前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑭『 戦争も平和も「流行語」と共にくる』(中) 「生めよ殖やせよ国のため」(昭和14年)」

      2015/01/01

 


『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑭

 

『アジア太平洋戦争と流行語の関係は―

 戦争も平和も「流行語」と共にやってくる』(中)

「生めよ殖やせよ国のため」(昭和14年)」の合言葉。

 

 

月刊誌『公評』<201111月号掲載>

 

        前坂 俊之

             (静岡県立大学名誉教授)

 

◎<第2期の準戦時体制—支那事変のドロ沼化、近衛内閣の失敗

 

2期は1937(昭和12年)6月の第一次近衛文麿内閣の誕生からで支那事変の勃発(同7月)、国家総動員法での
戦時体制の確立、支那事変の長期化、泥沼化、1941年12月の真珠湾攻撃による日米戦争勃発までの5年間である。

 

流行語は次のように続く

 

・昭和11年(1936)準戦時体制時代―今カラデモ遅クナイ、阿部定、国民歌謡  前畑がんばれ

・昭和12年(1937)国民精神総動員時代―腹切り問答精勤運動、千人針と慰問袋、愛国行進曲

・昭和13(1938)(マル公)時代-国民政府を相手とせず、国家総動員法 木炭バス、(マル公)

・昭和14(1939)闇取引時代―就職列車、パーマネントはやめましょう、興亜奉公日、闇取引

・昭和15年(1940)隣組時代-ぜいたくは敵だ、隣組 国民服・もんぺ、紀元二千六百年

 

この期間の主役は近衛文麿首相で、天皇家に一番近い近衛家の当主。近衛はもともと英米派でその才能から軍部に対抗できる政治家として国民的な人気があり、元老の西園寺公望から推挙された。

 

第一次近衛内閣誕生から約1ヵ月後の昭和1277日に、支那事変が勃発する。現在使われている「日中戦争」のことだが、当時は「支那事変」「日華事変」「日支事変」などと呼び、内閣は欧米の反発を恐れて「戦争」ではなく、より小さい軍事的な衝突としての「事変」と命名した。

 

当初、政府は「不拡大方針」を指示したが、陸軍、現地軍は「半年でかたずける」と豪語して戦線を拡大し、第2次上海事変(同813日から)、首都南京占領(同12月)へ向けて進軍する。政府も方針を転換し、支那派遣軍を送り込んだ。

く。

「暴支鷹懲(ぼうしようちょう)」(暴虐な支那を懲らしめるという言葉)が戦争の目的になり、連日、新聞では「聖戦」『皇軍は連戦連勝』「南京陥落、万歳!」大きな見出しがおどり、「反中」「排中」のキャンペーンが展開され「宣戦布告なき戦争」はドロ沼状態になった。

 

支那事変が全面戦争化すると、8月に政府は「国民精神総動員」を決定、9月には「挙国一致」「尽忠報国」「堅忍持久」をスローガンに掲げて近衛首相自ら「時局に対する国民の覚悟」(精神総動員運動)を叫んだ。全国民が一斉の明治神宮遥拝、出征家庭への勤労奉仕、英霊の遺骨出迎、消費節約、貯蓄奨励、国債応募、労使協力などを国民に強いた。中世に逆戻りしたかのような神がかり、復古主義がよみがえってくる。

 

南京陥落(121214日)後になると日本側が中国政府(国民政府)との和平交渉を打ち切り、13年1月に「国民政府を相手とせず」という外交断絶声明を発表した。この「外交失敗」によって、日中関係は「ノー・リターンポイント」をこえることなる。

 何にも知らない国民は、威勢のいい近衛首相の言葉に喝采し、以後「○○を相手とせず」を流行語にした。

 

中国側は大陸で撤退、持久戦を続けて、わずかな日本支那派遣軍(100万)は広大な中国大陸で点と線を確保しただけで、戦局は「どこまでつづく抜かるみぞ」とこう着状態に陥っていく。

 

1522月、「聖戦」という国策スローガンに対して、民政党の斎藤隆夫が批判するは議会演説を行い、議員を除名された。以後、戦争批判は一切許されなくなった。

第二次近衛内閣では「八紘一宇」(はつこういちう)天皇イデオロギーによって八紘(世界)を一つの屋根にする」を基本国策に掲げ、アジアの盟主を自任した。「紀元二六〇〇年祭」が昭和15年1110日、盛大に行われた。

 

こうした、軍事予算は増える一方で、国内経済を圧迫、国民の生活は苦しくなった。昭和146月、政府は生活刷新案を決定し、「今は非常時節約時代なのでおしゃれの追放とマネントはやめましょ」と国民生活に介入。遊興飲食店の営業時間短縮、ネオン全廃、噌答品の廃止、女性のパーマネントの廃止を決めた。

 

戦時下で物資がますます困窮してきた1945 年(昭和15)七月七日には「贅沢禁止令」が出された。太平洋戦争開始の1年前である。「ぜいたくは敵だ!」を大書きした立看板が、国民精神総動員本部・警視庁・東京府・東京市の連名で計一五〇〇本の看板が立てられた。

 

 

「生めよ殖やせよ 国のため」(昭和14年)」も流行語の合言葉となった。

 

これは支那事変の影響で人口が急減、出生数も低下し、「このままでは日本民族は減少の一途」と危機感もった政府は「戦力としての人間の補充」をめざして昭和十五年、「一億一心」という標語が作った。

 

人口増のため、①結婚年齢を早める②出生数五人をめざす。③独身者には独身税をかける④多子家族へは物資の優先配給する、など厚生省は「結婚十訓」を発表した。

十五年、満六歳以上の健康な子どもを十人以上持つ家族を「優良多子家庭」として表彰した。日本一は十六人の子持ちだった。

 

 

                        つづく

 

 

 - 戦争報道 , , , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(8)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑨『日中韓の誤解、対立はなぜ戦争までエスカレートしたか」ー中国・李鴻章の対日強硬戦略が日清戦争の原因に。簡単に勝てると思っていた日清戦争で完敗し、負けると「侵略」されたと歴史を偽造

    2015/11/28 &nbsp …

「オンライン決定的瞬間講座・日本興亡史」⑬」★『国会議員63年間のギネス政治家・尾崎行雄(96歳)の「昭和国難・長寿逆連突破力』★「日本盛衰の原理はー売り家と唐様で書く三代目」で不敬罪で82歳で起訴される』

  第5章―国会議員63年間のギネス政治家・尾崎行雄(96歳) ますま …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(45)記事再録/<まとめ再録>『アメリカを最もよく知った男・山本五十六連合艦隊司令長官が真珠湾攻撃を指揮した<悲劇の昭和史>

  2015/11/13 /日本リーダーパワー史(600) …

no image
● 『まとめ日本世界史』(世界史の中の『日露戦争』)➡英国『タイムズ』米国「ニューヨーク・タイムズ」は 「日露戦争をどう報道したか」を読む(22回連載)

  世界史の中の『日露戦争』(22回シリーズ) <英国『タイムズ …

「トランプ関税と戦う方法論」ー「石破首相は伊藤博文の国難突破リーダーシップに学べ⑨』★『日本の運命を変えた金子堅太郎の英語スピーチ力③』★『カーネギーホール、ハーバード大講堂の万余の米国インテリ層に日本の強さの秘訣は武士道にあるとスピーチした』★「武士道とは何か」ールーズベルトが知りたいと新渡戸稲造の本を買った』★『ル大統領は<日本が勝つが、黄禍論を警戒せよ>といった』

★☆「武士道とは何か」ールーズベルトが知りたい その後は各地方から招待を受けて、 …

no image
『オンライン講座/真珠湾攻撃から80年⑩』★『 国難突破法の研究⑩』★『今から90年前に日本は中国と満州事変(1931年)を起し、その10年後の1941年に太平洋戦争(真珠湾攻撃)に突入した』★『その当事者の東條英機開戦内閣の嶋田繁太郎海相が戦争の原因、陸軍の下剋上の内幕、主要な禍根、過誤の反省と弁明を語る』

2011/09/05  日本リーダーパワー史(188)記事再 …

『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑲ 』★『戦略情報の開祖・福島安正大佐ー 明石元二郎の指導する「明石工作」は日英同盟を結んだ英国諜報局とは極秘の「日英軍事協商」を結び諜報の全面協力体制を築いた。福島安正、宇都宮太郎(英国駐在武官、宇都宮徳馬の父)がバックアップして成功する』

    2016/03/01  &nbs …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(5)記事再録/日本国難史にみる『戦略思考の欠落』⑤ 『1888年(明治21)、優勝劣敗の世界に立って、日本は独立を 遂げることが出来るか』―末広鉄腸の『インテリジェンス』① < 各国の興亡は第1は金力の競争、第2は兵力の競争、 第3は勉強力の競争、第4は智識の競争であります>

  2015/11/23  日本リーダー …

『Z世代のための次期トランプ米大統領講座㉒』★『ウクライナ戦争から3年目―トランプ大統領の停戦和平は実現するのか?』★『これまでの死者数はウクライナ40万、ロシアは約60万人(トランプ氏発言)』

24年12月11日、ウクライナのゼレンスキー大統領は、ロシアによる全面侵攻が始ま …

no image
日本リーダーパワー史(739)『大丈夫か安倍ロシア外交の行方は!?』(歴史失敗の復習問題)『プーチン大統領と12/15に首脳会談開催。★『「ロシャに対しては、日本式な同情、理解で 仕事をしたら完全に失敗する。 ロシャは一を得て二を望み、二を得て三を望む国であり、 その飽くところを知らず、このようなものに実力を示さずして 協調することは彼らの思うままにやれと彼らの侵略に 同意するのと同じことだ」 (ロシア駐在日本公使・西徳二郎)』

 日本リーダーパワー史(739) 『大丈夫か安倍ロシア外交の行方は!?』 (歴史 …