前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉟「日本が民情に従い、善隣関係を保つべきを諭ず」

      2015/01/01

  

 

『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』

日中韓のパーセプションギャップの研究』

 


1889
(明治22)年526日光緒15年己丑427『申報』

 

 

日本が民情に従い、善隣関係を保つべきを諭ず

【異文化理解の難しさ】

 

 

古来国をよく治めるには,急激な改革を行うよりも旧制を順守すべきであり.厳重な刑罰を行うよりは.広く恩沢を施すべきだ。朝廷の思沢が広く行われれば,人民はその恵みを受け,感激しない者はないのだ。「易経」に言う「説(よろこ)びて以て民に先んずれば,

 民其の労を忘る。説びて以て難を犯せば.民其の死を忘る」とはこのことだ。

 

そうすれば決して上に逆らい反乱を起こす者は出ないだろう。「大学」に言う「好悪人の性にもとにる」ようでは,決して安泰とは言えない。人民とは川のようなものだ。川がふさがり決壊すれば.多くの人が傷っく。政治を行う者は,民情に順い彼らをうまく導かねばならない。こうしてこそ民意を得ることができるのだ。

 

日本は東方海上の雄国である。中国.ロシアという両大国の間にあって毅然として自立し.勢い盛んだ。ヨーロッパ諸国と通商を開いて以来,西洋の学問を尊重し西洋の制度を導入し,次第に国外に名をはせている。

 

しかし,「日本の立法はあまりに煩雑で.その改革はあまりに急激だ」と論じる者もいる。全国民を断髪させ西洋式の服装に倣わせ,また民間において米穀の代わりにパンを食べさせているというが.衣服や飲食のようなきわめて些細なことが.富国強兵となんのかかわりがあるだろうか。国民ににわかにこうしたことを強制するべきではない。また言語や文字などは,民間で代々伝え習い.慣れ親しんだものなのだから.簡単に全廃して他国に倣うことはできない。

 

ヨーロッパでもよく他国の言語に通じる者は,全国民の23割に過ぎないのだ。全国民が他国語に倣うようなことは決してない。自国語を捨てて他国語を用いるようなことでは.どうして国家の体をなすことができようか。

 

考えるに,日本は最も早く中国に通貢した。昔、漢の武帝が朝鮮を滅ぼしたとき.倭人はこれを恐れ,20余国が使者と通訳を通わして漢に通頁したのだ。日本が中国に通貢したのはこれが最初だった。その領域は,「宋史」に至って初めて詳細となった。すなわち僧喬然の伝えるところによれば.畿内・七道・三島より成り.計65国であるという。

 

現在はこれに北海道が加わり,20国が置かれている。さらに琉球を滅ぼして沖縄県とし,辺境でもやや領土を広げた。これが日本の沿革の大略である。そもそも日本は神武天皇が国を開いて以来,国制はおよそ5度かわっている。秀吉が天下を平定して以来,初めて封建制度を行い.徳川氏が興起するや,また諸藩を封じた。諸大名は各国で各々領地を支配していたが,一方朝廷の大権は衰微し,租税徴収も滞っていた。

 

末期に至って.アメリカ人が浦賀に至り,次いで下田に至った。ロシア人も大阪に至り,次いで樺太に至った。さらにイギリス人も函館に至り,次いで長崎に至った。このように外賃船がにわかに出没したために,国を挙げて混乱が広がった。明治帝が政権を執るに及び,日本は島国という条件から,陸よりも海を重視すべきだと考え,藩を廃し,その版籍を奉還させることを決意した。そして336県を設け,それぞれに長官を置き,府県制度を整えたのだ。按ずるに日本の領土は,中国の1省程度でしかない。

 

旧制に因循せず.強国たろうと奮起を始めて以来.汽船は縦横に通じ.使節は諸国に赴き,北は強国ロシアと.西はイギリスやフランスと友好関係を結んだ。またヨーロッパに倣って徴兵制を実施し.重く租税を徴収して軍糧を調達した。また全国に地理局や水路局を設置し.全国の子弟に戦術や地理学を教えている。どこが四通八通の地で,どこが要害か,どこが河川や海洋の要衝で,どこが首都を守るための要地かなどに通暁させ,非常事態に備えようとしているのだ。

 

加えて中国の地理を教え,詳細に考察を加えている。さらには旅行に名を借りて,中国の各海港や内地の地形を測量し,その浅深を記録し,地図を作成して帰国している。ああ.その野心は決して小さくはないのだ。そもそも政治の根本は礼・楽・政・刑の4つにある。

日本国民の風俗は,元来中国と同様だった。

 

その詩書や文字も相通じあい.海外随一の高い文化をもった国と言うことができる。また日本は島国という地理的条件のために,船舶をもって外国と通交している。この点ではイギリスと同様だ。日本がヨーロッパを範としようとするのならば,第1に海軍が重要になる。また鉄砲・機器・戦術・軍政なども順を追って整備すべきだ。

 

さらに国内政策としては,交通や鉄道を整備し,また電報や通信にも力を注ぐべきだろう。また学校を設立して西洋の学問を振興し,いわゆる軍事学校・技術学校・商業学校・外国語学校なども全国に建設すべきだ。これらはその大網であり,一切の細かい点についてはここでは論じない。このような政策を10年行えば.富国強兵の実はたちどころにあがることだろう。

 

ただしいたずらに改変だけをくり返し.朝令暮改のありさまでは,単に国民を苦しめるだけで,なんの意味もないのだ。最近日本では議会を設立し.民意を政府に伝えさせようと計画しており,あたかもヨーロッパの民主国家のようだ。とすれば上下が協力し.官民一体となり.心をあわせて政治に努めるべきだろう。しかしそれなのになぜ刺客が高官を襲撃するような事件が起きるのだろうか。

 

また10余年前には,廷臣が意見の衝突からそろって辞任して下野したこともあった。これでは,信任し得る臣下が君主と艱難・喜憂を共にするという状態とはほど遠いといえよう。聞くところによると,日本国民は忠勇をもって自ら誇り,死をも恐れず,また身命をささげても悔いず,さらに武勇の士や二心なき臣が,皆君主の恩を懐い,国家が安泰で無事であることを願っているために.不達の輩もあえて蠢動しようとしないという。

 

思うに,ヨーロッパに倣って強国たろうとするのは.もとより悪いことではない。ただ改革を性急に進めるあまり民情に背くべきではない。民情に背いて自己の目的をとげようとすることすら難しいのに,民情に背いて外国の風習に従わせることなどできるだろうか。国民を欺いてまでヨーロッパの制度・法律・文字・言語・衣服・飲食・風俗・教化を押しつけようとするのは,甚だしく思慮に欠けたことだ。また陰謀や秘計をもって他国に食指を伸ばしているが.局外にあるヨーロッパ諸国でさえすでにその腹の内を見抜いている。これはいわゆる「司馬昭の心たるや,路人も皆これを知る」のたぐいだ。

 

考えるに.アジアのうち.中国が最も大国であり,日本がそれに次ぐ。日中両国が協調して.相互に助けあってこそ,外国の侮りを防ぎ,遠近の国々を制することができるのだ。遠大な考えもなく.目先の利益に惹かれて分外の野心を抱くべきではない。秦が滅亡したのは.封建制度を廃して郡県制皮を施行したためではなく,詐術をもって諸国を併呑し.天下の恨みを集めたためであることを想起すべきだろう。

 

すなわち,強大な権力や,峻厳な刑法をもってしては,天下国家を久しく治めることはできないのだ。重要なのは,民情に順って善隣関係を保つことだ。民情に順って立国してこそ.強国となることができ,善隣関係を保って統治してこそ,久しく統治することができるのだ。これが大所高所から見て,日本に望まれることなのだ。

 

 

 - 戦争報道 , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
★『アジア近現代史復習問題』・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む(2)ー「北朝鮮による金正男暗殺事件をみていると、約120年前の日清戦争の原因がよくわかる」★『脱亜論によりアジア差別主義者の汚名をきた福沢の時事新報での「清国・朝鮮論」の社説を読み直す』★『金玉均暗殺につき清韓政府の処置』 「時事新報」明治27/4/13〕』

 『アジア近現代史復習問題』 ・福沢諭吉の「日清戦争開戦論」を読む(2)ー 「北 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(324)★『日露300年戦争史』(7回連載)-『鎖国・平和一国主義の徳川時代の日露関係 /日露交渉の発端から侵略へ』★『こうしてロシアは千島列島と樺太を侵攻した』★『露寇(ろこう)事件とは何か』★『露寇事件」はロシアの大植民地主義者のレザノフの対米、対日植民地化戦略の一環として生まれた』

  日露300年戦争(1)-『徳川時代の日露関係 /日露交渉の発端の真 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(92) 戦後70年を考えるー「終戦」という名の『無条件降伏(全面敗戦)』 内幕<A級戦犯に指定の徳富蘇峰の戦争批判

終戦70年・日本敗戦史(92) 戦後70年を考えるー「終戦」という名の『無条件降 …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(3)<新聞資料編> 『日清戦争の原因の1つの金玉均暗殺事件の真相』

 日中北朝鮮150年戦争史(3) <新聞資料編>『日清戦争の原因の1つの金玉均暗 …

no image
終戦70年・日本敗戦史(136)新渡戸稲造が事務局次長を務めたことのある名誉ある国際連盟理事国を棒に振ってまで死守した「ニセ満州国の実態」とはー東京裁判での溥儀の証言

終戦70年・日本敗戦史(136) <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(11)記事再録/副島種臣外務卿(初代外相)の証言④ 『甲申事変後の対清政策意見』1885年(明治18) ★『➀日本で公法(万国法、国際法)をはじめて読んだのは自分 ②世界は『争奪の世界(植民地主義』で、兵力なければ独立は維持できない。 ③書生の空論(戦争をするな)を排する。 ④政治家、経済人の任務は国益を追求すること。空理空論とは全く別なり。 ⑤水掛論となりて始めて戦となる、戦となりて始めて日本の国基(国益)立つ。』

 日中,朝鮮,ロシア150年戦争史(52)  副島種臣・外務 …

no image
(まとめ)—近代日中関係の創始者・孫文と『支援した熱血の日本人たち』—辛亥革命百年秘話

(まとめ)—近代日中関係の創始者・孫文と 『支援した熱血の日本人たち』—辛亥革命 …

『リーダーシップの日本近現代史』(313)★『コロナパニック/国難リテラシーの養い方④』「日本最強のリーダーシップ・児玉源太郎の国難突破力(9)『日露戦争で国が敗れるときは、日本も企業も個人もすべて絶滅する」との危機感を述べ、全責任を自己一身に負担し、その責任を内閣にも、参謀総長に分かたず、一身を国家に捧げる決心を以て立案し、実行する」と言明、決断、実行した』

    2013/06/16  /日本リ …

no image
日中韓150年戦争史(80)伊藤博文、井上馨ら歴史当事者が語る日清戦争の遠因の長崎事件(長崎清国水兵事件)について

 日中韓150年戦争史-日中韓パーセプションギャップの研究(80) 伊藤博文、井 …

no image
近現代史の復習問題/記事再録/日本リーダーパワー史(82)尾崎行雄の遺言「日本はなぜ敗れたかーその原因は封建思想の奴隷根性」

日本リーダーパワー史(82)尾崎行雄の遺言「日本はなぜ敗れたかーその原因は封建思 …