前坂俊之オフィシャルウェブサイト

地球の中の日本、世界史の中の日本人を考える

*

『百歳学入門』(226)『横山大観(89歳)は最後まで旺盛な創作欲は衰えなかったが、そのエネルギーの源泉は日本酒だった。』★『晩年、大観は老子の言葉「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)を揮号』

      2018/04/25

『百歳学入門』(226)

〝酒仙大観〟は酒で栄養をとりながら八十九の長寿に

横山大観は岡倉天心の理想を受け継いだ日本画の育ての親であり、明治、大正、昭和の三代にわたり、日本画を革新して日本画壇の最高峰に君臨していた。

生涯「富士山は無窮の象徴である」として、富士山ばかりを描いた。絶筆も『不二』だったが、一度も富士山には登らなかった。日本精神の原点として富士山の姿に打たれ、描き続けたのである。

また、在野精神を終生貫き、芸術院会員を断った。代表作は『生々流転』 『夜桜』 『紅葉』などだが、昭和十二年(一九三七)、第一回の文化勲章を受章した。

大観は明治元(一八六八)年に水戸藩士・酒井捨彦の長男として生まれた。本名を秀麿といった。成人の年に母方の親戚横山家を継いで、横山を名乗るようになる。

明治二十二年、大観は開校したばかりの東京美術学校(現東京芸術大学)に第一期生として入学する。この時、鉛筆画で入学願書を出したが、日本画の希望者は百人、鉛筆画は二百人を超えていたので、急きょ日本画に変更し、隣りの人の筆の持ち方などをまねて試験を受けて合格した。

父は筆を手にする地図制作を家業としていたから、画才は天与のものだったのであろう。

校長は岡倉天心で、教授陣は橋本雅邦やE・フェノロサというそうそうたる顔ぶれだ。

岡倉天心は「アジアは一つ」とアジア主義を説き、世の中が欧化一辺倒だったと時代に視線を日本、そして東洋に向けた。道教に深く傾倒し、いつも道服を身に着けた。

また、美校の校服を奈良朝の官服に模したものを作り、いつも頭には冠を被っていた。「人は奇人かと思い、気の小さい者にはできる芸当ではなかった」と大観は振り返る。

・岡倉校長が大酒飲みで天下に有名だった。

岡倉は、「男子すべからく杯を挙ぐるべし」「酒を飲めぬものに何ができるか」「画家になるなら毎日二升ずつ飲む訓練をしろ」のモーレツ主義を実践。

正月には全教師、生徒が校庭に集合二升酒を大きな杯に注いでイッキ飲みして、ブツ倒れるまで飲みあかすのが恒例であった。

岡倉の生徒だった大観はある時、天心から「どのくらい酒を飲むのか」と聞かれた。恐る恐る「三合ぐらいです」と答えると、「そんな少ない酒なら、やめておけ」と叱られた。

大観はもともと一滴も飲めなかったが、それ以来、「一念発起して、飲めなくなると、口の中に手を突っ込んで吐き出しては酒量をきたえた。

1898(明治31)年3月29日、岡倉天心(当時35歳)は美校騒動で、東京美術学校を追われ、野に下った。助教授だった大観も天心に従って辞職する。そして天心が美術の大学院をめざして創立した日本美術院を拠点に画家としての道を歩んだ。

岡倉は1901年(明治34)から翌年にかけて日本美術の源流を求めて、インドを旅し、タゴールらと交流し、さらには二年をかけ大観や春草らを連れてアメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、イタリアの各国を巡って、美術修業を重ねた。ホテルの一室で絵を描いて旅費に充てた。

明治37年(一九〇四)、大観は菱田春草らと渡米し、ニューヨークで展覧会を開いた。日本では「大観の絵の価格は二十円(ドルに換算では十ドル)ほどだったが、アメリカでは一万二千ドルで売れて大金が転がり込み、財政難の日本美術院に送金した。

大観の絵は当初、「朦朧(もうろう)体」とよばれ不評だった。これは没線描法と呼ばれる新手法で、線で描くのではなく、色の濃淡で光や空気を表現しようというフランス印象画の手法をまねたもので、「絵にメリハリがない」とさっぱり売れず、貧乏暮らし暮らしが続いた。

やがて大観の画法は変化し「朦朧体」を脱皮し『流燈』(明治四十二年)によって声価を高め、大作『生々流転』(大正十二年)でその地位を不動のものにした。

大観は、昭和に入って六十歳を過ぎたあたりから、画風は精神主義へと傾き、富士を多く描くようになっていった。

八十九歳の長寿を全うし、最後まで旺盛な創作欲は衰えなかったが、そのエネルギーの源泉は日本酒だった。それも広島の銘酒「酔心」以外は飲まなかった。

『酒仙大観』といわれ、若い時は毎日二升(三・六リットル)は軽く飲みほし、八十歳を過ぎてもー升は欠かさなかった。ご飯はほとんど食べず、朝から飲み、朝は二合(0,36リットル)、昼は三合、夜は残りを飲んだが、足りなかった。

その間、肉や魚は全然口にせず、オカズは野菜やウニやカラスミ、果物などで、静子夫人は「ウグイスのように、ナツパぽっかり食べています」。固形物をとらないため、胃が普通人の半分ぐらいに小さくなった、という。

大観は「酒は米のジュースなので、米食しなくても同じこと…」とすましていた。昭和三十二年(1956)二月、八十八歳の大観は、辻政信衆議院議員の仲立ちで不和だった中村岳陵(日本画家)との和解の宴を築地の料亭で催した。

この時飲み過ぎて、その後は下痢が続いて病にふせた。それでも連日「酔心」を飲んでおり、突然危篤におちいった。

三月十九日、日本美術院の重鎮たちに危篤の通知が出された。友人や弟子がかけつけた病床で「先生は酒がお好きだから、最期はお酒を飲ませて送ろう」と、目覚めた瞬間に吸飲みで「酔心」を1合飲ませた。

ところが、これで再び意識がよみがえり、翌朝には快方に向かって危篤を脱した。元気になった大観は再び、二日に一升近くの酒を飲みつつ、翌年十一月には病床から離れ、画筆を持つようになった。ウソのような本当の話である。

 

大観は「世間では私を大酒飲みと思っているが、私はただ酒を愛するだけです。いくら酒が好きでも寝床で飲むんじゃまずい。とくに吸飲みなんかではね」という。

晩年には「酔心」を、酒七分、水三分、または半々に薄めてちびちび飲んでおり、主治医は「大観は飲むと心臓の働きも活発になり、酒は強心剤ともいえる。長年の習慣が酒に適した身体を作ったのではないか」とあきれていた。

「日本美術院歌」は「堂々男子は死んでもよい」

酒を飲んで興にのると、天心作の「日本美術院歌」を朗々と歌い、「堂々男子は死んでもよい」の「よい」に、なんとも言い表せない味と調子をにじませた。大観がこの歌を歌いだすと、主治医らは体調のよい証拠と喜んだ。

大観がこの美術院歌をレコードに吹き込んだことがあった。

しらふではなかなか唄えない。ずっとできないでいると、二週間ほどして「レコードができました」と持ってきたのに驚いた。「俺は吹き込んだ覚えはない」。よく聞いてみると、ある晩、隣室にそっとテープレコーダーを持ち込み、大観が酔って歌いだしたところを録音したのだという。

「油断もスキもありません」とぼやいていた。

晩年、大観は老子の言葉の「死而不亡者寿」(死して滅びざるもの寿)を好んで、揮号していた。

 - 健康長寿

Message

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

  関連記事

鎌倉カヤック釣りバカ日記(7/8)ーついに『ビッグフィッシュ!』、『黄金アジ』(35㎝)とギョ!、ギョ?、魚!?、これなんじゃね『怪魚』(毒魚か)をゲットしたよーその正体は!?・『アイゴ」でしたわ。

7月8日(金曜日)午前5時過ぎ、川越名人と2人で、いつものように材木座海岸からス …

no image
★『鎌倉釣りバカ人生30年/回想動画記/』③★『3・11福島原発事故から1ゕ月後の鎌倉海の様子』★『May in KAMAKURA SEA』=『海は大波、小波で魚は御留守!じゃ』<『沈黙の春』が依然続くね>』

 2011/05/21  /鎌倉釣りバカ日記」記事 …

『テレワーク、SNS,Youtubeで快楽生活術』ー『庭の桜の老木に梅雨の長雨シャワーが降りそそぐと、若葉たちは歓迎のワルツを踊る。スマホで高精細で撮影してひとり楽しむ』★「朝に湘南のサーフィンをウオッチし、夕べに鎌倉古寺巡礼の筋トレ散歩、また楽しからずや』

tれワーク、SNS,Youtubeによる老後の楽しみ方ー庭の桜の老木に梅雨の長雨 …

no image
『リーダーシップの日本近現代史』(211)/記事再録/▼「長寿創造経営者・大阪急グループ創業者の小林一三(84歳)の長寿健康経営学10訓☆『すべて八分目、この限度を守ってさえいれば、失敗しない』★『 健康の秘訣はノドを大事に、うがいすること』★『大病よりも小病こそ注意すべし、経営も同じ』

 2019/05/01 知的巨人の百歳学(161)記事再録 …

no image
知的巨人たちの百歳学(125)『柔道の神様』三船 久蔵(81歳)の習慣ー『体を錆(さびる)させるな』『動くことがどんな人にも必要な健康の基本』

 知的巨人たちの百歳学(125) 『柔道の神様』-講道館師範、柔道十段  三船  …

no image
 生涯現役/百歳学入門<162>『101 歳よく食べ歩く、記憶鮮明「おしゃべり好き」』●『人間の寿命は125歳が限界? 世界で長生きする長寿5カ国の秘密』●『平均余命は世界的に伸び、経済的豊かさとは合致せず=研究』●『長生きをする30の方法』●『人類が完全なる人工心臓を手にする日はどこまで近づいた?』

    生涯現役/百歳学入門<16 …

no image
『リーダーシップの世界日本近現代史』(284)★『医師・塩谷信男(105歳)の超健康力―「正心調息法」で誰でも100歳まで生きられる』★『 「生れるということは「生きる(息きをすること)、これが人間の最初であり、水を飲まなくても飯を食わなくても、多少は生きられる。ところが息が止まるとと生きていけない。息を引き取り臨終となる。これが根本!」』

  2015年3月29日/百歳学入門(109)記事再録 医師・塩谷信男 …

『リーダーシップの日本近現代史』(289)★『お笑い・ジョークこそ長寿の秘訣『 日本一のガンコ、カミナリオヤジ・内田百閒ユーモア!?は超おもろいで』(生家の動画付き)★『 「美食は外道なりじゃ」』★『酒の味は空腹時が一番うまいのじゃ、美食の秘訣は空腹よ。』

    2011/06/28 &nbsp …

『オンライン講座/百歳学入門』★『日本一の大百科事典を創るため土地、家屋、全財産をはたいて破産した明治の大学者(東大教授)物集高見(82歳) と長男・物集高量(元朝日記者、106歳)は生活保護の極貧暮らしで106歳まで長生きした長寿逆転人生とは①』★高見は「学者貧乏、子孫に学者は出さぬ」と遺言し、高量はハチャメチャ流転物語」

物集高見が出版した大百科事典『群書索引』『広文庫』 前坂俊之(ジャーナリスト) …

no image
人気リクエスト再録『百歳学入門』(235) 『日本歴史上の最長寿、118歳(?)の医聖・永田徳本の長寿の秘訣とは『豪邁不羈(ごうまいふき)の奇人で結構!』★『社名・製品名「トクホン」の名は室町後期から江戸初期にかけて活躍した永田徳本に由来する』★『107歳?天海大僧正の長寿エピソ-ド』

    2012/03/04 記事再録百歳学入門( …