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<春近しー約900年前の鎌倉にタイムスリップ>★『鎌倉幕府を開いた尼将軍・北条政子に会いに行く』

   


<春近しー約900年前の鎌倉にタイムスリップ>
『鎌倉幕府を開いた尼将軍・北条政子に
会いに行く』
                   
                     
 前坂 俊之(youtube歴史家)

寿福寺(じゅふくじー鎌倉市扇ヶ谷JR鎌倉駅西口から徒歩10

2月11日からの連休の鎌倉は久しぶりの観光客で、鎌倉の中心部には散歩も出来ないな。地元の人には厄日だね。年中鎌倉は観光客でにぎわっているが、いにしえの鎌倉を味わいたい向きには寿福寺がお勧めだね。ここはいつきても味わい深いし、鎌倉武士の歴史を感じる。鶴岡八幡宮、小町通りのメイン通とちがって、裏鎌倉といってもいいので、900年前の鎌倉時代の面影もほんの少しとはいえかぐことができるのじゃな。それになんといっても観光客がこちら側に少ないのがいい、年中静寂に包まれている。とくに、冬場はそう。

時々、私は寿福寺の北条政子、実朝の墓にお参りする。頼朝の墓よりも好きである。1000年の歴史をさかのぼり、「つわものどもが夢があと」を実感するのには、この場所が最高だよ。2月11日はいわゆる紀元節、建国記念日だが、この日よりも、頼朝、政子夫婦が協力して鎌倉幕府を作った歴史的事実のほうこそ、より強固な建国記念日であろうしね。
 
北条政子、源実朝が眠る寿福寺をぶらぶら散歩すっかな!
 
ウイキペディアでは

寿福寺(じゅふくじ)は、神奈川県鎌倉市扇ヶ谷にある臨済宗建長寺派の寺院である。鎌倉五山第3位の寺院である。開基(創立者)は北条政子、開山(初代住職)は栄西である。境内は「寿福寺境内」として1966年(昭和41年)3月22日、国の史跡に指定された。

源頼朝が没した翌年の1200年(正治2年)、妻の北条政子が葉上房栄西(明庵栄西)を開山に招いて創建した。この地に頼朝の父源義朝の旧邸があり、1180年(治承4年)初めて鎌倉入りした頼朝は、ここに館(幕府)を構えようとしたが、土地が狭かったため、当初の計画を変更したといういきさつがある。創建当時は七堂伽藍を擁し、14の塔頭を有する大寺院で、禅刹として体裁を整えたのは1278年弘安元年)頃と推定されている。

寿福寺には2世退耕行勇をはじめ、心地覚心円爾(弁円)、蘭渓道隆、大休正念など、多くの名僧が入寺した。鎌倉の禅宗文化を考える上で、重要な存在の寺院である。

総門、中門、仏殿、庫裏(くり)、鐘楼などが建つ。仏殿は1664年(寛文4年)の再建である。総門からまっすぐに続く石畳の左右に繁る木々が幽玄な雰囲気を漂わせる。光と験の織りなす石畳の長い参道は、鎌倉の寺院中でも屈指の景観である。寿福寺の魅力は、この美しい参道にある。変貌する鎌倉にあって、寿福寺境内は静まり返って参道を歩いているだけでも、寺で過ごす時間の贅沢さに癒される。

諸堂は拝観できないので、境内の静寂感を楽しみながら仏殿裏の高みにある墓地へ。西と北の崖にやぐらが口を開いているが、西側に高浜虚子と大佛次郎の墓、北側には北条政子と源実朝の墓と伝わるやぐらがある。

<実朝・政子の墓>
 仏殿の左側を登ると、木立ちに囲まれたふたつのやぐらがある。いずれも中には石造五輪塔があり、小さい方が北条政子の墓。もう一方唐草文様に穿たれたやぐらは、政子の二男で甥公暁に暗殺された悲劇の将軍源実朝の墓と伝えられる。墓は南北朝頃のもので寿福寺の復興もこの頃と考えられる。
尼将軍北条政子の墓。1225年(嘉禄元)7月11日没(69歳)。
「コレ前大将軍ノ後室、二代将軍ノ母儀ナリ、前漢ノ呂后(リョコウ)ニ同ジク、天下ヲ執り行ハシメタマフ、若ハマタ神功皇后再生セシメ、我国ノ皇基ヲ擁護セシメタマフカト云々」と、「吾妻鏡」は最大級の賛辞を記す。

「・・・ちなみに実朝の墓とされる岩窟は、牡丹と唐草との模様を胡粉で彩色しており、政子の方も彩色された痕跡があるという。考古学的知見と重ね合わせても、この五輪塔は鎌倉末から南北朝期のものとされており、これが政子・実朝に関係するとの確証はない。」(関幸彦「北条政子」)
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また、政子は晩年の居所である南新御堂で火葬され(「吾妻鏡」)、勝長寿院に葬られたとされています(実朝も勝長寿院に葬られる)(「河野真知郎「中世都市 鎌倉」)
 
 
 

 
 
北条政子(1157~1225)は、源頼朝の妻。伊豆の韮山で勢力を誇っていた北条時政の娘。伊豆に流されていた源頼朝と恋仲となり結婚。治承四年(1180)、頼朝は平家追討の挙兵を行うが最初の石橋山の戦いで敗北するが、立ち直った頼朝は、源氏ゆかりの地、鎌倉に入り政子を迎える。そして念願叶って平家を滅ぼす。政子も征夷大将軍の夫人となる。

夫・頼朝の亡き後、「尼将軍」と呼ばれ、鎌倉幕府に君臨。御家人達による合議制を幕府の基本方針とし、これに反対する者は、身内であろうと、功労者であろうと、容赦なく追い払った。承久三年(1221)に起こった承久のでは、朝廷に立ち向かうことを恐れた御家人を統率して、上京させた。恐らく政子は日本の数少ない女性政治家の中で、最も知名度の高い人物であろう。

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