日本リーダーパワー史(472)日本最強の外交力>「明治国家の参謀」杉山茂丸はスゴイ!黒田官兵衛どころではないよ
<日本最強の外交力>
今、世界中で展開されている日中韓、米国を巻き込んだ非難合戦、外交力のつばぜり合いをみて一番感じるのは「日本版NSC」だけではなく、国際交渉力を備えた政治家はもちろんその<参謀役>がいないということだ。
明治の「坂の上の雲」の奇跡はどのよう実現されたのか。伊藤博文、山県有朋、陸奥宗光、山本権兵衛、川上操六などのトップリーダーの活躍と同時に参謀役として
「杉山茂丸」らがいたためである。
ケタ外れの雄弁とインテリジェンスで元老たちを手玉に取り、日露戦争の勝利
に貢献した「明治国家の参謀」を杉山茂丸をみてみる。
前坂俊之(ジャーナリスト)
「明治国家の参謀」杉山茂丸はケタ外れの雄弁とインテリジェンスで
元老たちを手玉に取り、日露戦争の勝利に貢献した。
戦国武将の参謀役としてはNHKが放送中の豊臣秀吉の参謀役だった大河ドラマ「軍師・官兵衛」や武田信玄の山本勘助などが有名だが、明治国家の参謀役は一体だれであろうか。
奉天会戦に勝利した日本は講和を決定し、ルーズベルト米大統領に斡旋を依頼した後、明治三十八年(一九〇五)七月、山県有朋参謀総長ら大本営陸軍部将校一行が、極秘裏に満州に渡った。奉天総司令部に各軍司令官を集め、戦争終結を伝えるためであった。
この山県の渡満は最高の軍事機密として厳重な鍼口令(かんこうれい)がしかれた。七月十四日、一行は新橋駅を発ち、神戸で偽装した御用船「河内丸」に乗り込んで大連に密かに出航した。その出航間際に水上艇に乗った一人の民間人がノコノコと乗り込んできた。杉山茂丸である。
乗船するや杉山は山県のキャビンに入って密談し、出てこない。将校たちは「一
体、何者なのか」と、唖然とした。奉天の満州軍総司令部に到着すると、一行は別々に部屋割りされたが、杉山は児玉源太郎総参謀長の宿舎に泊まり込んだ。参謀本部員でも容易に入ることのできない最高指揮官のシークレットルームである。
実は桂太郎首相、児玉、杉山は密かに秘密結社を結んでおり、児玉と杉山は一心同体で固く結ばれていたのである。
二人は寝食を共にしながら、極秘の計画を練り上げた。児玉は杉山に日本軍占領地の全鉄道の地図、資料を見せ、その維持管理をどうするか、基本プランの作成を命じた。
杉山は二週間、不眠不休で作成し、政府の出資金一億円、民間からの株式公募一億円の計二億円の資本金、鉄道、沿線付属地の炭鉱経営を含めた南満州鉄道株式会社の設立計画案を山県に上申した。杉山こそ明治国家の影の参謀役だったのである。
杉山の長男で作家の夢野久作は「近世快人録」の中で、父をこう評している。
「彼は目的のためには手段を選ばなかった。子分らしい子分を一人も近づけないまま、万事ただ一人の知恵と才覚で成功してきた。いつも右のポケットに二、三人の百万長者を忍ばせ、左のポケットにはその時代時代の政界の大立者を四、五人も忍ばせて、『俺の道楽は政治だ』と言いながら彼一流の活躍を続けて来た」
この杉山のポケットに入った巨頭が伊藤博文、山県有朋、松方正義、寺内正毅、桂太郎、児玉源太郎、明石元二郎、後藤新平らで、実業家では藤田伝三郎ら。
明治、大正、昭和戦前を通じて最大の浪人は、玄洋社代表の頭山満、「魔王」「巨人」として恐れられたが、その盟友である杉山はそれ以上の存在であった。しかし、杉山は玄洋社一流の真正直で国粋的・日本イデオロギーではダメだと一線を画していた。
「毛唐(西欧人)の唯物功利主義的1点張りの、血も涙もない社会に、在来の仁義、遺徳、漢方で対抗するようなもの。西洋以上の権謀術策(インテリジェンス)と、それ以上の惨毒な怪線を放射して対抗できるものは天下に俺しかいない」と豪語していた。
杉山は国粋的なカチカチの右翼壮士とは違い、当時、日本きっての国際通であり、経済について該博な知識をもっていた。香港や上海、アジアを相手に実業に携わり、特に米国には工業の視察に前後五回も訪れ、内閣嘱託として日本公債引き受け交渉にも従事した。
児玉台湾総督の知恵袋として台湾銀行を作り、「日本の空を工場のエントツで真っ黒にしてみせる」といち早く工業立国論を唱え、そのための日本興業銀行の創立、鉄道の国有化にも熱心に取り組んだ。日本興業銀行創設のため、一片の紹介状も持たず渡米して、各国元首さえ容易に会えない世界の金融王J・P・モルガンに、単独で面会した。
得意の弁舌でけむに巻いて、年利三分五厘で1億5千万ドルの外資導入の仮契約を結ぶ。
この時のやりとりも水際立っている。交渉がまとまった際、茂丸はその内容を覚書にしてほしいと依頼すると、モルガンは突然大声で怒りだし「私がイエスといったのだぞ」とテーブルをドンと叩いた。
部屋の空気は一瞬、凍りついた。通訳らも契約破棄か、と青くなった。しかし茂丸は平気の平座。
「もう一度、テーブルを叩いてください。そうすれば、その音が日本まで聞こえるでしょう」とタンカを切った。
「私は日本政府と関係ない一介の観光客にすぎないのです。その私が世界のモルガンに
会えて、日本にとって大変有り難い工業開発の条件をいただいた。その声、音を日本政府、国民に聞かせたい。私はあなたがイエスと言った言葉を信じるとか、信じないとかの資格のある男では有りません。私の希望するのはあなたがテーブルを叩く音よりも、あそこにいる美人秘書のタイプライターの音なのです」
これには、さすがのモルガンも舌を巻いて、文書をタイプさせ、茂丸に手渡した。この手のエピソードには事欠かない。
この茂丸の離れ業には伊藤、山県とも仰天した。ところが、松方蔵相が銀行家の猛反対に押されて「そんな安い外資が入ると、日本の銀行はつぶれる」と反対に回り、外資導入は見送られてしまった。
結局、国内資本だけで日本興業銀行は創設され、杉山は総裁に推されるが、蹴ってしまった。警視総監にも推されたが、そんな小さい役はゴメンだと生涯浪人を貫いた。
モルガン商会法律顧問のジユニングは、金子堅太郎(農商務相・日露戦争でルーズベルト米大統領と陰で講和の交渉をおこなった)に杉山の評をこう伝えた。
「彼は既成概念を超えた新しい発想の持ち主で、数字的、具体的に理路整然と説いて、聞くものを納得させる話術の持ち主でもある。今までたくさんの日本人に会ったが、彼ほどの人物に会ったことがない」
杉山は当時の日本人には珍しい国際交渉力の天才。論理的で火を吐く雄弁で相手を庄倒し、国際的な見識と、ずば抜けた交渉力で神出鬼没の活躍をした。世間はそのケタ外れのスピーチに「ホラ丸」と呼んだ。後藤新平は彼の仲間で、「大風呂敷」とあだ名されたが、杉山の方が上手であった。「其日庵」庵主を名乗っていた杉山は「その日暮らし」の意味だと答えていた。
明治国家の大遺産を食いつぶして、日中戦争、日米戦争へと亡国の坂道をころがっていく昭和十年(1935)七月、七十一歳で亡くなった。その最期の言葉は「後のことは知らんぞ」。
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