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片野勧の衝撃レポート(34)太平洋戦争とフクシマ❼≪悲劇はなぜ繰り返されるか,原発難民<中>「白河以北一山三文」

   

  

 片野勧の衝撃レポート(34

 

 

太平洋戦争とフクシマ❼

≪悲劇はなぜ繰り返されるのかー

★「ヒロシマ・ナガサキからフクシマへ」

原発難民<中>「白河以北一山三文……」❼

 

片野勧(ジャーナリスト)

 

私が車で最初に福島県へ行ったのは、震災から約8カ月過ぎた2011年11月8日の火曜日だった。福島県は北海道、岩手県に次いで全国で3番目に広い。その広い福島県は太平洋沿いの「浜通り」、奥羽山脈と阿武隈山地に挟まれた「中通り」、新潟県に接するその西の「会津」と3つの地域に大別される。

 

東北自動車道。この日は埼玉県の岩槻ICから入って一路、東北の玄関口・白河ICへ。「白河以北一山三文……」――ふと、「日本書紀」の記述が頭をよぎる。かつて平安京の征夷大将軍・坂上田村麻呂が大軍を率いて何十回も侵攻を試みたが、失敗。白河は強固な国境線だった。しかし、東北はいつの時代も常に国や権力によって差別されてきた。

 

特に昭和恐慌は多くの困窮農家を生んだ。失業、欠食児童、身売り……。移民も増えた。『福島民報』(昭和7年6月19日付)は、伊達郡茂庭村(現、福島市)の実態を「迫る債鬼に/娘の身売り続出/犠牲の処女25名」という見出しで、こう報じていた。

「十銭の金、一升の米の融通も跡絶えた茂庭村に入り込むのは債鬼のみだ。…(中略)娘を金に替えて整理したものが村内で五軒や十軒にとどまらない」

 

貧しく過酷な地だった。しかし、そこに生きる人々の心は誠実で優しい。素朴で温かさに満ちていた。その東北の人々が原発事故によって故郷と大地を奪われた。私は白河ICを出たところで、NHKラジオにスイッチを入れると、国会論戦が展開されていた。質問者は自民党議員。当時、自民党は野党だった。以下、テープからの再録(要点)。肩書きは当時のまま。

 

切迫感のない国会論戦

 

――被ばくによる健康被害はないのか。

枝野幸男経産相は「ない」と答える。もちろん、「ある」と答えたら、不安を煽ることになるので、「ない」と言ったのだろう。質問は続く。

――事故の収束にめどが立っていない。問題なのは、溶けた物が格納器の中なのか、外に出ているのか、あるいはコンクリートを突き抜けているのか。誰も把握していないのはどういうことか。

 

原子力安全委員会の班目(まだらお)春樹委員長が答弁に立つ。

「かなりの部分が格納器内にとどまっていると考えている」

――炉心溶融の場所が確定できないことは、体に例えると、体のどこが本当に病んでいるのか、CT検査しないで放射線を当てるようなものだ。

「できるだけ努力をして調べています」

官僚的答弁に終始して、切迫感が感じられない。さらに追及は続く。

――3月20日~23日に大量の放射性物質が飛び散ったと言われているが、農水省は把握しているのか。

鹿野道彦農水相は答える。

「どういう形で汚染されたかという知見は持ち合わせていません」

何を答えているのか、さっぱりわからない。ぼかし、責任逃れにも聞こえて……。わが国は過去に幾つかの過ち、錯誤を経験したが、鹿野発言はそれを象徴しているように思った。

もちろん、こんな答弁で国民は納得しないだろう。政府の試案によれば、福島第1原発の事故によって、これまで放出されたセシウム137の量は、広島の原爆168.5個分に相当するという。

それらの放射性セシウムは福島県を中心に静岡県以東・以北のほぼ日本の半分に降り注ぎ、茶葉を始め、ホウレンソウや葉物野菜、稲ワラなどに蓄積して、多くの食品汚染を引き起こしているのだ。

厚生労働省の発表によると、すでに福島、二本松、相馬、いわき各市の女性の母乳から2~13ベクレル/㎏のセシウム137が検出されており、この数字はチェルノブイリの住民の尿中のセシウム137にほぼ匹敵するという。

 

原発事故は広大な阿武隈の森を汚染し、地球の大気と海に放射能物質をまき散らす――。私は国会論戦を聞いていて、ふるさとを失い、帰る家もない福島の人びとを思うと、原発事故への恨み、怒りの気持ちを抑えることができなかった。追及はまだ続く。

――水素爆発に至ったメカニズムの解明や原発事故の原因・分析も不十分。これでは国民はもとより国際社会からも信頼を得るのは不可能だ。

 

野田佳彦首相は答える。

「事故の収束なくして日本の再生はない。それを踏まえて着実に収束に向かっているということを情報公開しながら世界に発信していきたい」

これは、まさに大本営発表だ。太平洋戦争中、陸軍・海軍の統帥機関である大本営が国民に向けて発表した戦況報告とそっくり。日本は追い詰められているのに、その客観的事実を伝えることなく、国民は意図的な情報のみを一方的に押しつけられた。「着実に収束に向かっている」と言う野田首相の発言は、戦前・戦中と同じような危うさを感じた。

 

責任逃れの口汚い怒鳴り合い

 

国権の最高機関たる国会論戦。自民党議員も民主党議員も、ほとんどが自らの責任逃れの口汚い怒鳴り合いに、私は驚いた。まるで理想がない。理念がない。明治以来の富国強兵の延長の金、金、金のエコノミックアニマルの域を出ていない。

ここまで日本を原発列島にしてきた自責の念などは、これっぽっちもない。それでいて、どの議員も災害犠牲者に哀悼の意を表し、「自分は避難民の味方だ」と、偉そうに政権批判を繰り返すばかり。一体、誰が災害日本にしてしまったのか。

原発事故後、5週間が過ぎた2011年4月20日付『毎日新聞』1面はこう報じていた。「東電幹部 自民に献金。07~09年2千万円超。役職に応じ定額」の大見出し。献金は役員以外にも部長やOBまで70人以上に及ぶという。

 

東電は「あくまで個人の判断によるもの。組織として指示や強制はしていない」とコメントしていたが、明らかに組織ぐるみの政治献金だ。TBSの朝の番組で、あるコメンテーターは言っていた。

「原子力行政の基礎を作ったのは自民党。今回の事故も含め、自分たちが何をやってきたのか、しっかり思い出してほしい」

「国策」を推進してきた責任には一言も触れずにいるのは、戦前の軍部指導者とそっくり。責任を問わずに、このまま曖昧にしていけば、再び悲劇は繰り返されるだろう。

ところが、さらに驚くことに原発事故から9カ月余の2011年12月16日。野田首相は記者会見で福島第1原発事故の「収束」を内外に宣言した。「原子炉は冷温停止状態に達し、事故そのものが収束に至ったと確認された」というのが理由だ。

 

しかし、「収束宣言」を出したとはいえ、汚染水の処理方法も決まっていない。放射性物質の漏出は食い止められておらず、汚染水の海洋流出も起きている。原子炉を冷却する循環システムも継ぎはぎの急ごしらえ。こんな状態ではとても収束とは呼べない。

損傷が最も激しい1号機は、溶融した燃料が圧力容器から外側の格納容器にほぼすべて漏れている。コンクリートを最大65センチ浸食し、あと37センチで外殻の鋼鉄の板まで迫っているのだから、正常な状態ではない。

 

野田首相の「収束宣言」に怒りの声

 

『朝日新聞』(2011/12・17付)の報道によると、政府の収束宣言そのものに疑いの目を向ける人も少なくない。飯舘村のSさんは「国と東京電力が『仕事をしている』と国民にアピールするためのパフォーマンスだ」と切り捨てる。放射能汚染の広がりや除染の見通しなど、国はこれまで一度も正確な情報を開示していない、と憤る。

各市町村長たちの憤りも激しい。たとえば、約2万人の全住民が避難を強いられている浪江町の馬場有町長。

 

「冷温停止といわれても、おいそれと信用できない。……放射性物質の放出は本当に止まったのか。原発の状態について、これまで以上に情報開示や伝達を徹底してほしい」

南相馬市の桜井勝延市長も収束宣言には懐疑的だ。

「炉心や燃料の問題など完全にコントロールできていると言えるのか。原子炉の中を検視する技術もまだないのではないか。早計な発言だと思う」

川内村の遠藤雄幸村長の考える収束とは「燃料を取り出して廃炉にし、住民の帰還が終わったこと」だという。大熊町の渡辺利綱町長は「除染や住民の帰還、廃炉の問題などもあり、通過点であり一里塚と思う」と述べている。

 

このように野田首相の収束宣言に不信感を募らせているのだ。もし、実態との乖離が大きければ国内だけでなく、国際的にも日本政府の姿勢に疑念の目を向けられるのは火を見るより明らかだ。

「収束」という踏み込んだ表現で安全性をアピールし、風評被害の防止につなげたいという判断があったとしたら、かえってそれは内外の信頼を損ねることになろう。

 

汚染水漏れ

 

この原稿を書いているとき、「やはり」と思う記事が飛び込んできた。『朝日新聞』2013年4月6日付夕刊一面――。

 

「汚染水漏れは120トン 福島第1収束宣言後で最大」

漏れた放射能は約7100億ベクレル。この数字は事故前の年間排出上限の約3倍の量。今も遮水シートの継ぎ目部分などから地中に漏れ続けていると、記事は伝えていた。溶けた核燃料を冷やすため、2年以上にわたって注入された水は、120トンを超える超高濃度の汚染水が漏れていた。いつ果てるとも知れない恐怖――。

 

その後も高濃度の汚染水漏れが何度も起きている。2013年8月には300トンの漏洩が起き、10月には原子炉冷却に使った海水を淡水に変える装置から汚染水が漏れ、6人の作業員が被曝した。今年(2014)2月にも高濃度の汚染水が約100トン漏れる騒ぎがあった。

いまなお、混沌とした炉内で再臨界の恐れはないのか。巨大な地震に耐えられるのか。そして汚染水漏れはないのか。こうした懸念をぬぐい去った時、初めて「収束」といえるのではないのか。

 

人っ子一人いない“死の街”

 

私はラジオを聞きながら、郡山から飯舘村を通って南相馬市へ向かった。走った道路は原町川俣線(12号線)。道路は舗装されているが、カーブが多い。山あいの道をどこまで走っても人の姿は見えない。対向車もない。

飯舘村の道の両側は山が連なり、放射能汚染で人っ子一人いない。あるのは日本人に深く愛されてきた紅葉の美しさだけ。車窓から眺める紅葉は、いつもの秋にもまして目に染みた。

ものの本によれば、「紅葉が美しく色づくには三つの条件があるという。昼間の日差し、夜の冷気、そして水分である」と(『読売』2011/11・15付「編集手帳」)。

悩みと苦しみ(冷気)に打ちひしがれ、数かぎりない涙(水分)を流し、周囲からの温かみ(日差し)に触れて、飯舘村の人たちの心は赤く、黄色く色づいていくのだろう。まさに、紅葉は人生の喜怒哀楽を表現し、人生というものを考えさせるものなのかもしれない。

 

飯舘村に限らない。被災にあった東北の人たちは、十分に冷気と水分を味わったにちがいない。しかし、いまだに味わっていないのが明るい“日差し”。復興は遅々として進まない。瓦礫の処理も除染もままならないことが、それを証明している。

坂道を少し下った左手の方に牛舎が見えた。人間の姿もあった。昭文社の『福島県道路地図』で見ると、飯舘村芦原というところらしい。その牛舎へ行ってみた。地割れの激しい農道は坂道ででこぼこだらけ。砂ぼこりも激しい。やっとの思いで牛舎へたどり着く。

 

 

片野 勧

1943年、新潟県生まれ。フリージャーナリスト。主な著書に『マスコミ裁判―戦後編』『メディアは日本を救えるか―権力スキャンダルと報道の実態』『捏造報道 言論の犯罪』『戦後マスコミ裁判と名誉棄損』『日本の空襲』(第二巻、編著)。『明治お雇い外国人とその弟子たち』(新人物往来社)。

 

                               続く 

 

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