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大阪地検特捜部の証拠改ざん事件参考・再録『冤罪でなぜ警察・検事・判事は処罰されないのか』

   

 
大阪地検特捜部の証拠改ざん事件を読み解くために
再録『冤罪でなぜ警察・検事・判事は処罰されないのか』(月刊『サーチ』19839月号掲載
 
 
「誤判は聖代の不祥事であり、天下の痛恨事」と述べたのは今から七十年前の大審院部長である。今、免田事件で「聖代の不祥事」が判明した時、司法当局はどう責任をとるのだろうか。国民は注目している。
 
前坂俊之(毎日新聞記者)
 
免田さんになぜ裁判所や検察・警察は謝罪できないのか
 
免田事件の再審判決でひそかに注目していた点があった。無罪判決以外にないことはわかっていたが、河上元康裁判長が判決文を朗読後に免田栄さんに何か一言いうだろうか、その点であった。
 死刑確定囚から三十四年ぶりに無罪になる世界の裁判史上にも残る歴史的な判決で、裁判長は何か国民にアピールしてほしい、と期待していたのである。何よりも想像を絶する苦しみをなめてきた免田さんにせめて、ねぎらいの言葉でもかけてくれればな、とはかない期待を寄せていた。しかし、閉廷後、免田さんが釈放された喜びと興奮ですべてが吹き飛んだ。誰れもそんな一言など期待もしていなかったようだし、その後も考えてもみようとしていない。私もいささか拍子抜けしてしまった。
 
 釈放までのいきさつをみると、検察側から弁護団に閉廷後、法廷で免田さんを釈放することが伝えられた。昼休みに、河上裁判長、弁護側、検察側が協議し、閉廷後訴訟関係者以外はすべて退廷させることに決めた。
 
 この一言のやりとりだけで、免田さんへは何の言葉もなかった。河上裁判長は疲労でそれどころでなかったらしもし、そのまま免田さんがみんなの前で釈放きれると多数の報道陣、傍聴者の間で大混乱が起きるのではないかと、心配されたのある。
 
 当初のスピードで判決文を朗読すれば、午後四時近くまでかかる。河上裁判長は午前十時から延々読み続けたため、午後には声がかれ、ところどころかすれはじめた。一部朗読を省略します、と弁護側、検察側に断り、結局同二時四十七分に朗読を終え、傍聴人、報道陣を一斉に退廷させた。
 検察側の釈放指揮があった後、河上裁判長は「免田さんは弁護団にお渡しします」といい、弁護団は「わかりました」と答えた。の死刑確定囚の無罪判決もあっけない幕切れとなった。
 もし、これが米国などであれば、裁判官はもっと被告の労苦をねぎらったであろうし、検事は握手を求めて無罪を祝福したであろう。
 米国の裁判官や検事の大らかで人間的な態度、フェアな姿勢は映画で何度かお目にかかった。
実際、すべてがこうではないであろうし、裁判制度の違うわが国と単純に比較することはできない。それにしても、もう少し何とかならないかと、歯がゆい思いであった。河上裁判長がそうだというわけではないが、一般的に言って、わが国の裁判官は官僚的で血が通っていないのではないだろうか。
 ある司法記者は「無理だよ。河上裁判長は年も若いし、もし、ねぎらいの言葉や謝罪などすると、裁判所内で浮き上がってしまう。判決文ですべてを語ったんだ」と語つた。
 
 白鳥決定以来、再審の門が広がり、何度も再審請求を続けていた事件が、次々に無罪になった。こうした無罪判決で、いつも足りない点があった。被告の側にとって、無罪判決が下ったとはいえ、喜べないものがあった。
 
 それは裁判所や検察、警察側の謝罪であり、おわびである。無罪であっても、決定的に不足しているのはこの点である。ごく当り前のことなのだがこの点が理解されていない。裁く側と裁かれる側のスレ違いをこれほど端的にあらわしている点はない。責任が追及されない限り冤罪や誤判はなくならない。
 
 もし、無実の人が誤って捕われ、死刑判決が下るとする。そして、何度か再審を請求して、やっと無罪になる。裁判上は確かに死刑から無罪に一八〇度変ったとはいえ、被告にとって無実の身が無罪と認められたという現状回復でしかない。当り前のことが何十年もたって認められた時は、その人の人生も家庭も経済基盤も名誉もあらゆることがメチャメチャに破壊され尽くした末である。こんな苛酷で、ひどい仕打ちがあろうか。「裁判は誤りでした。無罪です」という一片の判決文で片付けられる問題ではない。
 
 ところが、これまでの再審、誤判などでは謝罪はおろか、責任者の追及も不思議なことにまるでないのである。これでは、被告は踏んだりけったりの泣き寝入りだし、いつまでたっても冤罪や誤判はなくならない。責任が追及されないならば、真に反省するはずは
ないだろう。
 
 朝日、毎日、読売新聞など各紙の報道を読むと、どれも最大のスペースをさいてはいるものの、肝心の冤罪や誤判を引き起こした警察官、検事、裁判官の責任をきびしく追及したものは見当らなかった。
 
 ただ一つ毎日新聞の「新聞を読んで」の欄の村崎芙蓉子医師の一文がズバリとこの点を指摘していた。
 「私たち医師も『死』という取り返しのつかぬ事実の前で、誤診や医療ミスという問題では厳しくその責任が問われ、その処罰を受けている。では司法における誤審、誤判や裁判ミスの責任は今後一体だれがどのようなかたちで問われ、償いをつけるのだろうか。拷問による自白などというものは診断の基礎となる検査成績のねつ造と等しいもので、こんなことが〝近代国家なり″と誇っている我々の日本でまかり通っているなど到底信じられないのである。無実の人間に『自白は証拠の王』とばかり、裁判を誤審への一本道に何十年も引きずり込んだ直接の責任者が何の処罰も刑罰も受けぬというのは少々納得がいかぬ」 (7月18日付)
 
 もっともな発言である。生殺与奪の権力をふるう裁判官や検察官の誤ったメスは医師ほどにも責任を問われないとしたら、こんなおかしなことはあるまい。
 しかし、戦後、数多くの冤罪、誤判事件で被告が無罪になったとしても、その責任がきっちりと追及された事例はごく数えるほどしかない。
 逆に、無実を訴える被告に真剣にかかわった警察官、検察官、裁判官はどうだったであろうか。二俣事件での拷問を暴露した山崎兵八巡査が偽証罪で逮捕され、狂人扱いされ精神鑑定、が行われたことはよく知られている。検察官、裁判官でも同じである。
 
名判決を下した小林裁判長は吉田がんくつ王に深々と頭を下げた
 
 免田事件の無罪判淡を見ながら、私はちょうど今から二十年前の同じようなあるシーンを思い浮かべた。
 富田石松翁の日本がんくつ王事件の無罪判決の時の裁判官と検事である。裁判官はもちろん、この時に名判決を下した小林登一裁判長だが、検事は同事件を直接担当した検事ではない。安倍治夫検事。当時は法務総合研究所教官兼東京地検検事だった。
 安倍検事こそ、吉田翁を半世紀ぶりに無罪にした陰の主役であった。
 
 この裁判官と検事こそわが国での誤判や再審事件でそれぞれの立場から最も誠実に人権尊重に徹した人たちであった。
 再審や誤判がまだ認知されない冬の時代に、先駆的に行動した二人のその後の軌跡は再審の道がいかに険しいかを象徴している。
 小林裁判長は昭和三十八年二月二十八日、吉田翁に半世紀ぶりに無罪判決を下した。判決文の朗読がすんだ後、小林裁判長は顔をあげ、真正面から吉田翁を見つめて、ロを開いた。吉田翁へおわびしたのである。
 
 「当裁判所は被告人、否ここでは被告人というに忍ばず、吉田翁と呼ぼう。吾々の先輩が翁に対して冒した過誤をひたすら陳謝すると共に、実に半世紀の′久しきに亘り、よく、あらゆる迫害に堪え、自己の無実を叫び続けてきたその崇高なる態度、その不撓不屈の正に驚嘆すべき類なき精神力、生命力に対し深甚なる敬意を表しっつ、翁の余生に幸多からんことを祈念する次第である」。(傍点筆者)
 小林裁判長はやさしく慈愛にみちた言葉でこう富田翁に語りかけた。そして、小林裁判長、成田薫・斎藤寿両裁判官の三人そろって富田翁に深々と頭を下げて謝罪したのである。
 
 裁判官が被告に対しておわびしたのは日本の裁判史上、あとにも先にもこの一件しかない。
 他の再審事件でも同様である。誤った裁判によって無期懲役や死刑判決が下り、二十年も、三十年も、獄中で苦しんできた被告に対して、「申訳けなかった」とおわびすることは一般社会のことならば一番最初に行うべきことであろう。
 小林裁判長の態度は国民に熱い感動を与えた。
 
 ところが、小林裁判長はこの判決の翌年、さびしく裁判所を去った。定年まであと五年を残していた。小林裁判長はもちろん定年まで裁判官をまっとうしたいと思っていたが、突然、やめて公証人になったのである。
 なぜ、やめなければならなかったの。
 「スタンドプレーがひどすぎる。先輩の裁判官の誤判をわびるなど言わずもがなのこと……。これでは裁判官が悪者になるではないか……」
 小林裁判長の名セリフに対して、裁判所内部から陰に陽に風当たりが強かったという。本人は何も言わなかったが、居づらくなり、やめざるを得なかった、という。
 
 
検事が被告の無罪をはらした前代未聞のケース
 
もう一人の安倍検事の行動はもっと徹底していた。安倍検事ががんくつ王に出会ったのは全く偶然だった。
 
 昭和三十四年のこと。安倍検事が書類をかかえて法務省の正面玄関の階段を降りてきた。そこで吉田翁が守衛と押し問答をしていた。「大臣に会わしてくれ、会えなければここにクリこんで死ぬ」と吉田翁が血相をかえて、談判していた。安倍検事は頭のおかしいじいさんかと思いながらも、吉田翁を部屋につれていき話を聞いた。話は筋が通っており、嘘には思えなかった。
 
 隣部屋の鈴木寿一参事官に紹介し、吉田翁の話は本当らしいと今度は弁護士会に連れて行った。いわば事件の橋わたし役を務めたのである。日弁連が吉田翁の事件に正式に取組むようになったのはこの年の十月のことである。五度目の再審請求を出したあとも〝陰の作戦参謀″として安倍検事の協力ぶりはすごかった。
 
 錆びついて機能していなかった〝再審の門〃を少しでも広げるために「再審理由としての証拠の新規性と明白性」という論文を発表、援護射撃した。結局、この論文が再審開始決定の法的見解になった。
 検事が被告の無罪を晴らすために行動したというケースは前代未聞であった。吉田翁の無罪判決があった翌日、安倍検事は「よかったなあ、石松じいさん」という手記を読売新聞に寄せた。やさしくわかりやすい文章で吉田翁をたたえ、一方で歯に衣を着せず無実に
泣く被告を冷酷に追及する検察庁を痛烈に批判した。こういう調子である。
 
 「富田のじいさん、おめでとう。ムザイになって、ほんとうによかったね。きょうはぼくの一生のうちで二番ゆかいな日だ。ただしいものはキッとかつんだ。じいさんの足をひっぼって、しゃにむにムジツのつみにおとそうとした赤おに、青おにどもも、いまこそは思いしったろう。ムザイだからといっても、ゆだんはキンモツ、ケンジがわがジョウコクすることだってあるんだ」 (読売3月1日付)
 
 「法の威信は過去のあやまちにしがみつくことではなくて、すなおにそれを認めることによって高められるものだ。えらい人があやまちをすれば天下の人がそれに注目するが、いさざよくそのあやまちを認めるとき、人々のその人に対する尊敬の気持ちはいっそう高まるであろう。地検側が上告をするかどうかきめるときには、このことに思いいたしてほしいと田号」 (同)
 
 しどく当り前のことを言ってるようだが、これが現職の検事とあれば、この発言に驚かない人はいないであろう。
 「アカオニ、アオオニ」と担当した同僚検事を皮肉り、誤りをなかなかたださない往生際の悪い検察の態度をきびしく内部告発したのである。
 痛快きわまりない一文で安倍検事の勇気はたいしたものだが、メンツをつぶされた検察庁がおさまるはずはない。「生意気だ、組織を乱すものだ。検察官一体の原則に違反する。
イイかっこうしすぎる」等々とどうどうたる非難が検察庁内部からまき起こった。
 安倍検事の父親は友人が拷問を受けているのを見て、暴力を憎み独学で判事になったような人である。
 
不正を憎み、強い正義感に燃えた安倍検事は「検事の職務は世の中の悪人を取締まるとともに無実に泣く人を未然に防ぐことにある」を信念にしていた。
吉田翁の無罪判決がきっかけで再審問題は大きくクローズアップされた。国会でも再審制度の改正に取組んだ。衆議院法務委員会に再審制度調査小委員会が設けられた。
 同委員会では日弁連の富田事件特別委員長、円山田作弁護士と安倍検事の二人を参考人として意見を聞くことになった。
 ところが、同年三月十五日に出席の予定が法務省から横ヤリが入り、延期された。安倍検事はあくまでがんばり参考人として証言したのは三月二十二日である。
 
 安倍検事の意見陳述は論旨明快であった。それだけに検察、裁判所の痛いところにはズシリと響いた。
 
 「検察官は謙抑的でなければなりません。なかんずく、人間はあやまちを犯すものだということを素直に認めるだけの心のゆとりが検察官にもほしいのであります。近ごろの検察官の中には再審開始をおそれ憎み、たびたび再審開始が決定されましても、事件が古い
からだなどと見苦しい負け惜しみを言う向きもあるやに聞いておりますが、これは間違いでありまして、むしろ国民とともに再審開始を祝福する心のゆとりが望まれる」
 
 「わが国の再審制度は諸外国のそれに比べて特に著しく窮屈であるというわけではございません。現状のままでも相当な程度まで人権擁護の目的を達することができるのではないかと思います。問題はわが国の裁判官の平均的な教養と識見をもってして、果して運
用の妙を尽くすことができるかということであります。残念ながら、日本の裁判官のすべてが吉田事件の小林裁判長のような崇高なヒューマニズムの精神を身につけておられるとは限りません。法理論に詳しい秀才型の裁判官は多いが、涙とともにパンを味わったこ
とのある人間味豊かな裁判官は少ないのであります。それというのも裁判官の任用制度に根本的な欠陥があ.って、それが官僚型の裁判官をつくり出しているからであります」
 
 歯に衣を着せず痛い所をついた発言が一層波紋を呼んだ。ある検察幹部は「こんなのは忙しい現場にでもとばして苦労させた方がよい」とカンカンに怒った、という。
 同年六月一日付で安倍検事は函館地検へ異動になった。左遷されたのである。
 
安倍検事はその後、福岡地検に転勤になり、ここで検事事務官汚職事件や同地検のカラ出張事件をあばき、これが原因で四十二年一月、辞職に追い込まれた。
 安倍検事がマスコミに再び登場したのはユーザーユー妄ン事件である。安倍検事は自動車メーカーを恐かつしたとして、東京地検特捜部に逮捕され一、二審で有罪になった。事件の内容はともかくこの背景には〝検察の反逆児〃、安倍に対して根強い報復意識があったといわれる。
 
 この安倍検事は吉田事件が無罪になに、免田事件を撃くつ王事件と注目した。ペンネームで文芸春秋に「もう一人のがんくつ王、免田栄」というルポを発表、冤罪・誤判事件であることをいち早く世に訴えた。こうした行動がますますにらまれて左遷されたのである。
 
 確かに、安倍検事の行動が組織の一員としてどうか、という問題は残るにしても、被告や国民の立場からみる時、どちらの態度がより公正であるかはいうまでもないであろう。こうした閉鎖的で、誤りをたださず、批判に耳を傾けない検察裁判の態度が、たまりたまって今日のような再審、誤判のラッシュに逆境射したのである。

国に謝罪せよと国賠請求訴訟を寧1した加藤老長い長い再審裁判でやっと無罪判決をかちとっても「国の謝罪がなかった」という二見で再び裁判へともつれこむ。殺人事件で容疑者とされた弘前大教授夫人殺し事件の那須隆さん、米谷事件の米谷四郎さん、加藤事件の加藤新一さんと、再審で無罪になった三人はいずれも謝罪がなかったことを理由に国家賠償請求訴訟に踏み切った。

 
国に謝罪せよと国家賠償を起こした加藤翁
 
 がんくつ王事件と全くうり二つの加藤事件の加藤新一翁に広島高裁で無罪判決が下ったのは五十二年七月七日のことである。富田翁の半世紀の訴えより、さらに長い六十三年目の無罪。判決後の記者会見で、加藤老は周囲の喜びとはかわって、怒り、をぶちまけた。
 「判決内容には不満だ」と語り、吐き出すように言った。「私はウの毛のついたほども本件には関係していない。そのことが裁判官にはわかっていない。証拠がどうのこうのよりも、私は事件には全く関係していないのだ」
 無念やる方ない表情だった。
 
 「裁判官の謝罪の言葉がなかった」加藤老にとってやってない自分が無罪になるのは当り前のこと。無実なのに六十三年間も自分を無茶苦茶な目にあわせた裁判の誤りを認めて、さえしてくれれば気持はおさまった。
 ところが、その肝心の謝罪の言葉が聞かれなかった。加藤老は五十三年十二月に総額八千四百余万円の国家賠償請求訴訟を起こした。
 結局、裁判官の 〝おわび〃の一言がなかったことが訴訟につながったのである。生前、何度か加藤老を山口県豊浦郡豊田町の自宅に訪ねて取材したが、裁判官への不信は相当根強かった。
 「裁判官という人たちは 〝裁判官病〃という病気にかかっているんですよ。当り前の人間ではないですよ。裁判官の頭はコンクリートのようなものですよ。一度固まったらどうしようもありません」
 
 「裁判官が謝るのをこの目でみたい」と口ぐせのように話していた加藤老は五十五年四月、八十九歳で判決を聞くことなく亡くなった。それから三カ月後に「有罪判決を下した当時の裁判官に違法といえる大きな過失はなかった」とこの訴えはしりぞけられた。
 冤罪に落とし込まれた被告、死刑囚の烙印をおされた被告やその家族がどんな目にあうか。差別、村八分、離婚、失業、転居、自殺、一家離散等々……世の中のありとあらゆる不幸に集中的に襲われる。犯罪者が出ると家族はもちろん、親族まで被害が及ぶ、こ
の国の村構造の非近代的な体質はあまりかわっていないのである。
 
 過去の冤罪、誤判事件でも、被告やその家族がそのことが原因で自殺したり、早死したり、家庭が崩壊し、経済的に破たんしたケースは枚挙にいとまない。恐るべき人災なのである。
 
 那須隆さんの場合。昭和二十四年八月に逮捕され、十四年間服役した。出所後も殺人者の汚名がついてまわり、五十二年三月にやっと無罪になった。この間の逸失利益三千五百万円、冤罪、誤判によって損われた社会的生命、名誉などの精神的な慰謝料二千万円、裁判費用六百万円。このほか、裁判費用をねん出するために自宅の土地、1建物も売却した。少く見積ってもその財産的損害は八百五十万円寵相当する。
 
 家族も嫁ぎ先で親類づきあいを断たれたり、「人殺しの身内」という理由で就職できなかったり、勤め先の国立病院などを首になり、病院を転々とせざるを得なかったなど惨々な目にあった。「冤罪の汚名」は家族はもちろん、親族にもおよび、全員がひどい苦しみをなめたのである。
 こうした〃冤罪の被害〃の賠償を求めて、母親、弟妹ら計十人の家族全員への慰謝料も含め九千七百余万円の国家賠償を起こした。
 この家族ぐるみの請求に対して、五十六年四月、青森地裁弘前支部は検察官の過失を認めたものの、支払いを命じた額は全体のわずか一割の九百六十万円だけだった。裁判官の過失は「有罪と認定したことは自由心証の範囲を著しく逸脱していない」と認めず、家族の請求も一切認めなかった。
 
 理由は「家族が勤務先などで不利益や精神的苦痛をこうむったとしても、これは通常、起訴や有罪判決に必然的に伴うもので、那須さんの無罪が確定し、その精神的苦痛が慰謝されることで慰謝される範囲内と解すべきだ」(朝日56年4月27日付)と述べた、という。
 これを読むと、裁判には不利益や精神的な苦痛がいつも伴うものだから、無罪が出た.だけでも喜んで我慢しなさい、というわけだ。何と身勝手な理くつだろうか。一方は市民に代わって絶大な権力を行使する権利を付与された役人であり、国家の手厚い保護を受け
ている。一方は何の権力もない弱い立場の被告である。
 
 その役人のミスで、弱い立場の市民が裁判で誤って有罪になり、悲運のどん底につき落とされ、すべてを失い破壊されたとしても、裁判とはそんなものだ、と被告の置かれた苦しい状況をまともに見ようとしていないのである。担当の青木正芳弁護士はこうがい嘆した。
 「家族の請求も認めず、本人分も昔の基準のままで、身柄拘束の期間だけの計算。いったい裁判所は刑務所を出ればすぐ正義につけると患っているのでしょうか」 (朝日・前同)
 
裁判官は誤判の責任を取らないようになっている。
 
 ある弁護士は国家賠償について次のように語った。「冤罪や再審事件で無罪をかちとるのも難しいが、国家賠償はさらに難しいんですよ。無罪にしても証拠不十分といった形の灰色無罪が多いのも、捜査当局のメンツをつぶさないように配慮しているんです。国家賠償を認めて、警察、検察、裁判官の非を認めることに各裁判官とも消極的なので、それを弁護士が知っているために国家賠償の訴えそのものが少ないんです」
 
 再審の門と同様に〝狭き門〃といわれる国家賠償請求訴訟。過去の主要な冤罪事件で無罪判決後に国賠を訴えたものは松川事件、芦別事件、金森事件のはかは、弘前事件、米谷事件、加藤事件とほんのわずかしかない。八海事件その他の大弁護団のついた有名事件の場合でも「無罪をかちとるだけでも膨大なエネルギーと金銭がかかる。へトへトになって裁判で勝ち、さらに国賠を戦うとなると、それ以上の労力と資金が必要だ。みんなその気持はあっても泣き寝入りせざるを得ません」(前述の弁護士)といわれるように、国賠への道は至難なのである。
 
 国家賠償法の第一条は「公務員が職務を行うにあたって過失で他人に損害を与えたときは国や公共団体は賠償する責任がある」とされている。
 しかし、裁判で過失があったことが簡単に証明できるくらいならば、有罪になって何十年も再審を行うはずがない。過失をはっきりした形で認めさせることは至難なのである。しかも、裁判所も自らの誤ちを認めたがらないし、検察側も徹底して抵抗してくる。
 最高裁の判例でも「無罪が即違法とはならない。逮捕、拘置の時点で相当の理由と必要があれば適法」となっている。無実の被告にとって、無罪になり、その責任を認めさせるまでには二重三重のカベがある。実質上、誤判における裁判官の責任は問えない厚いカベが立ちはだかっているのである。
 
 警察官の責任の場合にも、例えば拷問や暴行を特別公務員暴行凌虐罪で告発してもなかなか認められlない。検察庁で不起訴になるケースがほとんどで、これに対して裁判所が直接調べる付審判はごくまれにしか開かれない。
 付審判請求は年間二、三百件にのぼるが審判に付されたのは昭和二十六年以降これまでにったの十二件しかない。再審の門同様に狭き門なので洩る。このうち有罪が確定したのは五件だけである。
 
 冤罪の原因である捜査官の拷問や暴行、検察官の誤起訴、裁判官の誤判などは制度上にはただすことが可能にはなっているものの、実質上の機能は停止状態にあるといって過言でない。付審判、再審、国家賠償法という制度はありながら、運用する側の裁判官、検察官の身内意識、自らの誤りを認めない独善主義によって制度は死んだままの状態にあった。再審についてはやっと論議は高まってきたが、その他の制度の運用でも被告の人権尊重に重きを置き、誤判の責任を十分反省する見直しの必要が出てきたといえるだろう。
 
続発する冤罪になぜ捜査当局は責任をとらぬのか
 
 ところで、司法当局は今回の問題をどのように受けとめているのだろうか。当初、身柄釈放問題であくまで拘束を続けると強い態度をとっていた検察当局は一転して免田さんを即時釈放した。
 事件の推移や世論の動向から、それまでの事件の推移や世論の動向から、それまでの強硬態度を修正した感が強いが、検察当局が再審や冤罪について心から反省しているか、というとそうでもない。
 
 参議院選の公示を前にした六月二日に法務省は検察長官会同を開いた。この中で秦野法相は再審事件や無罪判決の続発にふれ「こうした事態が痛くと捜査当局に対する国民の信頼は揺ぎかねない」と懸念を表明、安原検事総長も「検察として十分に反省を要する」
と述べた。
司法当局が冤罪や再審の被告に対して人権尊重の観点から、十分反省するという姿勢ならいいのだが、このコメントをよく読むと、相変らず一番気にしているのは司法の威信の低下であり、捜査当局への不信の高まりなのである。誤って死刑判決を受けたり、冤罪に泣いた被告に対する配慮はみられない。
 
 釈放後の記者会見で免田さんは「生意気かも知れませんが……司法の社会は古いんです。精神構造は外国より二世紀遅れています。裁判も雑だし、警察の被疑者扱いも雑です」 (読売7月16日付夕刊)と述べた。
 裁かれる側のこの痛烈な批判を司法当局の責任者たちはどう受けとめるのか。日本の司法は経済並みに世界の最先端をいっていますと、胸がはれるだろうか。
 
 確かに制度上は人権保障のワクが要所に張りめぐらされているが、問題はそれを運用する側の人権意識である。裁判官、検察官に血のかよったヒユーマニズムがない時、せっかくの制度もいかされない。
 
次の1文は大正三年六月二十日付の法律新聞に発表された横田秀雄・大審院部長の「刑事裁判と国民の信頼」である。横田部長はその後、現在の最高裁長官にあたる大審院院長になった人物である。横田は刑事裁判が国民から信頼されるためには、
 ①第一に誤判を避けること
 ②刑事訴訟の手続が公明正大に行われること。被告の利益に着目し、できる限り丁重に審理し充分弁護させる。予審判事や検事は被告に対して少しでも威嚇強迫を加える如き事があってはならぬ~などの点を強調して、次のように述べた。
 
 「我国現時の入牢者申、裁判の不当又は誤判の為、ジャンバルジャンに類した者はなかろうか。若し一人でもこれありとすれば国家刑政上由々しきことであるばかりでなく、斯の如き者に対してはうたた同情に堪へない。果して斯の如き現象は裁判官の誤判の結果
から出来たとしたならば、実に聖代の不祥事で天下の痛恨事である。

況んや誤判の結果死刑の宣告を受け如何に弁祖哀願するも聴き入れられず遂につきざる怨を呑んで刑に服する如くな者があったとしたならば今一層聖世の不祥事であって何人も之に対して賠償し慰撫することは出来ない、或る事は勿論、死刑以下には尚は多くあるだろう。されば、之を注意し研究して斯る事無からしめようとする事は即ち裁判の進歩改良を計る所以であって其威信、信頼を増保する所以である。返す返すも恐る可きは誤判である」

 
 今から、約七十年前のこの「又ほど一今回の事件にピッタリの言葉はないであろう。司法当局は横田院長のこの裏撃な態度をどう受けとめるであろうか。刑事訴訟法の人権規定がまだまだ足りなかった当時にも、運用する裁判官の人権意識では今以上の裁判官がい
たことを、冤罪や再審事件にたずさわった司法関係者は反省する必要があるだろう。

 - 現代史研究

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速報(203)『原発事故の確率がどれほど低かろうが、決して受け入れられない』冷戦終結以降の米一極支配こそ異例だった』

速報(203)『日本のメルトダウン』 『原発事故の確率がどれほど低かろうが、その …

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日中北朝鮮150年戦争史(1)『金玉均暗殺事件が日清戦争の発火点の1つ』朝鮮政府は日本亡命中の金玉均の暗殺指令を出していた①<金大中拉致事件(1973年)と全く同じ手口>

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