速報(149)『日本のメルトダウン』★<小出裕章情報>『 スリーマイル島のような融けた燃料の回収作業は絶対できない 』
速報(149)『日本のメルトダウン』
★<小出裕章情報>
『 スリーマイル島のような融けた燃料の回収作業は絶対できない 』●『小出裕章の講義&パネルディスカッション(シンポジウム「脱原発社会は可能だ!」』★『これから問題なのは落っこちてしまった炉心がどこにあるのか』
2011年9月25日
2011年9月25日(日)、テレビ朝日「サンデーフロントライン」に小出裕章氏がVTR出演されました。コメント欄でしんちゃんより頂いた情報を、掲載いたします。
録画
2011 9/25 サンデーフロントライン 〝反骨〟3人が語る。 1/2
2011 9/25 サンデーフロントライン 〝反骨〟3人が語る。 1/2
2011 9/25 サンデーフロントライン 〝反骨〟3人が語る。 2/2
内容文字おこし
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‘反骨の3人による明日への伝言 原発事故後の未来’
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‘反骨の3人による明日への伝言 原発事故後の未来’
「原発はいらない」
ナレーション: 京都大学原子炉実験所の小出さんの研究室は昼間でも薄暗い。節電のためエアコンや照明はほとんど使わないという。62歳の小出さんは37年間原子力の研究を続けてきた。しかし、現在の肩書は助教。昔でいう助手のままだ。
小出「原子力をやるとこんな危険がありますよ。こういう放射能の汚染を起こしますよ。だから一刻も早く原子力をやめるべきですよ・・と言い続けてきたわけですね。残念ながら事故は起きてしまったのですね。ですから私にとっては今年は自分がやってきた仕事が最終的に敗北したというそういう年です。」
ー小出氏が原子力に飛び込んだ1968年は日本の原子力の黎明期。小出氏も未来のエネルギーは原子力しかないと固く信じていた。ところが研究を始めてすぐ、ある重大な疑問にぶつかったという。
小出「今から思えば大変単純なのですが、原子力発電所というのは都会で引き受けることができない危険を抱えていると、過疎地に建てるしかないということで原子力というものは進んできたということに私が気がついた、というかそれを知ってしまったわけですね。そうなると、私としては到底認めることができないと思いましたので、180度私の人生はそこでひっくり返しました。」
ーこうして原発をなくすために研究を進めた小出氏には、同じ志を持つ5人の仲間がいた。彼らは「異端の研究者」と見なされ、それは研究費や昇進にも露骨にあらわれた。彼ら6人は原子炉実験所の所在地大阪府熊取町にちなみ、‘熊取6人組’と呼ばれるようになった。これは中国で起きた文化大革命の江青ら4人組になぞらえた呼び名だ。
小出「6人組と呼ばれた私達のグループにシンパシーを感じて一緒に行動しようとして来てくれた人も実は何人かいる」
(後輩とか?)「はい、いるんですけれども、私はその人を積極的に誘わなかったのですね。その、自分達のグループに入れと、えー、それはまあ言ってみればそういう後ろ指を指されるグループに入ってしまうと研究費が取れないとかですね、そういうことはある。まあ、あたりまえのことであるわけです。」
(後輩とか?)「はい、いるんですけれども、私はその人を積極的に誘わなかったのですね。その、自分達のグループに入れと、えー、それはまあ言ってみればそういう後ろ指を指されるグループに入ってしまうと研究費が取れないとかですね、そういうことはある。まあ、あたりまえのことであるわけです。」
ー原子力の危険性を訴え続けた37年。しかしその声は届かなかった。
小出「あまりにも力が足りなさすぎたんですね。まあ、マスコミの人もそうだけど、あのー、私達の言うことは何も取り上げてくれない、まあ、政府、電力会社、巨大企業の言うことを聞いてマスコミもずっと報道をしてきた。」
ー重大な事故が起きた今、全ての原発を止めるべきだと小出氏は全国を訴え歩いている。
小出(9月22日津田塾大講演)「私達日本人はだまされ続けてついに福島の事故も防ぐことができないで、今、変わり果てたこの場にいます。私もそうだし、皆さんもそうです。どうやってこれから生きていくかということを、特に若い学生の皆さんには十分考えてほしいと思っています。」
ー一方野田政権は、安全性の確保と地元の理解を前提に原発を再稼働させる方針だ。全ての原発停止は電力供給に支障をきたし日本経済が立ち行かないという意見が根強い。現在福島第一原発は循環注水システムが機能したことで、一号機の圧力容器の温度が100℃以下になるなど収束に向かっているとされる。しかし小出氏は本当の事故収束への道のりは険しいものだと指摘する。
「廃炉廃炉といわれていますが、いつごろできるんですか?」
小出「(笑い)できません。何十年か後ですね。」
ーアメリカで起きたスリーマイル島の事故では、炉心の半分が溶けて圧力容器の底に溜まった燃料を取り出すまでに11年もかかっている。一方、福島第一原発でも溶けた燃料は圧力容器の底に溜まった。ところが福島ではこの圧力容器も損傷し、溶けた燃料が格納容器にまで落下したとみられている。
小出「抜け落とさせて下に落ちちゃっているわけですね。そうなるとスリーマイル島のような回収作業は絶対できません。全くできない。で、どうしていいか実はわからない。」
ー防げなかった破局的な原発事故。我々はここから何を学ぶべきなのか
「未来への提言を最後にお願いしたいんですが。」
小出「ウソをつかない。人に対してもウソをつかない。自分に対してもウソをつかない。もし間違えたらば謝ると、それさえできていれば原子力なんてあり得なかったと私は思います。全く安全でもないものを「安全です。絶対事故は起こしません」と言い続けて原子力を進めてきたわけですね。」
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2011年9月25日
2011年9月23日(金)、小出裕章氏が、鵬清濁にて行われたシンポジウム「脱原発社会は可能だ!」にて講義を行ないました。コメントにて、edokko311様より教えていただきました。
edokko311様から頂いた動画紹介文
小出さんの講演は、録画の44分頃から始まりますが、2時間39分頃から始まる城南信用金庫の吉原氏のトークも素晴らしいので、是非ご覧下さい。
■パネリスト紹介
●小出裕章さん
1949年、東京都生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、同大学院修了。1974年から京都大学原子炉実験所助手(現在は助教)。愛媛県の伊方原発訴訟では住民側証人をした。著書に、『原発のウソ』(扶桑社新書、2011年)、『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社、2011年)、『隠される原子力 核の真実』(創史社、2011年)など。
1949年、東京都生まれ。東北大学工学部原子核工学科卒業後、同大学院修了。1974年から京都大学原子炉実験所助手(現在は助教)。愛媛県の伊方原発訴訟では住民側証人をした。著書に、『原発のウソ』(扶桑社新書、2011年)、『放射能汚染の現実を超えて』(河出書房新社、2011年)、『隠される原子力 核の真実』(創史社、2011年)など。
●吉原毅さん
1955年、東京都生まれ。1977年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、城南信用金庫に入庫。懸賞金付き定期預金など新商品の開発や広報などに従事する。企画部長、常務理事・市場本部長などを経て、2010年より理事長。
1955年、東京都生まれ。1977年、慶應義塾大学経済学部を卒業し、城南信用金庫に入庫。懸賞金付き定期預金など新商品の開発や広報などに従事する。企画部長、常務理事・市場本部長などを経て、2010年より理事長。
●明峯哲夫さん
1946年、埼玉県生まれ。北海道大学大学院農学研究科博士課程中退。消費者自給農場「たまごの会」の創設運動に参加して以来、一貫して自給にこだわり続けるとともに、人間と環境、人間と生物のあるべき関係について考察してきた。著書に、『ぼく達は、なぜ街で耕すか』(風涛社、1990年)、『都市の再生と農の力』(学陽書房、1993年)、『街人たちの楽農宣言』(編著、コモンズ、1996年)。
1946年、埼玉県生まれ。北海道大学大学院農学研究科博士課程中退。消費者自給農場「たまごの会」の創設運動に参加して以来、一貫して自給にこだわり続けるとともに、人間と環境、人間と生物のあるべき関係について考察してきた。著書に、『ぼく達は、なぜ街で耕すか』(風涛社、1990年)、『都市の再生と農の力』(学陽書房、1993年)、『街人たちの楽農宣言』(編著、コモンズ、1996年)。
●纐纈あやさん
1974年、東京都生まれ。自由学園卒業。2001年ポレポレタイムス社に入社し、映画『アレクセイと泉』(2002年)の製作・配給・宣伝に携わる。映画『ナミイと唄えば』(2006年)のプロデューサーを経て、フリーに。『祝(ほうり)の島』(2010年)は監督としての最初の作品。
1974年、東京都生まれ。自由学園卒業。2001年ポレポレタイムス社に入社し、映画『アレクセイと泉』(2002年)の製作・配給・宣伝に携わる。映画『ナミイと唄えば』(2006年)のプロデューサーを経て、フリーに。『祝(ほうり)の島』(2010年)は監督としての最初の作品。
録画
小出裕章氏の講義〜パネルディスカッション
http://www.ustream.tv/recorded/17446156
http://www.ustream.tv/recorded/17446156
パネルディスカッション
http://www.ustream.tv/recorded/17448379
http://www.ustream.tv/recorded/17448379
2011年9月22日
2010年9月20日(水)、小出裕章氏が、テレビ朝日「報道ステーション」にVTR出演し、『冷温停止』について専門家として、批判を行ないました。
録画
小出裕章:『冷温停止』について
小出裕章:『冷温停止』について
内容の文字おこしや関連記事はは以下のとおり
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2011年9月25日(日)、テレビ朝日「サンデーフロントライン」に小出裕章氏がVTR出演されました。コメント欄でしんちゃんより頂いた情報を、掲載いたします。
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‘反骨の3人による明日への伝言 原発事故後の未来’
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「原発はいらない」
ナレーション: 京都大学原子炉実験所の小出さんの研究室は昼間でも薄暗い。節電のためエアコンや照明はほとんど使わないという。62歳の小出さんは37年間原子力の研究を続けてきた。しかし、現在の肩書は助教。昔でいう助手のままだ。
小出「原子力をやるとこんな危険がありますよ。こういう放射能の汚染を起こしますよ。だから一刻も早く原子力をやめるべきですよ・・と言い続けてきたわけですね。残念ながら事故は起きてしまったのですね。ですから私にとっては今年は自分がやってきた仕事が最終的に敗北したというそういう年です。」
ー小出氏が原子力に飛び込んだ1968年は日本の原子力の黎明期。小出氏も未来のエネルギーは原子力しかないと固く信じていた。ところが研究を始めてすぐ、ある重大な疑問にぶつかったという。
小出「今から思えば大変単純なのですが、原子力発電所というのは都会で引き受けることができない危険を抱えていると、過疎地に建てるしかないということで原子力というものは進んできたということに私が気がついた、というかそれを知ってしまったわけですね。そうなると、私としては到底認めることができないと思いましたので、180度私の人生はそこでひっくり返しました。」
ーこうして原発をなくすために研究を進めた小出氏には、同じ志を持つ5人の仲間がいた。彼らは「異端の研究者」と見なされ、それは研究費や昇進にも露骨にあらわれた。彼ら6人は原子炉実験所の所在地大阪府熊取町にちなみ、‘熊取6人組’と呼ばれるようになった。これは中国で起きた文化大革命の江青ら4人組になぞらえた呼び名だ。
小出「6人組と呼ばれた私達のグループにシンパシーを感じて一緒に行動しようとして来てくれた人も実は何人かいる」
(後輩とか?)「はい、いるんですけれども、私はその人を積極的に誘わなかったのですね。その、自分達のグループに入れと、えー、それはまあ言ってみればそういう後ろ指を指されるグループに入ってしまうと研究費が取れないとかですね、そういうことはある。まあ、あたりまえのことであるわけです。」
(後輩とか?)「はい、いるんですけれども、私はその人を積極的に誘わなかったのですね。その、自分達のグループに入れと、えー、それはまあ言ってみればそういう後ろ指を指されるグループに入ってしまうと研究費が取れないとかですね、そういうことはある。まあ、あたりまえのことであるわけです。」
ー原子力の危険性を訴え続けた37年。しかしその声は届かなかった。
小出「あまりにも力が足りなさすぎたんですね。まあ、マスコミの人もそうだけど、あのー、私達の言うことは何も取り上げてくれない、まあ、政府、電力会社、巨大企業の言うことを聞いてマスコミもずっと報道をしてきた。」
ー重大な事故が起きた今、全ての原発を止めるべきだと小出氏は全国を訴え歩いている。
小出(9月22日津田塾大講演)「私達日本人はだまされ続けてついに福島の事故も防ぐことができないで、今、変わり果てたこの場にいます。私もそうだし、皆さんもそうです。どうやってこれから生きていくかということを、特に若い学生の皆さんには十分考えてほしいと思っています。」
ー一方野田政権は、安全性の確保と地元の理解を前提に原発を再稼働させる方針だ。全ての原発停止は電力供給に支障をきたし日本経済が立ち行かないという意見が根強い。現在福島第一原発は循環注水システムが機能したことで、一号機の圧力容器の温度が100℃以下になるなど収束に向かっているとされる。しかし小出氏は本当の事故収束への道のりは険しいものだと指摘する。
「廃炉廃炉といわれていますが、いつごろできるんですか?」
小出「(笑い)できません。何十年か後ですね。」
ーアメリカで起きたスリーマイル島の事故では、炉心の半分が溶けて圧力容器の底に溜まった燃料を取り出すまでに11年もかかっている。一方、福島第一原発でも溶けた燃料は圧力容器の底に溜まった。ところが福島ではこの圧力容器も損傷し、溶けた燃料が格納容器にまで落下したとみられている。
小出「抜け落とさせて下に落ちちゃっているわけですね。そうなるとスリーマイル島のような回収作業は絶対できません。全くできない。で、どうしていいか実はわからない。」
ー防げなかった破局的な原発事故。我々はここから何を学ぶべきなのか
「未来への提言を最後にお願いしたいんですが。」
小出「ウソをつかない。人に対してもウソをつかない。自分に対してもウソをつかない。もし間違えたらば謝ると、それさえできていれば原子力なんてあり得なかったと私は思います。全く安全でもないものを「安全です。絶対事故は起こしません」と言い続けて原子力を進めてきたわけですね。」
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