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『オンライン講座・大谷翔平歴史研究』★『大谷選手とベーブルースと日米野球とスパイと太平洋戦争秘話』

   

大谷選手とベーブルースとスパイの太平洋戦争

大谷翔平投手は6月2日(日本時間3日)、ニューヨークでのヤンキース対ダブルヘッダー1回戦で「2番・投手兼指名打者(DH)」で出場、2回戦では「先発野手2番DH」で、投打同時の出場を果たした。これはメジャーリーグにおける77年ぶりの偉業だったという。

試合結果は残念ながら、大谷投手は今季ワーストの3本塁打を浴びて、4回途中4失点でKOとなった。打者としての2回戦では1安打したもののチームは8連敗を喫した。

今期の大谷は波には乗れず苦しんでいる。本塁打は11本で、トップの20本(ヤンキース ジャッジ選手)に大きく水をあけられた。投手としては3勝4敗。(防御率は3,99)、打率2割4分と低迷しているが、6~8月の夏に強い大谷だけに今後を期待したい。

そんな、大谷のテレビ中継を見ながら古本を整理していると「ベーブ・ルースの日本印象記」(雑誌「日の出」1935年(昭和10)11月号)が見つかった。喜んで、熱読した。

「私(ベーブ・ルース)は、米国の過去十数年間のベースボールの話題の中心人物だったので、米国のどこに行つてもフアンから歓迎攻めにあった。ところが、日本での歓迎ぶりはその何倍もすさまじいものだった。

船で横浜に着くと、数百人のカメラマンがやって来るし、老人、大人、子供、婦人がどっと押し寄せてきてもみくちゃにされ私は度肝を抜かれた。(国賓級しか乗れない)

特別列車で東京駅に着くと、これまた大騒ぎ。歓迎を通り越し、押し合いへし合いで息ができないほど驚いた。

横浜で下船する前に、船のデッキで、盲人の少年野球団に歓迎された事に、私は深く感銘し涙がこぼれた。日本人はこれ程までにベースボールを愛しているかと思うと、我々の持つベースボールの全技術を発揮して、フアンに見てもらはなければと思った。」

また、「日本の職業野球用の練習用球場にいく途中、前日の大雨で水溜りが出来ている空地で何組もベースボールの試合をしているのを見た。あんな光景は米国ではありえない。日本人は本当にベースボールが好きなのだと感心した。もっと打撃と守備を向上させれば、世界屈強の野球団ができると思います。」と日本の野球熱に感心した談話を述べている。

 

このベーブ・ルース主将の全米選抜チームが来日したのは、1934年(昭和9)11月2日から12月1日にかけで、全国12都市で16試合を戦った。全日本チームは16戦全敗だったが、日米野球史上に残る名勝負となったのが11月20日、静岡・草薙球場での第10戦だった。

全日本の先発投手は弱冠十八歳の沢村栄治。

高校球界ナンバーワン投手で、京都商業を中退しての参加だった。沢村投手は百五十キロの速球派で、これに二段で大きく割れる落差のあるカーブが武器。その投球ホームは足を高く上げてスパイクの裏がバッターに見えるほどで、野茂茂雄がくるりと背中を見せるのと似ていた。

沢村の快速球とカーブがビシビシきまり、全米の強打者をキリキリ舞いさせて六回まで、二安打、九奪三振で無得点に抑えた。七回裏、3番ベーブルースを打ち取ったが、4番ゲーリックから本塁打を浴びて、1―0で惜敗した。

試合後、全米チームのマック総監督は「沢村をアメリカに連れて行きたい」と宣言。翌日の『読売新聞』は沢村を「まさに大リーグ級、日本一の快投」と絶賛し、「近いうちに日本に職業野球団ができて、沢村は加入すると予想されるが、それ以前に米大リーグに行くかもしれない」と伝えている。

この全米チームの来日には1つの隠されたエピソードがあった。

チームの中にスパイが潜り込んでいたことが昭和戦後に暴露された。

その名はモーリスー・バーク(32歳)。ウクライナ移民の2世でコロンビア大法科大学院卒。レッソドソックス、ホワイトソックスの捕手の経歴もある戦略諜報局(OSS)=CIAの前身)のスパイだった。

バークはラテン語、フランス語、スペイン語にも堪能で日本語も理解し、9カ国語を話す語学の天才だった。捕手兼通訳として来日し、試合には全く出場しなかったが、11月29日には聖路加病院へ向かい、その屋上から、東京湾内の軍艦、兵器工場、製油所、皇居、工場群、鉄道線路など、東京市街一円を16ミリで撮影。このほか三鷹、船橋、習志野、川口、松戸も撮影していた。

日米野球から7年後の1941年(昭和16)12月、真珠湾攻撃によって日米戦争が勃発した

翌年四月の米空軍のドゥリットル隊が東京を初空襲した際に、このモリスが撮影した16ミリのフィルムの映像が参考にされた、という。

来るべき日米戦争に備えた米国戦略諜報局(OSS)のインテリジエンㇲである。ベーブ・ルースはこの日米野球で監督になる腕をためされたが、ゲーリックと仲たがいして、翌年ヤンキースを去り、監督にもなれず現役を引退した。

沢村はその後、2度のアメリカ遠征で活躍、“スクールボーイ・サワムラ”として米国でも有名になった。36年に巨人軍に入団、エースとして活躍して初優勝。翌37年には23勝5敗で投手5冠に輝いたが、兵役で手榴弾を投げすぎて肩を壊し、1944年(昭和19)に3度目の応召で27歳で戦死した。

約80年ぶりに全米に登場しMVPを獲得した大谷二刀流はベーブ・ルースと沢村投手とを掛け合わせたハイブリット・スーパスターといえる。『スランプこそチャンス、超えれば次のステージが開かれる』

大谷は6,7月には調子を取りもどし、オールスター戦にもDHで1番打者として出場し『第一球を必ず打つ』と予告した通り第一球をヒットした。そして、1塁から盗塁しようとして。けん制でタッチアウトになったが、その「出塁アンドラン」の積極果敢な野球センスが観客を魅了して、人気を一層高めた。

後半戦では20号、21号とホームランを連発するなど、一層の注目を浴びている。

 - 人物研究, 現代史研究, IT・マスコミ論

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