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日本リーダーパワー史(474)『不況、デフレで経営トップはどう決断したか➁ 』 (本田宗一郎/佐治敬三/小倉昌男)から学ぶ-➁

   

  

日本リーダーパワー史(474)

 

『不況、デフレで経営トップはどう決断、行動したか➁ 』

本田宗一郎/佐治敬三/小倉昌男の大経営者から学ぶ-➁

 

前坂俊之(ジャーナリスト)

 

 

自動車王「ホンダ」の本田宗一郎

  

本田宗一郎(1906199184歳)が本田技研工業を創業したのは昭和22年、39歳の時。従業員20人で二輪車の開発に取組んだ。それから挑戦に次ぐ挑戦。敗戦後の物不足の中で湯たんぽをエンジンタンクとして自転車に取り付けた2輪車から高性能のスーパーカブを開発、マン島レースで優勝の重ね、1962年(昭和37)、通産省の規制と戦って四輪車の製造に進出した。

39年には F1GPへの出場を宣言して優勝する。47年には米国の大気清浄法案(マスキー法)にあう低公害エンジン「CVCC」の開発にビッグ3に先駆けて成功し、「世界のHONDA」へ、40年で自動車ナンバーワンへ上り詰めた。本田の人生は栄光のドラマである。

 

本田は経営者、社長というよりも天衣無縫な天才的なエンジニアといった方が適切。ナッパ服姿で油まみれでエンジンと取り組む。そんな本田と二人三脚で本田技研を世界企業にのし上げたのはセールスマン・藤沢武夫(のち専務・副社長)である。

本田は「私は自分と同じ性格の人とは組まない。自分と異なる性格、能力の人と一緒にやりたいと考えていた。藤沢は機械には素人だが、販売ではすばらしい腕の持ち主だ」と語る。

  本田は創業当初を除いて、役員会にはほとんど出席しなかった。一九六三(昭和三十九)に役員室ができてからは副社長も顔を出さず、四人の専務に経営を任せた。本田、藤沢が出席すると、結論が一点に流れるのを嫌ったのである。会社を興す人と、盛んにする人間では考え方が違う。創業社長がいつまでもガンバっていると、会社のエネルギーは失われることを本田は身にしみていた。

わずか二五年で世界トップの企業にのし上げ、昭和四八年、本田は六六歳で子供に継がせず後継者に託して鮮やかに勇退したのである。

 

 以下は<破天荒な本田の経営語録>である。

 

   トップは役員会に出席するな

  成功は失敗の回数に比例する

  仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程で、九九%の失敗が積み重ねられている

    怖いのは失敗することではなく、失敗を恐れて何もしないことだ

  失敗の理由をいくら考えても意味はない。次にどうすればよいのかを考えろ

  頭は使わないと常識的になってしまう。頭を使って不常識に考えろ

  需要がそこになるのではない。われわれが需要を作り出すのだ

  「得手に帆を上げよ」「好きこそ物の上手なれ」

  「社員は得意分野で能力を発挿せよ」「能ある鷹はツメを誇示せよ」

  どんな発明発見も他人より一秒遅れれば、もう発明、発見でもなくなる。時間こそすべての生命である

            

 

 サントリーを世界企業にした3代目 佐治 敬三

 

佐治敬三(1919199980歳)は「サントリー」(「寿屋」が前身)の3代目に当たるが、ウイスキー、ビール、洋酒から食品、医療などの分野へも多角化、世界的企業「サントリー」に発展させた点では、創業経営者といってよい。

鳥井信冶郎の2男で、大阪大学理学部を卒業後、昭和21年、家業をついで入社、事業部長、専務となってサントリーの成長戦略を一手に担っていた。

父鳥井信治郎も「やってみなはれ精神」の創意工夫の人だが、佐治もそれ以上で「親父はライバルみたいなもので・なににくそ!〝という感じが強く、会社の中でも反対ばかりしていた」と語る。

 

マスプロ(大量生産・大量消費)時代を迎えて新聞広告・テレビコマーシャルの効果を彼ほど知っているものはなかった。宣伝費用を思い切って投入、サントリー宣伝部から小説『裸の王様』(1958年)で芥川賞をとった開高健、『江分利満氏の優雅な生活』(1962年)で直木賞の山口瞳・三角頭のアンクル・トリスの漫画で人気を集めた柳原良平ら人気作家を次々に輩出し、名コピーを連発した。トリス、角ビン、洋酒のサントリーの商品の売り上げを急拡大させた。

昭和三十七年、父・信治郎は八十三年の生涯を閉じたが、佐治は社長に就任すると同時に4か月のヨーロッパ旅行に出てビールを研究、進出を決意する。寿屋の社名を「サントリー」と改め、技術者十五名、現場従業員二十名をデンマークへ派遣して徹底的にビールづくりを研究させて、世界に類のない「純生」完成。ビール業界3社寡占体制に挑戦した。

ここでも徹底した広告・宣伝作戦を展開、味は他社のドイツ風ビールとは異なり、味が軽いデンマーク風にした。発売されたサントリービールは昭和三十九年ベルギーの世界食品コンテストで金賞を受賞した。

 

創業80年を迎えた1979年(昭和54)には「生活文化企業」を宣言、「美感遊創」(美しく、感性豊かに、文化的な遊びを創造する)をスローガンに他の食品事業、外食産業、医療、健康・バイオ事業の多角化とグローバルな事業展開に拡大、世界的な企業へテイクオフした。

 

<佐治語録>

 

    殿様商売をやめて、苦難を求めて、足腰を鍛えとこうじゃないか

     ビール進出の際、父親は「人生は賭けや、わしは何もいわん、やってみなはれ」

    「ライオンになりたい」(ビール3社の寡占体制にくいこみ、トップのキリンを破りたいの意味)

     同族会社の欠点の内向き思考を、よそ者をスカウトして変えるんや

    金太郎飴はあかん。十人が十人同じこと、同じ顔の会社に進歩はない

    会議は全員が侃侃諤諤のディスカッションする所。声の小さいのはあかん。

    納得いかん時、「それほんまやろか」「なんでやねん」と突っ込む。発言した本人が付け焼き刃でないか確認するため

    出てくる杭を伸ばす。「なんでや」が考えさせる基本教育になる

    「美感遊創」(美しく、感性豊かに、文化的な遊びを創造する)

    企業は人。天才一人より、社員一人一人が力をあわせてやる。やってみなはれ

 

 

[クロネコヤマト](宅急便)を作った小倉昌男

 

小倉昌男(1924– 200580歳)は「クロネコヤマト」の生みの親。旧体質のトラック業界と国の規制と正面から戦い物流革命を起こし、インターネット時代に不可欠なリアルな物流のネットワークを構築した。小倉の父康臣は日本のトラック輸送の草分けで大和運輸(ヤマト運輸、現・ヤマトホールディングス)を創業し、その2代目。東大卒業後、大和運輸に入り、昭和46{1971}に社長になった。

小倉が同社に入った昭和2030年代の日本のトラック業界は,企業向けの大口大量長距離輸送が中心で、個人小口の輸送は無視されていた。国鉄(旧JR)、郵政省(総務省)が小荷物も取り扱っていたが、サービスは悪く,1週間、10日も配達にかかった。

「宅急便」は小倉が489月、米国小荷物専門会社UPS社を視察し、荷物の機械自動仕分けなどのシステムをみて思いついた。マンハッタンの十字路にはUPS社の四台の集配車が止まっていた。

一ブロックに一台ずつを配車しており、東京中央区では銀座、京橋、日本橋など五地域に五台でブロック分けすればでき、一日百個で儲かると計算した。小倉は周囲の猛反対を押し切って商業貨物から宅急便に転換した。初日はわずか11個、1カ月間でも8591個の集荷しかなかった。

小倉は一貫して「消費者目線に徹したサービス」を徹底し「サービスが先、利益は後」「車が先、荷物は後」「安全第一、品質第二、利益は第三」などをスローガンに、エリアを拡大、4年後には主要取扱地域ネット(わが国人口の75%カバー)を達成。平成九年(1997)に全国集配ネットワークを完成、日本経済発展の動脈」となった。

 

トヨタと組んで独自の車高の宅急便車「ウオークスルー車」(1981)を開発、自動仕分け機を導入、「NEKOシステム」などの情報システムの導入改良、ゴルフ宅急便(84)クール宅急便(88)、時間帯お届けサービス(98国際宅急便ときめの細かいサービスを加えた。宅急便は爆発的に普及して198112月には月間1000万個を突破、1993年末には月間1億個を突破した。

 

その小倉の「経営リーダーの10条件」は・・


①経営者にとって一番必要な条件は、論理的に考える力をもつこと。経営は論理の積み重ねである。

②時代の風を読む

③戦術的嗜好ではなくマクロな戦略的思考をもつ

④攻めの経営をとる

⑨行政に頼らぬ自立の精神をもつ

⑥政治家に頼るな、自助努力あるのみ

⑦マスコミとの良い関係を保つこと

⑧明るい性格、ネタラからネアカになる

  身銭を切ること

  高い倫理観をもつこと

 

 

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