日本経営巨人伝⑮永野重雄ー夜逃げし、倒産会社を再建して「財界天皇」に上りつめた不屈の経営理念
て「財界天皇」に上りつめた永野重雄
の不屈の経営理念
米国から鉄材、石油、セメントを輸入する社員50人の中堅商社で、事務所は東京・丸の内にあった。永野は事務に配属されたソロバンをわたされたが、ソロバンは大の苦手で、やっているとつい眠くなる。
父が亡くなった後は護が父親代わりとなり東京で働きながら毎月50円の生活費を仕送りした結果、兄弟そろって大学を卒業できた。そんな兄に重雄は頭があがらず、従う以外になかった。わずか10ヵ月でエリート商社マンから一転、おんぼろ工場の責任者に転落である。永野は泣き泣き富士製鋼に変わった。25歳の時である。
プラスに変えなくては、人生の落伍者になる」
事務所の床板は、少し踏むと抜け落ちる。工場敷地はペンペン草、工場内はカエルのすみ家となっていた。あまりのひどさにわが身を運命に泣いた。
。鉄材の購買から販売、経理、総務まで一人でやった。苦手のソロバン、伝票や帳簿も自分で記載した。工員として1日中ハンマーをふるって、作業、労働状況も把握した。工員兼小使い兼工場長の1人5役でがんばった。
「若い工場長ががんばってるよ!」と永野のうわさを聞いたのか従業員が次々に復帰して、300人になもなり、生産も軌道に乗り出した。
立ったかわかりません。
「いま思い出しても身の縮む思いがする。もう破産よりないというところまで、何度いったかわからない」と永野は当時をふりかえる。
がバネになる。
永野はそのまま所長として居残った。
ところが翌年に日本製鉄本社から「八幡製鉄所成品課長を命ず」の辞令が下った。必死の努力でやっと再建した結果が工場長から課長への格下げ、左遷であった。永野は愕然とした。
富士製鋼の部下たちも転勤に猛反対した。永野の腕を見込んで他社からも強い勧誘があり、永野も迷った。
二年間続けて、四〇年八幡に勤務している人よりも詳しくなった。所内の大合理化計画の荒仕事が永野にまかされて、これを見事にやってのけた。昭和一二年に本社に戻り購買部長となり、太平洋戦争勃発する一九四一年(昭和一六)、鉄鋼統制会に理事として出向。北海道支部長で終戦を迎える。
大仕事だったな。
昭和二五年にGHQ(連合軍総司令部)の指令で、日本製鉄は富士・八幡の両製鉄所に分割されたが、この時に富士製鉄社長になった。
「私の悪口はすべて報告せよ、しかし、言った人の名は言うな」
永野はこの色紙を見るたびに、勇気づけられた。
みんなが力を合わせれば、十人の力が百人力、千人力になる。そうした中で、独りよがりに走れば混乱を招き、失敗する。「孤高に陥らず」はこうした独善を排すること。「孤独を恐れず」は自分がこれは真理だと思ったら、百万人あれども我行かんの気概を持つことが大切だ。人間誰でも孤独に陥るのはイヤなものだ。できることなら、仲間外れにならず、みんなとワイワイやりたい。
1969年(昭和44年)9月 には日本商工会議所会頭に就任し、経済同友会代表幹事、経団連、日経連顧問、各国との多数の経済員会委員長も兼任し15年間に渡って日本経済発展のトップリーダー、まとめ役を務めた。日商会頭になるや、今や新年の恒例事業となった
経済五団体の合同賀詞交歓会を即座にまとめ上げた。メキシコ、オーストラリア、ニュージーランド、ソ連、インド、アジア、ASEANなどとの間に経済合同委員会を設置して無資源国日本が原材料を海外から輸入して付加価値を高めて輸出し、それで稼いだ外貨で食糧、石油を再輸入していく工業貿易国家づくりに貢献した。
体験的に零細・中小企業者の心がわかるからで、『日本経済石垣論』である。
何万という大石、中石、小石、形の変わった多種類の石が、見事に組み合わされ、少しのスキ間もない。石垣は大石だけでは作れない、小さな石だけでも不可能で重量、形状の変わった大・中・小の石はそれぞれ補完し合って強固堅牢無比となる。
「世界一国論」を訴える。
シューマンはフランス外相、後の首相で、第2次大戦の戦火を超えてヨーロッパの統合を目指した20年間以上その先頭にたった人物である。この結果、現在のEUのもとになる欧州連合はシューマン宣言(1950年5月9日)で実現した。永野は欧州連合構想の本当にできるのかとズバリと質問すると、シューマンは実現を明言した。『複雑なアジアでも可能か』との問いには「もちろんできる。やれば必ずできる」と激励した。
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