[ 知的巨人たちの百歳学(143)』★『世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者としてギネスブックに登録された昭和天皇の叔父の東久邇稔彦(102歳)』★『終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言後に54日間で、首相を辞任」★『敗戦の責任をとって直宮家以外の皇族は全員皇籍を離脱すべきだ、と主張』★『1947年10月の皇室改革で皇籍離脱し、やっと念願の庶民になった。』
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前坂俊之(ジャ−ナリスト)
102歳。世界の総理大臣、首相経験者の最長寿者としてギネスブックに登録した昭和天皇の叔父に当たる東久邇稔彦について知ってる人は今や、少ないだろう。
皇族軍人として前半生を送り、日本の最大の危機に際して宰相として、難局に当たり、後半生は一転して皇族を離れて自由奔放に暮らして百寿を全うした飛びっきり“異色な皇族”である。
東久邇内閣が誕生したのは、終戦2日後の昭和20(1945)年8月17日のことである。「終戦では降伏に抵抗する陸軍が暴発する可能性がある。天皇の威光による皇族内閣しか軍人をおさえて、この難局は乗り切れない」と木戸幸一内府から何度も口説かれていたが、「真っ平ご免です」とガンと固辞していた。
最後に敗戦で憔悴しきった天皇から「東久邇たのむ」と懇望され、『終戦の処理がすめばすぐやめさせてもらいます』とついに引き受けた。無条件降伏による国の滅亡、連合軍の進駐、占領という日本歴史上最大の難局に『終戦管理内閣』として引っ張り出されたのである。
この時、東久邇は57歳。皇族で初めて総理大臣になった例は、日本の憲政史上、後にも先にもこれ以外にはない。
『昭和史キーワード』終戦直後の東久邇宮稔彦首相による「1億総ざんげ」発言の「 戦争集結に至る経緯,並びに施政方針演説 』の全文(昭和20年9月5日) https://www.maesaka-toshiyuki.com/person/12764.html
東久邇稔彦は、1887年(明治20)12月、久邇宮家【朝彦親王)の第9子として生まれた。
貧乏宮家だったため、生後すぐ京都の農家へ里子に出され父母の顔を知らずに育った。野山を元気にかけ回って、孤独な「やんちゃ坊主」としてのびのびと成長する。
十九歳で東久邇家が創設されて皇族の一員に。それでも自由奔放で、やんちゃな性格はかわらず、窮屈な皇族生活に入って度々周囲と衝突する。明治44(1911)年、明治天皇との陪食を体の不調を理由に断わったため、大正天皇からきびしく叱責された。東久邇は「皇族を辞めます」(臣籍降下)を申し出てひと騒動になった。
1915年(大正4)に明治天皇の第九皇女の聡子と結婚する。同九年、夫人と子供らを置いたまま単身でフランスにわたった。陸大、政治法律学校に通い、マルクスの「資本論」を読み、社会主義も勉強した。画家のモネやルノアール、政治家・首相となったクレマンソー、
ペタンらの軍人とも交友を深めて、7年間にわたって自由奔放に人間性を謳歌したパリ生活を送った。
この間、大正天皇とはうまくいかず、大正天皇の様態悪化によって宮内省から帰国の要請が再三あったが一向に帰らなかった。皇室の殻を破った大胆で自由な発想、その叛骨ぶり、国際的で視野の広い考えはこのパリ生活の中で養われた。
その後、陸軍軍人として大将まで登りつめたが、軍国主義に批判的で日米戦争にも反対し、和平、終戦を口にして軍からにらまれた。近衛文麿や重臣から、第3次近衛内閣の後継首相に出馬を打診されたこともあったが、これは幻に終わり、東条英機の開戦内閣が誕生した。その欧米派の「皇族のホープ」東久邇がどたん場の終戦直後に登場したのは何とも歴史の皮肉である。
首相就任直後の8月27日、東久邇は「軍も官も民もすべてが総ザンゲすることが、わが国の再建の第一歩であり、国内団結の第一歩である」と記者会見で述べた。この「一億総ざんげ」論は戦争責任を国民に押しつけるものだ、との強い反発を招いたが、一躍、流行語となった。
8月30日、マッカーサー元帥は厚木に降り立った。9月10日、武装解除、戦争犯罪人の処罰など、日本占領政策を発表した。九月二七日、モーニング姿の昭和天皇は米大使館にマッカーサーを表敬訪問。軍服姿のマッカーサーと直立不動の緊張した天皇が並んだ写真を各紙は翌日一面トップで掲載した。
この写真に驚いた山崎巌内相は朝日、毎日、読売を不敬罪で発売禁止処分にした。これにはGHQが激怒し、「新聞・通信の制限を一切撤廃せよ」と日本政府に命令し、山崎内相の罷免、政治犯の釈放などを強くもとめたため、10月5日、ついに東久邇内閣は退陣に追い込まれた。内閣史上最短の54日間である。
しかし、わずか十数日で国内を「降伏」で統一し、連合軍上陸にも全く危害を加えなかった陸海軍の完全武装解除を実現した、その危機管理能力は高く評価された。
首相を辞めた東久邇はすぐ「臣籍降下」し、
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%A3%E7%B1%8D%E9%99%8D%E4%B8%8B
敗戦の責任をとって直宮家以外の皇族は全員皇籍を離脱すべきだ、と主張。昭和22年10月の皇室改革で皇籍離脱し、やっと念願の庶民になった。
東久邇は生まれ育った環境と、長いパリ生活によって庶民感覚を身につけていた。商売にも大変熱心で新橋駅西口の闇市マーケットに皇族のまま「東家」という乾物商を開いたり、喫茶店、タバコ販売、古美術商などを次々に開店したが、いずれも失敗。25年には新興宗教「ひがしくに教」の開祖となって世間をアッと驚かせて法務府から教名の使用を禁止されてこれも解散となった。ヨーロッパの皇族のように「やんちゃ皇族」そのままに、自由奔放に暮らしたのである。
その後、国を相手に2度も土地の訴訟を起こしたり、91歳の昭和53年には聡子夫人と死別したが、その直後には知人の女性を無断で入籍していることが週刊誌のスキャンダルで報じられて話題になるなど、晩年まで元気で波乱万丈の人生を送った。
「最晩年は、子供や孫とは別に一人暮らし。お手伝いさんらが身のまわりの世話をするほかは訪れる人も少なく、視力もほとんど失い、終日、机に向かってラジオを聞く毎日。数年前から入院生活を続けていた」(朝日新聞」平成2年1月20日付)」という。
平成2年(1990)年1月に102歳で亡くなったが、世界の首相経験者の最長寿者とし、ギネスブックに登場した。

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