日本リーダーパワー史(412 )『財政改革の巨人・山田方谷から学ぶ』<歴史読本(2012年8月号)に掲載>
『財政改革の巨人・山田方谷から学ぶ』
<歴史読本(2012年8月号)に掲載>
前坂俊之(静岡県立大学名誉教授)
〔大借金に立ち向かった陽明学者〕
財政危機のまっただなかにあるギリシャ以上に、世界最悪のおよそ一千兆円もの大借金をかかえた日本財政は、破綻寸前にある。そんないまこそ、幕末維新期に備中松山藩(岡山県内)の危機的な財政を救った陽明学者、山田方谷の財政改革の手腕に学ばなくてはならない。
山田方谷は、文化二年(一八〇五)二月、備中松山藩領の阿賀郡西方村(現在の岡山県高梁市中井町)で生まれた。
父五郎吉は長百姓(庄屋・名主の補佐役)で、「労働は朝四時より夜十二時」 「衣類は木綿に限る」「食事は雑炊、麦飯」 「読書百遍」 など、きびしい家訓のもとで育てられ、三歳で読み書きをはじめ、神童とうたわれた。十五歳のとき、父母を相次いで亡くし、十六歳で家業を継いだ。
家業のかたわら学問に励んでいた方谷は、二十五歳で藩主に才能を見込まれて名字帯刀を許される。そして二十九歳のときには、当時の江戸で儒者、陽明学者。『言志四録』 で知られる佐藤一斎に入門し、その塾頭になった。この間に、後の財政改革の基礎となる理財論をまとめあげた。
嘉永二年(一八四九)、板倉勝清(桑名藩主の八男) があらたに藩主となった。当時の備中松山藩(五万石)の財政は火の車で、実際には二万石しかないところに浪費と乱脈経理、粉飾決算がたたって借金は十万両(約六〇〇億円) にも膨れあがり、破産寸前だった。
方谷は藩主から藩政改革のため元締役・吟味役・郡奉行を任命された。今の大蔵大臣の役割に、警察、裁判の権利も含めた全面委任である。
〔知行合一の財政改革〕
勝静は重役会議で藩政改革の大号令を発し、方谷に反対する者は厳罰に処すと厳命した。方谷は 「嘘をつかない」「約束はかならず守る」「情報を公開する」「上の者がまず身をただす」「誠意と思いやりで改革にあたる」との基本方針を示し、それまで学んできた実践を重んずる陽明学の「知行合二 の精神で財政改革を実行した。そのおもな内容をまとめると次のようになる。
①「響宴贈答の禁止」「絹布使用の禁止」「上下節約」など九つの倹約令。
②三年の間に約一万一八〇〇両分の藩札を河原で焼却し、領民の目の前で処分。インフレ退治のうえで負債整理をし、藩札を刷新した。
③藩内で砂鉄の産出場所を発見。その採掘と製鉄を藩の直轄事業にして、刃物・鍋釜、鍬などを生産、
「備中鍬」(ぴつちゆうぐわ) のヒット商品をつくるなど新規産業を興した。
④汚職と賢沢を追放し、倉庫を設け穀物を備蓄して飢饉に備えた。また、目安箱を設け、方谷自らの家計出納を公開し、財政返済計画についても情報公開して、藩民の信頼を得た。
⑤文武を奨励し、多くの藩校や寺子屋を設け教育制度を充実させた。方谷に学びにきた河井継之助(越後長岡藩)はその教育水準の高さに驚いた。
⑥農民も加えた農兵制を創設、猟師らを集めて銃隊を編成するなどの軍制改革を実施した。高杉晋作の「奇兵隊」はこれを見習ったといわれる。
こうして七年後には、十万両の借金をすべて返済したうえ、さらに十万両の貯蓄を実現した。
〔世界の経済理論の先をいく〕
内村鑑三著『代表的日本人』 の翻訳本を読んだケネディー米大統領が尊敬したと伝えられる財政再建の名君、上杉鷹山は、五十五年をかけて米沢藩(十五万石)の借金二十万両を返済した。
備中松山藩は小藩とはいえ、わずか七年で借金十万両を返還し、そのうえ十万両の蓄財を成したことは、「雲中の飛竜」 と評された山田方谷の手腕がいかに優れていたかを示している。
方谷は、二十世紀最大の経済学者といわれるケインズの「有効需要創出理論」(不況時は公共投資を増やし、金利を下げ、減税する)を八十年以上も前に実行して、財政再建に成功したのである。
文久元年(一八六一)、藩主勝静は幕府の老中に任ぜられ、方谷もともに上京し、大政奉還の奏上文の原案を書いたり、攻めてきた官軍に対して主君勝静を抑えて備中松山城の無血開場を実現した。
維新後に新政府は方谷の腕を見込んで大蔵大臣への就任を要請したが、老齢を理由に断っている。明治十年(一八七七年)六月、炎の陽明学者山田方谷は七十二歳で亡くなった。
◎<山田方谷>
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E7%94%B0%E6%96%B9%E8%B0%B7
○<山田方谷について>
http://www.city.takahashi.okayama.jp/site/koryukan/yamadahokoku.html
●山田方谷名言BOT
関連記事
-
-
『オンライン/日本リーダーパワー史講座』★『 近代日本二百年で最大の英雄・西郷隆盛を理解する方法論とは何か(上) <リーダーシップは力より徳>』★『西郷隆盛はどこが偉かったのか』(下)』憲政の神様・尾崎行雄が語る』
前坂俊之×「尾崎行雄」の検索結果 106 件 &nbs …
-
-
現代史の復習問題/「延々と続く日中衝突のルーツ➈』/記事再録『中国が侵略と言い張る『琉球処分にみる<対立>や台湾出兵について『日本の外交は中国の二枚舌外交とは全く違い、尊敬に値する寛容な国家である』と絶賛した「ニューヨーク・タイムズ」(1874年(明治7)12月6日付)』
2013年7月20日/日本リーダーパワー史(396) 中国が尖閣諸 …
-
-
『オンライン講座/日本興亡史の研究 ⑳』★『上海でロシア情報を収集し、日本海海戦でバルチック艦隊を偵察・発見させた三井物産上海支店長、その後、政治家となった山本条太郎の活躍②』★『山本条太郎の日露戦争時代の活躍―上海の重要性』
2011/12/17 日本リーダーパワー史(225)<坂の上の雲・日 …
-
-
『Z世代のための 百歳学入門』★『日本超高齢者社会の過去から現在の歴史②』★『80年前までは人生わずか50年だった日本』★『創造力は年齢に関係なし、世界の天才老人、夭折の天才少年の年齢調べ』
百歳学に学ぶ健康長寿 前坂俊之(静岡県立大学名誉教授) 昭和最高のジ …
-
-
★『60,70歳から先人に学ぶ百歳実践学講座(2018年3月23日)』★『私の調査による百歳長寿者の実像とは何か・・』★『「生死一如」-生き急ぎ、死に急ぎ、PPK(ピンピンコロリ)をめざす』
日本ジャーナリスト懇話会 2018年3月23日、講 …
-
-
日本リーダーパワー史 (21) 中国建国60周年のルーツ・中国革命の生みの親・宮崎滔天にこそ学べ①
日本リーダーパワー史 (21) 中国建国60周年のルーツ・中国革命の生みの親・宮 …
-
-
日本経営巨人伝⑤・伊庭貞剛ーー明治期の住友財閥の礎・住友精神を作った経営者
日本経営巨人伝⑤・伊庭貞剛 明治期の住友財閥の礎・住友精神を作った経営者 <『幽 …
-
-
日本リーダーパワー史(218)<日本亡国病―百戦百敗の日本外交を予言した西郷隆盛<外務大臣には最高の人傑を当てよ>
日本リーダーパワー史(218) <日本亡国病―その後も百戦百敗の日 …
-
-
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑳ 『日本帝国最後の日(1945年8月15日)をめぐる死闘―終戦和平か、徹底抗戦か⑤』8月13日の首相官邸地下壕
『ガラパゴス国家・日本敗戦史』⑳ 『日本の最も長い日―日本帝国最後の …