前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(787)「国難日本史の復習問題」 「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、リスク管理 、インテリジェンス④』★『日本史の決定的瞬間』★『撤退期限を無視して満州からさらに北韓に侵攻した傍若無人のロシアに対し東大7博士が早期開戦論を主張(七博士建白書事件)』

      2017/03/22

日本リーダーパワー史(787)

「国難日本史の復習問題」

「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、

リスク管理 、インテリジェンス④』★『日本史の決定的瞬間』

全国に義憤の叫び

 

撤退期限を無視して明治36年5月初旬、竜岸浦に侵攻、占領したロシア軍は、韓国政府の抗議にかかわらず、かえってその兵を増加し、別に森林保護隊の司令部が鳳凰城に設けられ、兵員1000人が駐屯した。

ロシア軍は次々に竜岸浦に倉庫、事務所、鍛冶工場の軍施設を建設し、果ては韓国政府に対し、同地の租借を強圧的に要求した。日本の世論は沸騰し、政府に向かってその軟弱を責め、「ロシアに対する最後の決心」を要望して止まなかった。

一高健児の歌う次のような寮歌「征露の歌」が、たちまち全国津々浦々まで、青年、学生によって高唱されるようになった。

ウラルのかなた風荒れて         東にかける鷲一羽

渺々(びようびよう)遠きシベリアも   早や時の間に飛び過ぎて

荒鷲今や南下しつ            八道の山後にして

大和島根を衝かんとす          金色の民鉾(ほこ)とれや

ととせ十年(ととせ)の昔ますらおが   血汐にそめし遼東の

山河あざむき奪いてし          ああこの恨忘れんや

北州の北熊ほゆる            サガレンの島これ昔

わが神州の領なるを           奪い去りしも亦彼れぞ

これ時宗の生れし地           これ秀吉の生れし地

一千の児が父祖の国           光栄しるき日本国

時宗の裔鋒とれや            秀吉の裔大刀帯けや

うらみ尽きせぬ蛮族を          ほうり尽さん時至る ー

 

この寮歌「征露の歌」は、たちまち全国津々浦々まで、流行したのである。

 

公爵近衛篤麿を首領とし、陸実、頭山満、杉浦重剛らの民間有志による「対霹同志会」の活動は、すでに明治34年1月、第一回露清密約時代から活発であったが、この機に至って大きく盛り上がってきた。

公爵近衛篤麿について説明する。

近衛篤麿

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%BF%91%E8%A1%9B%E7%AF%A4%E9%BA%BF

 

近衛篤麿(近衛文麿の父)の外交政策は中国(清国)重視派であり、対ロ強硬派である。

日清戦争後は積極的に中国をめぐる国際問題に取り組み]西欧列強の中国侵略、分割に危機感を募らせた。

 

明治31年1月に雑誌『太陽』第4巻第1号に載せた論文「同人種同盟附支那問題の研究の必要」の中で「黄色人種対白色人種の戦いとなり、日本と中国は同文同種として同盟すべきである」と主張して同年に同文会を結成、アジア主義を唱える各団体の興亜会、アジア主義の巨頭・犬養毅の東亞会、東邦協会などを吸収して、東亞同分会を結成していき近衛篤麿はその会長に就任した。

1900年(明治33年)6月、中国華北、満州などで義和団事件が勃発、ロシアの満州占領を怒り、危機感を抱いた当時貴族院議長の近衛は伊藤博文や山縣有朋らの元老に対ロシアへの強硬姿勢を取るように提言したが一蹴された。

このため、近衛は世論を喚起すべく国民同盟会を結成した。この会は明治35年に清国とロシアの間で、満州還付の露清協約が締結されたため一旦解散されたが、翌1903年(明治36)にロシアが撤兵計画を中止して、満州に居座り、さらに朝鮮半島を狙って軍事基地を建設したため、4月8日に上野公園梅川楼で「対外硬同志会」を結成し、ロシアとの早期開戦論を唱えて運動した。

これには戸水寛人(東大教授)ら七博士建白書のメンバーも参加していた。さらに、レベルアップし8月9日に神田の錦旗館にて再度大会を開いて改めて対露同志会を旗揚げした。

だが、近衛は病中であり、その代理を行う責任者として神鞭知常(元内閣府法制局長官)を委員長とし、頭山満、内田良平、平岡浩太郎ら玄洋社のメンバーや陸軍参謀本部の元参謀・花田仲之介ら主戦論者の軍人も加わり、頭山ら7名の相談役を置いた。10月5日、歌舞伎座で全国大会を開催、対ロシア宣戦布告を求める上奏を決議をした。

開戦に向けてこうした流れをたどるが、その経過を1段ずつ登っていくことにする。

 

七博士建白書

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E5%8D%9A%E5%A3%AB%E6%84%8F%E8%A6%8B%E6%9B%B8

燃え上がる国民世論の炎の中に、冨井政章、金井延、寺尾亨、中村進午、高橋作衛、小野塚喜平次、戸水寛人の七博士は、政府トップに対ロシアの建議書を提出し、元老に対して開戦の主張、世論に大きなインパクトを与えた。これを「七博士事件」という。

この七博士のうち、中村進年博士だけが、東京高等商業学校の教授で、他の六博士はみな東京帝国大学法科の教授であった。

この建議書は、明治36年6月24日、山県有朋、松方正義の二元老、桂太郎首相、小村寿太郎外相、寺内正毅陸相、山本権兵衛海相を訪れて提出、あるいは郵送したものであった。

この建議書は、元老、政府トップに提出されたもので、一般に公表されたものではなかったが、新聞にリークされてその全文が国民に知れわたり、主戦論に一挙に火をつけた。桂内閣の対ロ弱腰論をついてロシアの南下政策を打破せよとの反撃論が燃え上がった。

つづく

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

日本ローカル線の動画ぶらり旅①』ー岡山県津山市の津山城に向かう』★『津山駅と駅前広場から旧津山藩の鶴山城へぶらり、街並み拝見しながら』(動画20分)

  津山城はこうしてできた。 http://www.tsuyama-k

no image
人気リクエスト記事再録『百歳学入門(198)』100歳現役学入門― 団塊世代は元気な百歳をめざそう, <健康長寿の秘訣はこれじゃ>『「少くして学べば、則ち壮にして為す有り。壮にして学べば、則ち老ゆとも衰へず。老いて学べば、則ち死すとも朽ちず」(佐藤一斎)』

100歳現役学入門― 団塊世代は元気な百歳をめざそう, <健康長寿の秘訣はこれじ …

no image
日本リーダーパワー史(508)日中韓150年戦争史②「日清の戦争は文野の戦争なり(文明の衝突なり」(福沢諭吉)

    日本リーダーパワー史(508)  …

no image
『大谷翔平「三刀流(打投走)」のベーブ・ルース挑戦物語➂』★『2018/04/9本拠地初登板で全米メディアも『完全試合未遂』に大興奮『本当に人間か?』★『メジャー席巻の大谷翔平は「ハンサムで好感」米経済紙が“商品価値”を絶賛』★『 ペドロ・マルティネスが二刀流大谷のメジャーでの成功の秘密を解説!』

    2018/04/10  /大谷選 …

no image
日本リーダーパワー史(272)『民主党、亡国の政治家たちを』-福沢諭吉が一喝!『財政再建が先、征韓論はやめろ』

日本リーダーパワー史(272)   『民主党、亡国の政治家たちを』-福 …

『Z世代のための昭和100年、戦後80 年の戦争史講座』★『 日本の「戦略思想不在の歴史」⑵-日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか②』★『モンゴル帝国は計6回も日本に使者を送り、外交、貿易、 属国化を迫ってきた』

2019/10/01『リーダーシップの日本近現代史』(67)記事再編集 『日本を …

no image
終戦70年・日本敗戦史(75)大東亜戦争開戦「朝日,毎日の新聞紙面」ーマレー、シンガボール戦ー日本軍、マレ-半島に 奇襲上陸、英機械化部隊を撃破、進撃中

 終戦70年・日本敗戦史(75)  大東亜戦争開戦の「朝日,毎日などの新聞紙面か …

no image
終戦70年・日本敗戦史(67)大東亜戦争開戦日の「朝日新聞紙面」米英両国に宣戦布告〔昭和16年12月9日朝日新聞(夕刊)

終戦70年・日本敗戦史(67)  大東亜戦争開戦日の「朝日新聞紙面」  米英両国 …

no image
 世界、日本メルトダウン(1020)―『金正男暗殺事件を追う』●『北朝鮮崩壊の「Xデー」迫る!金正恩は、中国にまもなく消される』★『金正男暗殺、北朝鮮の容疑者は国家保衛省4人と外務省2人か』●『金正男暗殺の謎 北朝鮮、従来の「工作作戦」と異なる手口』★『  北朝鮮レストラン「美貌ウェイトレス」が暴く金正恩体制の脆さ(1)』●『北朝鮮独裁者、「身内殺し」の系譜』●『金正男氏暗殺の裏で正恩氏の「拷問部隊」が暗躍か』

 世界、日本メルトダウン(1020)   北朝鮮崩壊の「Xデー」迫る! …

no image
速報(139)☆『第一原発からの撤退認めていたら東北は全滅していたー菅内閣の元側近が明かす』ほか

速報(139)『日本のメルトダウン』   ☆『第一原発からの撤退認めて …