前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

日本リーダーパワー史(803)ー『明治裏面史』★ 『「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、インテリジェンス⑲『日露戦争開戦6ヵ月前』★『6ヵ条の日露協定書を提出、露都か、東京か、の交渉開催地でもめる』

   

   日本リーダーパワー史(803)ー『明治裏面史』★

『「日清、日露戦争に勝利』した明治人のリーダーパワー、 リスク管理 、

インテリジェンス⑲

6ヵ条の日露協定書を提出

 

1904 年(明治37)8月5日、ラムスドルフ外相は、日露交渉について皇帝の許可を得たことを、駐露日本公使粟野慎一郎に告げた。そこで栗野は、812日、六ヵ条の協定書をラムスドルフに手交した。 

その内容は,

 第1条「清韓両帝国ノ独立及領土保全ヲ尊重スル」こと

 第2条「露国ハ韓国二於ケル日本ノ優勢ナル利益ヲ承認シ、日本ハ満州二於ケル鉄道経営二就キ露国ノ特殊ナル利益ヲ承認」す ること

 第3条 両国は第1条と背馳しない限りで「韓国二於ケル日本及満州二於ケル露国ノ商業的及工業的活動ノ発達」を阻害しない

4条 第2条の利益を保護する目的等を以て日本が韓国へ,ロシアが満州へ派遣する軍隊は「実際必要ナル員数ヲ超ユ可カラザル」こと

 第5条「韓国二於ケル改革及善政ノ為,助言及援助(但シ必要ナル兵力ノ援助ヲモ包含スルコト)ヲ与フルハ日本ノ専権二属スル」こと

 6条 この協定はこれまでの関連諸協定すべてにかわるべきこと

――というものであった。

 交渉地を東京に移す

 

実は、この協商案は8月3日に日本政府から粟野公使に電致したものだが、ラムスドルフ外相には多忙で面会できず、12日にやっと会見できたのである。

しかも、この12日にはロシア政府は極東の行政組織を一大改革して、新に黒龍省・関東省の二省を合併して極東太守府を設け、関東総督の海軍大将アレキシェフをその行政の最高権力者の太守に任命し、あわせて極東の陸海軍の命令権、極東領土に関す隣国との外交関係事務もすべて太守に委任した。

このため、満韓問題に関する日露の交渉は一層、煩雑、困難を極めることになった。この新官制の実施と共に、ロシア中央政府は本問題に関し、自ら求めて極東太守に問い合わせ、協議するのでなければ、何等の決定もすることが出来ない地位となった。

816日、ロシア関東総督・海軍大将アレキシェフが極東太守に任命されたという報道に、駐露英国大使が露国外相ラムスドルフ、陸軍大臣クロバトキン、大蔵大臣ウイッテらに質すと、いずれも「知らない」と答えた、という情報が日本側に入ってきた。

ニコライ皇帝から寵愛されたアレキシェフらの武断派と和平派のラムスドルフ、クロバトキン、ウイッテらとの対立が激化していたのである。

 

 ラムスドルフ外相は、23日に栗野と会見したが、『皇帝不在のため、進展していない。本件については旅順のアレキシェフ大将と協議すべき点がいろいろあるので、便宜上、交渉地を東京に移したい」と提案してきた。

栗野は「わが政府は交渉を自分に1任したので、露都で行ないたいと考えている、しかしロシアの希望については、これを本国政府に伝達する」と答え小村外相に連絡した。小村外相は「交渉は露都でロシア当局者と直接交渉することが、進行上便宜である。ロシアは旅順に新たに極東総督を設置しており、東京を交渉地とすることは不便である」と26日に栗野に電訓した。

この問題について徳大寺侍従長を通じて、天皇から「ロシア側の東京開催要求についての可否」との御下問があった。

小村は「東京で交渉すれば、ロシア公使は極東総督アレキシェフの指揮を受けるから、わが国には不利となる。露都で交渉すれば、極東総督の手を経ず、皇帝の直裁を受けるので、極東総督の不同意の件も成立する見込みである。東京会談には不同意である」と上奏した。

しかし、ラムスドルフは「皇帝は地方に行幸し、引き続いて外国に旅行する予定なので、その間、関係諸大臣も露都に不在となる、東京で交渉した方が妥結の道がある」と東京開催を主張した。

小村外相は「今回の交渉は専ら主義に関するもので、細目にわたらないので交渉地は露都がよい」と回答、粟野は8月31日にラムスドルフの反論を打電してきた。

 「露都において交渉するのは自分以外にいない。ところが、自分は陛下に従い行幸するので今秋は露都に不在である、ウィーンからローマへ、さらに別のスケジュールもあり、交渉は遅延をきたす、交渉地が東京であれば、自分は電信で東京に訓令出来る」

 これを受け入れて小村は、「交渉地を東京とする場合、交渉の基礎をわが提案に置くように」ラムスドルフに言質を求めたが、ラムスドルフは9月4日、「日本の提案に対して、わが対案を早急に出 すから、その二つを併せて交渉の基礎とする」よう主張した。

 当時、ロシア皇帝は、すでに外地を行幸中で、ラムスドルフもまた同行する予定であり、小村外相はこの交渉の往復はロシア側に〝時間稼せぎをさせるだけ″だと悟り、9月7日、「本件の交渉地を東京に移すことに同意する。ロシアの対案提出を速やかに行うこと」を、粟野に電訓して督促させた。

外交交渉はどうして時間がかかる、日露交渉も入り口論で約1ゕ月間が経過した。この間、ロシア軍は急ピッチで満州、朝鮮に増兵し、軍備を増強していった。

   <参考、引用文献 黒木勇吉「小村寿太郎」講談社(1968年)、明治天皇紀(第10巻)吉川弘文館
      (1974年)>

 - 人物研究, 戦争報道, 現代史研究 , , , , ,

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
『オンライン/新型コロナパンデミックの研究』-『コロナ共存社会は数十年続く』(英大学教授)★『世界人口の10%が新型コロナ感染の可能性 WHO推計(10.07)』★『WHO、新型ウイルスの死者200万人は「かなりあり得る」ワクチン開発でも』

『コロナ共存社会は数十年続く』   前坂 俊之(ジャーナリスト) 7月 …

no image
『2014年世界・政治経済ウオッチ⑩』「アメリカなき世界に迫る混沌の時代」◎『日本は弱い、その自覚がなければ中国に負ける」

    『2014年ー世界・政治・経済ウオッチ⑩』 …

no image
日本敗戦史(50)マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る 『なぜ日本は敗れたのか』②リーダー不足と力量不足

  日本敗戦史(50) マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る 『な …

no image
日本リーダーパワー史(197)『明治天皇のリーダーシップ』(2)『大津事件で対ロシアの国難を未然に防いだ』(下)

    日本リーダーパワー史(197)   『明治 …

no image
日本のメルトダウン(535)オバマ大統領来日、「2泊3日」の裏にある外交駆け引き」「中国が13年の貿易額が世界一に423兆円、米国を抜き

 日本のメルトダウン(535)   【永田町・霞が関インサイ …

『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画録』⑲★『コロナパニックなど吹き飛ばせ』★『10年前の鎌倉沖は豊饒の海だった』「釣れない・恋れない・釣りバカ日記③」 ★ 『自然に帰れ』―母なる海に抱かれて、魚と戯れる、また楽しからずや」 『鎌倉沖プライベート・シーで、同窓会ラブを思い出したよ』

  2010/07/03  「釣れない・ …

no image
速報(134)『日本のメルトダウン』 『保安院、文科省官僚の不作為を告発せよ!★原発・震災当日「溶融予測」も解析使われず』

速報(134)『日本のメルトダウン』  『保安院、文科省官僚の不作為を告発せよ! …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(269)★日本が真の民主国家(自由平等、男女平等)になれない理由は—日本の前近代的な政治閥、官僚閥のルーツはー「日本の秘密結社としての 陸軍は山県有朋の長州閥(山口閥)が作った」,

2012/05/03日本リーダーパワー史(256)記事再録 『明治の巨大国家プロ …

日本リーダーパワー史(626) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑳『ドイツ・参謀総長モルトケはメッケル少佐を派遣、日本陸軍大学校教官となり参謀教育を実践。メッケルの熱血指導が「日清・日露戦争』勝利の主因

   日本リーダーパワー史(626)  日本国難史にみる『戦略思考の欠落』 ⑳ …

no image
速報(429)『日本のメルトダウン』『アメリカで失墜する安倍首相の評判』『アホノミクス」が5つの悲劇を引き起こす! 浜矩子』

 速報(429)『日本のメルトダウン』   ●『アメリカで失 …