『昭和天皇が田中義一首相を叱責した張作霖爆殺事件の真相』
2009年6月11日
昭和天皇が田中義一首相を叱責した張作霖爆殺事件の真相
前坂 俊之
1927年(昭和三)、中国を統一するための北伐中(北方の軍閥を倒す)の中国・国民革命党(蒋介石)と北京にいた張作霖の奉天軍の衝突が時間の問題となってきた。
田中義一首相は蒋介石から「(満州には)侵攻しない」との言質をとり、張作霖には北京を離れて、東三省(満州)に撤退し、再起を期すように働きかけた。田中は山海関(満州・北支の境界地帯)を境に北支を蒋介石、満州を張作霖に分割して共存させ、満蒙五鉄道の建設計画も張との間で契約したので、張作霖を温存、傀儡政権としてコントロールしながら、満州の権益拡大を構想していた。一方、関東軍も独自に満州軍事支配の戦略を練っており、張作霖の満州復帰は邪魔以外の何ものでもなかった。
国民革命軍との決戦を断念した張は六月四日早朝、北京を退去して特別編成の列車で満州に引き上げた。途中、奉天近郊の京奉線が満鉄線と交差する陸橋付近にさしかかった際、線路に仕掛けられていた火薬が爆発、列車ごと吹き飛ばされ八両目の貴賓室に乗っていた張作霖は重傷を負い、まもなく死亡した。犯行は関東軍高級参謀・河本大作大佐の指示で、爆薬は関東軍工兵隊から調達し、独立守備隊の東宮鉄男大尉が指揮して、橋脚に二五〇キロ黄色火薬を仕掛け、付近の小屋まで導火線を引いて電気スイッチで爆破していた。現場には便衣隊の犯行にみせかけるため、日本守備隊に殺された犯行計画をもった支那人二人の遺体があった。
関東軍は「国民革命軍の便衣隊による犯行」と発表した。河本は事前に土肥原賢二奉天省軍事顧問ら多くに知らせており、村岡長太郎関東軍司令官も独自に計画していたが、それを察知した河本が先行したとも言われている。
河本は爆殺後、奉天、吉林の治安もかく乱し、張作霖軍との戦闘を引き起こし、関東軍が出動して満州を一挙に制圧する計画だったが、陸軍中央部に抑制され、張軍は動かず、失敗に終わった。 事件の翌日の『大阪朝日新聞』(6月5日夕刊)は,1面トップに「南軍の便衣隊、張作霖氏の列車を爆破」の大見出しで早々に報道した。
○幼稚な謀略工作ー
また「事件前の3日夜,現場附近を怪しき支那人7,8人がおり、独立守備隊東宮大尉の部下が2人を刺殺して調べたところ,フトコロには一通の国民革命軍の印ある手紙があり、列車の時間が記されたことから、南軍の便衣隊の仕業と判明した」とも早々に犯人を特定していた。
この報道は、関東軍の発表によるものだが、わずか1日のちに厳重警戒中の現場に便衣隊が潜入して国民革命軍が持っていない強力な爆薬でどうして爆破が可能となったのか、すぐバレる「便衣隊犯人説」の幼稚な謀略工作であった。
同日夕刊の第一報を見た西園寺公望元老はすぐピーント来て、「どうも怪しい。日本の陸軍あたりが元凶ではあるまいか」と秘書の原田熊雄にもらしたという。
田中首相は全く知らなかった。まさか日本人が関係しているとは思っていなかった。小川平吉鉄相からの現場に残された便衣隊の遺体のデッチあげなどの謀略工作の詳細を知らせた瞬間、田中首相は「わが事終われり」と衝撃を受け、「河本の馬鹿野郎」!と大声でどなった、といわれる。
陸軍首脳部は6月末に河本を呼び寄せてきびしく尋問したが、河本は全面否定し、この謀略工作の一端を知っていた尋問側の荒木貞夫参謀本部作戦部長らは「河本は関係なし」として深入りせず追及を打ち切り、白川義則陸相も了承した。
10月8日、田中首相は満州に派遣していた憲兵司令官が調査結果の報告を聞き、河本大佐、東宮大尉等に質問した結果、爆殺、抜刀隊で斬りこみ独立守備隊による襲撃、という三段構えの暗殺の全貌を把握、「それじゃ、オラはだまされていたのか」-と田中首相は怒りと困惑に眉をひそめた。
早速、西園寺公望元老に事情を説明、西園寺は「日本の軍人であることがわかったら、断然処罰してこそ、かえって日本の陸軍の信用、国家の面目も保つことになる。一時は支那との感情が悪くなろうとも、国際的に信用を維持する所以である」(『西園寺公と政局1巻』)と即時の処断を迫り、「陛下にだけは早速申し上げておくように」と指示した。
田中は「御大典(同年11月6日)がすんだら何とかしましよう」と答えたが、その後、陸軍、閣僚内部からも事件の真相の公表は「国家の恥辱を自ら吐露すること、百害あった一利なし」と反対の声が強くなってきた。優柔不断の田中首相は迷った。
○天皇は「軍紀は厳重に維持するよう」と強くくぎを刺した
12月24日、参内した田中は天皇に「事件は遺憾ながら帝国軍人が関係しており目下鋭意調査中で、もし事実ならば法に照らして厳正たる処分を行い、詳細は調査終了しだい陸相より奉上します」(前掲『田中伝記』下巻)と述べたが、
これに対し天皇は「軍紀は厳重に維持するよう」と強くくぎを刺した。田中が退席後、天皇は鈴木侍従長に「張作霖がいかようなものであろうとも、現在は満州における東三省の支配者である。これに対して陸軍が手を下して暗殺するのはよろしくない」ともらした。数年前のヨーロッパ視察で国際感覚を身につけられた若き天皇は厳正、公正な判断力を示していたのである。
翌昭和4年1月から再開された第五十六回議会で,民政党がこの問題を追及し、中野正剛が「満州某重大事件」の公表を田中首相に厳しく迫った。
西園寺や天皇からは「まだか、まだか」と厳正処分をせかされており、一方、議会、政友会、閣僚の大半は結束して公表反対に回り、板挟みとなった田中首相はますます窮地に追い詰められた。
責任者を処罰し、軍法会議にかけるという田中の意向を伝えた陸軍中堅幹部はこぞって反対、「もし、軍法会議を開いて尋問されれば、河本は日本の謀略を全部暴露する」などと全組織あげて田中首相に抵抗した。処罰の法的な権限をもった白川陸相が最後になって田中支持から変身したのも痛かった。
現役中には長洲閥のトップとして陸軍を掌握していたが、予備役となって政界入りした田中の神通力はすでになくなっており、ここにきて力尽きた。軍法会議をあきらめ、「関東軍は爆破には無関係だが、警備に手落ちがあったので責任者を行政処分する」との陸相報告を了承する以外になくなった。
しかし、天皇にどう報告するか田中首相は悩みに悩んだ末に、事件発生後約1年たった6月27日にやっと事件の顛末について上奏した。
「いろいろ取調べましたけれども、日本の陸軍には幸にして犯人はないだろうということが判明しました。しかし、警備上の責任者の手落ちであった事実につきましては、これを行政処分をもって処分いたします」と上奏し、7月1日付で、関東軍司令官を予備役に、河本を停職などに発表した。
しかし、天皇の耳にはすでに河本大佐の暗殺計画のほぼ全貌が入っており、天皇自身も当然、軍法会議にかける統帥権の干犯、軍紀の弛緩という重大事件という認識であった。
○昭和天皇は叱責
前回の上奏では「犯人は厳重に処罰します」というのが、180度かわっており、「お前の最初にいったこととは違うじゃないか。田中総理のいうことはちっともわからぬ。再び聞くことは自分はいやだ」「(奥には入って鈴木侍従長に)田中総理の言ふことはちっとも判らぬ。再びきくことは自分は厭だ」(以上は原田『西園寺公と政局』第一巻)と叱責されたという。
この発言については、立会者がいないので天皇側近の日記では、それぞれニュアンスは違っている。
「田中が満洲事件につき上奏があったが、それは前とは変はっていると云ひたるに、誠に恐憾致しますと、二度程繰り返へし云ひ分けをせんとしたるにつき、その必要なしと打切りたるに、本件につては、そのままにして、他に及べりとの御仰せなり。」(牧野伸顕日記)
「陛下には首相の奏上に対し、何事も言はぬと仰せられ、かつ本件に付、陛下の御聞きになりたるかどは、今回奏上の分と相違あり、故に考ふるとの御趣旨を宣らせ給ひしが如し。(河井日記)
「陛下には今奏上したることはつとに奏上したる所と非常に異り居るにつき、これについては何もいはぬ、何れ此件についてはとくと考へるとの御詮にて、総理の弁解を御聴取にならなかった」(岡部長景日記)
以上の内容を、鈴木貫太郎侍従長は就任早々で、慣れていないため、天皇の言葉をそのまま田中首相に伝えたため、首相は涙を流し恐愕して、即座に辞意を決行して、田中内閣は倒れた。3日に総辞職した。
この事件の処理の誤りが昭和の軍国主義の幕を開くことになった。河本大作は関東軍、陸軍内で英雄視され、その後、第2、第3の河本が現れ、石原莞爾による満州事変を引き起こし、関東軍の暴走、軍部の暴走へと一層エスカレートさせていく発火点となったのである。
軍の下克上を抑えきれず、天皇の統帥権を無視した軍の暴走を断固阻止できなかったことが、シビリアンコントロールできなかった戦前の政治体制の矛盾がこの事件に集約されている。
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