片野勧の衝撃レポート(77)★原発と国家【封印された核の真実】(1981~84)⑬■官房副長官として7人の首相に仕えた 石原信雄氏の証言(下)
片野勧の衝撃レポート(77)
★原発と国家―【封印された核の真実】⑬
(1981~84)ー風の谷のナウシカ
■官房副長官として7人の首相に仕えた
石原信雄氏の証言(下)
片野勧(ジャーナリスト)
■官房副長官として7人の首相に仕えた石原信雄氏
私は首相官邸の事務方トップ、官房副長官として7年4カ月、7人の首相に仕えた石原信雄氏を訪ねた。今年3月18日午後3時――。東京・中央区銀座にある「(財)地方自治研究機構」の事務所。
――3・11。午後2時46分、どこにおられましたか。
「あの時、うちの事務所は麹町にあり、お客さんと話していたら、大きく揺れましてね。これはかなり大きな地震だと思いました」
石原さんはテレビ画面を通して、揺れ動く日本を見つめていた。宮城県の閖上を呑み込む真っ黒な津波。危機にさらされる福島第一原発。
「若いころ、仙台におったものですから、これは大変なことになったな、と思いました」
7人の総理とは竹下登、宇野宗祐、海部俊樹、宮澤喜一、細川護熙、羽田孜、村山富市。宮澤さんの時に北海道南西沖地震(奥尻島地震)、細川さんの時に雲仙普賢岳火砕流、そして最後の“上司”である村山首相に仕えていた1995年1月17日に阪神・淡路大地震が発生した。
「あの時、被害を受けたのは兵庫県だけ。もちろん、あれだけの被害ですから各家庭でモノが落ちたりしました。しかし、東日本大震災の被害は青森から千葉まで広範囲にわたっており、かつ津波ですから、大変だと思いました。そして何よりも原発事故でしょ! 阪神・淡路大震災の時とは対応は難しいと思いました」
■疑問だった菅総理の対応
3・11。その時の総理大臣は菅直人。菅首相は直ちに内閣に緊急災害対策本部を設置し、ピーク時には10万人の自衛隊員が被災地の救援に当たった。「この政府の初動態勢までは適切だった」と石原さんは言う。しかし、その後の対応を見ていると、16年前の阪神・淡路大震災の時に比べ、緊急を要する非常立法措置や必要な補正予算など、明らかに政府の施策は遅れていたという。
特に最高責任者である菅総理の対応の仕方に疑問を持ったという。菅総理は震災発生直後、自ら東京電力に乗り込み、直接、必要な指示を与えたり、「撤退したら東電は100%、つぶれる」などと迫まったりした。もちろん、最高責任者が陣頭に立って指揮することを評価する向きもある。「ただね……」。表情を引き締めた。
「あの時の対応を見ていますと、率直に言って冷静さがないというか、粗削りというか、どうしてよいのかわからないまま対応していたという感じですね。もちろん、無経験もあったのでしょうが……」
さらに、石原さんは言葉を選んで慎重に証言する。
「あれだけの大災害ですから、総理大臣1人で指揮するのは所詮、無理です。分野ごとに担当閣僚を決め、その閣僚に全権を委ねて、総理大臣は一歩下がって全体の状況を把握して、適切な指示を与えるべきだったと思います。細野豪志氏を内閣府特命担当大臣(原子力防災)に任命したのはいいのですが、そこに権限が集中していないものですから、対応が中途半端になりましたね」
石原さんは現在、90歳。内閣官房副長官として国家公務員の頂点にいたエリート中のエリートだが、その語りは決して波立たず、論旨は簡潔、明瞭。記憶力も衰えていない。
■指揮系統の一元化が危機管理の大原則
「もう1つ、対応策の遅れとして挙げられるのが、政治家と官僚組織の連携のまずさです。指揮命令系統が一元化していなかったことです」
本来、一体であるべき政治家と官僚はバラバラ。民主党政権はすべて大臣以下の政務三役会議が中心で、事務次官以下の官僚組織は直接、それに参加しない形がとられたのが、対応の遅れを生んだ、と石原さんは指摘する。
「さらに原子力事故の対応について言いますと、政府と東京電力に大きな責任があるわけですから、日ごろから連携を密にしておくべきだったと思います。東電は東電で動いていて、各大臣の指揮系統もはっきりしないまま動いていました。命令系統が一元化しなければ、現場は混乱しますよ」
指揮系統の一元化が危機管理の大原則と強い口調で言う。
■阪神・淡路大震災の場合
1995年1月17日。東京から遠く離れた神戸市を中心に起こった阪神・淡路大震災。
「あの時は震災対策大臣として小里貞利氏を任命し、すぐに神戸に行ってもらいました。生命にかかわる問題だったら、現地の判断で即断即決してくださいと言いました。そのすべての責任は政府・内閣・総理大臣が負いますと。阪神・淡路大震災の時も多くの方々が亡くなり、問題もあったかもしれませんが、直ちに担当大臣を決めて、そこに権限を集中させました。危機管理としては最善の策を講じたと自負しています」
そして続ける。
「当時の貝原(俊民)兵庫県知事の存在が忘れられません。彼は県内の各市町村のいろんな問題を一元化し、小里大臣と一緒になって対応してくれました」
数秒の沈黙の後、続けた。
「あの時、地震発生から4日後、菅総理から電話がかかってきて、どうしたらよいか意見を聞かせてくれ、というから官邸に行って、分野ごとに最高責任者を決めて権限を集中させるべきです、ということを申し上げました。しかし、理解していただけなかったですね。政権に慣れていなかったのかもしれませんが……」
――事故が起こってから国会でもいろんな議論がありました。石原さんの証言。
「指揮系統が混乱しているものですから、答弁する与党も攻める側の野党も混乱していたんですね。繰り返しますが、大事なのは責任者を決めて、そこに権限を集中させることです。このことは今回の東日本大震災で得た最大の教訓です」
■問われる今後の原子力政策
――今後の原子力政策については? 石原さんの答え。
「私は原子力の専門家ではありません。しかし、日本は資源に恵まれない国です。そのために放射能の危険を伴いながら、日本は先進国の中でも熱心に原子力発電所の建設を進めてきました。しかし、今回の事故を契機として、今後、原子力発電所をどうするのか、エネルギー政策をどうするのか、大きな課題を抱えることになりました。それは同時にわが国の将来像をどう描くかという問題に結びつく深刻な問題ともいえます」
未曽有の大災害を現代日本にどう位置づけるか、石原さんは考えてやまない。「しかし……」。言葉は熱を帯びる。
「私は当面、一層の安全対策を講じながら、運転を継続するという選択肢しかないと考えます。でないと、日本経済を支えてきた産業の根幹が揺らぎます。生活水準や雇用の問題にも影響します。もちろん、核燃料を使うことは危険を伴いますから、安全が大前提ですけれども……」
では、安全をどう確保するか。
「今回、電源が失われたことが大災害を招いた最大の原因です。問題は電源が失われた時、その後の原子炉の過熱をどう防ぐかです。予備電源がいくつもあれば、これほどの大事故にはならなかったはずです」と嘆く。
石原さんは内閣官房副長官になる前は地方財政を中心に40年近く、自治省でただひたすらコツコツと公務に勤めた職人的人物、との評も(澤野祐治・元日本法制学会理事長)。今、私の住んでいる立川市に自治大学校があるが、石原さんは、その時の自治省の事務次官。
「あの時の市長は青木(久)さんでした。いろいろとお世話になりましてね。青木さんはお元気でしょうか」
ざっくばらんで、飾り気のない人だ。人情家で包容力のある人。しかし、仕事は緻密で発想は大胆。首都直下型大地震に話が及ぶ。
■首都直下型大地震に備えよ
東大地震研究所の、ある地震学者は阪神・淡路大地震(M7・3)と同規模の地震が今後30年以内に70%の確率で起きると予測。そ最悪の場合、死者1万1千人と予想している。
「やがて首都直下型大地震は間違いなく来ます。ですから、地震は必ず起こるという前提で、分野ごとに責任者を決めて切迫感をもって対策を立てなければなりません。地震に対する備えは国民の生命と財産を守ることになるのですから」
東日本大震災から5年の歳月が流れた。しかし、災害を忘れたかのように、日本は大丈夫と――。政治家の、この根拠のない楽観主義と防災意識に警鐘を鳴らす。
さらに言葉をこう続けた。
「首都直下型地震の場合、心配なのは東京都知事の権限と総理大臣の権限の調整です。私は双方の役割分担、権限配分を決めておかなければならないと思っています。決めておかないと、大地震が起こったときに混乱しますよ」
3・11の場合も、東京の交通機関はマヒ状態に陥り、大混乱した。いわんや、これから必ず起こるであろう首都直下型大地震が発生すれば、想像もできない深刻なものになる。それを考えると、背筋が寒くなると、石原さんは言う。
■首都機能移転を考え直すべき
もう1つ、大胆な発想といえば、首都機能移転問題。かつて、石原さんは首都機能移転の選考委員を務めておられた。
「平成2年(1990)、将来に備えて首都機能を移転すべしという国会決議を行いました。その決議は今も生きています。移転候補地の選定作業も行いました。しかし、その後、東京都などの反対意見もあり、現在この議論は休止状態になっています。私は今でも、首都直下型地震に対する受け皿として、首都機能移転問題について考え直すべきではないかと思っています」と提唱する。
帰り際、石原さんは言った。「私は政治家ではありませんし、原子力政策に対して反対とか、賛成とか言う立場ではありません。ただ、長年、携わってきた行政のあるべき姿として安全対策だけはしっかりやってもらいたいということです」
「政」と「官」の狭間にあって、現実の政策決定にかかわってきた人の持つ言葉は重い。時に人
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