前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

知的巨人の百歳学(155)/記事再録/百歳学入門(46)原安三郎(98歳)「いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断せよ」長寿10ヵ条とは

   

   百歳学入門(46)

原安三郎(98歳)「いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断せよ」長寿10ヵ条とは

   

百歳学入門(46) 
 
原 安三郎(98歳)188431019821021
日本化薬会長、東洋火災海1保険会社初代会長、日本化学工業協会会長、政府
税制調査会会長など歴任。会社再建に手腕を発揮。
 
 
 
原の「長寿十ヵ条」は次のとおり
 
① 時間は短くてもよく眠れ
② 食事は少なくせよー朝はパンとオートミールと野菜と牛乳。昼はヌキ。夕食は米を一碗。
③酒、タバコは呑まない。
④物事をすべてその場で処理せよ。
⑤心配はしても心痛はするな。
⑥決して物にとらわれるな、物に支配されるな。
⑦六十歳過ぎると義理や見栄、メンツで頭や身体を便わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことをあえてするな。
⑧会合や人の依頼も気特ちにそわぬことはドシドシ断れ。
⑨物事を正直に、いつも良心に照らして遺憾のないように。
⑩思いついたことは遠慮しないでドシドシしゃべれ。
 
前坂俊之(センテナリアン研究家)
 
名言①『若いときは百万円の益を得るより千万円の損をするほ
うが貴重な経験になる』
 
 
 原安三郎は明治の末期から大正、昭和三代の間、事業経営に携って来た稀有の経営者である。九〇歳の昭和五〇年代まで現役社長を勤める息の長さもさることながら、倒産会社の整理あるいは再建屋として数多くの他人の跡始末を手がけた事業歴も傑出している。
 
 原の企業遍歴は三歳のとき流行性関節炎で左足と右腕の自由を失った病気にに端を発する。明治四三年、早大商科を首席で卒業した原は総長高田早苗から山本条太郎・三井物産常務(その後、満鉄総裁、政友会幹事長)を紹介されて、三井物産の入社試験を受けるが、面接した庶務課次長が原の身体の障害に難くせをつけたのに憤慨し、自分から入社を辞退した。
ところが、その根性を認めた山本が採用して、秘書にして目をかけた。ここで、山本から仕事術、人使い術を徹底して仕込まれた。
 
以後もっぱら山本が関係していた不振会社の跡始末を託され得難い体験をすることになる。栃木県薬丸金山を手初めに金港堂、日本硫黄、才賀商会など、関連会社を含めると、数十もの会社を整理あるいは再建し、最後に鈴木商店の整理を手伝ってその傘下会社の東工業擬革、帝国染料をみずから買い取ったのが、今日の日本化薬の母体である。 原は、ボロ会社立て直しの名人といわれ、財界長老として活躍した。
 
 「若いときは百万円儲けるより千万円損したほうが貴重な経験になる」という名言は倒産会社の凄絶な修羅場から学んだものである。「百万円儲けたという経験は、その人が十億円儲ける、という経験にはならないが、一千万円損した経験は、むしろ十億円を儲ける経験につながる」と述べている。
 百万円を儲けたといっても、一億、十億円という金とは次元が異なり、儲けるには新しいノウハウを必要とする。
 ところが、失敗の経験は原因を十二分に反省して、二度と繰り返すまいとすれば、その失敗の十倍、百倍に相当する体験をつかむことが出来る。
 それが、逆に成功へのヒントとなり、儲けることのチャンスへとつながるという逆説的な表現である。
 
原は「会社は仕事の性質さえよければ、煙突が立ち機械がすわるれば、よほどの見込違いがない限り必ず再建できる。信念を持って、失敗を踏台に建設に向かうべきだ」との経営訓を残している。
 
日本化学工業協会全長などを歴任し、数多くの経営不振の会社を再建し、「会社再建の名医」と称された。一九六〇(昭和三十)年代に〝財界の重鎮〟として幅広く活躍した。「ビジネスマンはいつも頭を空にしておけ」が口癖だった。
 
 
今では忘れられていますが、昭和30年代に“財界の重鎮”として活躍した原安三郎(1884 – 1982)98歳は日本化薬社長、日本化学工業協会会長などを歴任し、数多くの経営不振の会社を再建し、「会社再建の名医」と称された。
原は六十歳すぎてからは義理、見栄、メンツなどで頭や身体を使わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことはあえて行なわないこと。いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静にこれを迎え、判断し、処理すること」などを心構えに、次のようなビジネス長寿10ヵ条を実践しており大いに参考になりますね。
 
    時間は短かくても、よく眠れ。
    食事は少なくせよ。朝はパンとオーミルと野菜と牛乳。昼はヌキ。夕食は米食を二椀。
    酒、タバコは飲まない。
    物事をすべてその場で処理せよ。
    心配はしても心痛するな。
    決して物にとらわれるな、物に支配されるな。
    六十歳すぎると義理や見栄、メンツで頭や身体を使わぬこと。少しでも気にそわぬこと、いやだと思うことをあえてするな。
    会合や人の依頼も気特にそわぬことはドシドシ断われ。
    物事を正直に、いつも良心にてらして遺憾のないように。
    思いついたことは遠慮しないでドシドシしゃべれ。
 
いつでも平常心を持って急迫の事態にも冷静に対応し、判断することが大切といっていますね。リーダーには参考になる言葉ですね』

 - 人物研究, 健康長寿, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

終戦70年・日本敗戦史(137)1932年(昭和7)のロㇲ五輪の馬術で優勝した国際人・西竹一は陸軍内では左遷に次ぐ左遷で『戦車隊長」で硫黄島に配属、玉砕した。

終戦70年・日本敗戦史(137) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

no image
日本リーダーパワー史(438)日米中韓150年戦争史ー第1次米朝戦争を勝利と錯覚、誤認した大院君の朝鮮、韓国①

日本リーダーパワー史(438)   日米中韓150年戦争史をしっかり踏 …

no image
「世界が尊敬した日本人「正木ひろし弁護士の超闘伝⑦」八海事件の真相―真犯人の異常に発達した自己防衛本能

    ◎「世界が尊敬した日本人―「司法殺人(権力 …

no image
日本メルトダウン脱出法(778)「この異常気象がヤバい!あなたに迫る地球温暖化の脅威」●「シリア・アサド政権打倒で第3次世界大戦の危険性も」●「鼻を折られたプーチン大統領との接し方に要注意」

日本メルトダウン脱出法(778) この異常気象がヤバい!あなたに迫る地球温暖化の …

no image
日本メルトダウン脱出法(559)『世界を駆け回る安倍首相、中国と影響力の奪い合い』(英FT紙)◎『中国に期待してはいけない人権意識』

      日本メルトダウン脱 …

『オンライン講座/昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』②『歴代宰相の中でも一番、口の堅い吉田じいさんは公式でも突っけんどんな記者会見に終始して、新聞記者と個人的に会談したケースは少ない。『総理番記者』は『新聞嫌いの吉田ワンマン』取材用に誕生した」●「伊藤博文の大磯邸”滄浪閣“を買取り、自邸の『海千山千楼』に改築した。

     2016/02/09 日本リー …

no image
リクエスト再掲載/日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信設備の兵站戦略こそ日清戦争必勝のカギ 「坂の上の雲」の真の主人公「日本を救った男」

日本リーダーパワー史(331)空前絶後の参謀総長・川上操六(44)鉄道敷設,通信 …

no image
『オンライン講座/日本ベンチャービジネス巨人伝』★『 鈴木商店を日本一の商社にのし上げた<財界のナポレオン>金子直吉』★『「もし、金子が米国で生まれていたならば、カーネギー、ロックフェラーと並んで偉大な事業家として成功しただろう。金子は科学的な頭脳を持っており、無から有を作る事業家であったから』

  2009/02/10 記事再録  日本の〝怪物″実業家・ …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(31)★現代史復習『日清戦争は日本が完勝したが、実質は清国軍が戦闘能力なしの「鵜合の集団」『張り子のトラ」だったこと。現在の『中國人民軍』は果たして近代化し、最強装備になっているか、北朝鮮の軍事力は核弾頭搭載ミサイルの脅威のレベルは如何!

   日中北朝鮮150年戦争史(31)★現代史復習、 日清戦争の陸海戦 …

no image
日本リーダーパワー史(840 )(人気記事再録)-『権力対メディアの仁義なき戦い』★『5・15事件で敢然とテロを批判した 勇気あるジャーナリスト・菊竹六鼓から学ぶ➂』★『<人権と民主主義を守るため報道の自由> に貢献した「20世紀の世界の 報道人100人」に選ばれた』●『トランプ対メディアの<仁義なき戦い/死闘編>』

2013年9月13日の日本リーダーパワー史(417)   『軍部テロと …