日本リーダーパワー史(926)-『良心と勇気のジャーナリスト桐生悠々の言論抵抗とは逆のケース』★『毎日新聞の「近畿防空演習」社説訂正/言論屈服事件の真相』
2018/07/31
毎日新聞の「近畿防空演習」社説訂正事件
桐生悠々の「関東防空大演習を嗤う」と似たようなケースの『毎日』(大阪毎日新聞)の「近畿防空大演習について」の社説訂正、陳謝事件はあまり知られていない。桐生はこの社説がもとで『信濃毎日』を追われ、『他山の石』 にこもって個人としてペンで最後までたたかう。
これに対し『毎日』の場合は、悠々と同じ趣旨の社説を載せ、わずか二日後に全面訂正、陳謝の社説を再び載せるという前代未聞の事態となった。背後で何があったのか。社史をひもといても、その経緯はいっさい書かれていない。
桐生の事件が誇るべき言論抵抗とすれば、『毎日』は逆の言論屈伏のケースだけに、真相はヤミに葬られたのであろう。ただここでは次の点は指摘できる。
「関東防空大演習を嗤う」以来、防空演習の客観的報道や評論がタブーとなり、言論統制への外部圧力がますます強まり、武藤山治や『東京朝日』編集局へのテロ事件が起こり、新聞社内部でも自己規制し、軍部の意向に神経過敏に反応するケースが強まった、ということである。
近親防空演習は一九三四(昭和九)年七月二十六日から二十八日まで三日間、大阪、京都、兵庫など二府六県の近畿住民千二百万人を動員して史上空前の規模で行われた。陸海軍をあげて、従来の演習では除外されていた燈火管制海上警備、軍需工業動員、工場防空、重要地区建物の偽装まで実戦さながらに行われた。
『大阪毎日』の紙面で見出しを拾ってみると -。
初日の二十六日朝刊一面は「軍民一致我等の大空を護れ」と横見出しが躍り「近畿大防空演習開始、きょう昼夜五回、猛烈な敵機の空襲、陸海空の大防護陣」で三分の二を埋め社会面も全面つぶしている。
連日、この調子で一面、社会面、見開きグラフの大々的な扱いが最後まで続いた。最終日の二十八日には「近故防空演習大成功裏に完了す」「この防護陣あらば、空襲恐るるに足らず」の大見出しで自画自讃の記事が一面をほぼ埋めつくしている。
演習終了後、寺内大阪総監は「官民各位の熱烈なる愛国心で実行され、成績は大いに良好であった」と所感を述べた。
演習は大成功裡に終ったが、十一年後にあった実際の大阪空襲はどうであったか。大阪大空襲は一九四五(昭和二十)年三月十四日に米軍B29九十機によって行われ、約五十万人が被災、一万三百八十八人が死亡した(全国戦災都市連盟調査)。
結果的に防空演習そのものがナンセンスだったのに、この間の『大阪毎日』では「近畿の大空護り固し」「敵機の乗ずる隙なし」「灯火管制見事に成功す」と手前味噌な美辞器句が連日紙面に躍った。
『大阪毎日』の二十六日社説「近畿防空演習―空前の規模」は、これらのセンセーショナルな記事とは違って比較的冷静な論説を掲げた。
「(わが国に)今直に大々的空襲を加えることは至難だろう。ただ、わが都市の大部分は木造建築物で市街の施設も不備の点多く、小空襲といえども比較的大なる害を蒙り易い。
吾等の当局に向って希望することは積極的能動的防空の準備である。来るものを防ぐ備えも必要だが、来り得ないように進んで叩き潰すことがより重要である」と。
そして、この延長線上で問題となった七月三十一日『東京日日』『大阪毎日』共通の社説「近畿防空演習についてーその費用の問題」が掲載された。
「われ等は近代戦において最も重要なる役割を演ずる空中戦に対し、単に防衛の立場からではあるが、その演習がかくの如き成績を挙げて終結したことを深く喜ぶものである。殊に、空襲より来る一般損害を最小限度に抑止するためには市民自体の訓練ある作業を最も必要とする。従って今回行われたる如き防空演習の半は市民演習ともいうべくこの点において陸軍の演習と甚だしくその趣を異にする。
しかしながら、考えようによっては今回の如き演習はまことに消極的のものであって、刃をもって襲われた時、どうして逃げるかを稽古するようなもので、甚だ張合のない感がある。
従って、人々の頭には空中の侵入に対しては空中においてこれに応戦し空中で敵を撃滅するか、然らざればその前に敵空軍の基地を掃滅するに若くはないという考えがすぐ浮かぶであろう」
つづいて疑問点をいくつか挙げて批判した。灯火管制よりも発電所のスイッチを切るのが効果的ではないかと指摘「敵機の襲撃は長時間にわたるはずがなく、かかる場合、灯火管制のもとに悠揚として仕事に従うことが可能であろうか。それよりも機械的に灯火を消滅させる方が何だかわが国民性に合った処置のようにも思われる」
さらに、演習の費用について「これに要する費用が非常なる巨額に上るとすればわれ等はその費用を国防の実質的用途に向ける方が賢明ではないかと思う。今回の演習のために公私合せて幾何の金が動員されたか推算に苦しむところであるが、或は千万円以上に達したといわれている。
かかる巨額の費用をこの種の演習に度々支出するの得策なるや否やを為政家が考究すべきと提唱したいのである。以上はもとよりわれ等の常識論に過ぎない。けれども、今回の如き防空演習の一部が実際の場合に役立つ可能性及び費用についてはなお研究の余地があると思う」
これを読むと、大筋において説得力があるであろう。発電所のスイッチを切るという点では、他の弊害が出る可能性もあるが、空襲に対して消灯してしのぐという発想がどんなにバカげていたかは、実際の空襲での大被害をみればわかる。
桐生悠々が「関東防空大演習を噴う」で指摘した「断じて敵機を領土内に入れるな、空襲を行わせた場合、木造家屋の密集したわが国では一大火災となり惨状を呈する」といった主張とほぼ同じものである。
桐生の論説のほうがより科学的・客観的に防空演習の矛盾、ナンセンスぶりを論じている。しかし、この『東京日日』『大阪毎日』の論説もそれに劣らないもので、当時の軍事優先のなかで勇気をもって、その矛盾を別の角度から批判したのであった。
ところが、二日後にこの社説は全面訂正された。
読者は前代未聞のケースに驚いた。なぜ、社説の全面訂正、陳謝になったのか。その内幕は 『毎日』 の社史には一行も載っていない。
『新聞太平記』によると、「早速、陸軍省報道部から筆者出頭せよとの厳命が来た。泣く子とサーベルには勝てない。拒絶すれば、すでに用紙統制時代となって首の根を抑えられているのだから、どんな目にあわされるか知れない。涙をのんで翌日は前日の説を打消す。二段見出しの社説を掲載せねばならなかった。もし反抗し蔓っものなら発行禁止さえやりかねない」
桐生のケースと同様、軍部の圧力に屈したのである。しかも、抵抗らしい形跡もなく屈伏したのである。
八月二日社説「近畿防空演習の評論に就いて、われ等の是正」はこう述べた。
「(先の社説は)一部の論拠において誤りがあり、それがため同論の本旨とせんとしたところが徹底せず、却って誤解を生ずるに至ったことはわれ等の極めて遺憾とするところである。
執行せる当事者、参加せる団体市民に対し、これを軽視するが如き印象を与えたとすれば、全く同論の思いもおよばざるところであって、われ等はこれに対しても、その筆致の至らなかったことを謝さなければならぬ」として全面訂正したのである。
そして、➀消極防空を軽視したこと。「灯火の管制によって異変の場合、敵機の空襲による加害を最小限度に抑止することの喫緊なることも明らかである。……他国が宣戦の布告をなさずして直ちに空襲をなし来る場合の如き、一方に積極の行動に出ずると相併行して、直ちに灯火の管制を行い、 敵をして重要都市およびその方向を発見に苦しましむる如き、最も喫緊の処置といわねばならぬ
②灯火管制よりもスイッチを一斉に切るとの点についても、発電所のスイッチを切った場合は大工場の生産停止となるなど生産機関全般にわたる損害が大きすぎるとして、「われ等はさきの素人論を撤回せねばならぬ」と反省。
③さらに、費用の大なる点はその演習の効果について誤解していたとして取り消した。そして、最後に
「今回の防空演習が官民一致のもとに、熱意と至誠とをもって行われ、しかも良好なる成績をあげたことに対しては衷心よりこれを喜ぶと同時に、我国民の愛国の至情の顕現をもってまことに世界に対して誇りとするに足ると信ずるものである」
たしかに、発電所のスイッチを切れば生産部門もストップするという一部認識不足もあるが、それ以外の論旨は間違いなかったにもかかわらず全面訂正した。正論が誤れるアナクロニズムに袋だたきにあって、無理やり訂正、陳謝させられたのである。そこには『信濃毎日』のような抵抗は全くみられなかった。
大新聞こそ屈伏しやすい体質を克服できていなかった。
『東京日日』の当時の論説委員は「官憲の制裁が都市を離れるといくらか緩くなる」 「(悠々の関東防空大演習の論説について)東京から近い長野あたりで、あれくらいの事を書いていいんだと、地の言論の取締りというものは相当ゆるやかなんじゃないかと思うんですが……」 と自己弁明している。
こうした背後の無気味な圧力はテロとなって新聞人にも襲いかかった。武藤山治『東京朝日』の鈴木文四朗につづいて、一九三五(昭和十)年二月二十二日には読売新聞本社前で正力松太郎社長が右翼の男に襲われ、日本刀で斬られ重傷を負った。
『東京日日』営業局長・吉武鶴次郎も一九三四(昭和九)年六月十日、自宅前に人糞をまかれたり、ヘビの入った荷物を送られるなどの事件も相次いだ。
右翼や暴力団と並んでこの手の新聞ゴロが横行したのである。新聞社の幹部宅を訪問して難クセをつけたり、′暴力行為に出たり、金銭をせしめ、主張を曲げさせたりすることが続発した。
しかし、警察に通報しても、その取り締まりは消極的で、新聞社も体面上、不問に付す場合が多い。やむをえず新聞社で自衛手段を講じた。万一、襲撃された場合の護身用に短刀や日本刀を隠し持ったり、木刀を机の下に備えてぉく新聞人が多かった。
『東京朝日』は、鈴木文四朗編集総務が編集局内で暴漢に斬られて以来、一切の外来客を玄関先から一歩も社内に入らせない措置をとった。四人の守衛が厳重にチェックし、社内の面会には面会票を交付して眼を光らせた。
新聞人の自衛策として、新聞業界紙の『新聞之新聞』は極論だが「新聞社の幹部は拳銃の携帯を許可されるべきだ」と再三にわたって主張している。
それほどぶっそうな時代であり、〝命がけの報道〟に突入したのである。しかし、言論の共通の敵であるテロや暴力に対して各新聞社が一致団結してたたかったかというと、残念ながらそうではなかった。
逆に、相手の不幸を喜ぶという体質がいっこうに抜けていなかった。
たとえば、武藤山治がテロに倒れたのに対して、各社の扱いは冷淡だった。『東京日日』『報知』は比較的、同情的だったが、武藤から名誉毀損で告訴されていた『朝日』、正力松太郎が番町会会員の 『読売』 は冷ややかな見方をしていたと指摘されている。
「(テロによる恐怖から)こういう記事を書いては、あるいは襲撃されるかも知れない、と公正な筆も鈍らざるを得ない立場に置かれてしまった。……言論のために生命が失われた、この事実のために新聞人として共同宜戦をはる必要がある」『新聞之新聞』(一九三四=昭和九年三月十五日)は批判した。
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