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『オンライン講座/中国交渉術の研究』★『日清戦争はなぜ起きたのかー日中韓認識ギャップから戦争へ』★『清国流の詐術にひっかかるな」と国民新聞は主張

   

 

 

終戦70年・日本敗戦史(121)

                  <世田谷市民大学2015> 戦後70年  7月24日  前坂俊之 

◎『太平洋戦争と新聞報道を考える』<日本はなぜ無謀な戦争をしたのか、どこに問題が

あったのか、500年の世界戦争史の中で考える>⑦

日清戦争はなぜ起きたのかー日中韓認識ギャップ(思い違い)から戦争へ

日清戦争1ヵ月前の新聞報道を読む④

 以下の日清戦争の原因を見ると現在の中国、韓国、北朝鮮との対立と全く変わっていない。

つまり、中韓の思考・外交・行動パターンは全く「中華思想」から進化していないことがわかる。

(日清戦争1ヵ月前)『軍事力背景に日清対立 』[明治2773 東京日日]

 

東徒の乱起こるや、主として清兵の援助を求めたるものは閔泳駿その人ならんといえども、閔氏をしてこの要望を公然打ち出さしむるには、総弁袁世凱氏の慫慂あずかりて力あるべし。閔氏いかに時事に迂なるも、いったん清国の出兵を見るに至らば、我が国の同時に出兵するは分からざるはずなかるべし。

これ畢竟、袁世凱氏の、日本恐るるに足らずとの言を過信したるに職由すべきなり。しかるに我が国は咄嗟の間、大兵を派遣して威風八道を動かしければ、韓延は狼狽措かず、しきりに東徒の平定を説き、もって我の撤兵を空頼みに頼みたるは、流石に朝鮮らしさ所あり。

しかして日清両国はますます出兵を促すも撤回の色だになければ、大院君のごときも国王殿下に謁して親しく忠告する所あり、その末、閔氏は閉門の不首尾に至りぬ。しかれども日清衝突へ緊張高まる韓延の心配は日に深きを加うるのみなるぞ、是非もなき。

韓延はしきりに東徒の平定を説くも、その実東征は京軍を恐るるにあらずして、日清の出兵に畏怖し一時手を収めたるのみ。されば近頃の東征の挙動を察するしばらく山林に匿れて時の到るを待つのみなるがごとし。

すなわち京軍の匪徒敗亡と報ずるものはその実、東征自ら守を棄てて去るに過ぎずというごとき奇談はあえて珍しきにあらず。そのはなはだしさに至りては敗を詐って勝となし、その檎獲(きんかく)の少なきに窮して所在良民の首級を別ねて凱戦を装うに至る。

故にいやしくもその原因除かるるにあらざれば、真の平定をもって認むべからざるは、近日全羅道における東徒再起の事実に微するもまた瞭然たり。我が政府またここに見る所ありてや、東徒未だ平定するものと認むるあたわず、また善後の便法を妥協するに及ばずして、直ちに撤兵の要求に応ずることあたわず、と答覆したる由。当初出兵の趣意より推考するも、一時の弥縫に安んじ、軽々しく撤回するを得ざるは当然のみ。

しかしてこの答覆と同時において、我が政府は緊要なる申し入れを清国政府に試みたりと聞く。

 日・清・韓三国は土壌接近、その関繋、輔車唇歯もただならず、朝鮮の禍乱は直ちに惹きて貴我両国の利害に及ぶ。しこうして朝鮮の時事日に非にして危機一髪なるはまた貴国の知了する所、よって貴我両国の協議により韓延に向かいて諸般の制度を改善せしめ、大いに内治をり正せしめ、将来の禍根を断ち、百年の大計を定めしめんことを韓延に勧告せんと欲す。これ我に他意あるにあらず、ただただ朝鮮の独立をたすけ、もって東洋大局の平和を維持せんことを希うのみ。

我が政府の好意、真情かくのごときにもかかわらず、清国政府はこれを斥けたりという。(中略)

 李鴻章氏は当初より、日本との交戦は避くべきにあらず、たとい日本一時大兵を派送するも、内に議会の困難ありて政府の威信すでに墜つ、久しく大兵を外に屯してその距費に耐うべきにあらざれば、かかる時にこそ我よりも大兵を送り、場合によりては戦端を開き、

彼日大の頭を抑え置くが得策なれ、乗ずべきの好機、実に今日にありといい、意気軒昂、眉宇ともに揚がりしと聞きたるが、今やその舌根の末だ乾かざるに、この三、四日間彼は、北京、天津にある外国使臣に向かいて、外交上の援助として日清間に調停の労を平られたしと乞い、同時急命を下して在牙山の兵、在仁川の軍艦に何分の指命するまでは運動すべからず。と最初の勢いに似もつかざる有様なるは、一は我は急に大兵を派出すまじと思いたるに、案外にも大兵を送り、しかもその手際といい威風といい、彼の予期の外に出でたるにもよらん。[明治27・7・3 東京日日]

「清国、主戦論に決す」(27・7・10 郵便報知)

〔天津七月二日午前七時五分特発〕李鴻章伯の主戦建策は、ついに北京政府の採納する所となりたり。十五官の兵士は朝鮮に派遣せらるべし。兵士は大同江より上陸して平壌に根拠を置くならん。

 

「朝鮮に対する発言権は日本にありー新聞息まく」

(明治27・7・12 国民新聞)

我が邦は一大難関に逢着せり。吾人は特に今日において英断猛決の必要を見る。今日外交の事糾紛としてそれ煩なり。ただそれ毅然として初志を確持し、千の弥縫、万の調停、すべて「否」の一語をもって排し去るにあらずんば、我が邦は識らず知らず清国詐術の中に陥没し、前進その路を失し、後退その度を失し、茫然自失するの悔いあらん。

清国は独力もって我に対するあたわず、諸外国の力を貸し来たりて、もって我に当たらんとす。これ彼が今日我が邦を困殺せんと欲する第一の秘術なり。彼はこれを外にして、他に日清の平和を計り、朝鮮における日本国勢の膨脹を妨ぐべきの策なしと信じ、今やその全力をこの方針に向かって注ぎ、列国の公使に哀訴歎願、もってその同情の恵みを請い、列国の力を借りて、もって我が国に談判を試み、朝鮮の処分を決定せんとするもののごとし。

これ、あんに卑屈千万の処置にあらずや。朝鮮の問題について発言権を有するものは世界各国の中、ただ清と我とあるのみ。これ従来の歴史、従来の関係、従来の慣習が両国に与えたる特典にして、またこれ隣国として後進国たる朝鮮を保護するの好誼なりとす。欧州列国のごときはもとより従来の歴史、従来の関係、従来の慣習において、朝鮮の事に容喙したるの典例を見ず。

我が邦が当初、欧州諸外国に向かっては1言の通告をもなさず、ただひとり清国に向かって朝鮮処分に対する談判を申し込みたるは、我が邦の外、ひとり清国のみ朝鮮の事に発言するの典例あししによるものにあらずや。

しかるに清国がこの申し込みに対し全然拒絶したるものは、これすなわち清国自ら朝鮮に対する発言の権を放棄したるものにあらずしてなんぞや。清国すでにその発言権を放棄す。

ここにおいてか、朝鮮に対する発言権は我が邦の独占に帰したるものなり。我が邦が独力もって朝鮮の保護を任ずるに至りたるものは、すなわち朝鮮における発言の権、我が邦の独占に帰したるがためにあらずや。事すでにここに至らば、清国たるもの、またなんぞ朝鮮の事について一言を挟(さしはさむ)むを得んや。(後略)

「朝鮮は独立国と日本政府が念押す」(明治27・7・13 時事新報)

朝鮮の独立、今更いうまでもなき事にして、条約各国みなこれを認めおるにもかかわらず、清国のみは兎角これを属邦視し、傍若無人の挙動あり。牙山駐在兵の統領扁土成が掲示中にも保護藩属等の文字あり。

聞く処によれば、大鳥公使は第一着に独立国云々に関し外街門に向かって確かめたるに、韓廷部内の議論区々にして兎角決するあたわず、ついに一昨二十九日正午に至りてなお回答をなすあたわず、昨日午前八時まで延期したれどもこれさえ回答なく、よって杉村書記官は外街門に到りこれを迫りたるに、行き違い返答ありて断然独立国たるを明言し来たりたりという。(後略)

 

「列強、朝鮮問題から手を引く」(明治27714 時事新報)

(前略)内乱より隣国に出兵の必要を感ぜしむるものは、朝鮮の内政よろしき

を得ざるによること勿論なれば、日本は構図と協力して内政改良の助言をなさんとしたるも、清政府は頑として動かず、我の相談を斥くるのみならず、日本に向かって撤兵を要請するに至りたり。

もとよりかかる不当の要求容れらるべきはずなければ、日本政府は断然これを拒絶したるに、清国はいかが思いけん、他の強国に向かって調停を哀求し、ついに二、三外国はこの間に立ちて調停を試むる事となり

日清両国に忠告する所ありし末、撤兵云々はしばらく措き、朝鮮の内政改革は近隣諸国のためには目下の急要にして、これに関し日本政府の相談ありしにもかかわらず、清国のこれを拒絶したるは事のよろしさを得たるものならねばとて、諸外国は清政府に向かって、朝鮮の内政改良に日本と協力するの至当なる事を勧誘するに至りたり。

事情かくのごとくなれば、支那も今は不当の議を固執すること難く、ついには前日拒絶したる日本の相談を容れて改良に協力するの外なかるべしとは、このほどより外交社会に予期せらるる所なりし。

しかるに清政府は、諸外国の勧誘いかにも至当なる事を知らざるにあらざるも、今となりては前言を取り消すこと何分国の体面に関し、平生尊大の気風に制せられて、ついに諸外国の勧誘を容れずして朝鮮の内政改善には協力せざる事に決し、その旨を諸外国に通知せしかば、諸外国も今はこれまでなりとて、いずれも調停の事を止めたれば、ここに局面一変して事単に日・清・韓三国の間に止まりて、諸外国との関係はほとんど跡を絶つに至るべし。

かかれば日本はますます従来の針路を取りて、極力朝鮮の内政改善に着手するなるべし。

清国政府は、諸外国が調停の手を引きたる後に至りても、なお直接に日本に撤兵の事を請求し、かつ双方兵を撤したる後、協議する所あらんとの事をもってするなど、我が政府の対韓政策に妨害を試むること一再ならずして、常に拒絶に逢うのみなれば、今後我が政策に不同意ある以上は兵力をもって争うの外なき形勢に迫りたり

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