前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本の「戦略思想不在の歴史」⑶日本で最初の対外戦争「元寇の役」はなぜ起きたか③『現在の北朝鮮問題と同じケース、一国平和主義に閉じこもっていた鎌倉日本に対して世界大帝国『元』から朝貢(属国化)に来なければ武力攻撃して、日本を滅ぼすと恫喝してきた!、国難迫る!』

   

日本の「戦略思想不在の歴史」⑶

日本で最初の対外戦争「元寇の役」の内幕

第4回目は1269年9月に捕えた対馬の島民の2人を返す目的で高麗人の使節がクビライの国書ではなく、モンゴル帝国の最高行政機関からの国書と高麗の国書を携えてやってきた。

国書はモンゴル帝国に服属(属国化)を要求する内容だったので、朝廷は拒否することを決定し、文書博士・菅原長成にその返書案を作成させた。

その文面は「日本は蒙古の号は聞いたことがない。また通交(国交)がないので、わが方なんら好悪の情はもってない。それなのに和親を図らなければ兵を用いんと考えているが、それは帝徳仁義の道ではない。

日本は天照皇大神より永く神国であり、平和国家である。知をもって競うべきにあらず、力をもって争うべきでもない。もし日本に対し失礼なことをすると神罰が当たるからよく考えなさい。」(日本防衛史43P)

というもの。

幕府は評定を開きこの「返書」を出さない方針を決めて朝廷に上奏した。朝廷もこれを了承し、使節は再び手ぶらで帰ることになった。

第5回目は1271年(文永8)9月に女真族https://www.google.co.jp/search?q=%E5%A5%B3%E7%9C%9F%E6%97%8F&rlz=1C1CHVZ_jaJP525JP525&oq=%E5%A5%B3%E7%9C%9F%E6%97%8F&aqs=chrome..69i57j0l5.910j0j7&sourceid=chrome&ie=UTF-8

の趙良弼が使者となりhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%99%E8%89%AF%E5%BC%BC

モンゴルの服属を求める国書をもって100人余りを連れて、高麗の各地に軍勢を集結、駐留させ戦争の準備をしながら博多湾に上陸、太宰府に到着した。しかし、日本側はさらに東上することを拒否した。

趙良弼は『国書の返事が11月末までに届かなければを武力行使も辞さないとした』と言明した。これに対し朝廷は菅原長成が作成していた返書の『太政官牒案』を改定して提出することで一旦はまとまった。

その後、返書の代わりとして、日本の使節がクビライのもとへと派遣されることになり、趙良弼はその日本使節とと共に引き上げた。

第6回目は翌1272年(文永9)4月か9月に趙良弼が再びやってきた。

三別抄(高麗王朝の軍事組織)やhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%89%E5%88%A5%E6%8A%84

元に圧迫された日本に逃れてきた南宋禅僧らの妨害にあい、趙良弼らは大宰府より日本の国都(京都)に入ることができなかったため再び元に戻ってしまった。

彼はこれまでの日本滞在2度の経験からクビライに対して日本遠征の不可を進言した。

「日本人は狼勇で殺を嗜み、父子の親や上下の礼のあることを知らない。其地は山水多くして、耕桑の利なく、その人を得ても役すべからず、其地を得ても富を加えることはできない。

況んや舟師で海を渡るには、海風期なく禍害測り難い、いわばこれは有用の民力をもって、無窮の巨壑(きょが)(底の知れない深い谷)を埋めるようなものです。臣が思うに(日本を)討つことは不可である。」(日本防衛史45P)

と述べ、クビライはその言に従った。

しかし、翌1273年には元は南宋との5年間の戦争で勝利し、また朝鮮半島の三別抄も元に滅ぼしたので、いよいよ対日侵攻計画を決断したのである。

つづく

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(103)』「パリぶらぶら散歩」③―街中を歩くと、 微笑はモナリザだけではないな、と感じました。妙齢のご婦人が微笑で返して来るのです>

『F国際ビジネスマンのワールド・カメラ・ウオッチ(103)』 「パリぶらぶら散歩 …

no image
「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』⑲「伊藤博文統監の言動」(小松緑『明治史実外交秘話』)④「ハーグ密使事件」の前にも、 米国にも親翰を送り、ルーズヴェルト米大統領に拒否される。ところが、韓帝は伊藤統監には虚偽の弁解。

「英タイムズ」「ニューヨーク・タイムズ」など外国紙が報道した「日韓併合への道』の …

no image
速報(410)『日本のメルトダウン』● 『アベクロノミクスが成功しなけれが、日本の国家破産(デフォルト)が待っている。

    速報(410)『日本のメルトダウン』 &n …

no image
人気記事再録/百歳学入門(183)-現在、65歳以上の人は「2人に一人が90歳以上まで生きる時代」★『義母(90歳)の『ピンコロ人生』を見ていると、「老婆(ローマ)は1日にしてならず」「継続は力なり」「老いて学べば死しても朽ちず」の見事な実践と思う。

      2017/10/29 &nb …

no image
日本メルトダウン脱出法(542)「福島第一の原発所員、命令違反し撤退、吉田調書で判明」「ブラジル、W杯の場外に厳しい試練」

       日本メ …

『日本開国の父・吉田松陰と『松下村塾』を「リーダーシップ無料電子図書館で読む』

                             日本リーダーパワー史( …

no image
『リーダーシップの世界日本近現代史』(293)★『安倍・歴史外交への教訓(5)』「大東亜戦争中の沢本頼雄海軍次官の<敗戦の原因>」を読む―鳩山元首相の「従軍慰安婦」発言、国益、国民益無視、党利党略、 各省益のみ、市民、個人無視の思考、行動パターンは変わらず

    2015/11/08 &nbsp …

no image
日本メルトダウン脱出法(736)「トテツモナイ9300億“新品”訴訟! それでもなお、再稼働させますか? ―広瀬隆氏講演会」●「習近平主席は民間部門に権限を譲れー権力の本質を理解している指導者の矛盾」(FT紙)

   日本メルトダウン脱出法(736)   トテツモナイ9300億“新品”訴訟! …

no image
日中北朝鮮150年戦争史(32)★現代史復習、記事再録『袁世凱の政治軍事顧問の坂西利八郎(在中国25年)が 「日中親善・衝突・戦争の歴史変転への原因」を語る10回連載』●『万事おおようで、おおざっぱな中国、ロシア人に対して、 日本人は重箱の隅を小さいようじでほじくるような 細かい国民性が嫌われて、対立が戦争に発展したのだ> 現在の日本企業が海外進出する場合の大教訓、警鐘である。

 日中北朝鮮150年戦争史(32)★現代史復習、記事再録再録  ――袁世凱の政治 …

no image
速報「日本のメルトダウン」(481)『米国は自滅への道を歩むのか』「アルカイダの復活大きく変わる国際テロの様相」

   速報「日本のメルトダウン」(481) &nb …