語でスピーチするとは何事か」と叱り飛ばして、急遽日本語で書き直させた。
 1985年11月83歳で亡くなる。遺言は、「葬式無用、戒名不用」のわずか二行だった。

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>

  関連記事

no image
<健康長寿の名言>『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(1870~1966、九十五歳)の養生法から学べ』

 『天才老人・禅の達人の鈴木大拙(1870~1966、九十五歳)から学 …

無題
★⑩日本リーダーパワー史(713)ー伊勢志摩サミットの陰の主人公・初代ベンチャービジネスの真珠王・御木本幸吉に学ぼう①ーエジソンは「『人工真珠』だけは 発明できなかった」と御木本を絶賛した>

日本リーダーパワー史(713) <記事再録>世界が尊敬した日本人(6) 初 …

no image
知的巨人たちの百歳学(125)『柔道の神様』三船 久蔵(81歳)の習慣ー『体を錆(さびる)させるな』『動くことがどんな人にも必要な健康の基本』

 知的巨人たちの百歳学(125) 『柔道の神様』-講道館師範、柔道十段  三船  …

no image
「長寿の秘けつはセンティナリアン(百歳人)に聞け」・ 前坂俊之県立大教授が出版「百歳人」の名言

                                  <静岡新聞  …

no image
日本リーダーパワー史(77) 『超高齢社会日本』のシンボル・107歳平櫛田中翁に学べー<その気魄と禅語>

日本リーダーパワー史(77) 『超高齢社会日本』のシンボル・107歳平櫛田中翁に …

1436973416614
『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(19)』「夏の京都をぶらり散歩-東本願寺・名勝「渉成園」など(7/12,13)

『MF・ワールド・カメラ・ウオッチ(19)』 「夏の京都をぶらり散歩-東本願寺・ …

222
鎌倉カヤック釣りバカ日記(2/21)初春の海、魚君,遊ぼう!和賀江島の海藻の森。今や5分の1に激減!

  鎌倉カヤック釣りバカ日記(2/21)ー初春の海、最高にいい気分、魚 …

no image
百歳学入門(184)ー「六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百から、百から」 平櫛田中(107歳)』★『人間は過去と他人は変えられないが、自分と未来は変えられる。老人は過去から、未来に生きるスイッチに切り換えなさいとの鈴木大拙師の教え』

 百歳学入門(184)  『六十、七十 はなたれ小僧、はなたれ娘、人間盛りは百か …

no image
『百歳学入門(231)-『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学入門』ー『平櫛田中の一喝!「六十、七十 はなたれ小僧、男盛り、女ざかりは百から、百から。いまやらねばいつできる、わしがやらねば、だれがやる。』

日本ジャーナリスト懇話会112号(2018年6月15日号) 『60,70歳から先 …

no image
知的巨人たちの百歳学(141)『一億総活躍社会』『超高齢/少子化日本』のキーマンー「育児学の神様」と呼ばれた小児科医 内藤寿七郎(101)「信頼をこめて頼めば、2歳児でも約束を守る。子どもをだます必要などありません」

『一億総活躍社会』『超高齢/少子化日本』のキーマンー 「育児学の神様」と呼ばれた …