前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本風狂人伝⑱ 『中江兆民奇行談』(岩崎徂堂著,明治34年)のエピソード 数々

   

日本風狂人伝⑱
            2009,7,13
 
『中江兆民奇行談』(岩崎徂堂著)のエピソード
                                       
 
                                         前坂 俊之
 
① 断りと廃止の標札
 
 中江兆民が大阪・曾根崎にいた時分のこと。令名は非常に高らかなもので、政客、官吏を始めとして商売の人々や、俳優、落語家に至るまで、皆なその奇行を聞き、一度は面会しておきたいと門前まるで市をなすほどであった、その中で君は一番書生を可愛がつた、すると書生たちが続々と押懸けて来て学費をくれと云ふのもあれば、飯をくわせろと頼むのもある、

先生はそこでサイフを逆にし、米樽を叩いて次々に窮してる奴を救ってやった、ちょうど二年余で世話した者は何百人もあったけれども、どうした事か一人として出世した者がない。先生そこで大にこれはダメだわいと悟ったので、やがて戸板ほどもある、大きな板へ、

   食客の御世話は近来廃止いたしました。
   金銭の御相談は門前よりお断わり申し上げます。
 
とスミで黒々と書いて張出した。これからしてばったり書生の来るのが止んだ。
 
 
 
③  栗原亮一に放屁を参らす
 
 中江が自由党に籍を置いていた時分から栗原亮一とは親しかった、ある時、栗原が支那から帰って来ると直ぐに中江の家を叩いて門前から大きな声で支那のお土産を進呈に上がった、といいながら奥の間へやって来ていきなり四ツン這になり豚の呼声(おなら)をやらかした、すると兆民は「いや是は有難い、早速頂戴したい」といい「その代り己れもまた君が無事に帰って来たのを祝ってやらふと、たちまち尻をまくってプープ―と一発屁を放した、臭気紛々鼻をそぐ様なやつでさすがの亮一も閉口した。
 
 
④ 金時計と金煙管
 
 兆民が無頓着と云う事実は世に隠れなき話だが、彼は常に蓬頭、乱髪で、アカ付きたる衣服を着けて少しも修飾する事をしない。然るにおかしいのは、胸間にきらきらと金鎖を以てつげる金時計をかけ、其の上破れた煙筒の中に純金の煙管(キセル)を収めて居るとは、彼れが服装に対しても如何にも不似合としか思われない。

そこで或人が「君もまた装飾を好むのであるのか」と質問した。所が兆民はさもおかしげな顔をしていたが、暫くして答へて云ふのに、「これは決して装飾を好む為めにする訳でない、不意に金銭を要する事がある時にはこれを売って金に換へる用心の為めである、と云はれたさうだが、思えばこれも最もの次第である、所が後ちに金鎖も売って、金煙管も処分してしまった、今は例の金時計しか残って居らない。

 
⑤ 墓所に行くから失礼する
 
 喉頭がんを宣告され、大阪・泉州の待合を辞して小石川武島町の自宅に帰宅中である兆民居士は、日毎に重病になって来たか、昨今は殆んど呼吸に堪へぬ有様となった。

其初め東京に帰ったと云ふ事が諸新聞に現われると、居士の門弟や知友は車を飛ばして病床に見舞ふ者引きも切らざる姿であった。先生一々来客に接して筆談を試むるが、余り長くなつても客が気を利かして帰らないと、先生は立ち上がるかと思うと「墓所に行くから失礼する」と言いつつ、己れの書斎に入り込んでしまう。

先生は己れの書斎たる四畳半を墓所として既に千万億土にでも行った積りになって居るそうだが、訪ふ人毎に書斎を指して墓所だと語られておるのは如何見ても尋常人ではない。

 
 
⑥ 兆民と孝道
 
兆民の遺著「一年有半」を見ると、近頃は墓地が日毎に広がって来るので、宅地耕地総て生産地を侵すことが極めて大いものである、然し其間年月の久しきに至ったなれば旧いものはたちまち新しに代へて、相へ償ふことが出来るかは知らぬが、大勢にては増すばかりで減ずることはない、そこで居士は法案を設けた、先づ一切火葬となし、各人が携へて帰った余りは骨と灰とを一所に推し積みて毎月何日と目を定め、之を海の中に投げ込んで終まうのである、と言ふ事であるが、一寸普通の人に聞かせ又は仏宗の侶徒に読ましたならば、定めて居士は情に於て冷淡な男であると一斉に排するであらう、
然し之れ実に其浅見で、兆民は中々多情多涙の人物である、殊に其母に孝に、妻子に対する慈愛心の厚きに至っては君と交りし者の能く知って居る所である、彼の奈落であって世事に無頓着の兆民も、其母に接して日夜心に注めて孝道を怠らぬのである、
 
そこで面白い話があるが、或時兆民は植木屋を呼び付けて代価二百五十円と云ふ安からぬ松樹二株を買ふた、すると、老母は之を聞いて非常に立腹し兆民を其居間に招き一方ならず叱責した、君忽ち平身低頭し幾度となく詫び入った末、金も取らずに前の松樹を植木屋に返したと云ふ話である。
 

 - 人物研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

『Z世代のための日中韓三国志のキーワード<福沢諭吉の脱亜論>の研究講座①』★『福沢諭吉の「脱亜論」と時事新報の主張に全面的に賛成した』上海発行の英国紙「ノース・チャイナ・ヘラルド」1884(明治17)年5月2日』

    逗子なぎさ橋通信、24/0707/am11]逗子海岸 …

no image
日本リーダーパワー史(849)-『安倍首相の「国難突破解散」は吉と出るか、凶と出るか、いずれにしても「備えあれば憂いなし」③ 』★『戦後の日本人は「最悪に備える」態度を全く失ってしまった。』★『「ガラパゴスジャパン」(鎖国的、伝統的、非科学的、非合理的な日本思考)から脱さなければ、未来(希望)の扉は開けない』★『明治維新、倒幕の原因の1つとなった宝暦治水事件』

日本リーダーパワー史(849)  安倍首相の「国難突破解散」の判断は吉と出るか、 …

no image
百歳学入門(237)ー近藤康男(106)の「七十歳は一生の節目」「活到老 学到老」(年をとっても活発に生きよ 老齢になるまで学べ)』★『簡単な健康法を続ける。簡単で効果のあるものでなくては続けられない。大切な点は継続すること。』

百歳学入門(237) 「七十歳は一生の節目」「活到老 学到老」(年をとっても活発 …

no image
『野口恒の震災ウオッチ②』東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧陵」の業績ーー復興策の生きた教材-

『野口恒の震災ウオッチ②』   東日本大震災の復興策にも生きる「浜口梧 …

『Z世代のための日中韓外交史講座』⑨『中国紙『申報』からみた『日中韓150年戦争史』㉔ 西欧列強下の『中国,日本,朝鮮の対立と戦争』(下)(英タイムズ)

  2014/07/21    …

no image
日本リーダーパワー史(454)「明治の国父・伊藤博文の国難突破のグローバル リーダーシップに安倍首相は学べ②」⑥

     日本リーダーパワー史(454) …

no image
『鎌倉桜絶景チャンネル』『鎌倉花の寺、桜だより毎日中継(2013年3/25)』段葛は満開、安養院,英勝寺,寿福寺の桜は

『鎌倉桜絶景チャンネル』      『鎌 …

『百歳学入門(215)』100歳時代の世界のシンボル・ギネス芸術家・平櫛田中(107歳)の長寿パワー(気魄・禅語)に学ぶ』★『悲しいときには泣くがよい。つらいときにも泣くがよい。 涙流して耐えねばならぬ。不幸がやがて薬になる』

  記事再録/2010/07/31 日本リーダーパワー史(77) 『超 …

no image
日本リーダーパワー史(62) 辛亥革命百年⑤―孫文を全面支援した怪傑・秋山定輔②(秋山定輔が語る「孫文と私」(村松梢風筆録昭和15年11月「月刊亜細亜」)★『日本リーダーパワー史(53)辛亥革命百年②孫文を助けた日本人たち・宮崎滔天、秋山定輔、桂太郎、坂本金弥、宮崎龍介らの活躍①』

    2010/07/02 日本リーダ …

no image
世界リーダーパワー史(942)米中間選挙(11/6)の結果は!下院、上院とも民主党が奪回するのか

世界リーダーパワー史(942) 米中間選挙(11/6)の結果は!下院、上院とも民 …