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 日本リーダーパワー史(813)『明治裏面史』 ★ 『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス㉘『戦争は外交の1手段で、外交交渉が失敗した場合に戦争に発展する』★『日露戦争はこのケースで、日本側はなんとか外交で、日本が朝鮮を、満州はロシアに任せる「満韓分割論」を主張、ロシアは「満韓全面論」を譲らず、戦争に発展した』

      2017/05/25

 

 日本リーダーパワー史(813)『明治裏面史』 ★

『「日清、日露戦争に勝利」した明治人のリーダーパワー、

リスク管理 、インテリジェンス㉘

「田村参謀次長、病に斃れる」―の報はすでに各国の情報機関の調査の的になっていた。

田村が急逝した10月1日の2ヵ月前の8月末、児玉源太郎内相に同次官山県伊三郎

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%B8%A3%E4%BC%8A%E4%B8%89%E9%83%8E

を介して、ドイツ公使のノアルコー・ワレー伯主催の晩餐会への招待があった。夏の宴会というのもおかしいので、児玉は『日露開戦の日本側の対応や田村の病状ついて』探りにきだなと、ピンときた。ドイツ公使館付武官のエッチェル大佐も同席した。

児玉は知らん顔で出席したが、案の定、同大佐から「田村次長に万一のことのあった場合、日本は次の参謀次長の後任者に誰がなるのか」と娩曲に尋ねてきた。

児玉は「きたな!」とばかり大笑いして、即座に「田村は元気でやっとる。死にゃーせんが、万一死んだらわしがやることに決まっとる、アツハハハ」と煙にまいた。

エッチェル大佐は見透かされたと気付いたのか、あわててすぐに話題を転じたが、児玉はその狼狽ぶりに内心笑いをこらえるのに苦労したという。

田村参謀次長の急死の反響は世界に広がった。

当時欧州の軍事視察のため、パリに滞在していた上原勇作少将の10月15日頃の手記にフランスの一流新聞の反響を伝えている。同新聞記者が同盟国のロシア参謀本部長サハロフ中将とのインタビュー記事で、サハロフは「後任として内務大臣の児玉源太郎氏が参謀次長の職に就いたとの報道を聞いた。私は文官である児玉氏が軍の要職に就任したという事実を聞いて、これでは日本陸軍の実力なるものは(たいしたことはない)推察に難くないと考えている」と述べていた。

サハロフ中将はこの後間もなくクロバトキン大将の陸相更迭に伴って後任の陸軍大臣に就いたが、ロシア側は日本陸軍のエース児玉の登場の意味を理解していなかったのである。

児玉への田村急死の連絡は10月1日午前7時過ぎに日赤病院で臨終に立ち会っていた田中義一少佐から児玉邸(東京牛込区薬王寺町)に電話で知らされた。

「何? 田村が死んだか・・・、ついに駄目じゃやったか・・」とっ絶句した。しばらくして「わかった、我輩はこれから内務省に登庁する。あちらで面会するすることにしよう。」と沈痛な表情だった。

時が時だけに後任の人事は大急ぎで進められた。

 

参謀総長の大山厳は寺内陸相に相談し、福島安正、伊地知幸介両少将を候補者に上げた。福島はシベリア単騎横断で有名だが、田村の死去後、福島は参謀本部第2部長で参謀次長事務取扱いを命じられていた。

伊地知は薩藩出身で大山の女婿でプロシアに学び、ドイツでは乃木.川上の両少将が留学した際は、楠瀬幸彦(後の中将、陸相)と共に通訳を行った。両人とも次長たるに不足なき人材であった。福島を取るか、伊地知にするか、選択を迫られた。

しかし、時は日露間のますます風雲急を告げ、国難迫る危機的状況である。対ロシア作戦に万全を期すことが出来る智謀の将であるだけでなく、大局に通じ、全陸軍の信望を担う大次長の後継者が要求される。

深謀遠慮の山県は「福島か、伊地知か」の大山の提案にはににわかに贅同しなかった。大山はかねてから辞意を漏らしており、この機会に山県の大参謀総長への復帰を願い出ていたが、山県は首をタテにふらず、再考をうながした。

暗黙のうちに、大山参謀総長、山県元帥も、他の大臣、将帥、参謀本部の面々の胸にも「この際、児玉が・・児玉ならば・・・」と先づ待望論があった。

しかし、この時、児玉は内務大臣兼台湾総督であると同時に.桂内閣の副総理格で、行政委員という桂内閣の柱石であった。

日清戦争では川上操六参謀次長と組んで、軍政、兵站を一挙に引き受けて、見事の采配を見せた。台湾総督としてもマラリア撲威、衛生、教育、産業化に抜群の功績をあげて「軍人政治家」として『将来の総理大臣候補』と嘱望されていた児玉を桂首相が内相、行革担当の副総理役に任命したのには理由があった。

桂首相はかねて第十六議会1901年(明治34年)12月10日 – 1902年(明治35年)03月09日)に公約した行政財政の整理などによって約一千万円を節約し、海軍拡張の財源にあて、これを海軍拡張十ヶ年継続費一億円に充当する計画だったが、第十七議会(1902年(明治35年)1209 – 1902年(明治35年)1228日)では政友会,憲政本党は、聯合して桂内閣の財政政策に反対して、衆議院は解散となった。

解散後の総選挙でも、政友会百九十三、憲政本党九十一の多数議員が当選したので、政府は己むなく地租税率を改正して一の妥協案を作成し、辛うじて第十八議会(1903年(明治36年)0512 – 1903年(明治36年)0604 (特別会))の難関を通過したが、このとき寺内陸相は、桂首相の施政方針に従い行政整理及び用地整理を断行し、兵器弾薬中緊急を要しないものは事業繰延とした。

実行力のある児玉内相はこの行革断行のリーダーとなり、内務省の改革、府県の合併も含めた大胆な行財政計画を断行するつもりだった。これを敢然と実行できるトップリーダーは児玉しかいなかったのである。

 戦争開始のため財政の諸準備と軍費調達の経緯

戦争は外交交渉、話し合いによっては解決しない。戦争は外交の1手段であって、外交交渉が失敗した場合に戦争に発展する。日露戦争はまさにこのケースで、日本側はなんとか外交で、日本が朝鮮をとり、満州はロシアに任せるという「満韓分割論」を主張したのに対して、ロシアは「満韓全面ロシア論」を譲らず、戦争に発展したのである。

 戦争の際に軍艦、銃砲、兵器、軍事物資、兵力が必要なのは言うまでもないが、そのためにも最も必要なのは資金でり、金であり、国際通貨(ポンド、ドルなど)、紙幣、印刷機、貨幣製造機等なども欠かせない。

明治27年の日清戦争当時、将来の日露戦争はすでに予見されていた。大蔵省、陸海軍の当局者には日露衝突は避けがたいとみて、海軍では樺山資紀大将、山本権兵衛大将、陸軍には川上操六大将らがいて、対ロシア戦に関して主計局と内々相談をした。

そこで大蔵省は勝田主計(当時函館税関長)をヨーロッパに派遣し、秘密裏に敵となるロシアの財政方面の調査させた。

大蔵省には財政整理の声があったが、万一に備えるため人物の用意までしたのだ。造幣局、印刷局等の準備にも着手し、10年後の日露戦争当時には大蔵省として不足した種々の機械も大体整備されてきた。

 明治35年は、ロシアが満洲を制圧し、撤退せず、さらに朝鮮半島に圧迫を加えてきた。政府は、軍備を充実して自衛の万策を立てて、帝国議会に予算案を提出したが、議会は民力休養を主張して、地租改定、租税の増徴を否決した。

36年4月、ロシアは満州からの撤兵を中止し、鴨緑江下流の韓国竜厳浦を占領し、名を伐材集積に変えて軍事的施設を建設、兵力を増兵した。ロシアは韓国への侵攻を鮮明にして、日本側との話し合いに応じるのも、時間稼ぎであって、シベリア鉄道による満州への兵員輸送を蔵強していた。

日露開戦が近づくのに、兵器弾薬の製造費すら事業繰延の悲運に陥った陸軍はどのような作戦計画を作ればよいのか、陸相、田村参謀次長の苦悩は頂点に達し、田村の急死となった。

開戦の場合には兵站基地が必要である。

陸軍も準備を進め、岡軍事課長を韓国に出張させ、京城に百二十万、平壌に百万、その他、新義州に軍用地を買収した。坪二十銭、計四十万円、内西本願寺にも分与した。

つづく

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