日本リーダーパワー史(131) 空前絶後の名将・川上操六⑳ 児玉源太郎の辣腕と寺内正毅の狭量
日本リーダーパワー史(131)
名将川上操六⑳児玉源太郎と寺内正毅の器量の違い
前坂 俊之(ジャーナリスト)
型破りで大度量の児玉源太郎陸相
山県の子分の桂太郎は明治三十一年、第三次伊藤内聞が成立すると、予定のことのように陸相となり憲政党内閣、第二次山県内閣に歴任して、日清戦争後の経営にもあたったが、桂の手腕は軍政家としてよりも、政党操縦に向つて発揮されて、陸軍の関係では特段何もしなかった。
一方、児玉源太郎は明治二十五年八月より同三十一年一月まで約五年半の間、陸軍次官兼軍務局長として省内を把握してし、日清戦争に際してはよく後方勤務に勤めて、その事
務的な手腕をいかんなく発揮した。三十三年十二月、桂が陸相を離れると、台湾総督を以てその後をつぎ、
児玉が陸相として部内から強く推されたことは、桂以上のものがあった。
務的な手腕をいかんなく発揮した。三十三年十二月、桂が陸相を離れると、台湾総督を以てその後をつぎ、児玉が陸相として部内から強く推されたことは、桂以上のものがあった。
児玉の陸相としての執務振りは歴代の陸相とは全くの型破りだった。
代々、陸軍省の執務手続は、課員が起案したものを、課長、局長が捺印し、関係の局課に回覧して参事官においてそれをまとめて、副官、次官の手をへて陸相の机上に到達するという手順だ。
代々、陸軍省の執務手続は、課員が起案したものを、課長、局長が捺印し、関係の局課に回覧して参事官においてそれをまとめて、副官、次官の手をへて陸相の机上に到達するという手順だ。
陸相は多くはこれに盲印を捺し、たまたま疑点があれば次官、局長等についてこれを質すこともある。ところが、児玉は書類を手にするや決してその疑点を次官局長等に質すことなくして、必ず起案者たる課員を官房に招致し、自らが課員から話を聞いて、議論してその利害得失を徹底論議したうえで、直ちに裁決した。
このため、省内の事務は常に円滑に処理が進み、いささかもとどこおることはなかった。これは長年、児玉が次官兼軍務局長として省内の事務に明かるく、よく急所を押えていたためである。局外者が突然やってきてできることではなかった。
児玉の陸相振りは、このように天下一品ともいうべきべきものだったが、その頭脳があまりにも明敏すぎて、決断が速かったため、しばしば間違いを生ずることもあった。一旦、宮中にさし出した書類を更に訂正のため、さし戻してもらうこともあり、宮中に於ける信任は前任者に比べて低かったと言われる。
ただし、児玉の信念は『経埋事務は剣を帯びたる者の執るべきものに非す』とし、大蔵省より官僚をまねいて、執務に当たらせたが、これには山県有朋が腹を立てて、子分の寺内正毅を後任陸相に推薦し、児玉は台湾総督に飛ばしてしまった。
陸軍の経理事務を財政に経験ある文官に任せようとした1件をとっても、児玉の見識が尋常一様の軍人ではないことがうかがえる。
後を継いだ小心者で器の小さい寺内正毅陸相
児玉の後を受けた『ピリケン』と称された寺内正毅は、その性格は児玉とまるで正反対だった。
精励克勤、つまり真面目一徹、気が小さくて、神経質こまかい重箱の隅をつつきまくる男で、省内すべてのことをことごとく、自己の型式にあてはめなければ承知せず、軍人でなければ人にあらず、国家有用の材にあらずという、軍人万能思想の思いあがった典型的な軍人だった。
精励克勤、つまり真面目一徹、気が小さくて、神経質こまかい重箱の隅をつつきまくる男で、省内すべてのことをことごとく、自己の型式にあてはめなければ承知せず、軍人でなければ人にあらず、国家有用の材にあらずという、軍人万能思想の思いあがった典型的な軍人だった。
寺内の器量の狭小なことは広く知れ渡っていたので、ここでは繰り返さない。1つだけ、もっとも典型的な例を紹介する。

明治36年、日露戦争が風雲急を告げて民論が沸騰し、例の河野広中の上奏文の一件あって議会解散の詔勅に接した時のこと。
台湾の工兵大尉・星野某より寺内あてに電報が届いた。寺内が開けてみると、『閣下等は辞職すべきや』とあった。
寺内は激怒して副官・津野一輔に命じ、『陛下の御信任ある以上辞職せず』と返電させた。
台湾の工兵大尉・星野某より寺内あてに電報が届いた。寺内が開けてみると、『閣下等は辞職すべきや』とあった。
寺内は激怒して副官・津野一輔に命じ、『陛下の御信任ある以上辞職せず』と返電させた。
星野某たる一介の大尉の電報に対して、大臣自からが返電するのも前代未聞のことだが、よくよくその電報をみてみると、
『閣下余は辞職すべきや』とあった。この星野某がその進級が遅々として進まないのに業を煮やし、大臣の注意を喚起しようとして、ことさらに電報を打ってきたことが分かった。
そそっかしい寺内陸相が電文中の「ヨ」を「ラ」と読み違えたものと分かり、省内の物笑いと侮蔑の種になった。
「ピリケン」寺内の細かさは悪いことばかりではなかった。日本にとっては大きな幸せとなった。
寺内は精相克勤で、特に経理事務に最大限に注意を注いだので日露戦争はその戦局が大きく拡大したわりには、財布を固く締めたので経費のムダ遣いは極力抑えられ、比較的に兵站の設備は良く生き届いた。これが寺内の陸相としての唯一の功績というのだから、メリットも大きかったのである。。
寺内は精相克勤で、特に経理事務に最大限に注意を注いだので日露戦争はその戦局が大きく拡大したわりには、財布を固く締めたので経費のムダ遣いは極力抑えられ、比較的に兵站の設備は良く生き届いた。これが寺内の陸相としての唯一の功績というのだから、メリットも大きかったのである。。
寺内は陸相につくと、山県の子分とはいえ比較的新参者の中将だったため、陸軍の大先輩を祭上げるため、軍事参議院をもうけて、師団長を親補職とするなど試みた。川上対桂の関係をまねして、ライバルの参謀本部を田村怡与造にまかせ、自分は陸軍省にあって相対立し、陸軍部内の壟断を企んでいた。
田村が急逝すると、競争相手のなくなったのを幸いに、はばかるところを知らず、川上が築き上げた従来、参謀本部に属していた建制、編制の権力を陸軍省に取り上げた。
陸軍省の権限の巨大になったのは寺内陸相時代であって、稀に見る陸軍横暴を招くのである。
川上、田村、児玉亡き後、最強の参謀本部はことごとく川上の育成した情報将校、参謀が飛ばされてここに解体されてしまったのである。
<参考文献 安井滄溟著『陸海軍人物史論』大正5年 博文館>
関連記事
-
-
最高に面白い人物史①人気記事再録★「「日本人の知の限界値」 「博覧強記」「奇想天外」「抱腹絶倒」<南方熊楠先生書斎訪問記はめちゃ面白い②
2015/04/29 の記事 <以下は酒 …
-
-
『リーダーシップの日本近現代史』(60)記事再録/『高橋是清の国難突破力②』★『「明治のリーダー・高橋是清(蔵相5回、首相)は「小さな 政治の知恵はないが、国家の大局を考え、絶対にものを恐れない人」 (賀屋興宣の評)
2013/11/11 …
-
-
知的巨人の百歳学(151)人気記事再録/日本経営巨人伝⑤・伊庭貞剛(79歳)ー明治期の住友財閥の礎・住友精神を作った経営者』★『明治33年(1900)1月、伊庭は総理事へ昇任したが、この時、「四つの縛りつけ」を厳重に戒めた。 ① しきたりとか、先例に従えといって、部下のやる気に水を差すな ② 自分が無視されたといって、部下の出足を引っ張るな。才能のない上役ほど部下がいい仕事をすると、逆に足を引っ張ったりする ③ 何事も疑いの目で部下を見て、部下の挑戦欲を縛りつけるな ④ くどくど注意して、部下のやる気をくじくな。
日本経営巨人伝⑤・伊庭貞剛(79歳)ーー明治期の住友財閥の礎・住友精神を作った経 …
-
-
日本リーダーパワー史(273)『ユーロ、欧州連合(EU)の生みの親の親は明治のクーデンホーフ光子(青山光子)である①』
日本リーダーパワー史(273) 『ユーロ危機を考える日本の視点』① …
-
-
『オンライン/最後の海軍大将・井上成美が語る山本五十六のリーダーシップ論』★『2021年は真珠湾攻撃から80年目、米中日本の対立は火を噴くのか!』
2019/08/04   …
-
-
『リーダーシップの日本近現代興亡史』(221)/★「北朝鮮行動学のルーツ(上)」-150年前の「第一回米朝戦争」ともいうべき 1866(慶応2)年9月、米商船「ジェネラル・シャーマン号」の焼き討ち事件(20人惨殺)の顛末を見ていく』★『そこには北朝鮮(韓国)のもつ『異文化理解不能症候群』が見て取れる。』
2016/03/11   …
-
-
日本リーダーパワー史(556) 「日露インテリジェンス戦争の主役」福島安正中佐⑥単騎シベリア横断、日露情報戦争の日本のモルトケ」とポーランドは絶賛
日本リーダーパワー史(556) 「日露インテリジェンス戦争の主役」福島安正中 …
-
-
知的巨人の百歳学(148)-世界最長寿の首相経験者は皇族出身の東久邇稔彦(102歳)
世界最長寿の首相経験者は皇族出身の東久邇稔彦(102歳) ギネスブックの首相 百 …
-
-
『オンライン/日本恋愛史講座』★『今年は日米戦争から80年目』★『1941年12月、真珠湾攻撃を指揮した山本五十六連合艦隊司令長官が1日千秋の思い出まっていた手紙は愛人・河合千代子からのラブレターであった』
日本リーダーパワー史(60) 真珠湾攻撃と山本五十六の『提督の恋』 …
-
-
近現代史の重要復習問題/記事再録/2011/04/06 日本リーダーパワー史(137)-『関東大震災での山本権兵衛首相、渋沢栄一の決断と行動力に学ぶ』★『関東大震災直撃の日本には「総理大臣はいなかった」』★『平成の大失敗/3・11で全く無能を証明した日本のリーダーたち』』
日本リーダーパワー史(137) 関東大震災での山本権兵衛首相、渋沢栄一の決断と行 …
