前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(360)『エピソード憲法史』【ペニシリンから生まれた憲法】白洲次郎の『ジープ・ウェー・レター』など

      2015/01/01

日本リーダーパワー史(360
 
          <『わずか1週間でGHQが作った憲法草案
 
<エピソード>ペニシリンから生まれた憲法』
◎『毎日新聞スクープから始まった憲法草案』
●『天皇日蝕論』
★『白洲次郎の『ジープ・ウェー・レター』
◎『GHQの強圧―アトミック・シャンシャイン』
 
 前坂 俊之(ジャーナリスト) 
 
エピソード憲法史
 
わずか1週間でできた新憲法は『マッカーサー憲法』『平和憲法』『占領軍憲法』「おしつけ憲法」『ペニシリン憲法』
『避雷針憲法』などさまざまな呼び名がつけられ、以後70年にわたる論争が続いている。
草案作成から成立までのGHQ、日本側との交渉、駆け引き、制定までのいきさつについてさまざまなエピソード、
名場面、珍談がある。
 
1・・【ペニシリンから生まれた憲法!?】
 
『ペニシリン憲法』というのは昭和21年1月24日、マッカーサーと幣原喜重郎首相との会談で『戦争・戦力放棄』の第九条
が生まれたというエピソードである。
 74歳と高齢だった幣原首相は、前年12月25日夜、「天皇の人間宣言」(1946年1月1日)の原稿執筆のため、暖房もない
広い官邸の執務室で仕事をしていて、窓のすき間からの冷たい風でひどい風邪を引き、肺炎にかかり、寝込んでしまった。
重症で高熱でうなされていた時、当時の日本では入手困難なペニシリンをマッカーサーから贈られて、
服用しやっと熱が下がり肺炎もなんとか治まった。
治癒した1月21日、皇居に参内し天皇に報告し、憲法改正にとって最も重要な会談となった24日にはマ元帥を尋ねて、
まずペニシリンの御礼を言った。
そのあと、戦力放棄をおずおずと口にして、マ元帥を驚かせた。天皇の象徴化と「戦争放棄」の平和憲法は幣原の
ペニシリンの御礼から始まり、この中で提議されて生まれたと、いわれている。
 
2・・『毎日新聞スクープから始まった憲法草案!』
 
昭和21年2月1日、毎日新聞は『憲法草案全文』をスッパ抜いて1頁全面に掲載する大スクープを放ったが、これがきっかけで
GHQは憲法草案つくりを始めた。
これをスクープしたのは毎日新聞政治部・西山柳造記者で「政府は甲案、乙案の二通をまとめた。われわれは、それを抜こう
と日夜、取材に当たった。1月31日、ある官邸筋から入手した乙案を本社に持って帰って、パラバラにしてみんなでサーッと
写して、ふたたび元どおりにして返した。各社はあわてた。全く立っていられないくらい、びっくりしていた」(「毎日新聞100史」)と
回想している。

この特ダネをとった秘訣は、当時の毎日の取材体制にあった。当時、西山記者は政治部所属で首相官邸と宮内庁も持って
憲法取材を命じられた。枢密院も取材範囲だった。各社では宮内庁は社会部記者しかいなかった。西山記者は内閣と枢密院と
双方からの情報を総合できたことが、スクープにつながったというわけだ。
 
西山記者はこのスクープの前には1945年12月21日に「近衛の憲法改正草案」もスッパ抜いており、この一年間に47本の
特ダネを抜いた。重要法案は全部枢密院にかかったので、どこかの段階でスクープしたのである。
 
 
3・・『天皇日蝕論』
 
昭和20年11月の第八九回帝国議会で憲法に関して激しい議論がたたかわされた。松本蒸冶国務相は「憲法は調査中」の
答弁を繰り返し、やっと「議会の権限を拡充、臣民の権利自由を保護する」など松本4原則の1部を発表したが、肝心の天皇
の統治権には一切ふれなかった。
これが激しい批判を浴びて、「占領軍の一方的な意志で、わが国の国体が決定されるのではないか」との質問に対して、
松本は「そのようには考えておりません。

占領軍と国の統治権とは別のものです。たとえば日蝕がある。日蝕があるがゆえに、
太陽がなくなっているというのは間違いで、光がさえぎられているということはあっても、太陽自身はなくなっていない」と答弁した。
 

 これが松本の「天皇日蝕論」として有名になった。GHQ民生局次長・ケーディスらはこの国会論戦を逐次、英訳して読んで
おりこの日蝕論をみて、「松本案は明治憲法のワクを一歩も出ない」とその保守性に見切りをつけた。

この発言がきっかけで、「憲法問題で日本政府を強く刺激する必要を感じて」と独自のGHQ案作成に動いたという。

つまり、松本の「天皇日蝕論」がGHQの憲法案の生みの親の1つとなったというわけ。
 
4・・・白洲次郎の『ジープ・ウェー・レター』
 
昭和21年2月13日、はじめてGHQ憲法案が提示され、日本側は大きなショックを受けた。このため、日本側の憲法への
取り組み姿勢と行動を説明するために、終戦連絡事務局次長・白洲次郎が15日、英文の手紙をホイットニーあてに出した。
これが世に言う「ジープ・ウェイ・レター」である。
 
(憲法を作成担当者)松本国務相は若い頃は社会主義者で、今なお心からの自由主義です。GHQ草案とはその精神に
おいて同一のものです。GHQ自分たちも同じ目標をめざすものだが、そこへの道には大きな違いがある。

GHQ側の道は全く米国式で、まっすぐで直線だが、日本の道は回り道であり、曲りくねり、狭い。あなた方の道を航空路と
すれば、日本の道はジープ道なのです。

急激な形で提出された改正案は、結局はうまくいきません。日本側はこの問題は注意深く、ゆっくりと取り上げなければな
らないと感じています」とGHQの強引なやり方をやんわり批判する内容で挿絵まで書かれていた。
16日にホイットニーから丁寧な返書があった。「あなたのいう意味は理解できます。しかし、この間題は急を要するのです。
外部から別の憲法を押しっけられた場合(極東委員会の共和制憲法のこと)、マッカーサー最高司令官が何とか守ろうとして
いる天皇制も押し流されてしまうでしょう。日本国民が憲法を自らの意思で一日も早く世界に宣言して、平和国家への誓い
をたてることが必要なのです」
日米の異文化コミュニケーション、行動パターンのギャップを象徴した内容である。
 
 5・・GHQの強圧『アトミック・シャンシャイン』

 2月13日に突然、GHQの憲法草案が日本側に示された。
 
外相官邸での両者の会談で、まず勝者の定石としてホイットニー将は早春のまぶしい太陽を背にして座り、日本側に一
方的に宣言し、15分間の読む猶予を与えるといって庭に出て行った。

この時、米爆撃機が低空飛行してきて大轟音が窓を激しく揺さぶった。光と大爆音の演出はまさしく原爆並みに日本側に
衝撃をあたえた。

松本、吉田らは草案提示とその劇的な雰囲気、内容の激しさの3重のショックで顔面蒼白となった。

しばらくして戻ってきたホイットニーは「われわれは戸外で、目もくらむほど明るい陽光(アトミック・サンシャイン)を楽しん
できた」と冗談ぽく語り、再び、厳しい口調となって大演説をぶって「もしこの草案が受け入れられなければ、天皇の身体
は保証も考え直さざるをえない」との発言が飛び出した。

日本側にとって「アトミック(原子力)という言葉は、すぐ原爆を連想する恐ろしい言葉であり」、ホ准将が普通に使った言葉
に余計にショックを感じ、威圧、脅迫された言葉と被害者意識を強く感じたのである
 
GHQ側はこれらのすべてについて偶然であり、計算してやったものではないと否定していが、
憲法ドラマの『押し付け憲法』の決定的瞬間となった。
 
 

 - 現代史研究 , , , , , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
速報(298)●『実は中国に屈しなかった小泉首相を尊敬している?』オランド新大統領が握る「ユーロ圏崩壊」の現実度』ほか

速報(298)『日本のメルトダウン』   ●『実は中国に屈しなかった小 …

no image
速報(63)『日本のメルトダウン』★『放射線放出はチェルノブイリ5分の1』『日本政治には衆院選2回必要」(ヴォーゲル教授)』

速報(63)『日本のメルトダウン』   ★『放射線放出はチェルノブイリ …

no image
終戦70年・日本敗戦史(89)「バターン死の行進」以上の「サンダカン死の行進」ー生存率は0,24% という驚くべき事件①

終戦70年・日本敗戦史(89) 「バターン死の行進」以上の「サンダカン死の行進」 …

『Z世代のため百歳学入門』★『世界最長寿のギネス彫刻家は平櫛田中(107歳)です」★『世界最悪の日本超高齢・少子減少社会』の逆転突破力・彫刻家・平櫛田中翁の気魄に学ぶー『今やらねばいつできる、わしがやらねばだれがやる』★『50,60洟垂れ小僧、70,80人間盛り、100歳わしもこれからこれから!』

2019/03/02  「知的巨人の百歳学」(144)の記事 …

no image
速報(214)『日本のメルトダウン』ー『脱原発世界会議』 『肥田舜太郎氏(広島被曝医師・94歳)の『内部被曝の警告』

速報(214)『日本のメルトダウン』 『「脱原発世界会議」』   ●『 …

no image
日本メディア検閲史(下)

1 03年7月 静岡県立大学国際関係学部教授 前坂 俊之 1 CHQ占領下の検閲 …

no image
日中ロシア北朝鮮150年戦争史(46)『日本・ロシア歴史復習問題』★ 「満州を独占するシベリア大鉄道問題」-ウィッテ伯回想記から 『李鴻章と交渉に入る』『ニコライ皇帝と李鴻章の謁見と敵国 の日本の密約締結』

  日中ロシア北朝鮮150年戦争史(46) 『日本・ロシア歴史復習問題』★  「 …

no image
日本リーダーパワー史(627)日本の安保法制―現在と150年前の「富国強兵」政策とを比較するー「憲法で国は守れるのか」×「軍事、経済両面で実力を培わねば国は守れない」(ビスマルクの忠告)

   日本リーダーパワー史(627) 日本の安保法制―現在と150年前の「富国強 …

no image
『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑪『英ノース・チャイナ・ヘラルド』/『日露開戦半年前ーさし迫る戦争 それを知る者より』●『日本の忍耐が限界に近づいていることは.1度ならず指摘している。満州撤兵の約束をロシアに守らせるというのは,イギリスやアメリカにとっては元のとれる仕事かどうかの問題に過ぎないが,日本にとっては死活問題なのだ。

 『日本戦争外交史の研究』/『世界史の中の日露戦争』⑪ 1903(明治36)年7 …

no image
日本リーダーパワー史(951)-「ジャパンサッカー『新旧交代の大変身』★『パスは未来(前)へ出せ、過去(後)でも、現在(横)でもなく・』(ベンゲル監督)★『老兵死なず、ただ消え去るのみ、未来のために』(マッカーサー元帥)

日本リーダーパワー史(951) ジャパンサッカー大変身―「「パスは未来(前)へ出 …