日本リーダーパワー史(290)「日本最強の宰相・原敬のリーダーシップー藩閥政治の元凶・山県有朋をどう倒したか②
日本リーダーパワー史(290)
「日本最強の宰相・原敬のリーダーシップー
藩閥政治の元凶・山県閥をどう倒したか②
<民主党は100年前の大正政変・大正デモクラシーを見習え>
前坂俊之(ジャーナリスト)
① 原敬と鳩山和夫(鳩山由紀夫の曽祖父)は同じ年だが、政治力は雲泥の差があった
② 原敬は大正政変によって、明治の藩閥政治に終止符を打って、政党政治を確立した。
③ 原敬は日本を滅ぼす原因の1つの軍部大臣現役武官制を廃止し、文官の軍部大臣を実現した。ワシントン軍縮会議も成功させた。統帥権をふりまわして、政治を聾断しようとした軍部をしっかり抑えた。
④ 外交面で、国際協調主義をとったこと。シベリア出兵には反対し、米国重視、中国への不干渉と通商貿易を重視した。パリ講和会議では人種差別撤廃法案を提案した。
⑤ 原敬の確立した政友会政治が昭和戦後の自民党に連綿と続いた。民主党はこれに終止符を打ったかと思われたが、ダメリーダ―の鳩山由紀夫、小沢一郎(原と同じく岩手県の出身)の「2世、4世の世襲議員」(世襲のために、金とカンバン、地盤はあってもリーダーシップがないのは当然なのだ。政治家は封建時代のような世襲であってはならない。実力主義でないからリーダーシップが出来ないのである)がないために、政治、官僚の旧体制を変えることに失敗した。野田もオナジである。
以下は服部之総(1901(明治34年)―1956年(昭和31年))の「原敬百歳 朝日新聞社 1955 (朝日文化手帖)」である。
次の総選挙では民主党の少数転落、自民党も伸びず、既成政党への強烈な不満、日本政治の質的大転換を期待して、橋下維新党が大躍進するであろう。しかし、維新党は1年生議員の集団で変革のノ―ハウは全くない。
少数弱体政権の混乱が日本衰退に拍車をかけるだろう。日本政治の大変革、政治システムの大改革なくしては日本沈没まにがれない。その起爆剤は市民の民主的な政治意識の成熟度以外にはありえない。原敬の政治突破力を背景には大正デモクラシーの高まりが、彼を強力に押したのである。
服部之総の『原敬百歳』②
桂太郎はわずか五日間しか、立憲同志会総裁として首相の地位にいなかった。こんどの政変では吉田退陣を要求する人民デモはついに議事堂をとりまいたことがなかったが、その日その刻の衆議院首相室で桂が突変して辞意を感悟したのは、その民衆デモのためであった。自由改進両党こもごもの積年のうらぎりを体験した明治の民衆は、無意義のいかりをこめて、明治三十八年の日比谷焼打事件いらい、ボスたちの限界をふみこえてつねに行動しながら、やがてあの「米騒動」に及ぶのである。
桂は死んでも立憲同志会をのこした。原政友会が内務省をとりこんだように、立憲同志会が憲 政党と名を変えて三菱の婿・加藤高明を党首にいただくころは、大蔵省をとりこんでいた。医者からゆるされている一日二枚ずつ、この原稿を書きつづけてゆくあいだに、鳩山日本民主党総裁は首尾よく国会で総理大臣に指名され、十年待望の鳩山内閣が、全閣僚の顔蝕をあのかたちでそろえた。
考えてみると、戦後日本の保守政党が、党名をだんだんと昔にもどして、ついにあの明治十年代の「自由党」と「改進党」にたどりついたというはなしは、誰が智恵をしぼったけっかかはたれにもわからないが、まことおそるべき因縁ではある。もうそのまえはないというので、「改進党」をこのたび「日本民主党」と改めた。アメリカ史の方へ、講座を変えるほかはない。
それにしても、鳩山和夫は改進党から自由党にくらがえをして不遇で死んだ。一郎は自由党から改進党にくらがえをしたわけである。今朝は十二月十三日、いまラジオのニュースは、二つの社会党が、鳩山民主党と緒方自由党のやみ取引を警戒中と報じた。演出者のおもわくどおり、保守合同が成功するとしたら、いったいどんな党名を、くふうするのであろうか?
鳩山一郎は父和夫と死別した明治四十四年、二十九歳で東京市会議員となり、大正四年三十三歳で代議士、政友会代行委員、東京市会議長になったと、このたびの新聞紙上の略歴にある。
賢母のきこえ高かった春子刀自にかわって、いま勘定してみると、一郎が弁護士を振出しに、東京市会議員になった二十九歳で、和夫はすでにーー二十七歳から代言人組合長東京府会議員になっていた。一郎が政友会代議士東京市会議長になった三十三歳で、和夫は日本さいしょの五人の法学博士の一人となった。
一郎が田中政友会内閣書記官長になった四十五歳までに和夫は四十二で進歩党出身衆議院議長、四十三歳で外務次官になっていた。けれども、和夫が政友会に走って大臣にもならず死致した四十九の厄年に、一郎は犬養政友会内閣の文部大臣になった。
てもとの史料では、賢母春子刀自の死没年次をたしかめることができないので、どこまでが春子刀自の、どこからが素子夫人の、感慨領域に出はいりするものか決しがたいのであるが、田中内閣書記官長としての一郎が奉天総領事吉田茂とともに若手の中心となって、有名な「田中メモランダム」の東方会議を歴史にのこしたこと、犬養内閣文相としての一郎が滝川事件の名を歴史にとどめたこと、史料を参照するまでもない。
昭和二十年敗戦の塵のなかから、旧政友会を復活して「自由党」を結成、総裁となり、二十一年組閣直前追放となり、二十六年解除され、二十八年「鳩山自由党」総裁となり、その年のうち復帰し、二十九年-一九五四、旧改進党を中心とする「日本民主党」総裁となり、吉田茂に代って内閣総理大臣となる。
もしも自由党立候補者のだれかがあやまってこんどの選挙演説で鳩山は自由党を売った変節漢であると叫ぼうものなら、春子刀自薫子夫人になりかわってわたしはあらかじめ言っておこう、
鳩山は変節漠ではけっしてない。政友会のため、二十九歳から七十一歳まであらゆる心血をそそいだ。そそぎつくしたうえで、こんどはもとの改進党のために、父の汚名を、そそいだのである。
原敬に百歳の寿を与えたら、何と評するであろうか? 原敬がそもそも百まで生きていたらー百はかなわずとも尾崎行雄の去年の九十五まで生きていたら、日本政治の歴史はどうなっていただろうか?
小さな変化はあったにしても、大きなかわりめはなかっただろう。人は、ほどよいところで死ぬのがしあわせなものである。
原敬腰越の別荘は、ほとんどなんのかありもなく、保存されていた。そこに住んでいる嗣子至二郎氏の亡父にたいするすなおな愛情を、説明のことばのほしばしからわたしは心にうけとめた。
活字で見、写真で眺める評判の「吉田御殿」とは、くらべものにならず、くらべていえばまるで異質のものである。
原敬には子供がなかった。原奎一郎(貢)は敬の兄恭の長女ゑいが上田常記に嫁してもうけた次男だが、原敬の大阪の家でうまれた(明治三十五年、原敬は北浜銀行頭取で大阪に住んでいた)。
明治三十七年大阪の家をたたんで東京に帰ってからは、あたかもその年ゑいが二十八歳で死んだので、長男常隆は上田家にのこし貢は原敬にひきとられて、のちの原夫人あさに育てられた。明治四十四年入籍して嗣子となる。実子とかわらないわけである。
この日の訪問の感想は多々あるが、ただ一つ記しておこう。もとの書斎の隅に見つけた碁盤のことだ。
原敬の碁は、わたしの碁敵・大内兵衛先生と同じくらいだったろうと、わたしは計算している。そこいらの碁会所にあるのと同じひどいもので、碁笥もそうだし、石もそうだ。ずいぶん手あらく使つたとみえて、石数は目分量で百五十くらいしかあるまい、手にとってみると欠け石もまじって、一国の総理大臣とはおよそ縁遠い。
「これをつかったのですか?」
「そうです」
「ほかにりつばなのがありませんでしたか?」
「なかったと思います。芝公園の家の碁盤も、こんなものではなかったかしら。ともかくこの碁盤は、父がここで打っていたものです」
政治に没頭する、~ある言い方をすると生命をかけている彼の日常に、手を触れた気がして、わたくしは心に、敵ながらあっぱれと思った。
(一九五五年「世界」二月号)
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