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日本リーダーパワー史(217)<『外国新聞』が報道した「日本海海戦勝利」④ライバルとしての日本人の登場!?

      2015/01/01

日本リーダーパワー史(217)
 
<『外国新聞』が報道した「日本海海戦勝利」④
 
 
NHKスペシャルドラマ「 坂の上の雲」は、シリーズ最後の第3部の放送が、12月4日からいよいよ始まる。150年前に鎖国から目をさまし国際社会にデビューしたアジアの貧乏小島国日本は明治のトップリーダーたちの「富国強兵」「殖産振興」という「国家戦略」「国家プロジェクト」の見事な遂行によって、日露戦争勝利という20世紀の奇跡を起こしたのである。
いま、明治の発展の逆コースの「雲の下の坂」を転落して「日本沈没」に向かっているが、この「坂の上の雲」で示された日本人の叡智と勇気と献身をもう一度、振り返り、沈没を食い止める第3の奇跡を起こさねばならない。
明治の日本人の自画像―5代前のわれわれの祖先の姿を欧米はどう見ていたのか。当時の『英タイムズ』が報道した「坂の上の雲」の実像を見ていくことにする
 
 前坂 俊之(ジャーナリスト)
 
  
    1905年6月9日付『ノース・チャイナ・ヘラルド』
         
日露戦争の「日本海海戦
先月27日の朝,ロジェストヴェンスキー提督は壱岐と対馬に挟まれた対馬海峡に入
った。その磨下には,1万2000ないし1万3000トンの最新艦5隻を含む8隻の戦艦,各4000トン以上の小型装甲艦3隻,8000トン以上から3000ト㌢以上までの巡洋艦9隻,特務艦数隻,駆逐艦約9隻があった。戦艦のうち6隻が撃沈され2隻が降伏,小型装甲艦は1隻が撃沈され2隻が降伏した。巡洋艦は4隻が撃沈されたが,1隻はウラジオストクに到着したと言われる。また1隻はウラジーミル湾口で自爆し,3隻はマニラで抑留されている。
 
駆逐艦のうち2隻はウラジオストクに到着したと言われ,1隻は上海で抑留され,残りは沈没ないし座礁した。このようなめざましい戦果をあげた日本側の損害は,水雷艇3隻だけにとどまり,駆逐艦以上の艦は1隻も重大な損害を受けなかった。
 東郷提督の顕著な特徴の中に,慎み深さと簡潔さがある。したがって,先月27日のバルチック艦隊出現を報告する際に,東郷提督が「連合艦隊は敵を撃滅するために一直ちに出動する」(ジャパン・デイリー・メール紙の翻訳)という言葉を使ったことは,それだけによけい注目に値する。
 
メール紙は続けて「日ごろの提督の考え方,話し方を知る者にとって,撃滅(attackanddestroy)という表現は,提督がそのようなときに使うものとしては妙にそぐわない気がする。提督は全計画を徹底的に練り上げ,その計画が絶対確実だと確信していたに違いない」と述べている。戦闘終了後,提督が東京の伊東海軍軍令部長ならびに山本海相にあてた急送公文は,次のような簡潔なものだった。
「われわれは第2,第3バルチック艦隊を実質的に全滅させた。ご安心を請う」。東郷の勝利はその完壁さにおいて,ドレークらによるスペインの無敵艦隊撃破,ならびにネルソンによるトラファルガー沖でのフランス・スペイン艦隊撃破に匹敵するものとなろう。しかし東郷提督が第一級の戦艦を4隻しか持っていなかったにもかかわらず,ほんのわずかな損害しか受けていないという点で,その勝利はこれまでのすべての海戦にまさっている。
 
 ロシアの戦艦のうち,少なくとも2隻が砲弾により沈没したのは,今や間違いないようだ。これは,今までの経験からは,ほとんど不可能と思われた結果だ。しかし波がかなり荒く,艦船が横揺れしていたため,ロシア側の砲撃は正確さを著しく欠いていた。それに対し荒海での砲撃訓練を重ねてきた日本側には都合がよかった。横揺れのため.ロシア艦の装甲帯より下方の艦側が現れたところを,日本側が致命的な正確さで砲弾を撃ち込んだのだ。砲撃で開いた穴から入った海水が縦隔壁にさえぎられて片側にたまり,艦は転覆した。戦闘中,東郷提督はロシアの潜水艇らしきものが水面すれすれにいるのに気づき,水雷艇隊に信号を送り,撃破を命じたという。水雷艇が近づいてみると,それは転覆したロシア軍艦の艦底で,キールにしがみついていたロシア兵30人が救助された。沈没したほかのロシア戦艦は,魚雷によって爆破されたか,あるいは自沈したものと思われる。
 
1隻はひどい損傷を受けているものの,戦艦2隻と小型装甲艦2隻が降伏したことは,日本の勝利にとって予期せぬうれしいできごとだった。日本の潜水艇が戦闘に加わったかどうかは,かなり不確実だ。加わったとの意見を出している唯一の情報筋は,現地語紙の朝日新聞だけだ。ウラジオストクの出動可能な艦が戦闘に参加しなかったことに対し,驚きの声があがっている。ウラジオストクの各艦は,北から下ってくることで,バルチック艦隊に有利な牽制を行うことができたかもしれなかったが,彼らはそうしなかったのだ。この戦いは,東郷提督が麿下の戦艦を惜しげなく危険にさらした初めての戦闘だったことが注目される。
 
以前の戦闘で東郷提督は戦艦をきわめて用心深く使ったが,それは各戦艦に代わるものがなかったからだ。だが対馬の戦闘は日本の存亡をかけた戦いだった。ロシア艦隊を壊滅させる必要があった。そして東郷はこの目的達成のために彼の全兵力を大胆に用いたのだ。
 和平のうわさが電信で続々ともたらされているが.はたして平和がくるのかどうかは,依然として疑わしい。まず満州で次の大会戦が行われるだろう。そしてクロバトキン将軍がことごとく失敗した場所で,リネヴィッチ将軍が成功を収めると想像する
 
根拠は何もないのだ。勝利と呼び得るような成功を1度収めることができれば,ロシアが,ロシアに戦いを続ける無益さを説明する者たちに,耳を傾ける気になるのは間違いない。しかし,たとえ小さな成功でもロシアに収めさせることは,日本の気分にそぐわないのだ。
 
1905年6月12日付 仏『ル・タン』
 
講和に向けて昨日表明した願いが現実のものとなった。ロシアと日本は次のことを理解したのだ。全世界が期待している釈明を隠れんぼ遊びのように避けて,ロシアは「返答する前に,日本の条件を知りたい」と言い,日本は「あれこれ指示する前に,ロシアが講和を
申し出てほしい」と言うようなことは・大国にふさわしい振舞いではないと。両戦争当事国は,この問題を優先して戦争を終結させたいという正当な願望を後回しにすることを断念した。そして,ルーズヴェルト大統領の提案に従って無条件で和平交渉の場につくことを受け入れたのだ。
 開戦当初,フランスが果たすものと思われていたこの役割は合衆国が引き受けることになった。状況のせいでこのように別な展開となった。アメリカの外交が戦争当事国のどちらとも協定関係を結んでいないので,はっきりとものが言える最高の立場にあることは確かだが,また一方,わが国はさまざまな形でアメリカ共和国とかかわりがあるので,セオドア・ルーズヴェルト氏の決断による今回の新たな成果にどの国よりも喜んでいる。
 
彼のイニシアティブによって,今や原則的に同意された交渉がほかならぬワシントンで開かれる可能性もできてきた。数週間前,元駐日ロシア公使のローゼン男爵が合衆国におけるカッシーニ伯爵の後継者に任命されたという知らせが入ったとき,この任命はロシア政府の側の交渉の準備を整える考えを示唆するものではないかと思われた。
 
事実・ローゼン氏が東京の「最も好ましい人物」であり,戦争に先だって行われた意見交換の際にも、彼は常に協調的な外交官-残念ながらあまりに考慮されることが少なかったが-だったことはよく知られている。とりわけ、つい最近までロシア公使だった栗野氏が昨年このパリで本紙の読者のために紛争のきっかけをたどってみせてくれたとき,彼に対して称賛の言葉を惜しまなかったことが思い出される。
 
したがってロシア側からだれか直接交渉の場に出る人があるとすれば,それはローゼン男爵に決まっていた。この厄介な仕事を成功させることができる人は彼をおいてはほかにいない。
 実際,次のことを忘れてはいけない0この交渉で果たすべき務めはこれまで外交が担わなければならなかった務めのうちで最も重い部類に属する。だがわれわれは,いくつかのうわさが信じ込ませたがっているように,どちらかの側が,合意が不可能であることを証明し,迂回したあげく結局は戦争を続行する下心を抱いているということを一瞬たりとも認めるものではない。
 
とはいえ,この合意はどんなに真撃にそれを求めたとしても,深刻な利害の対立に突き当たる。両者が抱える利害のいくつかは激しい戦闘と必死の防戦を覚悟しなければならないほど重要なものなのだ。おそらく日本は16か月にわたる数々の成功に裏づけられた力掛、姿勢で交渉に臨むだろう。
しかしロシアの方も,いかに悲惨な状態だったといっても,強力な軍隊をそのまま保持しているという意識がある。彼らは「私は今や攻勢に出ることができる」と述べたリネヴィッチの最近の言葉を覚えているだろう。そして彼らはいくつかの犠牲を前に耐えがたい嫌悪感を抱いて後ずさっているのだ。
 
 今から講和条件を予想するのは子供じみているかもしれない。とはいえ,全権代表たちは問題をはっきりさせるために・幸いなことに両戦争当事国の領土は(ただし旅順は除く,だがそれにしてもロシアは遼東を借家人の立場で占領したに過ぎないのだが)争いの対象になっていないという原則から出発すべきであるように思われる。
日本の勝利は朝鮮と中国の土地の上でもたらされた。朝鮮と中国はさまざまな理由から闘争の原因であり,舞台であった。だが・戦争前にこれらについて合意できなかったとしても,それによって戦後になっても合意できないということにはならないし,仮に沿海州やシベリア総督府が大山軍に占拠された場合を想定すれば,この合意はそれより容易でないはずがない。
 
したがって,朝鮮と満州の将来の立場に関する限り,深手を負うことなく解決できるだろう。この解決のためにはまず何よりも,日本の節度とロシアの断念が必要だ。ここで犠牲にすべきは獲得された領土ではない。耐える必要があるのは分割ではない。ここでは決して両戦争当事国の国境ではない境界線を見直すだけでいいのだ。商売とは他人の金をどう扱うかだとよく言われた0霞目の政策はこの紛争においては他人の領土をどう扱ぅかという問題なのだ0それは交渉する上では恵まれた状況なのだ。
 
  もちろん,賠償金の問題とロシアの再攻撃を防ぐために必要な保障の問題は残る。 最初の問題は数字の争いしか起こらないだろう。というのも,賠償の原則が議論されることはおそらくないからだ。保障に関しては,日本は敵に対して侮辱的な制限を加えることでそれを求めるよりは,かつて伊藤侯爵が支持していたような協調政策の中により強力で持続的な保障を兄いだすことができるとは考えないだろうか。
 
かつてロシアはそのような協調にほとんど関心を示さなかったのではないかという反論も確かにあるだろう。だが,その後戦争が起きた。そして日本は,敵にすれば恐るべき存在になるということを確固にしたことで,味方にするのが望ましい存在になることができたのだ。
 
このような条件のもとにある以上これから交渉されようとしている講和が急場しのぎのかりそめの解決ではなく・極東の平和の最高の保障となるような真筆な和解の基礎にどうしてならないことがあろうか。1つの要塞を解体するよりも,このような和解の方が日本の勝利の意義ははるかに大きいだろう。
これによって,日本の立場とその強さと進歩が決定的に認められることになるだろう。
 停戦の発表によって際だたされたきたる全権代表者会議のために,このような願いを表明するのはフランスの役目である。2年前にフランスがこの役目を果たすことができたら,今終結作業に入っている戦争を避けることができたかもしれない。いずれにせよ,アメリカ共和国の平和的努力にフランスは助力を惜しまないだろう。
 
1905年6月15日付ロシア紙『ジュルナル・ド・サン・ベテルスプール』
                
和平折衝は決着するか?(長らく私はこの質問を日本人に対して行ってきた。
 いつも,彼らは答えた。それは,ロシアの態度次第だ,と。同じ質問を今度はロシア人にする。彼らも,ロシア人として,同じ方式で答える。日本の要求次第だ,と。したがって,一方では和平折衝でのロシァの態度を,他方では日本の要求をはっきりとさせ,その比較対照を通じて・和平成立の可能性の大小を導き出さねばならない。
 ロシアから始めよう。ロシアが敗れたことは,否定できない。海上では,惨めな敗北であり,完敗である。地上では,だれの記憶にも残っている血みどろの敗北の慰めになるような,ささやかな勝利さえも全くない。したがって,一見したところ・ロシアの役割はまことに簡単に思える。
 
頭を下げて,勝利者側の条件を受け入れることだ。しかし,2つの理由からして,そうはい
かない。第1に,敗れたとはいえ・ロシアは押しつぶされてしまったわけではない。そんな状態には,はるかに遠い。これは論議するまでもないことだ。
ロシアの軍事力はかすかに傷ついただけであり,その財政力には何の疑いもあり得ない。この2っの考察の価値は,勝利者である敵側と比較してみると明らかになる0日本軍の最良の部分はもはやない。人間の予備はまだ大きいが,これらの人間は第一級の価値を持っ兵士ではない。そして,将校たちは・与え得るものすべてを与えてしまった。財政的には,日本は立派なものだった。
しかし,その財源を量ってみるなら,これまでになした巨大な尽力のために,ほぼ底を突いていることが分かる。
 ロシアに頑をもたげる権利を与える第2の理由は,戦争の起源そのものにある。遠い原因について語るなら・果てしなく議論をすることができるだろう。私が問題にするのはそのようなことではなく・戦争の直前に生じた,あるいは開戦をもたらしたできごとについてだ。この点について調べれば,日本側の要求は全く満たされていたこと,悪しき助言者がかき立てた悪意のみが重要な公文書の伝達を遅らせ・突然・敵対行為を開始させたことが分かるだろう。
とすれば,ロシアの態度は,戦争開始の時点と大して変わりはしない。朝鮮に関しては,ロシアは日本の支配権を認めるが,併合は認めない。満州からの撤兵も・既成事実として受け入れるだろう。そしてたぶん,日本による遼東半島の占拠と同地を国際通商に開放することも受諾するだろう。満州縦断鉄道は中国に戻すか・あるいは国際シンジケートによって経営する。そして,賠償の要求に対しては,賠償を支払わねばならない理由はないとの立場をとり・その代りに多分,サハリンを日本に譲ることに同意するだろう(?)。
 これが,ロシアが折衝の最初に,おそらくとるであろう態度の大筋だ。
 
 一方,日本には開戦のときのプログラムがあり,日本はこれを不注意にも全世界に示している。日本がこのプログラムに忠実であるなら,ロシア側のこれらの条件にはいたく満足のはかはない。
 しかし,戦っている間に,親指太郎は巨人になったと感じた。翼が生えてきたのを見て,それを使いたくなっている。食欲が出たので,食べたい。その要求を支えるものとして,日本には勝利の威光と・その礼賛者たちの激励がある。
日本には,2つの潮流が現れるだろう。賢者の潮流と愚者の潮流だ0急進派と軍国派は,領土をできるだけ大きく拡大しようとするだろう。朝鮮,満州南部,サハリン,
ゥラジオストク,そして戦争賠償金などなどだ。
 
 自由・経済派では要求ははるかに少なく,平和の将来の保障により多くこだわるだろう。この派も他方と同様に愛国的だがより開明的な人たちでできており,有名な伊藤侯爵や経済通の松方・尾崎・井上がこれに属する。彼らは,日本はまず土地よりも金を必要としていること,めざす商工業国になるためには大量の資本が入用なこと,過度に拡大する帝国主義政策をとれば,将来の日本は常に非生産的な支出の道を歩まねばならなくなり,敵を作って,いずれは復讐されることを知っている。
 
 この派が和平の討議を率いることになれば,日本にとって好ましい経済的な条件の達成を特に主張するだろう。その場合、1つの協調に達することが期待できる。さらにその先まで言うなら,もしこの派の影響力のもとで協調ができたら・それは露日間のそのものずばりの同盟にまで至るに違いない。極東が略奪を受けることなく,革命 に揺り動かされることなく・調和して発展することを可能にするものとしては,この強力で望みに満ちた同盟以上のものはない。この歩み寄りに大きな障害をもたらすのは,イギリスの政策だろう。
 ルーズヴェルト大統領の覚書に対する初期的な同意の中で,日本は,和平折衝に入ることが日本の利益であり,全般的な利益であると認めている。
 連戦連勝の国がこのような告白をすることは,苦しんでいるのはどこなのかを示している。この戦争がもう数年続けば,日本は重みに耐えられなくなる。花開くまでに茎は枯れ,日本国はおしまいだ。この返答を命じた首相,桂伯爵は陸軍に属する。しかし,その傾向は自由・経済派,すなわち,より遠く,より正しく見る派,平和を欲する派である。彼は伊藤侯爵の友人であり,全般的にその行動方針に追随している。
 問題は,彼がまたも,民族主義派,反ロシア派を抑えきれなくなるかどうかだ。彼
は私に打ち明けたことがある。平和を守ろうとして全力を尽くした。戦争の数か月前には,過激派の凶暴な分子から20度も暗殺の脅しを受けた.と。
 私の見解では,もしも交渉がこの派の影響力のもとに開かれたら,彼らが絶対にあきらめようとはしない最小限の要求事項は次の通りだ。
 朝鮮における日本の実質的な支配権(朝鮮は名目的な独立を保つ)。満州開発のため,満州縦断鉄道とその起点である旅順・大連ならびにその周辺の若干の領土の譲渡。サハリンのおそらくは全部,少なくともその漁場の放棄。中国の絶対的な保全。ロシアが太平洋にいかなる艦隊も置かず,シベリア国境には限られた数の兵しか保持しないというロシア側の正式な約束。むろん,賠償問題はこの派の場合にも提起されるだろうが,それほど強硬なものでないことは確かだ。
 穏健派が即座に成功するとは,私は考えていない。上記の問題について,日本の新聞は明確な反響を伝えてくれる。すでに日本人は,和平が時期尚早であれば,せっかくの勝利の果実に触れられなくなるのではないかと恐れている。新聞に使われている決り文句で,皇帝や政治家にお気に入りの言いぐさは,戦争を「揺るぎない終り」シューキョクまで続けねばならない,というものだ。彼らにとってこの漠然とした言葉は,ロシアは勝利者の
すべての条件を受け入れねばならないということを意味する。
 
 したがって,どう見ても合意の可能性は少ない。選ばれる代表たちの顔ぶれを重視すべきだろうか。折衝の場所に特別の意味を与えるべきだろうか。そんな必要があるとは,私は思わない。
 
 第1に,何も公式に発表されてはいないのだ。日本側では,栗野氏だとか,山県侯爵だとか言われている。ロシア側では,ローゼン男爵とか,ムラヴィヨフ氏の名があがっている。もしもそうだとすれば,戦争になったときにそれぞれ両国の公使であった人物が,大砲の不吉な音で中断された折衝を再開することになる。いずれにしても,代表はそれぞれの政府の支配的な意見のスポークスマンに過ぎないだろうから,だれになるかはたいしたことではない。
 
 したがって,私の意見をはっきり要約して言えばこうなる。私は合意ができるとはまだ考えない。日本の国民大衆は,最近の勝利の記憶にあまりにも強い影響を受けているため,その負担の重荷に押しつぶされることを望まない。代表たちは大衆のこの圧力を受けるだ
ろう。一方,ロシアは自らの抵抗力を知っている。失敗のためにスタートはよくなかったが,ロシアはこの失敗を償うことができるし,勝利者である敵を消耗させてしまうこともできる。たとえロシアには,相手が妥協的になればロシアも妥協的になる理由があるにしても,過度な要求に屈服する理由は全くないのだ。
 
 これら2つの態度の間には,偽りの妥協しかない。欲得ずくの仲介者の助言によって押しつけられる妥協だ。両政府がそのような仲介者を遠ざけ,これから始まる折衝にいかなる第三者をも認めていないことを,私は称賛する。和平ができれば結構なことだ。それはたぶん,望ましい同盟となることだろう。徹底的な戦争ということになっても,あまり嘆きはすまい。ロシアの国民と政府が,それぞれその義務の履行に備えることを願うばかりだ。
 
 
1905年6月18日・光緒31年乙巳5月16日 中国紙『申報』
      
満州回収問題を論ず
 
日露間の戦争は,20世紀における世界を震撼させた一大事件だが,その帰趨を左右する重要な鍵を握っていたのは・事実上中国だった。したがって,日露間に戦端が開かれたとき,世界の注目を浴び朝野をあげて論議の的となったのは・中国が中立を厳守する問題だった。さらに日露間に平和が訪れるとき,世界の注目を浴び朝野をあげて論議の的となるのは・満州を回収する問題だ。
 
 中立問題については・2大強国の間に介在して,ややもすれば板挟みになって進退窮まる懸念があったとはいえ,多くの列強が虎視耽々としてうかがっており,また明らかに公法に違反することは戦争当事国でぁる日露両国の承認するところではないので,中立を厳守することは表面的には困難に思われるが,実際には比較的容易なことだった。
 
次に,満州回収問題に関してはここで率直に忌たんのない愚見を述べたい。
かつて日本は「東三省の土地を不法に占拠するつもりはない」と公言し,わが中国にはこれを回収する権利があったのに,日本は名目的には東三省を返還したが・実質的には返還していない。だが・かつての日本の公言を引合いに出して日本に抗議することは,さほど難しいことのようには見えない。日本と武力で争うには,わが国の力が不足しているとしても・情理をもって論ずれば,まだ交渉の余地があるはずだ。国際交渉は,情理の面から言えば・個人交渉と共通点が見られる。
 
たとえば,今ある大富豪が自分の邸宅の周辺の田地を防衛するだけの力に欠けているため,ある権勢家に侵略されて奪われた。そのとき,東の隣人が自分のところまで侵されることを憂慮したので:立ち上がってこれに武力で対抗した。
彼は多くの犠牲を払い・莫大な財
貨を費やし,かろうじて権勢家による侵略を撃退した。このとき,大富豪はゆっくりと立ち上がり,東の隣人に対し丁重に謝意を述べた。「あなたは私のために強敵を駆逐してくれました。このご厚誼に対しては衷心より感謝いたします。しかしながら・田地は本来私の田地ですので,いささかなりとも私の主権を侵害しないでいただきたい。どうかそれらの土地をすべて私に返還してくだされば幸いです」と。
ところで、東の隣人は唯々諾々としてこの申出を承諾してくれるだろうか。現在の国際交渉においては,自国の権益を拡張することを目的としない国家は1つとしてなく、どの国
家もそのことを直言してはばからないのだ。道義を説いて彼らに要求したり、彼らが正義に基づいて公正な議論をする良友のように振る舞うことを希望したとしても,それを実行することは至難の業なのだ。
したがって,日本が実質的に満州を返還することを認めようとしないのは,本来事理の面から言っても,必然的な結果だと言うべきだろう。
 もし日本が実際に満州を返還する意志がないにもかかわらず,ただ口先だけで返還すると言っているのに過ぎないならば・わが国はどう対処すればいいのだろうか。これは今日検討を迫られている緊急の課題だ。武力に訴えてでも日本と争うのがいいのだろうか。もしそうだとすれば,ロシアが先に満州を占拠したとき,当時の中国はただそれを座視するのみで,なにひとつ措置を講じることができなかったにもかかわらず,日本がその後満州を占拠すると・わが国民は奮起し命がけで日本と戦うなどと言うのだろうか。
私は国民の意識がそこまで達していないことを知っている。
それでは,他国の力を借りて日本と戦うというのはどうだろうか。しかし遼東半島は他国の力に依存して回収したが,「前門で虎を防いでいる間に後門から狼を引き入れる」結
 果となってしまった。
したがって・こうした方策も中国にとって有利だとは思われない。そうかといって,ロシアに対処したときと同じ方法で日本に対処することは,春秋時代に鄭国が玉寓を贈ることによって国土を保全したのと同じことではないだろうか。
これでは,暴をもって暴に変えただけで,同じく土地を失うことになる。また同一人種だからといって日本人がわが領土を占拠し,わが中国の主権を実に巧妙な手口で奪ったことを論争しないということがあろうか。
 
 このように,武力で争うことは不可能であり,いたずらに座視することも決して道理ではないという以上,満州を回収することは確かに一筋縄ではいかない問題であり,簡単に論ずることはできない。それにもかかわらず,もし利害の軽重をはかりにかけて考量すれば,やはり正当な方策がある。すなわち,東三省は中国の領土であり,寸土といえどもこれを割譲するわけにはいかないが,ロシアがそこを占領し,日本がわが国のためにそこを奪回してくれたことに対しては,個人の交渉の場合ならば,当然日本に報酬を支払わなければならない。
その際,わが国の主権は絶対に失うべきではないので,隣国の損失に対する見返りとして,わが国はむしろその他の利益を与えて日本に報いるべきだ。日本に対する報酬と主権の喪失の両者を決して同列に論じてはならない。東三省の領土の返還が有名無実化するならば,意図せざる交渉が展開し・実質的な領土分割を促す結果をもたらすことになるだろう。
 この点に関して,今日の当局者に掛酌していただきたい,と希望せざるを得ない。
 
 
   1905年6月19日付『ニューヨーク・タイムズ』
  
ライバルとしての日本人
 
日本海海戦の勝利とヨーロッパ列強の努力の結束に伴い,合衆国大統領が和平交渉の実現を主導するにあたり,日本がアジアの通商の面でライバルになる能力があるし,またそうなるのではないかという論議が蒸し返されてきた。
 
 日本人が戦争中,また戦争の準備にあたり示した知性,精九先見性,一貫性,そして組織能力が平時には産業と通商の発展に転化するだろうことは至極当然だし,不可避ですらある。実際,日本人が陸海であげた輝かしい成果にわれわれがこれほど驚倒してさえいなければ,同国が平和の生業で収めた進歩をも,それにはぼ劣らずすばらしいものと見なすところだ。そして,この島国の国民が,過去のイギリス国民のように,これから製造業,海洋貿易,参入可能な外国市場における通商,この場合は主としてアジアの近隣諸国との通商に努力することは確実だ。自国の権利と利益をかくもはっきりと能率的に武力をもって保護した国民は.目の前に醜きつつある豊かな好機,国の政治的地位が確立するにつれますます豊かに開くに違いない好機を逃すはずがない。
 
その過程で,日本が同じ分野をめざすすべての国のライバル,したがって最終的には特にわが国のライバルにならないということはあり得ない。わが国は次の世代のうちに,すべての白人国の中で最も積極的な太平洋貿易国になる定めなのだ。
 日本のこの確実な進歩は,ヨーロッパ・特にイギリスである程度の不信と警戒をもって見られている。それより程度は低いが、わが国でもそのように見られている。それ
が正しいか否かは,われわれの判断では,日本が自発的に誓約した「門戸開放」の原則を誠意をもって守ることにかかっている。日本がこれを順守するなら,日本と関係を持つすべての商業国家は,同国と対立関係になる国すら,同国の通商拡大によって利益を得るだろう。
 
われわれは日本がそうすると思う。日本は履行のつもりがなければ,その誓約を行う特別の理由がなかった。履行は日本の真の永続的な利益になる。そうすれば敵でなく味方ができるし,苦労して,ひいては戦争によって人らねばならない分野も容易に開け,そこで十分な通商シェアを確保できる。イギリスの一部の対日批判者は,日本は貿易の扉を大きくは開かず,わずかに開いておき,自分が支配できる市場には他国からの輸入を許すが,国
内市場への参入は許されないだろうと言う。もちろん日本はできる限りすべての内外通商を行おうとするだろうし,内国通商では当寒圧倒的に有利となろう。だが他国に対しては,その影響力や権力にかかわらず,人為的な障壁を設けないとわれわれは確信している。
その発展の手段について,ヨーロッパ一般や合衆国とは違った見方をはっきりと選んできたという単純な理由からだ。日本人は通商を,固定した有限の,消耗の恐れのある領域ではなく,組織された社会の1つの機能であって,そこでは進歩があるごとに,いっそうの進歩が可能で確実になると見ている。
 
もし日本人がこの思慮深く実際的な通商観を堅持するならば,彼らは自らが出入りできる畑に柵を張りめぐらさず・開放したまま,皆に耕させることによってその産出力の自然増大を待つだろう。それが2世代にわたる大英帝国の政策だったし,大英帝国は大いに繁栄してきた。「恐ろしくせっかちな老人」チェンバレン氏が引き起こした一時的な動揺はあるが,大英帝国はその政策を捨てないだろうとわれわれは信じる。商業的にも政治的にも日本は必ず強力な同盟国になるのだから,この政策が維持,発展させられて,日本と世界の
永続的な利益となる可能性が強い
  
 

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『リーダーシップの日本近現代史』(66)記事再録/ 日本の「戦略思想不在の歴史⑴」(記事再録)-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか①

2017年11月13日 日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起こったか 今から …

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速報(442)『日本のメルトダウン』『中国経済は来年には失速か、鳩山外交のお粗末すぎ」 -中国ディープニュース座談会②』

 速報(442)『日本のメルトダウン』 『「中国経済は来年には失速か、 …