知的巨人たちの百歳学(180)記事再録/「巨人政治家、芸術家たちの長寿・晩晴学③」尾崎行雄、加藤シヅエ、奥むめお、徳富蘇峰、物集高量、大野
百歳学入門(64)
前坂 俊之(ジャーナリスト)
●明治時代の平均寿命は50歳ほどですから、90歳近くまで活躍したという長寿者は、寿命ののびた現在では100歳以上となりますね。数少ないですね。結局、時間的に長生きしたというよりも、晩年に何をしたか、人生の質が大切なのはいうまでもありません。晩年学よりも『晩晴学』こそ大切です。
<では政治家、芸術家、そのほかの晩年長寿の達人を上げてください>
●議員生活63年というギネス世界一の尾崎行雄(1858- 1954)96歳ですよ。「議会政治の父」、「憲政の神様」
『政治家ではなんといっても、議員生活63年というギネス世界一の尾崎行雄(1858- 1954)96歳ですよ。
「議会政治の父」、「憲政の神様」と謳われている尾崎は明治二十三年(一八九〇)七月のわが国初の総選挙で当選。以来、連続当選二十五回、昭和二十八年まで六十三年間にわたって議員生活をおくり、九十六歳でビリオッドを打ち、翌年十月、96歳で亡くなっています。
齢七十歳を超えても、尾崎の気力は一向に衰えず、軍部を批判し、五・一五事件で僚友の犬養毅首相がテロに倒れた後は、一人体を張ってファシズムに抵抗した。
昭和十七年、不敬罪で起訴され、八十五歳で巣鴨刑務所に拘置されています。戦後は昭和25年、九十三歳で四十日間にわたって渡米して、『ニューヨークタイムス』『ニューズウィーク』など米マスコミは尾崎を「日本の良心」と賛えています。
昭和十七年、不敬罪で起訴され、八十五歳で巣鴨刑務所に拘置されています。戦後は昭和25年、九十三歳で四十日間にわたって渡米して、『ニューヨークタイムス』『ニューズウィーク』など米マスコミは尾崎を「日本の良心」と賛えています。
九十二歳のときの食生活はこうですね。「朝は太陽と共に起きる。七時頃朝食。やき餅の入った味噌汁一椀、野菜二品、タマゴ一個、トースト一片、チーズ少々。八時過ぎに新聞(朝毎読3紙)がくると書生が記事を1つ1つ読みあげ、尾崎は補聴器を用いて聞くが、二時間以上かかる。昼食は十一時半、夕食は五時。午前九時頃と午後二時すぎに、コーヒーか紅茶とチョコレートを入れた牛乳1合。昼も夕も野菜二品、麦飯ごく少し。果物はミカン、リンゴでも皮まで食べ、汁をまず目の上から顔中、手という順序でこすりつけ、目に非常に効果があった」とか、書いていますね』
◎日本の最長寿政治家は加藤シヅエ(1897―2001)104歳
『しかしね、尾崎行雄は63年間の国会議員活動はギネスに認定されていますが、日本の最長寿政治家は加藤シヅエ(1897―2001)104歳でしょうね。加藤は日本初の女性代議士です。大正八年(一九一九)に渡米。ニューヨークでマーガレット・サンガー女史と出会い、産児調節、女性運動に目覚める。労働運動家の加藤勘十と再婚。48歳で長女を出産しています。昭和21年の戦後初めての総選挙で当選した婦人代議士第1号。昭和49年に政界引退まで参議院議員を通した。
95歳で、女性の政治スクール名誉校長に就任。98歳で家族計画国際協力財団会長になるなど生涯現役を貫いた。百歳になっても講演会などに出かけて理路整然と、よどみなく講演しており、その頭脳活動は衰えなかった。
加藤ならではの健康法は
① 『一日に十回感動すること』。何事も感謝、感謝で一日を過ごす。親からもらった健康な体にまず感謝。食事では作ってくれた人々に感謝。会ってくれる人々にも感謝。感謝の心を持っていると、ハッピーな気持ちになり、感謝は感動を呼び、頭脳、肉体に刺激を与えてますます健康になる。
②「昼寝は厳禁」。昼寝は夜の睡眠と違い、脳を休ませて脳細胞の衰えを促進するように思えてしない。
③『1日3合の牛乳を飲む』。西洋化した家庭環境で育ったので、子供の時から毎日牛乳を飲んおでおり、晩年も続けた。九十五歳で骨折した際、レントゲンで見ると、医師も驚くほどの骨ぶとだったという。これも牛乳のおかげ。
④『うがいの励行」。演説が命の政治家にとってうがいは習慣。長い間のうがいによって耳、鼻、喉の清潔が保たれ、風邪をひかない、耳が遠くならなかった」。加藤が補聴器がいるようになったのは97歳を過ぎてから、大変なものですね』
★『主婦連を作った奥むめお(一八九五年―一九九七)は婦人運動の草分けの1人
『主婦連を作った奥むめお(一八九五年―一九九七)は婦人運動の草分けの1人、百一歳まで後身を育成しましたね。平塚らいちょう、市川房江ら女性運動家は長寿の人が多い。
奥むめおは日本女子大学を卒業、「良妻賢母」に嫌気がさし、〝女工哀史 の工員になった働く。平塚らいてうにさそわれて市川房枝とともに、新婦人協会を作って、婦人参政権と母性保護運動をおこなった。 戦時中は国の〝産めよ増やせよ″に対して、〝産むも産まぬも女の自由〝を叫び、戦後の第一回の初の参議院議員選挙に当選した。五十三歳の時である。されから半世紀時、主婦連の先頭に立って、「くらしのつらさは政治の悪さからくる、わたしたちの自覚の足りなさからくる」と引っ張っていったエネルギーはたいしたもんですね』。
◎明治、大正、昭和と3代にわたって政治指南役を務めた言論人、
新聞人の徳富蘇峰(1863―1957)94歳
『政治家ではないですが、明治、大正、昭和と3代にわたって政治指南役を務めた言論人、新聞人の徳富蘇峰(1863―1957)94歳と最後まで書き続けていますね。
近代日本の精神的縮図ともいってよい蘇峰は三代70年にわたり膨大な量の著作をものにしています。昭和35年11月、94歳で亡くなる直前まで、毎日執筆しており、驚くほどエネルギッシュです。
ライフワークの「近世日本国民史」を 大正七年、五十六歳で 「国民新聞」に連載を開始し、昭和十五年、七十八歳で一万回を突破し、毎日毎日書き続けて34年間、ついに昭和二十七年四月、九十歳で『近世日本国民史』全百冊を完成しています。
個人が書いた歴史書ではこれが日本ばかりではなく、世界でも最長編であり、このほかにも数百冊の著書があるという超人的な著作活動で、それを可能にしたのは94歳という長寿と旺盛な生命力です。この創作の秘訣は「原稿より健康、体力第一」だと本人も力説していますね。その蘇蜂はこころの持ちようとして
① 朝起き、読書、富士の山、律義、勉強、愚痴をいわぬこと。
② 必要以上に思い悩んで精力を消耗しない。
③ 過ぎ去ったことにはくよくよしない。
④ まだ起きもしないことを想像して取越し苦労をしない。
―をあげて、『この世に本がなかった、今日の寿命は保てなかった』と述懐し、83歳で敗戦という最大の苦難にぶつかりながら、大著作を完成できたのも、読書と周りの看護と支援があったからだと感謝していますね』
●「百歳は人生の折り返し点」という国文学者の物集高量(1879年- 1985年)百六歳
『百歳過ぎても生涯現役でテレビで人気者になった百歳タレントといえば、「百歳は人生の折り返し点」と言った国文学者の物集高量(1879年- 1985年)ですね。
百六歳までライフワークの「群書索引」の研究、編集に没頭した。この本は日本の古典研究の百科事典で、研究者には大変便利な参考書。市井で貧しく暮らしながら実に世の中の役に立つ仕事をした人である。だから、百三歳の時「あたしゃ、歩くたんびに疑問がある。疑問がぁる内はまだいい。物事をあたり前だと思ったんじゃ、もうダメです」という。好奇心、疑問をもってなぜかと考え続けることが頭を活性化して長生きのコツであることを、物集のことばはいみじくも象徴している。
「長く生きる見本になろうと思っているんですよ」と語る物集は長生きの秘訣は「やっぱり、気持ち。肉体よりも心。心が気で元気がいいと体が丈夫になり、体が丈夫になると気がしっかりしてくる。精神が6分で体のほうが4分くらい。だから長生きは体、肉体じゃない、心だと思うんです」とその真髄を語っていますよ』
◎『車椅子で踊り続ける百歳の現役ダンサー・大野一雄(1906- 2010)103歳
『車椅子で踊り続ける百歳の現役ダンサー・大野一雄(1906- 2010)は、日本よりもむしろ世界中から注目されている。土方巽と出会い、世界に衝撃を与える「舞踏」がうまれる。遅咲きで、自分の年など一切気にせずひとことに打ち込むタイプの大野の本格デビューは四十三歳、ソロ舞踏が確立したのが七十二歳、七十五歳で世界デビューを果たし、世界に衝撃をあたえた。
90歳ころの取材では「自分の年齢を意識したことは一度もないし、特別身体を鍛えることも、健康に良いということも何もしていない」と語り、「うなぎ、とんかつの脂身、オムレツやイカの塩辛など」大好きで、一切気にせず、若い人と一緒に食べるという大変な食欲ぶりであったといわれる。93歳を過ぎてから、体力の急速な衰えとアルツハイマーとなり、歩くこともできなくなると、今度は支えられて踊り、車椅子に乗り、手だけで踊り続けている「踊り100歳まで忘れず」という情熱と生命力は見るものに強烈にアピールしている』
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