前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『オンライン講座・吉田茂の国難突破力⑨』★『歴代宰相の中でも一番、口の堅い吉田じいさんは公式でも突っけんどんな記者会見に終始して、新聞記者と個人的に会談したケースは少ない。『総理番記者』は『新聞嫌いの吉田ワンマン』取材用に誕生した」●「伊藤博文の大磯邸”滄浪閣“を買取り、自邸の『海千山千楼』に改築した

   

 

   2016/02/09 日本リーダーパワー史(659)

『昭和の大宰相・吉田茂のジョーク集』②

そのいきさつを土師二三生(毎日新聞政治部副部長)「吉田ワンマンあれこれ」「政治部記者の目と耳」(第2集)に収録、非売品、平成3年刊)で次のように書いている。

吉田ワンマンあれこれ“総理番〟第一号

1947(昭和22)年の2・11スト直前の土曜日のこと。神奈川県大磯の吉田ワンマン邸宅に『朝毎読』の3人の政治部官邸長が取材に行くと、坂本喜代子(本名)さんが玄関に現れてわれわれに軽く会釈した。

総理護衛の坪井警部が、「折角、お越し頂いても旦那さまからきつくいわれておりまして、ごあいさつとおっしゃられても お話しできませんので、あしからず、ということです」

この坂本喜代子こそ吉田首相のいい人だという『こりんちゃん』を見た最初であった。

その前日、林謙治内閣書記官長が「これから吉田総理は、週末には大磯の自邸へ戻られ、火曜日の閣議までに上京されるというこに致しました」という公式発表があった。

内閣記者会の三社の官邸長(キャップ)が話し合いを持った。吉田は21年5月、鳩山パージのあとをうけて総理就任以来、旧近衛邸の荻外荘や大磯の自邸、そして御殿場の知人の別荘など、その居所不定の状態が続いていたが、年明けとともに定めのねぐらを決めることにしたらしい。

そこで三官邸長とも、これからは社会部並みに常時、張り番する必要があるだろうということになり、いわゆる”『総理番』がここに誕生することになった。

われわれ三人は、吉田首相との面通しを断られたあと、私邸入り口右側の民家、通称「粉屋」を首相邸張り込みの拠点として、その二階部分を使用する契約をした。余談であるが、読売はこのあと

「粉屋」との間に(吉田急病などの)非常事態のさいの独占使用の契約を結び、このことを知った毎日は、吉田邸東側海岸寄りの隣家「蜷川新」法学博士の自宅と貸借契約を交すなど、各社が〝臨戦体制“を布いた。

 

昭和26年の吉田ワンマンは絶対多数の第三次内閣(1951年12月26日―1952年10月30日)の発足以後も、記者団への対応と問答は、まったくゼロに近い。北海道への氷川丸による船旅や総選挙遊説の四国同行など、永田クラブや平河クラブへの接触は数回あったはずだが、公式で突っけんどんな記者会見以外に、吉田が新聞記者と個人的に会談した事実はない。

われわれ政治記者にとっても、『じいさん』(後半期のわれわれの吉田首相への敬称)の生の談話は、なかなか拝聴していない。

「海千山千楼」のいわれ

西武不動産が管理している大磯町西小磯のあの吉田御殿は、吉田の凝り性と思いつきゆえに、何度も増改築を繰り返してきた。おしまいには二階の居室から階下の食堂前にかけてエレベーターをつける計画が、本人の足腰のことを考えて設計されたが、その工事直前に当人が亡くなった。

そして吉田はこの豪邸に「海千山千楼」と名付けた。『ここには海千,山千が集まってくるのでね,( ゚д゚ )』

もともと、ここには吉田が尊敬する伊藤博文の大磯邸”滄浪閣“は、

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BB%84%E6%B5%AA%E9%96%A3

があり、戦後堤康次郎が買収していたが、吉田は隣地の所有者でもある堤に話をつけて伊藤の縁故物などをもらい受け、同じ明治の元勲岩倉具視、大久保利通、木戸孝允とともに自邸内の祠(ほこら)に祀って、『四賢堂』と称した(のちに三条実美を入れて五賢堂、西園寺公望が加わって六賢堂にまで拡大されたが、吉田死去後の佐藤内閣時代、佐藤はこれに吉田を追加して現在七賢堂とした)。

吉田は、これら先輩連の別荘の伊藤の” 滄浪閣“、西園寺の興津”坐漁荘“、それに山県有朋の”椿山荘“、自身も住んだ近衛文麿の荻窪”荻外荘“などにあやかりたかった風だが、たまたま大磯が”本宅″であるため、へそ曲がり風にこのように名付けた。御殿正門の冠木門にもこの掲額はない。その代わりに、この『海千山千』を自負したじいさんその人自身が、ちゃんと、この家のいわく因縁を語っているのである。

 – 

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『オンライン講座/日本興亡史の研究②』★『明治大発展の影のキーマンは誰か?①』★『インテリジェンスの父・川上操六参謀総長ー田村 怡与造ー児玉源太郎の3人の殉職⓵』★『「インテリジェンスの父・川上操六参謀総長(50)の急死とその影響ー陸軍での川上の存在がいかに大きかったか』

2016/02/21  日本リーダーパワー史(670)日本国 …

no image
日本風狂人伝④ ノーベル賞作家・川端康成は借金の天才だよ

2009,6,18 日本風狂人伝④ ノーベル賞作家・川端康成は借金の天才だよ   …

no image
イラク戦争報道―米軍前線指令本部の発表はどうだったのか 03 年8月

n1 ――太田阿利佐・毎日新聞サイバー編集部記者に聞く‐‐ 前坂 俊之 今回のイ …

『オンラインぶらり動画旅行/明治維新の源流/山口県萩市の『松下村塾』への旅①』★『日本の聖地ー萩藩主毛利氏の廟所(萩市の東光寺)500基の灯篭と眠る志士たち』★『明治維新発祥の地ー吉田松陰の『松下村塾」、山口県萩市の松陰神社境内』

   2015/04/02 明治維新のふるさとー山口県萩市の …

no image
★『明治裏面史』/ 『日清、日露戦争に勝利した明治人のリーダーパワー, リスク管理 ,インテリジェンス(52)『宇都宮太郎は、思想的には大アジア主義を唱えていた。』★『孫文や黄興ら中国革命家たちを支援した犬養木堂、頭山満ら玄洋社の支援グループの一人だった』★『『辛亥革命百年の真実』『孫文を助けた大アジア主義者・犬養毅らの熱血支援』

                                 ★『明治裏面史 …

no image
日本リーダーパワー史(194)<国難を突破した吉田茂の宰相力、リーダーシップとは・・>「首相なんて大体バカな奴がやるもんですよ。

  日本リーダーパワー史(194) <国難を突破した吉田茂の宰相力、リ …

no image
日本メルダウン脱出法(639)『地方創生の空念仏』<借金地獄を作った「自民党政治」は徳川時代の「藩財政再建の神様」上杉鷹山、恩田木工、山田方谷にこそ学べ

日本メルダウン脱出法(639)『地方創生の空念仏』- <借金地獄を作った「自民党 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史]』(28)-記事再録 2014/12/09 /安倍首相は「土光臨調」で示した田中角栄の最強のリーダーシップを見習えー『言葉よりも結果』

  2014/12/09 /日本リーダーパワー史(533) …

no image
『 オンライン講座/東京五輪開幕』★『連日、新競技のスケーボー女子で西矢椛(13歳)が日本最年少での金メダル、スケボー男子では堀米雄斗(22歳)も金メダル、柔道の阿部兄妹の金メダルというメダルラッシュに沸いた。』★『2019年の課題」-『平成30年は終わり、老兵は去るのみ、日本の未来は「Z世代」にたくそう、若手スポーツマンの活躍を見ればわかる』

  東京五輪が7月23日に開幕した。 いざフタを開けると開会式が56. …

no image
★『2018年(明治維新から150年)「日本の死」を避ける道はあるのか④ 『2050年には日本は衰退国ワーストワンなのか!

★『2018年「日本の死」を避ける道はあるのか ー―日本興亡150年史』④― < …