前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

★『2018年(明治150年)の明治人の歴史復習問題』-『西郷どん』の『読めるか化』チャンネル ②<記事再録まとめ>日本歴史上、最大の英雄・西郷隆盛を研究せずして 『日本の近現代史』『最高の日本人』を知ることはできないよ②◎『山県有朋から廃藩置県(史上最大の行政改革)の相談を受けた西郷隆盛は「結構です!」と一言の基に了承し、即実行した』<この大度量は今の政治家にあるか?> 

      2016/11/05

 

2018年(明治150年)の明治人の歴史復習問題―

『西郷どん』の『読めるか化』チャンネル ②

<記事再録まとめ>日本歴史上、最大の英雄・西郷隆盛を研究せずして

『日本の近現代史』『最高の日本人』を知ることはできないよ

 

 日本リーダーパワー史(246

<クイズ・日本で最高のリーダシップを持った人物は誰れなのか!>

『山県有朋から廃藩置県の相談を受けた西郷隆盛、「結構」と一言の基に

了承し、断固実行した』<小沢、鳩山、谷垣にこの大度量はあるのか> 

 

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2481.html

 今の政治の混乱、混迷、惨状と政治リーダーの不在、子供政治家ばかりで、永田町の政治崩壊と物事が全く進まない亡国の惨状をみていると、明治維新を成し遂げた明治のリーダーの偉大さをますます痛感する。

明治維新の第一革命は徳川幕府の倒幕であり、第2ラウンドは廃藩置県である。数百年の因襲が続いた徳川250年でおらが藩に安住していた藩主、武士のわが藩をぶち壊し、新しく県をおいて中央集権的な国家に国内政治体制を180度変える大手術であり、倒幕以上に難しい大改革である。

なぜなら、維新の原動力の薩摩、長州、土佐にとっても下級武士の志士たちは自らの藩主、武士団らの身内を敵に回すことになるからである。

現在の道州制の実施、行財政改革、地方自治の拡大、中央官庁統合撤廃再編がいかに難しく、実行できないかを考えれば良くわかる。

何度も、行財政改革は試みられたものの、いつも既得権、現体制の強烈な抵抗にあって、成功していない。

余程の腕力、胆力のある、剛腕のリーダーで有無をいわせず実行するしかないが、そこまでの強力なリーダーパワーのある政治家は今の日本にはいない。

それが民主党の迷走にも表れているし、鳩山、小沢、菅、野田の歴代リや自民党のドングリの背比べの小粒政治家の「お笑い政治学芸会の悲劇」となるのである。

ここでは「廃藩置県」を成功させてスーパーリーダーシップの西郷隆盛の決断と実行についてみていく

<徳富蘇峰『近世日本国民史』(明治の三傑)」より> 

『西郷隆盛にかんする考察』

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2481.html

世間では西郷といえば、大酒を飲み、巨体で肉を食らうあたかも『水滸伝』の人物ように考えている者もあるが、事実は決してそうではない。上野公園にそびえたつ西郷さんの銅像は、野人西郷を象徴したようなものだが、西郷本人にとってはありがた迷惑であろう。

西郷は若くして薩摩藩の小役人となったので地方の行政には最も通じている。また帳簿の記入、往復の文書等にも、多年の修練を経ている、りっぱなサラリーマンである。

明治の維新前後の志士達の手紙は、いずれもりっぱなものだが、とりわけ立派なるものは西郷の書簡で、その文体といい、文字といい、用紙,用墨といい実に整然たるものである。西郷その人はきちょうめんな人であり、決して粗枝大葉の人ではない。ただ彼の容貌は魁偉で、当時の横綱・陣幕久五郎と相対してもそん色なく、眼球は特別に大にして眼晴に光を放つものあり、一見してこの人は豪傑であると知ることができたから、このような大人物は小さなことには頓着しないと周りからは受け取られた。しかし、実際はそうではなく、相当、細かいことまで気がついた。

ただ、彼は少才小子風にはこせこせと立ち回らず、その運動は狐狸(こり)のように敏しょうではなく、あたかも巨象のごとく、したがって遠方から見た人々は、西郷のを紙芝居(現在のテレビ)の豪傑視(英雄)したものであろう。

彼の特質からいえば、彼は几帳面であり、また謹慎であり、何事もいやしくもしなかった。かって勝海舟は私(徳富蘇峰)に語って、「西郷と大阪ではじめて面会した時は、西郷は何やら大藩の留守居役とも見受けられる風采で、いわば世なれたる立派な当時の外交官であった」と言った。

彼は決して衣はすねに至り・袖腕に至るの隼人壮士の風采を当時の海軍奉行である勝安房守の席上に持ち込むようなことはしなかった。

辺幅を修飾することについては西郷は大久保ほど丹念ではなかったが、しかしよくその時・処・位をわきまえ粗頭・乱服で公の席に罷り出るがごときことはなかった。

彼の手紙の文句を見れば、あたかも彼その人を見るがごとき心地がする。よく情を尽くし、理を尽くし、しかも慇懃(いんぎん)丁寧(ていねい)を尽くしている。時としては他を非難し、攻撃したことがあるが、それでもちゃんとその中には一種のユーモアを含めて、その攻撃・非難の毒気を去っている。

☆★不言実行の超リーダーパワーの典型 

「山県有朋が恐る恐る相談すると、西郷は言下に「至極、結構なこと」
と了解し、断固実行した」

本来、山県有朋にしろ、伊藤博文にしろ、容易に人をほめない癖がある。私は相当、長き期間、山県と接近する機会を得た。しかし、彼はその先輩にしろ、同輩にしろ、後輩にしろ、容易に他を推奨するがごとき文句を吐かなかった。ただ高杉晋作と西郷隆盛については、歎美(たんび)の情、禁じがたきものありと見えて,称賛の辞を惜しまなかった。

私はかって吉田松陰が門人中の双璧であると、高杉晋作ともに久坂玄瑞について山県に問うたが、山県は自己の意見を吐かずして、「高杉は久坂を評して記室(学問)の才であると言うた」と言った。

すなわち久坂は文筆に堪能で、秘書官あるということである。すなわち山県は、高杉の言をかりて、自らの言わんと欲するところを言うたものとして、予は受け取らざるを得なかった。

 http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2481.html

山県が最も西郷に敬服したるのは、明治四年七月の廃藩置県の一挙である。この議論は長州人の何びとはじめて発言したるかは知らないが、とにかく長州藩からでてきたものであって、その主動者はもちろん長州の諸有志である。

私はかつて井上馨から親し逸話を聞いた。ある日、鳥井小弥太、野村靖が井上を訪い来りて「今日は大事を君に図らんがために来た。君の返答次第では君の首をもらわねばならぬ覚悟をした」と言うたから、井上は答えていった。

「君らしばらく黙って、予が言うところを開け、思うにそれは廃藩置県の問題であろう」と言うたところ、両人手を打って、「全くその通りじゃ」と言う。井上は「そのことならば、予すでに考えておる、何ぞ君らの説法を待たんや」と言うて、大笑いして別れたということである。

 こうして、長人(山口県人)の間に沸き起こってきた廃藩置県の問題につき、これを西郷に図るに当たっては、長人として西郷と最も親善なのは山県であるから、山県が特使として西郷に使いしたものであろう。

山県いわく、「当時、西郷は蠣殻町の邸にいたが、私が彼を訪ねた際は、何やら他にも取り込み中であったようだ。茶を喫し、待つこと少時には薩摩国産のいわゆるカルカンなるものが出ていた。

かくて西郷と相まみえたが、山県は言った。「今日は重要問題を折り入って御相談にまかり出たものである。

何やら御取り込みのように察せられるが、改めて罷り出ても差支えない』というや、西郷はおもむろに、『いやそれには及ばぬ。どうかお話し下され』というのであるから、予は廃藩置県の問題にについて一通り話したところ、西郷は一考する風もなく、即座に、『それは結構なことである」という。

予は余りに意表の返事であるから、多分、予の語るところを誤解したるか、あるいは不徹底あるかと思い、さらに前言をくりかえしたところ、西郷はまた、『至極結構』と言うから、今更、その上、談話を続ける必要もなく、

『それではよろしく』ということで相別れた。予も今更ながら西郷の気宇の大なるには感心した」というようなことを語った。

http://www.maesaka-toshiyuki.com/person/2481.html

 - 人物研究, 現代史研究

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

no image
日中韓外交の教科書―1894(明治27)年11月26日 英国「タイムズ」掲載 日清戦争4ヵ月後―『日本と朝鮮―日清戦争の真実』(上)

日中韓外交の教科書―英国タイムズ報道の「日清戦争4ヵ月後―『日本と朝鮮―日清戦争 …

no image
日本敗戦史(49)マスコミ人のA級戦犯指定・徳富蘇峰が語る『なぜ日本は敗れたのか』①

日本敗戦史(49) マスコミ人のA級戦犯指定の徳富蘇峰が語る 『なぜに日本は敗れ …

no image
日本のメルトダウン(525)「人類はロボットによって二分されるのか」 「全く的外れな日本の「ドイツの脱原発を見習え」論」

  日本のメルトダウン(525)   ●「人類はロ …

『リモート京都観光動画」/『外国人観光客への京都ガイド』★『京都・清水寺へぶらり散歩』、五条・清水坂からゆっくり参拝、境内へ、総門』★『清水寺前は産寧坂(三年坂は世界中の観光客が愛する和風的な町並み』

 清水(きよみず)とは東山区中央部、東山西麓の清水寺を中心とした地区名。 東は清 …

no image
日本世界史応用問題/日本リーダーパワー史(274)ー欧州連合(EU)の生みの親・クーデンホーフ・カレルギー の日本訪問記「美の国」―日本人は世界で最も勇敢 で清潔で礼儀正しい民族②

記事再録/2012/07/05/ 日本リーダーパワー史(274) &n …

『オンライン・鎌倉武士の魂の動画講座』/鎌倉古寺/仁王像巡礼の旅へ』★『鎌倉古寺の一番おすすめは「妙法寺、苔の石段(歴史の道)が「夏草や兵どもが夢の跡」じゃ』

『鎌倉時代の武士をみたいのなら妙法寺に往けー   2 ★5鎌 …

★『日本経済外交150年史で、最も独創的,戦闘的な国際経営者は一体誰でしょうか講座①(❓) <答え>『出光興産創業者・出光佐三(95歳)』ではないかと思う。そのインテリジェンス(叡智)、独創力、決断力、勝負力、国難逆転突破力で、「日本株式会社の父・渋沢栄一翁」は別格として、他には見当たらない』

  『戦略的経営者・出光佐三(95歳)の国難・長寿逆転突破力①     …

no image
日本リーダーパワー史(680) 日本国難史の『戦略思考の欠落』(59)「日露戦争・日本海海戦の勝因は日英軍事協商(日英謀略作戦)ーバルチック艦隊は「ドッガーバンク事件」を起こし、日本に向けて大遠征する各港々で徹底した妨害にあい、 艦隊内の士気は最低、燃料のカーディフ炭不足で 決戦前にすでに勝敗は決まった。

  日本リーダーパワー史(681) 日本国難史にみる『戦略思考の欠落』(59) …

 『オンライン講座/独学/独創力/創造力の研究➄』★『世界の発明王」エジソンは小学校で先生から「成績が悪い、劣等生だ」と叱られれ、以後、小学校には行かず、母親から「百科事典」(今でいうならGoogle)を基に教育を受けた。天才、リーダーは学校教育では作れない』★『秀才、優等生よりは、落ちこぼれ、落第生の方が天才になれるのよ』 

  2018/02/03百歳学入門(94) 記事転載 前坂俊之(ジャー …

no image
日本メルトダウン脱出法(589)『アベノミクスの挫折で深まる安倍政権の危機』「人口が急増する世界、日本が選ぶべき針路」

   日本メルトダウン脱出法(589)   &nb …