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『日本の運命を分けた<三国干渉>にどう対応したか、戦略的外交の研究講座③』『リーダーシップの日本近現代史』(56)記事再録/<国難日本史ケーススタディー④>林董(ただす)の『日英同盟論を提言ー欧州戦争外交史を教訓に』 <「三国干渉」に対して林董が匿名で『時事新報』に日英同盟の必要性を発表した論説>

   

2012-03-10 /<国難日本史ケーススタディー④>林董(ただす)の『日英同盟論を提言』記事再録。再編集

 
前坂俊之(ジャーナリスト)
 
ここでは日清戦争の勝利の後に、ロシア、フランス、ドイツが組んで、勝利の獲物を手放さないと戦争をするぞと最後通牒をつきつけた「三国干渉」を学ぶ。これは日清戦争に勝利したと油断した、日本は絶体絶命の危機に陥った。突きつけられた3国からのピストルに即、ホールドアップして、屈服したのである。
当時の帝国主義全盛の国際軍事競争の中での、下位の新興国日本の大国中国に勝ったという慢心の鼻を容赦なくへし折った。英国公使・林董は日本外交の失敗を批判し、これを教訓にして日英同盟の締結にまい進し、実現する。日本外交の最大の功績・日英同盟の推進者である。政治家、外交官、国民必読の論説である。
 
 

「三国干渉」に対する日本外交展開『日英同盟の必要性』の論説      

〔明治28528日時事新報〕
  
 
千八百四十八年、ハンガリーの民起ちて、その宗国オーストリアにに叛くや、勢いすこぶる【猖獗】(しょうけつ(好ましくないものが)はびこって勢いが盛んであること)にして、オーストリア政府もほとんどこれを制することあたわず、百計尽さてついに露国の援兵を乞い、
 
以って辛うじて鎮定することを得たり。1856年、英、仏、土の3国同盟して.露国と戦うに当り、オーストリアは露国がさきにその内乱の鎮定を援けてくれた恩義を忘れ、英、仏と同盟して兵を露国の中央に進めんことを謀れり。時にプロシアはオーストリアをドイツ連邦の外に駆逐して、自から覇業を建てんとの陰謀を抱きつつありしが、オーストリアを伐っに当りて後顧の患いなからんがためには、露国の関心を得るにしかざるを以って、オーストリア、露の間に反目の情あるを見てたちまちその機に乗じ、ドイツ連邦の縁故によってあらわにオーストリア国と結び、ひそかに種々の計策を運らして、
 
同盟軍の露国の中央に進むことを阻み、同盟軍はこれがために僻遠の地方クライミヤに於いて数年の間不利の戦争を継続し、ついにセバストポール城を抜いて戦い勝つといえども、兵を罷(つから)しめ財をついやし、得る所なくして止みたり。
 
露国は大いにプロシアのこの事を徳としたるが故に、1866年、普墺戦いを開くに当り、露国は始めより普と親しみてこれに声援を貸し、以って先年の徳に報い、併せてまた自家の怨みに報ゆるの快を取りたり。この時にあたりて普の恐るる所は、ただ仏国の干渉のみ、故に彼は百法手段を尽して仏帝を瞞着し、これにくらわしむるにライン河左岸の地を併呑することを黙視するの密約を以ってし、ついに首尾よく仏国をしてこの戦争を袖手傍観せしむることを得たり。
 
和成るの後、仏帝はまさに普と密約したる所を実行せんとしたるに、普はたちまち前言をは食(は)んでこれに抵抗したり。これすなわち仏人が大いに普国を怨むに至りし原因にして、千八百七十一年に及んで、ついに両国の間に戦端を開くこととはなれり。初め普墺戦争の起るや、普国は伊太利を促して己れに同盟せしめ、彼をして伊太利に於ける壌国の所領地を略取せしめたり。また普仏戦争の起るに先だち、普国はかつて仏帝が墺国を削りて普、仏の間に分取りせんことを謀りたる条約草案、及び外交の文書を世に公けにして、墺国を怒らしめ、以って墺仏両国の交わりを絶てり
しとうして伊国は普と結んで、以って仏がローマ法王の事に干渉することを阻止せり。ここを以つて普仏戦争の終わるまで、他国のこれに干渉するもむ更になかりき。普相ビスマルクが世に大外交家を以って称せらるは、これらの操縦に付き、神機妙算測るべからざるものありしを以ってなり。
 
1876年、露国は大いに兵を起してトルコと戦い、しばしば敗じくして後、勝つことを得Yサン・ステファノの定約を結んで、トルコ領の割譲を受くること多し。けだし露国の意は、さきに普国が墺と戦い、また仏と戦うに当り、露は陰に普を助けたるの徳あるのみか、今度、露土(ロシア、トルコ)の戦い開くをの前に、普は暗にこれを勧奨したるの形跡さえあれば、土児格(トルコ)といかなる定約を結ぶも、普は必ずこれを賛助するならんと期し居たるに、なんぞ図らん、英国がこれに干渉するに及んで、普は露を賛助せずして、かえって英国に左担したるにぞ、伯林(ベルリン)大会議を開くに及んで、サン・ステファノの定約をば修正して、割譲地は多くこれを土延に還付することに一決したり。
この時よりして露は、普に対して徹骨の怨みを抱くこととはなれり。
 
けだし普、襖の二国が英国を助けたる所以のものは、露が東欧に勢力を得ることの過大なるを悪(にくむ)めばなり。爾後、普国は北には露の怨みを受け、南には仏国の常に己れを仇讐視するものあり、この間に在りては、いかに強大なる独逸(ドイツ)帝国といえども、孤立して久しさを保つことはなはだ覚束なさを以って、ついに独、墺太利、伊の三国同盟なるものを経営して、霧、仏は各孤立の姿となれり。思うに、墺は独に対して快さを得ず、また伊国を視ること叛賊もただならざれども、しかれども露国の復讐に備うるには、三国の同盟によらざるべからず。
 
伊もまた従来の関係より云えば、墺に対して親交すべき理由なしといえどむ、仏国に対しては到底独手を以って当るべからざるを以って、ぜひとも三国同盟の力を借るの必要あり。
 
これぞすなわち、この同盟の堅固なる所以なりと知るべし。またこの間に露、仏二国は、その政体の正反対なるに拘わらず、互いに相親密ならんとするの傾きあれども、その同盟未だ固からざるを以って、爾来十数年の間、右三国の同盟はよく欧洲の平和を維持することを得たり。
 
しかりといえども年所久しさを経れば、旧怨もようやく薄らぐことあり、また怨みを匿して親密を装う者も、長日月の間には更に不快心を増進すべき事情の生ずることなきにあらず。されば近来に至りて墺、露は、ようやく相親交せんとするの傾きあり、また伊国は三国同盟に必要なる多額の国費を供給するの力ようやく衰滅したれば、独、墺を離れて他に同盟を求めんとするの傾きあり。
 
欧洲の形勢かくのごとくなるを以って、露国がまさに東洋に事あらんとするときは、独は勉めてこれを奨励して、以って彼の歓心を求め、併せてまた自家の禍いを遠境に嫁せんことを謀り、仏は自から東洋関係の利益少なからずといえども、欧洲の大勢に於いて露国と離るるの撮害莫大大なるを以って、その心中に欲せざる所をも、なお露の意志に従いて行わざるを得ざることあり。(注・三国干渉の遠因)
 
ひとり欧洲強国の中に在りて洋中に介立し、大陸列国と境を接せざるがために、列国連合の中に加わらざるものは英国なり。しこうしてその版図は北半球の南部各地に亘りて、北の方露国と処々に境を接し、常にこれと敵対せり。
 
露は地中海に、ペルシャ湾に、渤海湾に、また朝鮮の東北にようやくその版図を拡め、必ず海に達して以うで良好の海港を得んことを期し、不とう不屈、以ってその志を貫かんとするその一方に於いて、英国は版図既に広く、軍略上に貿易上に要害の地を有することすこぶる多く、その目的とする所は既有の利益、権勢を維持して、以って他の侵略を防ぐに在るのみ。
 
欧洲列国の形勢大略かくのごとし。日本はその中のいずれを味方として、いずれに備うるを得策とするか、これを断定するは敢えて難事にあらざるべし。
 
すなわち大陸の諸国は、いずれもその本国に於ける利害の関係切なるものあるが故に、たとい、一時は我に対して好意を表するがごときことあるも、いったん事起るの日には、たちまちその挙動を豹変して、人を驚かすことなきを期せず。現に我輩は世人と共に実際の経験によりて、この事を熟知する者なり。
 

これに反して我と利害を同じうし、いわゆる約せずして親しく、相質せずして固く、互いに割愛しで相憎まず、ともに強くしてますます親しむかの天然真乎の同盟国なるものは、すなわち欧洲の大陸に利害の関係少なくして、しかも東洋に於いては既成を守り、他の欧洲国の侵略を防がんとするものにあらずして誰ぞや。     我が日本人民はすべからくいったんの憤激心を抑え、力を貯え、海軍を強うし、もっぱら利害同じき者と交わりを固くして、以って他日事あるの時をまつべきなり。(注・日英同盟の必要性を外交戦略として説いている)

 

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